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第一章 ヨミ、失恋中の大学生に出会う
(二)
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颯爽と歩いて行く後ろ姿を、慌てて追いかける。重い荷物を持たせていることを心苦しく感じているうちに、もう図書館の敷地に入っていた。さすが「図書館前」と名のついた停留所なだけある。駅近ならぬ、停留所近。
こんもりと木々に覆われたドーム型の建物。蝉の声がうるさいくらいに聞こえていて、もっと奥には山から流れる小川もある。この図書館はお気に入りだけど、夏の間はちょっと苦手だ。木々の中から蝉が飛び出してきて、出会い頭の事故が起きそうだから。
「わっ、蝉……!」
やっぱり来た。ひいっと叫んで駆け足で玄関に向かう。無理無理無理。
「お姉さーん、大丈夫ですか?」
彼はくすくす笑って追いついてきた。
「だ、大丈夫です!」
「大丈夫な顔じゃないですよ。蝉には毒も爪もないし、怯えなくても平気ですって」
「いいえ、あの生き物はわたしの心を傷つけます」
「なんですかそれ。存在を否定されたら、蝉も泣いちゃいますよ」
青年はおかしそうに笑顔を絶やさない。まぶしい。
図書館の周りはぐるりとひまわりが囲っていた。圧巻だ。なんだか陽の気配が発せられていて、そっと目を逸らした。太陽から目を逸らしたくなるのと、同じようなものだ。まぶしすぎる。気を取り直して玄関をくぐれば、ひんやりと快適な空間が待っていた。
「あー、天国」
「ですねえ」
受付では顔馴染みの吉田さんが待っていて、ヨミと大学生くんを見て「あらあら」という顔をした。意味深な笑顔を浮かべた彼女は、淡い桃色の想像でもしているのかもしれない。
「じゃ、俺はこれで」
「ありがとうございました」
静かな館内に響かないよう、お互い小声で言って別れる。
いやはや、好青年だった。受付を離れてから、なんとなく振り返る。彼はまだそこにいた。目が合うと、ひらひらーと手を振られる。ヨミは頭を下げた。お礼はしっかりしなさいと母から教えられているヨミのお辞儀は、人より深い。
さて。本、なにがいいかな。
好きな本や作家でも、なんだか面白くないなあと思うときがある。日によって自分に必要な本は変わるのだと思う。好きな本への裏切りのような気がして申し訳なくなるけれど、仕方ない。ごめんね、浮気を許してください、と思って別の本を読む。
今日はなんだろう。落ち着いた小説がいいな。ひっそりとした夜のお話。だってほら、外がぎらぎら太陽燦々すぎて、その反動で静かなものに触れたくなるときってあるじゃないか。ないかな? 私はある。
数冊選んでカウンターに持っていった。
「吉田さん、貸し出しお願いします」
「はいはいー。さっきの、かわいい男の子だったじゃない。もしかして恋人? いや、まだそこまで発展した空気じゃなかったわね。片思い?」
「残念ながら、ついさっき会ったばかりの他人です」
「あらそう? いい子だと思ったのに。ヨミちゃんももっと人生遊んだほうがいいわよ」
余計なお世話です、なんて言うことはなく、ヨミは微笑んだ。吉田さんが桃色の想像を楽しんでいるなら、好きにさせてあげよう。ヨミは吉田さんの楽しそうな顔を眺めてから、頭を下げて手続きの済んだ本を鞄に入れ、外に出た。熱気にうんざりして目を閉じる。
「あ、お姉さん」
「あ、さっきの」
爽やか男子にまた遭遇した。彼は図書館横にある自販機の横から、ひらひらと手を振ってくる。飲み物で休憩中だったらしい。館内は飲食禁止だから、暑くても外で飲むしかない。ひまわりとの相性抜群の容姿だ。
