長野ヨミは、瓶の中で息をする

橘花やよい

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第一章 ヨミ、失恋中の大学生に出会う

(一)

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 事実は小説より奇なり――なんて言うけれど、たいしたことはそんなに起きないのではないか。日常は、小さくて、平凡で、つまらない。手のひらに載る瓶に、ちょうど収まってしまうようなもの。
 そんな感じじゃないのかな。
 ヨミはそう思う。

*****

 バスに揺られて、ヨミはふうとため息をつく。

 延々と続く田んぼ道。年季の入ったレトロな車体、と言えば聞こえはいいけれど単にぼろいバスは、夏の日差しを浴びてのろのろと走った。車内はかろうじて冷房が効いているけれど、窓から入る日差しは避けようがない。浮かしかけた腰を落として、ううむと眉が寄る。

 ――まじか。

「まじかぁ……」

 ヨミの心の声に重なるように通路から小さな声がして、思わず顔を上げた。持ち上げていた大きな鞄をやれやれといった様子で足元に落ち着かせた男と目が合う。大学生くらいだろうか。大きめのTシャツにジーンズとシンプルな服装。瞳には若葉みたいなきらきらした光があった。

 若い、フレッシュだ。いや私もまだ若いけれど、でもまあ大学生には敵わないだろう。

 ヨミと男はお互いに苦笑を浮かべる。

 ――降りると思いましたよね。
 ――ね。

 そんな会話を目線だけで交わして、せっかく起きたのになあ……と、あくびを飲み込んだ。

 バスのふたり席、窓際に座る人は目的の停留所の近くになったら、荷物をごそごそしたりして降りますよーという空気を出してほしいな、と思う。逆に、降りないならじっとしていてほしい。だって紛らわしい。

 今さっきも、停留所の近くでとなりの女性が鞄を物色したものだから、ヨミは身構えた。きっと彼女は次で降りるのだ。ヨミの足元には荷物があったからどかしてあげないと、と。でも彼女は鞄の中からイヤホンを取り出したかっただけらしい。

 ――なんだよー、もう。

 今日のヨミはものすごく眠い。明け方まで趣味に没頭していた。そんな眠気最高潮のなか、どうにか目を開いたのに無駄に終わってしまったから、すこしモヤモヤした。が、顔には出さない。いつでも笑顔が一番だ。

 というかまあ、勝手に気を利かせて身構えていただけだから、隣の女性が悪いわけでもないし。降りますアピールを絶対にしなければならない法律なんてない。うん、わかってる。ヨミが気にしすぎなだけなのだ。

 バスは「図書館前」と呼ばれる停留所に近づく。

 誰かが降車ボタンを押したから、ヨミは足元の鞄を膝に乗せた。バスはゆっくり止まる。ぶぉん、とエンジンかどこかからすごい音が鳴った。やっぱりこのバス、ぼろい。

 立ち上がろうとしたとき、

「貸してください」

 通路に立っていた推定大学生くんが声をかけてきた。彼は真っ直ぐすぎるくらいの瞳でヨミを見て、笑みを浮かべる。

「重そうなんで。手伝いますよ」

 彼は図書館の本がぱんぱんに入ったヨミの鞄を「おもっ」と言いながらも持ち上げた。

「あ、待って……! あっつ……!」

 バスから降りたとたん、熱気に襲われた。

 田舎の夏は緑色の空気が満ちている。きっと草木が溶けているのだと思う。春なら透明な水色、夏なら鮮やかな緑、秋なら濃い紅、冬ならまっさらな白、この町の空気にはそんな色がある。悪くない。けれど、この暑さはどうにかならないものか。

「お姉さん、これ図書館の本ですよね。俺も図書館行くんで、ついでだし運びますよ」

 推定大学生くんからの提案。

「いえ、そこまでしてもらうのはさすがに悪いです」
「いいんですよ、ほら、俺も本返しに行くところ。どうせ同じとこ行くんだから任せてください。筋トレにちょうどいいし! まあちょっと重すぎる気もするけど、頑張ります」

 うわあ、眩しい。にこにこ笑顔の彼は「僕、太陽です」という自己紹介が許されそうなくらいイケメンだ。

 彼の荷物にも本がたくさん入っていた。ぱっと見、恋愛小説が多そう。しかも女子向けの。彼が読んだのだろうか。いや、ひとの読書思考に口出しはよくない。

「よし、行きましょう」
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