長野ヨミは、瓶の中で息をする

橘花やよい

文字の大きさ
上 下
7 / 53
第一章 ヨミ、失恋中の大学生に出会う

(七)

しおりを挟む
「はあ、そうなんですか?」

 千田にはわからないかもしれない。きっと彼の器はとても大きいのだ。幸せもたくさん受け止められる。でもヨミの器は小さくて、すぐいっぱいになる。

 ――お姉ちゃんは難しいことを考えすぎだよ。

 妹に言われたことがあった。そうかもしれない。考えすぎて、疑り深くなるのだ。この幸せはいつまで続くのだろう。突然幸せがなくなってしまったら、どうすればいいのだろう。自分がこんなに幸せでいいのだろうか……なんて。

 それから。

 自分はもらってばかりで、返せていないのではないか、とも思うかもしれない。そうなるともう、バランスは崩れてしまう。こぼれた水はもちろん盆にもどることがない。

「よくわからないけど、彼女は、俺のせいで不安だったってことですか」

 千田がつぶやいて目を伏せる。ヨミは苦笑した。

「もしかしたら、の話ですけどね。わたしは部外者ですから、ただの想像です」
「ん……でも、そうだとしたら、すごく申し訳ないです」

 ふいに目を上げた千田とヨミの視線が交差する。千田の顔に自嘲の笑みが浮かんだ。かわいらしい顔には、似合わない表情だ。

「わからないんですよね、俺。昔から」

 その言葉が指すものがなんなのか、ヨミにはわからず「なにがですか」と問う。

「人の悩みごととか、よくわからなくて。周りにも、どうせ千田にはわかんないよな、とか言われるし。――人と違うみたいなんですよね、俺。明るすぎて怖い、とか言われるんです」
「ああ……」

 それはわかるかもしれない。こんなきらきらしている千田に、ヨミの考えていることはわからないかもなあ、と思ってしまうのは、たしかにある。陰キャと陽キャは、いろいろ違うのだ。まぶしい人は、時々ちょーっとだけ、遠ざけたくなる。と、隠キャなヨミは思う。

「彼女が別れたいって思うほど悩んでいることも、俺は気づけなかったし。なんでかなぁ」
「それが普通ですよ」
「え?」
「人の考えていることなんて、誰にもわかりません。言葉にしないけど察してね、っていうのは他人任せです。そんなの、わかるわけない」

 きょとんとする千田に、ヨミは微笑んだ。

「彼女さんが幸せでいっぱいいっぱいなことが別れた原因なら、よかったじゃないですか」

 だって最終的な結果がどうであれ、それはまぎれもなく、彼女は幸せだったということだ。

「あふれてしまうくらいに、たくさんの幸せをあげられた千田くんは、きっと、とても、すごいんですよ」

 それにヨミの勝手な仮説が合っていようと間違っていようと、幸せだった日々があったことは事実だと思う。じゃなきゃ元カノさんだって、千田と付き合っていないだろう。

「千田くんは、すごいんです」

 真っ直ぐ千田の瞳を見て、彼の心に届くように言った。

 とはいえ。

 本当のところはヨミにわかるはずもないのだけど。もしかしたら彼女さんの「嫌いになったわけじゃない」というのも嘘かもしれないし。けれどどうせ別れてしまえば、千田と恋人が会うことはなくなるのだ。それなら自分のいいように解釈してしまった方がいい。世の中を生きていくには、そういう都合のよさが必要になるときもある。大人は時にずるいのだ。

「すごい、ですか」
「はい。すごいです。素敵ですよ、千田くんは」
「フラれたのに?」
「それでもすごい」

 千田はぽかんとして、ヨミを見つめた。

「――お姉さん、なんか特殊ですね。考え方が」
「妙な方向に向かうポジティブシンキング女王と言われます」
「ああ、うん、そんな感じです。えげつないポジティブ。びっくりするくらい」
「変ですか?」

 千田はいいえ、と首を振る。

「いいと思います」

 それからまた目を伏せて、すこしの間黙っていた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

カフェの住人あるいは代弁者

大西啓太
ライト文芸
大仰なあらすじやストーリーは全く必要ない。ただ詩を書いていくだけ。

やりチンシリーズ

田中葵
ライト文芸
貧富の差に関わりなくアホは生息している。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

命を狙われたお飾り妃の最後の願い

幌あきら
恋愛
【異世界恋愛・ざまぁ系・ハピエン】 重要な式典の真っ最中、いきなりシャンデリアが落ちた――。狙われたのは王妃イベリナ。 イベリナ妃の命を狙ったのは、国王の愛人ジャスミンだった。 短め連載・完結まで予約済みです。設定ゆるいです。 『ベビ待ち』の女性の心情がでてきます。『逆マタハラ』などの表現もあります。苦手な方はお控えください、すみません。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

(完結)貴方から解放してくださいー私はもう疲れました(全4話)

青空一夏
恋愛
私はローワン伯爵家の一人娘クララ。私には大好きな男性がいるの。それはイーサン・ドミニク。侯爵家の子息である彼と私は相思相愛だと信じていた。 だって、私のお誕生日には私の瞳色のジャボ(今のネクタイのようなもの)をして参加してくれて、別れ際にキスまでしてくれたから。 けれど、翌日「僕の手紙を君の親友ダーシィに渡してくれないか?」と、唐突に言われた。意味がわからない。愛されていると信じていたからだ。 「なぜですか?」 「うん、実のところ私が本当に愛しているのはダーシィなんだ」 イーサン様は私の心をかき乱す。なぜ、私はこれほどにふりまわすの? これは大好きな男性に心をかき乱された女性が悩んで・・・・・・結果、幸せになったお話しです。(元さやではない) 因果応報的ざまぁ。主人公がなにかを仕掛けるわけではありません。中世ヨーロッパ風世界で、現代的表現や機器がでてくるかもしれない異世界のお話しです。ご都合主義です。タグ修正、追加の可能性あり。

処理中です...