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第二章 ヨミ、偏屈な女店主とお茶を飲む
(七)
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「水樹さーん。回覧板でーす!」
プレハブ小屋の中にも届く元気な声がして、少女が窓の景色に駆け込んできた。近所のなっちゃんだ。小学四年生。いつでもポニーテールでショートパンツの、笑顔がかわいらしい子。
水樹は無言で携帯灰皿に煙草を押し付けた。今度のはちゃんと気を遣ったと見える。なんだ、やればできるじゃないか、水樹さん。
「あー、水樹さんまた煙草! 身体に悪いって言ってるのに」
――消した、今。
「でも吸ってた!」
――あー、うるさい。
聞こえてくるなっちゃんの声を頼りに、会話を想像してみた。もしかしたらなっちゃんに気を遣って煙草を消したというよりは、小言を聞きたくないだけかもしれない。小学生に怒られる水樹がおかしくて、ヨミはなんだか笑えてきた。
無愛想だし怖がられそうなのに、意外と水樹は小学生たちに好かれるのだ。ああいう大人が珍しいからかもしれない。
ヨミは大きく息を吸う。コーヒーの香りが肺いっぱいに満ちる。
コーヒー。雑貨。時計の音。それから水樹の無愛想な表情。
この店は落ち着く。
東京から来て冷たくあしらわれた人はかわいそうだなあと思うし、水樹ももうちょっと愛想よくしてもいいんじゃないかとは思う。でも、ヨミはこの店が好きだ。ヨミの「好き」が間違っているなんてことは、きっとない。好きなものは、好きでいい。他人に理解されなくても。
きっと、それでいい。
「うん、大丈夫」
声に出してみた。もう大丈夫。言葉が空気の振動になって鼓膜を震わせれば、その言葉が身体に馴染むような気がする。ヨミは顔を上げてカウンターにお金を置き、外に出た。相変わらず水樹となっちゃんが騒いでいる。
「水樹さん、ごちそうさまです。コーヒー美味しかったです」
ヨミは手を振ってアピールした。水樹には無視されたが、なっちゃんはぶんぶんと手を振り返してくれた。
「あ、ヨミさんだー!」
「こんにちは、なっちゃん。回覧板のお届けご苦労様です」
えへへーとなっちゃんは笑顔になる。つられてヨミも微笑んだ。その顔のまま水樹を見ると、水樹はうんざりとした顔で煙草のケースを撫でる。わー、吸いたそう。
「お金はカウンターに置いておきました」
「はいはい」
「煙草はほどほどにしてくださいね」
「うるさい」
「すみません」
鋭く言われて、思わず頭を下げた。
それから。
「わたしは、このお店が好きです」
顔を上げて、水樹に負けないように背筋を伸ばして伝えた。水樹はヨミをちょっと見て、なんだこいつ、という顔になる。本気で引かれている気がする。悲しい。好きだと言って、こんな嫌そうな反応されること、ある?
「あ、わたしも好き! コーヒーはおいしくないけど、いろいろあって面白い!」
「なっちゃーん」
ぴょんっとなっちゃんが挙手してアピールしてくれた。つい頭を撫でたくなる。年下はかわいい。
「なっちゃんにはまだコーヒーは早いかなあ」
「大人になったらおいしくなる?」
「なるかも」
「そっかあ。じゃあ大人になったらチャレンジする! ヨミさんそのときは一緒に飲も!」
「うん、喜んで。楽しみにしてるね」
そのときが来るころには、ヨミは立派なおばちゃんだろうか。あまり考えたくはない。けれどなっちゃんとコーヒーブレイクをするのは楽しそうだ。そうと決まれば。
「水樹さん、カウンターにもう一脚椅子を用意してくださいね」
「は? なんであたしが」
「水樹さんお願いしまーす!」
「お願いします」
ふたりからのお願いに、水樹は心底面倒そうにため息をついた。それから新しい煙草を一本くわえる。火はまだつけないけれど、いつでも吸える態勢だ。そろそろ限界だ、煙草を吸わせろと、その顔が物語っていた。
ヨミは笑って、深くお辞儀する。
「お邪魔しました。また来ます」
「あっそ」
また来てねとは言わないけれど、来るなとも言われない。だからヨミは、勝手にすることにした。なっちゃんは「回覧板、ちゃんと渡したからね! 次の人に回さなきゃダメだよ! ばいばーい」と家に駆け戻っていく。
「じゃあ、わたしも失礼します」
なっちゃんに続くようにして、ヨミも家に向かって歩き出す。ちょっと進んで振り返ると、水樹は満足そうに煙草に火をつけていた。
「やっぱり自転車出そうかなあ」
なっちゃんみたいに走るだけの体力はないけれど、一本道を駆け抜けたい気分だ。
よし、帰ったら納屋をのぞいてみよう。埃を被っているだろうし、タイヤも交換しなければいけないだろうけれど、ここはひとつ、頑張ってみようじゃないか。
