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第三章 仲直りの、ドーナツケーキ

13.不穏4

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 彼もまた、傘を差していないため雨に濡れている。雨粒をしたたらせる首筋や腕には、痛々しい縄の痕のようなものができていた。その痕は見ているうちにも、どんどん濃くなっていく。店や快にかけられた魔除けの影響だろう。近づく者を締め上げて身動きを奪う力があるらしい。

 それなのに、小鬼は離れようとしない。

「どいてくれ。おまえに構ってる暇はないんだ」
「ないない、ないない」

 小鬼がぐっと快をつかむ力を強める。その腕の痕が、ますます濃くなる。

「おい、やめろ。おまえが怪我するんだぞ」
「記憶ないない。ないない記憶」
「聞けよ」
「ないない、記憶ないない」

 唄うように、小鬼が言う。快は頭に血が上って、顔を歪めた。いまは本当に時間がないのだ。

「放せって。なんなんだよ、おまえは!」
「記憶ないと幸せ。あると大変。あると傷つく。みんな傷つく」

 こてん、と童は首をかしげる。

「それでも、記憶がほしい?」

 知るかよ、そんなこと。

 いま、その話をしないでほしい。快だってどうすればいいのかわからないのだ。ただいまは、ひなたを追いかけなければならない。それだけを考えさせてほしい。ほかのことに振り分ける頭の余裕がない。

「頼むから放してくれ!」
「記憶、記憶」

 小鬼は急き立てる。

「記憶ないない。ないない。ない」

 唄うように。快の事情にはお構いなしで。お願いだから、やめてくれ。

「記憶、記憶、記憶、記憶」
「やめろ」
「ないない、あるある」
「やめろって」

 聞きたくなくて、快はとうとう頭を抱えた。

「黙れよ! いい加減にしてくれ!」

 とたん、視界に火花が散った。比喩ではなく、現実に。快のまわりに白い閃光が走った。魔力があふれだして、快の不安定な気持ちのままに、空気をほとばしる。まるで雷が走るように。

 暴走している。

 快自身驚いて、その白光のまぶしさに目を細める。だが止められるものではない。魔力が暴走しているのだから、快にはどうしようもない。

「放せ! おまえも怪我するぞ!」

 そう言うのに、小鬼は離れようとしない。きつく快の腕をつかんでいる。強いひとみで。快はわけがわからず混乱し、その混乱がさらに白い稲妻をほとばしらせる。

 頼むから、放してくれ。ひなたを捜さないといけないんだから。

 頼む。おまえだって、怪我をするだろう。

 頼むよ。早く、どこかに行ってくれ。

 いよいよまぶしさに目を開けていられなくなる――と思ったとき、ひときわ大きな稲妻が走った。それが、小鬼の腕を這う。あ、と思う間もない。肉が焼けるような異臭がして、小鬼が叫んだ。それでも手を離さない。

 自分のせいで、小鬼が傷ついている。

 快の心臓が大きく鳴った。手のひらに汗が浮かんだ。怖いと思った。でもそれは、目の前の光景からくる恐怖だけではないような気もする。もっともっと、快の内側からあふれだす恐怖だった。

 不思議な予感があった。これと同じものを、見たことがなかったか。強烈な違和感。既視感。記憶――と呼ぶべきもの。それらを感じたとき、ひどく頭が痛んだ。内側からはちきれそうなほどの痛みだった。

 そうだ、これを知っている。覚えている。過去に一度、見たことがある。

 知っている。

 あれは。

 ばちっと、今度は頭の中で火花が散る。

 その光を皮切りに、記憶を縛る枷が、はずれた。
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