長野ヨミは、瓶の中で息をする

橘花やよい

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第三章 ヨミ、天然記念物級の天然と庭いじりをする

(五)

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 ヨミは驚いた。驚いて、変な声が出た。恥ずかしい。

「しゅ、愁くん、どうかしました?」
「ああ、いえ」

 愁はヨミが指さす先を見つめていたが、やがて微笑んでヨミの手をおろさせた。ヨミはされるがまま、おろされた手の行き場に困ってグーパーと閉じたり開いたりさせる。握られた手首に、感覚が残っていた。けっこう、強かった。

「えっと、愁くん」
「ごめんなさい、ヨミさん」
「いえ、大丈夫ですけど」
「今年は、花はやめておきませんか。僕も野菜が食べたくなってきました。なんて言うか、そういう庭もありかな、なんて思います。だから野菜がいいです」

 のんびりしている彼にしては、早口だった。

 ああ、そっか。彼は新しい庭にしたいんだっけ。花をやめて、今年は野菜の年にしようと、そういうことらしい。

「野菜だけでいいんですか? 地味になりそうですけど」
「いいんです」

 ヨミはちょっと、変な顔をした。愁が言うならそれでもいいような、やっぱり花の咲いた庭が見たいような。だって花がないのは寂しい。

「野菜とお花のハーフハーフはどうですか?」
「僕は不器用なので、どっちかじゃないと難しいと思います」
「本当に野菜オンリー?」
「はい」

 頑なだ。心にぽつんと寂しさが落ちた。

 ――前の庭は、そんなに嫌ですか。

 問いかけはぐっと飲み込んで、ヨミは微笑んだ。

「わかりました!」

 愁が望むなら、きっと、それでいいのだろう。

「じゃあ、どの野菜にするか選びましょう。野菜って言ってもいろいろありますからね」

 愁も安心したように微笑んだ。

「はい。夏野菜だとトマトとかキュウリでしょうか」

 野菜の種を前に、ヨミは左上から順番に眺めていく。愁もヨミのとなりに並んだ。最近知り合った太陽みたいな大学生の千田は、トマトが好きなんだっけと思いだす。

「僕、好きなんです、夏野菜のカレー。育ったら、カレーが食べたいな」
「うんうん。美味しいですよね。自家栽培なら一層美味しいですよ。あとラタトゥイユとかも作れそう」

 そこまで考えて、あれと気づく。

「夏野菜って夏に採れるから、夏野菜なんですよね?」
「そうですね」

 愁は「それがなにか?」と首をかしげた。

「今から育てたら、収穫できるころにはきっと夏、終わってますよね?」
「……ああ、本当だ。そうですね、終わっています。どうしましょう」

 気づいてしまった衝撃で当たり前の事実に、ふたりで苦笑した。これだから見切り発車の初心者は危ないのだ。

「野菜作りは時代を先取りしないといけないんですね」
「そうみたいです。農家さんたちみんな時代の最先端ですよ。それで、どうしましょう」
「どうしましょうか」

 愁をリードするはずが、結局ふたりして道に迷っているような気がする。頼りないガイドで申し訳ない。だって庭いじりなんて、ヨミも初心者なのだ。困ったときはプロに訊くのが一番、とヨミはホームセンターのおじさん店員を呼び止めた。

「それでは、こちらの野菜はいかがでしょうか?」

 にこにこと優しそうなおじさん店員におすすめされたのは、小松菜と人参の種だった。今から種を植えれば、秋から冬にかけて収穫ができるそうだ。野菜にも育てるのが簡単なものと難しいものがあるようで、この二つは初心者向けなのだそう。育てるのに難易度があることすらヨミは知らなかった。家庭菜園、なかなか奥が深い。

「愁くん、小松菜と人参は好きですか?」
「はい。美味しいですよね」
「それじゃあ、これにしましょうか。小松菜と人参……、秋野菜カレーが作れますね。頑張って育てましょう。秋はカレーパーティーです」
「あ、そうですね。楽しそうです。頑張りましょう」

 にっこりとうなずきあうヨミたちを、おじさん店員は優しく見守っていた。

「実はおふたりの会話がずっと聞こえておりまして。どちらの野菜もカレーにぴったりだと思います。カレー、ぜひ作ってくださいね」
「あ、はい……! 頑張ります!」

 ヨミはうなずきながら、かあっと頬が熱くなった。会話を聞かれていたのはすこし恥ずかしい。家庭菜園初心者を丸出しにした会話だったから。追い打ちをかけるように、おじさん店員は微笑んだ。

「今日からおふたりも時代の先取りマスターですね」

 うん、やっぱり恥ずかしい。
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