自転車があれば、すこしは水樹の店にも通いやすくなるかもしれないし。
プレハブ小屋の中にも届く元気な声がして、少女が窓の景色に駆け込んできた。近所のなっちゃんだ。小学四年生。いつでもポニーテールでショートパンツの、笑顔がかわいらしい子。
水樹は無言で携帯灰皿に煙草を押し付けた。今度のはちゃんと気を遣ったと見える。なんだ、やればできるじゃないか、水樹さん。
「あー、水樹さんまた煙草! 身体に悪いって言ってるのに」
――消した、今。
「でも吸ってた!」
――あー、うるさい。
聞こえてくるなっちゃんの声を頼りに、会話を想像してみた。もしかしたらなっちゃんに気を遣って煙草を消したというよりは、小言を聞きたくないだけかもしれない。小学生に怒られる水樹がおかしくて、ヨミはなんだか笑えてきた。
無愛想だし怖がられそうなのに、意外と水樹は小学生たちに好かれるのだ。ああいう大人が珍しいからかもしれない。
ヨミは大きく息を吸う。コーヒーの香りが肺いっぱいに満ちる。
コーヒー。雑貨。時計の音。それから水樹の無愛想な表情。
この店は落ち着く。
東京から来て冷たくあしらわれた人はかわいそうだなあと思うし、水樹ももうちょっと愛想よくしてもいいんじゃないかとは思う。でも、ヨミはこの店が好きだ。ヨミの「好き」が間違っているなんてことは、きっとない。好きなものは、好きでいい。他人に理解されなくても。
きっと、それでいい。
「うん、大丈夫」
声に出してみた。もう大丈夫。言葉が空気の振動になって鼓膜を震わせれば、その言葉が身体に馴染むような気がする。ヨミは顔を上げてカウンターにお金を置き、外に出た。相変わらず水樹となっちゃんが騒いでいる。
「水樹さん、ごちそうさまです。コーヒー美味しかったです」
ヨミは手を振ってアピールした。水樹には無視されたが、なっちゃんはぶんぶんと手を振り返してくれた。
「あ、ヨミさんだー!」
「こんにちは、なっちゃん。回覧板のお届けご苦労様です」
えへへーとなっちゃんは笑顔になる。つられてヨミも微笑んだ。その顔のまま水樹を見ると、水樹はうんざりとした顔で煙草のケースを撫でる。わー、吸いたそう。
「お金はカウンターに置いておきました」
「はいはい」
「煙草はほどほどにしてくださいね」
「うるさい」
「すみません」
鋭く言われて、思わず頭を下げた。
それから。
「わたしは、このお店が好きです」
顔を上げて、水樹に負けないように背筋を伸ばして伝えた。水樹はヨミをちょっと見て、なんだこいつ、という顔になる。本気で引かれている気がする。悲しい。好きだと言って、こんな嫌そうな反応されること、ある?
「あ、わたしも好き! コーヒーはおいしくないけど、いろいろあって面白い!」
「なっちゃーん」
ぴょんっとなっちゃんが挙手してアピールしてくれた。つい頭を撫でたくなる。年下はかわいい。
「なっちゃんにはまだコーヒーは早いかなあ」
「大人になったらおいしくなる?」
「なるかも」
「そっかあ。じゃあ大人になったらチャレンジする! ヨミさんそのときは一緒に飲も!」
「うん、喜んで。楽しみにしてるね」
そのときが来るころには、ヨミは立派なおばちゃんだろうか。あまり考えたくはない。けれどなっちゃんとコーヒーブレイクをするのは楽しそうだ。そうと決まれば。
「水樹さん、カウンターにもう一脚椅子を用意してくださいね」
「は? なんであたしが」
「水樹さんお願いしまーす!」
「お願いします」
ふたりからのお願いに、水樹は心底面倒そうにため息をついた。それから新しい煙草を一本くわえる。火はまだつけないけれど、いつでも吸える態勢だ。そろそろ限界だ、煙草を吸わせろと、その顔が物語っていた。
ヨミは笑って、深くお辞儀する。
「お邪魔しました。また来ます」
「あっそ」
また来てねとは言わないけれど、来るなとも言われない。だからヨミは、勝手にすることにした。なっちゃんは「回覧板、ちゃんと渡したからね! 次の人に回さなきゃダメだよ! ばいばーい」と家に駆け戻っていく。
「じゃあ、わたしも失礼します」
なっちゃんに続くようにして、ヨミも家に向かって歩き出す。ちょっと進んで振り返ると、水樹は満足そうに煙草に火をつけていた。
「やっぱり自転車出そうかなあ」
なっちゃんみたいに走るだけの体力はないけれど、一本道を駆け抜けたい気分だ。
よし、帰ったら納屋をのぞいてみよう。埃を被っているだろうし、タイヤも交換しなければいけないだろうけれど、ここはひとつ、頑張ってみようじゃないか。
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