吉田さんの言葉がちらっと頭によぎった。が、そんな展開ないな、と横に受け流す。
「さっきは荷物持ってくれて、ありがとうございました」
「ぜんぜん、あれくらいたいしたことじゃないんで。気にしないでください」
そこで会話が止まる。ヨミは意味のない笑みを浮かべて立っている。初対面の人と話すことなんて、ヨミには思いつかない。コミュ障? なんとでも言ってください。
「えっと、じゃあ、わたしはこれで」
どうにも耐えられなくなって、ヨミはお辞儀して歩き出した。すると。
「あの、お姉さん」
「はい?」
振り返ると、彼は苦笑して頬をかく。首をかしげて見つめれば、「あの、ですね……」と曖昧な言葉が続いた。しみじみと見つめても、彼は美形だ。眼福。
なんだろう。まさか本当に吉田さんの想像が現実に? いやいや、ないない。
じじじ、と蝉がうるさい。そして暑い。
「なにか?」
彼はそれでも迷っていた様子だったが、ちょっと困った表情を浮かべてヨミに向き合った。
「あのですね、実は俺、このあと彼女とご飯食べに行く予定だったんですよ」
「はあ、そうですか」
頭の中にクエスチョンマークを浮かべながら、やっぱりヨミは微笑を浮かべたまま、とりあえず頭の中の吉田さんに謝った。ごめんなさい、ご期待には添えなかったようです。脳内吉田さんが「面白くない!」と不満そうな顔をした。
そうこうするうちに、彼はなぜだか、すこし泣きそうな顔になっていた。いや、なぜ。ヨミはびくっと二度見する。わたし、なにかしただろうか。その答えは、実に簡単だった。
「俺、彼女に、昨日フラれちゃったんです」
「……あら」
かわいそうに。
ヨミの頭の中にクエスチョンマークが増える。かわいそうではあるものの、なぜそれをヨミに言うのか。さっぱりわからなかった。だが答えはすぐ得られた。
「彼女の代わりに、俺とご飯に行ってくれませんか?」
「……うん?」
「お願いします!」
ぱちん、と手を合わせて「だめですか?」と拝まれる。ヨミの頭の中にはクエスチョンマークの洪水が起きていた。
こんもりと木々に覆われたドーム型の建物。蝉の声がうるさいくらいに聞こえていて、もっと奥には山から流れる小川もある。この図書館はお気に入りだけど、夏の間はちょっと苦手だ。木々の中から蝉が飛び出してきて、出会い頭の事故が起きそうだから。
「わっ、蝉……!」
やっぱり来た。ひいっと叫んで駆け足で玄関に向かう。無理無理無理。
「お姉さーん、大丈夫ですか?」
彼はくすくす笑って追いついてきた。
「だ、大丈夫です!」
「大丈夫な顔じゃないですよ。蝉には毒も爪もないし、怯えなくても平気ですって」
「いいえ、あの生き物はわたしの心を傷つけます」
「なんですかそれ。存在を否定されたら、蝉も泣いちゃいますよ」
青年はおかしそうに笑顔を絶やさない。まぶしい。
図書館の周りはぐるりとひまわりが囲っていた。圧巻だ。なんだか陽の気配が発せられていて、そっと目を逸らした。太陽から目を逸らしたくなるのと、同じようなものだ。まぶしすぎる。気を取り直して玄関をくぐれば、ひんやりと快適な空間が待っていた。
「あー、天国」
「ですねえ」
受付では顔馴染みの吉田さんが待っていて、ヨミと大学生くんを見て「あらあら」という顔をした。意味深な笑顔を浮かべた彼女は、淡い桃色の想像でもしているのかもしれない。
「じゃ、俺はこれで」
「ありがとうございました」
静かな館内に響かないよう、お互い小声で言って別れる。
いやはや、好青年だった。受付を離れてから、なんとなく振り返る。彼はまだそこにいた。目が合うと、ひらひらーと手を振られる。ヨミは頭を下げた。お礼はしっかりしなさいと母から教えられているヨミのお辞儀は、人より深い。
