長野ヨミは、瓶の中で息をする

橘花やよい

文字の大きさ
上 下
9 / 53
第一章 ヨミ、失恋中の大学生に出会う

(九)

しおりを挟む
 停留所まで歩きながら、あっつーいとふたりでこぼした。せっかく身体に入れた水分が、すぐ汗になって出て行ってしまう。ちょっとした坂道をのぼるのもひと苦労。

「お姉さん、名前教えてくれませんか」

 青空の下、千田が思い出したように顔を上げる。そういえば、名乗っていなかったっけ。

「長野ヨミです。本当はひらがなでよみって書くんですけど、わたし、ひらがなっぽくないでしょう? だから呼ぶときは、カタカナのヨミをイメージしてください」

 千田は噴き出した。

「ひらがなでもいいと思いますけど」
「だってひらがなは、ほら、かわいい女の子って感じじゃないですか。わたしには合いません」
「そんなことないのに。でもま、そういうことなら、ヨミ姉さんって呼びますね」

 ヨミは目を瞬いた。

「姉さん、ですか」
「嫌ですか?」
「ううん」
「よかった。妹さんがいるんですよね?」
「そう。双子の妹。千田くんと似てたんですよ。顔はほとんどわたしだけど、性格は千田くん寄り」

 図書館前の停留所に戻ってきた。蝉の声が大音量で聞こえる。一週間の命、頑張って生きているのだろう。あ、でも蝉ってもうすこし長生きだとか、テレビで観た気もする。真相はわからない。蝉さん、あなたの寿命はおいくつですか。

 ヨミは小学生のころ、蝉が二の腕にとまったときから、あの生き物に対して苦手意識をもっている。今でも思いだす。払おうとした瞬間羽ばたこうとした蝉の感触。ばちばちっと羽が触れた指先。ぞぞぞっと背筋が寒くなる。

 一週間の短い命を精いっぱい生きていると思えばちょっとは応援したくもなったのだけど、長生きなら二の腕にとまったことを許してあげないぞとも思う。

 蝉のいそうな木々の近くを通るたびにびくびくするヨミを、妹はいつも笑っていた。

 妹の名前はナミ。ヨミとナミ。

 顔は似ているけれど、性格は違う。

 心の中でそっとため息をつく。

「よかったら妹さんつれて、さっきのお店行ってみてください。双子が来ると喜ぶんですよ、あそこのおばさん。自分の娘たちが双子だから。うちの子と同じねえって」

 千田の言葉にヨミはゆっくり笑顔を浮かべた。

「無理です」

 言い切ったヨミに、千田が首をかしげる。

「妹は、連れてこられないんですよ」
「あ、別々に暮らしてるとか?」
「いいえ」

 首を振る。思い出すとどうにもこうにも胸が痛んで仕方ない。なんて言えばいいのかわからないくらい、だけどたしかに色濃い感情でいっぱいいっぱいで、たぶん、ヨミのコップの水もあふれる手前、表面張力が頑張っているところなのだと思う。

 ほんのすこしの刺激があれば、あふれてしまう。

「妹ね、いい子だったんですよー」

 一年前。交通事故。
 とてもありふれた、小説のプロローグにもならない死。

「さ、バスが来ました。帰りましょう」

 ヨミはにこりと微笑んだ。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

カフェの住人あるいは代弁者

大西啓太
ライト文芸
大仰なあらすじやストーリーは全く必要ない。ただ詩を書いていくだけ。

やりチンシリーズ

田中葵
ライト文芸
貧富の差に関わりなくアホは生息している。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

命を狙われたお飾り妃の最後の願い

幌あきら
恋愛
【異世界恋愛・ざまぁ系・ハピエン】 重要な式典の真っ最中、いきなりシャンデリアが落ちた――。狙われたのは王妃イベリナ。 イベリナ妃の命を狙ったのは、国王の愛人ジャスミンだった。 短め連載・完結まで予約済みです。設定ゆるいです。 『ベビ待ち』の女性の心情がでてきます。『逆マタハラ』などの表現もあります。苦手な方はお控えください、すみません。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

(完結)貴方から解放してくださいー私はもう疲れました(全4話)

青空一夏
恋愛
私はローワン伯爵家の一人娘クララ。私には大好きな男性がいるの。それはイーサン・ドミニク。侯爵家の子息である彼と私は相思相愛だと信じていた。 だって、私のお誕生日には私の瞳色のジャボ(今のネクタイのようなもの)をして参加してくれて、別れ際にキスまでしてくれたから。 けれど、翌日「僕の手紙を君の親友ダーシィに渡してくれないか?」と、唐突に言われた。意味がわからない。愛されていると信じていたからだ。 「なぜですか?」 「うん、実のところ私が本当に愛しているのはダーシィなんだ」 イーサン様は私の心をかき乱す。なぜ、私はこれほどにふりまわすの? これは大好きな男性に心をかき乱された女性が悩んで・・・・・・結果、幸せになったお話しです。(元さやではない) 因果応報的ざまぁ。主人公がなにかを仕掛けるわけではありません。中世ヨーロッパ風世界で、現代的表現や機器がでてくるかもしれない異世界のお話しです。ご都合主義です。タグ修正、追加の可能性あり。

処理中です...