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第一章 ヨミ、失恋中の大学生に出会う
(九)
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停留所まで歩きながら、あっつーいとふたりでこぼした。せっかく身体に入れた水分が、すぐ汗になって出て行ってしまう。ちょっとした坂道をのぼるのもひと苦労。
「お姉さん、名前教えてくれませんか」
青空の下、千田が思い出したように顔を上げる。そういえば、名乗っていなかったっけ。
「長野ヨミです。本当はひらがなでよみって書くんですけど、わたし、ひらがなっぽくないでしょう? だから呼ぶときは、カタカナのヨミをイメージしてください」
千田は噴き出した。
「ひらがなでもいいと思いますけど」
「だってひらがなは、ほら、かわいい女の子って感じじゃないですか。わたしには合いません」
「そんなことないのに。でもま、そういうことなら、ヨミ姉さんって呼びますね」
ヨミは目を瞬いた。
「姉さん、ですか」
「嫌ですか?」
「ううん」
「よかった。妹さんがいるんですよね?」
「そう。双子の妹。千田くんと似てたんですよ。顔はほとんどわたしだけど、性格は千田くん寄り」
図書館前の停留所に戻ってきた。蝉の声が大音量で聞こえる。一週間の命、頑張って生きているのだろう。あ、でも蝉ってもうすこし長生きだとか、テレビで観た気もする。真相はわからない。蝉さん、あなたの寿命はおいくつですか。
ヨミは小学生のころ、蝉が二の腕にとまったときから、あの生き物に対して苦手意識をもっている。今でも思いだす。払おうとした瞬間羽ばたこうとした蝉の感触。ばちばちっと羽が触れた指先。ぞぞぞっと背筋が寒くなる。
一週間の短い命を精いっぱい生きていると思えばちょっとは応援したくもなったのだけど、長生きなら二の腕にとまったことを許してあげないぞとも思う。
蝉のいそうな木々の近くを通るたびにびくびくするヨミを、妹はいつも笑っていた。
妹の名前はナミ。ヨミとナミ。
顔は似ているけれど、性格は違う。
心の中でそっとため息をつく。
「よかったら妹さんつれて、さっきのお店行ってみてください。双子が来ると喜ぶんですよ、あそこのおばさん。自分の娘たちが双子だから。うちの子と同じねえって」
千田の言葉にヨミはゆっくり笑顔を浮かべた。
「無理です」
言い切ったヨミに、千田が首をかしげる。
「妹は、連れてこられないんですよ」
「あ、別々に暮らしてるとか?」
「いいえ」
首を振る。思い出すとどうにもこうにも胸が痛んで仕方ない。なんて言えばいいのかわからないくらい、だけどたしかに色濃い感情でいっぱいいっぱいで、たぶん、ヨミのコップの水もあふれる手前、表面張力が頑張っているところなのだと思う。
ほんのすこしの刺激があれば、あふれてしまう。
「妹ね、いい子だったんですよー」
一年前。交通事故。
とてもありふれた、小説のプロローグにもならない死。
「さ、バスが来ました。帰りましょう」
ヨミはにこりと微笑んだ。
「お姉さん、名前教えてくれませんか」
青空の下、千田が思い出したように顔を上げる。そういえば、名乗っていなかったっけ。
「長野ヨミです。本当はひらがなでよみって書くんですけど、わたし、ひらがなっぽくないでしょう? だから呼ぶときは、カタカナのヨミをイメージしてください」
千田は噴き出した。
「ひらがなでもいいと思いますけど」
「だってひらがなは、ほら、かわいい女の子って感じじゃないですか。わたしには合いません」
「そんなことないのに。でもま、そういうことなら、ヨミ姉さんって呼びますね」
ヨミは目を瞬いた。
「姉さん、ですか」
「嫌ですか?」
「ううん」
「よかった。妹さんがいるんですよね?」
「そう。双子の妹。千田くんと似てたんですよ。顔はほとんどわたしだけど、性格は千田くん寄り」
図書館前の停留所に戻ってきた。蝉の声が大音量で聞こえる。一週間の命、頑張って生きているのだろう。あ、でも蝉ってもうすこし長生きだとか、テレビで観た気もする。真相はわからない。蝉さん、あなたの寿命はおいくつですか。
ヨミは小学生のころ、蝉が二の腕にとまったときから、あの生き物に対して苦手意識をもっている。今でも思いだす。払おうとした瞬間羽ばたこうとした蝉の感触。ばちばちっと羽が触れた指先。ぞぞぞっと背筋が寒くなる。
一週間の短い命を精いっぱい生きていると思えばちょっとは応援したくもなったのだけど、長生きなら二の腕にとまったことを許してあげないぞとも思う。
蝉のいそうな木々の近くを通るたびにびくびくするヨミを、妹はいつも笑っていた。
妹の名前はナミ。ヨミとナミ。
顔は似ているけれど、性格は違う。
心の中でそっとため息をつく。
「よかったら妹さんつれて、さっきのお店行ってみてください。双子が来ると喜ぶんですよ、あそこのおばさん。自分の娘たちが双子だから。うちの子と同じねえって」
千田の言葉にヨミはゆっくり笑顔を浮かべた。
「無理です」
言い切ったヨミに、千田が首をかしげる。
「妹は、連れてこられないんですよ」
「あ、別々に暮らしてるとか?」
「いいえ」
首を振る。思い出すとどうにもこうにも胸が痛んで仕方ない。なんて言えばいいのかわからないくらい、だけどたしかに色濃い感情でいっぱいいっぱいで、たぶん、ヨミのコップの水もあふれる手前、表面張力が頑張っているところなのだと思う。
ほんのすこしの刺激があれば、あふれてしまう。
「妹ね、いい子だったんですよー」
一年前。交通事故。
とてもありふれた、小説のプロローグにもならない死。
「さ、バスが来ました。帰りましょう」
ヨミはにこりと微笑んだ。
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