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第四章 ヨミ、癒しの姉を抱きしめたい
(五)
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「それで、子孝行だっけ。それがどうかしたの、ヨミ先生?」
沙希さんは優しく話題を戻してくれる。
「親が子どもに尽くすべしって意味の言葉は、あんまり聞かないなあと思って。逆があったっていいですよね」
「ああ、たしかにそうだなあ……、当たり前だと思われてるのかもしれないね。親が子どもを大切にすることは」
「当たり前すぎて、そんな言葉を作る必要がなかった、と」
「うん、そう」
「なるほど。……じゃあ、親に恩の押し売りをされているっていう考えは、違ったのかもしれませんね」
そもそも親は恩を売るつもりなんてないのかもしれない。当たり前に子どもを大切にしているだけ。それを押し売りだと思うのは、ヨミがひねくれているのだろうか。
うん、そんな気がしてきた。
というか、それなら子が親を大切にすることも特別なことじゃないのでは。親孝行なんて言葉、いる? そんな言葉がないくらい、普通に親を大事にすればいいのでは。
うんうんとひとりで考えていると、沙希さんはヨミをじーっと見た。
「ヨミちゃんって、子どもいたっけ?」
「いいえ、子どもどころか、独身貴族ですよ」
「そっか」
「でも友だちでお母さんになった子たちは、うちの子かわいいーって育ててるだけで、小難しいこと考えてないだろうなって思います。わたしももし子どもできたら、この子に恩を売るぞーなんて思わないだろうし」
想像だけど。でもけっこうリアルな想像だと思う。
ヨミだって、その気になれば出産できる年齢なのだ。子育てというものもそこそこ現実味を帯びて想像できるようになった気がする。残念ながら父親になってくれる人がいないのだが。
「まあ、本当のところは自分が親になったときにわかるでしょうから。それまで結論は保留にしておきます」
親になれるかなあ、まずは彼氏だなあ、と苦笑する。結婚願望がないわけではない。しかし悲しきかな、縁がない。
「そうだね。うん、そうだと思う。その立場になってみないとわからないことって、きっとあるよね」
沙希さんもしみじみした調子でうなずいた。
話がひと段落したところで、コーヒーも底をつく。「まだなにか飲む?」と聞かれたが、ヨミのお腹はそのときにはもう水分でたぷたぷになっていたから遠慮した。
「そっか、ヨミちゃんとはもうすこし話したいこともあったから残念」
沙希さんは悲しそうに肩を落とす。そんな顔をされると、ヨミも急に寂しくなった。
「でも沙希さんまだ実家にいるんですよね? いつでもお話できますよ。誘ってくれたら、すぐ駆けつけますから」
沙希さんはすこし考えて、微笑んだ。
「うん、そうね。ありがとう」
ふたりで席を立つ。お会計は沙希さんがしてくれた。喫茶店の外に出る。夕方の涼しい風が吹いて沙希さんの髪を揺らした。沙希さんは、うーんと腕を広げて深呼吸する。
「やっぱりこっちの空気は美味しいねー」
「そうですよね、わかります。色がありますよね、ここの空気は」
「色? うーん。それはちょっと、わたしにはわからないかな」
あれ。
「でもヨミちゃんにとってはそうなんだろうね。何色?」
「夏は緑です」
「そっか。なんかヨミちゃんらしい」
沙希さんは朗らかに笑った。
そして。
「ねえ、ヨミちゃん」
振り向いた沙希さんに、あれ、と思う。
沙希さんの雰囲気が、どこか変わったような気がした。どこがと言われたら、わからないけれど。どこかがたしかに変わった気がした。それもあまり、いい変化ではない気がする。
「沙希さん?」
沙希さんは夕方の空を見上げて、「もうすこし、遊んでいたくなっちゃったなあ」とつぶやいた。「遊んで」なんて言っているけれど、あまりわくわくした声ではなかった。それで、ヨミはどきりとする。
ね、と沙希さんがヨミを見る。
「さっき言った、もうちょっと話したかったことなんだけどね。やっぱりすこしだけ、ここで話してもいいかな」
「はあ……」