さて。本、なにがいいかな。
好きな本や作家でも、なんだか面白くないなあと思うときがある。日によって自分に必要な本は変わるのだと思う。好きな本への裏切りのような気がして申し訳なくなるけれど、仕方ない。ごめんね、浮気を許してください、と思って別の本を読む。
今日はなんだろう。落ち着いた小説がいいな。ひっそりとした夜のお話。だってほら、外がぎらぎら太陽燦々すぎて、その反動で静かなものに触れたくなるときってあるじゃないか。ないかな? 私はある。
数冊選んでカウンターに持っていった。
「吉田さん、貸し出しお願いします」
「はいはいー。さっきの、かわいい男の子だったじゃない。もしかして恋人? いや、まだそこまで発展した空気じゃなかったわね。片思い?」
「残念ながら、ついさっき会ったばかりの他人です」
「あらそう? いい子だと思ったのに。ヨミちゃんももっと人生遊んだほうがいいわよ」
余計なお世話です、なんて言うことはなく、ヨミは微笑んだ。吉田さんが桃色の想像を楽しんでいるなら、好きにさせてあげよう。ヨミは吉田さんの楽しそうな顔を眺めてから、頭を下げて手続きの済んだ本を鞄に入れ、外に出た。熱気にうんざりして目を閉じる。
「あ、お姉さん」
「あ、さっきの」
爽やか男子にまた遭遇した。彼は図書館横にある自販機の横から、ひらひらと手を振ってくる。飲み物で休憩中だったらしい。館内は飲食禁止だから、暑くても外で飲むしかない。ひまわりとの相性抜群の容姿だ。
吉田さんの言葉がちらっと頭によぎった。が、そんな展開ないな、と横に受け流す。
「さっきは荷物持ってくれて、ありがとうございました」
「ぜんぜん、あれくらいたいしたことじゃないんで。気にしないでください」
そこで会話が止まる。ヨミは意味のない笑みを浮かべて立っている。初対面の人と話すことなんて、ヨミには思いつかない。コミュ障? なんとでも言ってください。
「えっと、じゃあ、わたしはこれで」
どうにも耐えられなくなって、ヨミはお辞儀して歩き出した。すると。
「あの、お姉さん」
「はい?」
振り返ると、彼は苦笑して頬をかく。首をかしげて見つめれば、「あの、ですね……」と曖昧な言葉が続いた。しみじみと見つめても、彼は美形だ。眼福。
なんだろう。まさか本当に吉田さんの想像が現実に? いやいや、ないない。
じじじ、と蝉がうるさい。そして暑い。
「なにか?」
彼はそれでも迷っていた様子だったが、ちょっと困った表情を浮かべてヨミに向き合った。
「あのですね、実は俺、このあと彼女とご飯食べに行く予定だったんですよ」
「はあ、そうですか」
頭の中にクエスチョンマークを浮かべながら、やっぱりヨミは微笑を浮かべたまま、とりあえず頭の中の吉田さんに謝った。ごめんなさい、ご期待には添えなかったようです。脳内吉田さんが「面白くない!」と不満そうな顔をした。
そうこうするうちに、彼はなぜだか、すこし泣きそうな顔になっていた。いや、なぜ。ヨミはびくっと二度見する。わたし、なにかしただろうか。その答えは、実に簡単だった。
「俺、彼女に、昨日フラれちゃったんです」
「……あら」
かわいそうに。
ヨミの頭の中にクエスチョンマークが増える。かわいそうではあるものの、なぜそれをヨミに言うのか。さっぱりわからなかった。だが答えはすぐ得られた。
「彼女の代わりに、俺とご飯に行ってくれませんか?」
「……うん?」
「お願いします!」
ぱちん、と手を合わせて「だめですか?」と拝まれる。ヨミの頭の中にはクエスチョンマークの洪水が起きていた。
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