長野ヨミは、瓶の中で息をする

橘花やよい

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第二章 ヨミ、偏屈な女店主とお茶を飲む

(六)

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「ま、べつにいいんだけどさ。誰が陰口言おうと」
「怒ってるのか気にしてないのか、どっちなんです?」
「どっちも」

 水樹の言うことは、難しい。

「この店はあたしがやりたくてやってる、あたしの店だ。客に来てくださいなんて言った覚えはない。そんな客がなにを言ったって、あたしには関係ない。でも、あたしがやりたいようにやってるんだから、客だって勝手にする権利はある。低評価だろうが悪口だろうが、好きに言えばいい」

 だから、イライラするけれど気にしない。そういうことらしい。

 水樹は立ち上がって、ヨミを見下ろす。ヨミは背筋を伸ばす。そうじゃないと、負かされる気がした。なんの勝負なのかは知らないけれど。でもとにかく背筋を伸ばして、水樹を見つめ返す。水樹は値踏みするような目つきになった。ヨミの首筋にじりっと汗が浮かぶ。

「あんたも、あたしのこと、くそ店主って思ってるでしょ」
「思ってません」
「あんたみたいな優等生は、あたしのこと軽蔑するもんね」
「してません」
「嘘」

 どうして、そんなことを言うんだ。勝手に決めつけるのはやめてほしい。水樹の目は、ヨミの言葉をすべてはね返そうとしているように見えた。敵意丸出し、ガード完ぺき。

「ま、どうでもいいけどさ。あたしはあんたのことも興味ないし」

 水樹の手の上でライターが跳ねる。

「全員、好き勝手に生きればいい。あんたたちがなにをしようと、あたしには関係ない」
「あ、ちょっと水樹さん……!」

 ライターを放ってキャッチしてを繰り返しながら、水樹はヨミなんて見えていないようにプレハブ小屋を出て行ってしまう。ヨミはその後ろ姿を眺め、しゅうと風船が縮むように体を小さくさせた。

 それから一転、不満が爆発した。

 ――聞いてよ、人の話! 自分だけ好き勝手言うんだからさ、もう!

 心の中で叫ぶ。

 彼女の理屈によれば、ヨミも好き勝手言っていいのだろう。でも、いつでもにこにこしているのがヨミの理想像だから、言葉になんてできない。唇を噛んで必死に抑え込む。笑顔、笑顔。にこやかに。

 声に出せない代わりに無言でどん、どん、とカウンターを叩く。拳が痛かったから、すぐやめた。

 わたしのことも、どうでもいいのか。ちょっとは親しくなれたと思っていたのだけど、どうでもいいって思われてるんだな。

 ――もう……! 嫌な人!

 客を暇人扱いするし、馬鹿とか平気で言うし、やっぱり水樹が悪いから低評価をつけられたんじゃないか。

 水樹が悪い。

 もともとそういうことを思わないわけではなかったが、低評価した人の意見につられて、むくむくと感情が大きくなっているのが自分でもわかった。そうして。

「ああああああああ、水樹さんごめんなさい!」

 ヨミは、カウンターに突っ伏した。

 こんなことが言いたかったわけじゃないのだ。感情がぐしゃぐしゃになって、気持ち悪い。

 悪口やよくない話を聞いてしまうと、それまで好きだったはずのものが自分の中で輝きを失っていく気がする。嫌な側面に焦点を当てるようになって、それを好きだった自分がおかしいのだろうかと思ってしまう。そういうことが、よくあった。

 他人の考えに流されてしまう自分は、弱いのかもしれない。そんな自分自身も、ヨミは苦手だ。とてもちっぽけな人間だと思う。でも水樹は違う。

 他人は他人、自分は自分と割り切っているのだろう。「あんたがそう思うなら好きにすれば? あたしには関係ないけど」と、彼女はそういう考え方をする。それがたぶん、ヨミにとっては好ましくて、憧れがあって、すこし妬ましい。

 冷たい人のように見える。でも、他人を否定しないある種の寛大さがある。

 だからヨミは、この店に訪れるのだと思う。水樹の特大級の不器用な優しさに救われることがあるから。ムカつくことも、そりゃたくさんあるけど。図太さに憧れる。自分の意志を貫いてみたいと思う。好きなものは好きでいたい。

 ――それが、なかなか難しいんだけど。

 小さな窓の外に水樹の姿が映った。足元には黒猫がまとわりついている。水樹は猫に構うでも追い払うでもなく、庭の大きな銀杏の木陰で煙草に火をつけた。煙草を吸わないヨミに気を遣って外に出た、わけではないだろう。雑貨に煙草の臭いが移るのが嫌だとか、そういうことだと思う。

 水樹の口から白い煙がのぼって霧散した。
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