ヨミは首を傾げる。なんだろう。すこしだけ肌寒くなって半袖をきゅっと握った。それでも顔には笑顔を浮かべる。
沙希さんは優しく話題を戻してくれる。
「親が子どもに尽くすべしって意味の言葉は、あんまり聞かないなあと思って。逆があったっていいですよね」
「ああ、たしかにそうだなあ……、当たり前だと思われてるのかもしれないね。親が子どもを大切にすることは」
「当たり前すぎて、そんな言葉を作る必要がなかった、と」
「うん、そう」
「なるほど。……じゃあ、親に恩の押し売りをされているっていう考えは、違ったのかもしれませんね」
そもそも親は恩を売るつもりなんてないのかもしれない。当たり前に子どもを大切にしているだけ。それを押し売りだと思うのは、ヨミがひねくれているのだろうか。
うん、そんな気がしてきた。
というか、それなら子が親を大切にすることも特別なことじゃないのでは。親孝行なんて言葉、いる? そんな言葉がないくらい、普通に親を大事にすればいいのでは。
うんうんとひとりで考えていると、沙希さんはヨミをじーっと見た。
「ヨミちゃんって、子どもいたっけ?」
「いいえ、子どもどころか、独身貴族ですよ」
「そっか」
「でも友だちでお母さんになった子たちは、うちの子かわいいーって育ててるだけで、小難しいこと考えてないだろうなって思います。わたしももし子どもできたら、この子に恩を売るぞーなんて思わないだろうし」
想像だけど。でもけっこうリアルな想像だと思う。
ヨミだって、その気になれば出産できる年齢なのだ。子育てというものもそこそこ現実味を帯びて想像できるようになった気がする。残念ながら父親になってくれる人がいないのだが。
「まあ、本当のところは自分が親になったときにわかるでしょうから。それまで結論は保留にしておきます」
親になれるかなあ、まずは彼氏だなあ、と苦笑する。結婚願望がないわけではない。しかし悲しきかな、縁がない。
「そうだね。うん、そうだと思う。その立場になってみないとわからないことって、きっとあるよね」
沙希さんもしみじみした調子でうなずいた。
話がひと段落したところで、コーヒーも底をつく。「まだなにか飲む?」と聞かれたが、ヨミのお腹はそのときにはもう水分でたぷたぷになっていたから遠慮した。
「そっか、ヨミちゃんとはもうすこし話したいこともあったから残念」
沙希さんは悲しそうに肩を落とす。そんな顔をされると、ヨミも急に寂しくなった。
「でも沙希さんまだ実家にいるんですよね? いつでもお話できますよ。誘ってくれたら、すぐ駆けつけますから」
沙希さんはすこし考えて、微笑んだ。
「うん、そうね。ありがとう」
ふたりで席を立つ。お会計は沙希さんがしてくれた。喫茶店の外に出る。夕方の涼しい風が吹いて沙希さんの髪を揺らした。沙希さんは、うーんと腕を広げて深呼吸する。
「やっぱりこっちの空気は美味しいねー」
「そうですよね、わかります。色がありますよね、ここの空気は」
「色? うーん。それはちょっと、わたしにはわからないかな」
あれ。
「でもヨミちゃんにとってはそうなんだろうね。何色?」
「夏は緑です」
「そっか。なんかヨミちゃんらしい」
沙希さんは朗らかに笑った。
そして。
「ねえ、ヨミちゃん」
振り向いた沙希さんに、あれ、と思う。
沙希さんの雰囲気が、どこか変わったような気がした。どこがと言われたら、わからないけれど。どこかがたしかに変わった気がした。それもあまり、いい変化ではない気がする。
「沙希さん?」
沙希さんは夕方の空を見上げて、「もうすこし、遊んでいたくなっちゃったなあ」とつぶやいた。「遊んで」なんて言っているけれど、あまりわくわくした声ではなかった。それで、ヨミはどきりとする。
ね、と沙希さんがヨミを見る。
「さっき言った、もうちょっと話したかったことなんだけどね。やっぱりすこしだけ、ここで話してもいいかな」
「はあ……」
ヨミは首を傾げる。なんだろう。すこしだけ肌寒くなって半袖をきゅっと握った。それでも顔には笑顔を浮かべる。
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