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第六章 因縁と家族
第6話 カスミソウ
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あれから。
ライラ様はそれまでの不調が嘘のように回復していった。すっかりベッドから起き上がって、庭で散歩もできるほどだ。ただ、ライラ様が浮かべる微笑みには影があって、メイドたちも気づかわし気に見守っている。
「そのうち、心から微笑むことができるようになりますよ。こういうものは時間が解決してくれるのです。リーフよりも少し長く生きている私の経験則ですが」
ジルは笑っていた。その顔も、本調子にはほど遠いくせに。前世もあわせれば私の方が長く生きている気もするけど……まあ、考えないようにしよう。精神年齢おばあちゃんなんて思いたくない。
「ライラ様には、レイチェルお嬢様や殿下もいてくださいますからね。たしかに、大丈夫かもしれません」
王子は政務の合間をぬっては宮廷を抜け出してライラ様の見舞いに来てくれていた。こんなに抜け出していいのかと、私たちが心配になるくらいだ。でも、ライラ様も嬉しそうだし、王子といるときは穏やかな雰囲気に包まれているから、大歓迎だ。
「さて。リーフ、そろそろ時間ではないですか」
「そうですね。行ってきます」
「こちらのことは気にせず、ごゆっくり」
その日は、奥様の命日だった。
別館でレイチェルお嬢様たちと待ち合わせて、屋敷の南にある丘へ向かう。日差しが柔らかい。ずっと続いた暑さもひいて、最近はずいぶんと涼しくなった。マリーがお嬢様のために日傘をさしながら歩く。その後ろを、私とレオンが並んで続いた。
「奥様って、リーフさんからみてどんな方だったんですか?」
レオンが前を歩く二人を気にしながら、こっそりと尋ねてきた。腕に抱えた花束を見つめていた私は、ゆっくりと考える。
「優しくて強い人だった。お嬢様にそっくりだったわ」
聞こえているのかいないのか、お嬢様が振り返った。風が吹いて、さらりと黒髪がなびく。
「殿下、昨日もお見舞いにいらっしゃったんですって?」
「はい。政務もありますので、すこしの時間ではありましたが」
「そう。お忙しい方ね」
お嬢様は笑った。
ゆるやかな傾斜を登り切ると、小さな丘がある。丘の中心に、奥様の墓があるのだ。野草がさわさわとこすれて、さざなみのように揺れた。バルド家の所有地で、奥様がたまに息抜きをしに訪れていた場所らしい。純白で小さな花、カスミソウの花束を私から受け取ったお嬢様は、そっと墓前に供える。
「わたくしがお父様の書斎から借りたパッサン卿の本、カスミソウの栞が挟んであったの。カスミソウは、お母様が好きな花だった。あんな可愛らしい栞、お父様の趣味ではないでしょうに」
お嬢様は小さな花を撫でる。寂しそうな瞳に、私は目を伏せる。
「これは――、わたくしの希望でしかない。でもお父様は、ほんのわずかであっても、お母様のことを大切に思っていたのだと、そう信じたい」
丘に、私たち以外の気配がした。
普段なら人が寄り付かない静かな場所。今日は、来客が多いようだ。
涼しいとはいえ、汗ばむ陽気。それなのに全身真っ黒の出で立ち。
「お父様」
旦那様は私たちを見ても、なにも言わなかった。交わった視線は、すぐに逸らされる。
「そのお花は」
カスミソウの花束と旦那様は、ちぐはぐな組み合わせだった。旦那様は無言で墓に歩み寄り、お嬢様の花束の隣に添えた。白い花束が二つ。
「お母様の好きな花、ご存知だったんですか」
「一度だけ」
旦那様が呟いた。
「この花が好きだと、聞いた。あまり話もしなかったから、そのときのことは、よく覚えている」
小さな花が健気に咲いている姿が好きなのよ、と奥様は笑っていた。愛らしくて、守ってあげたくなるのだと。
「お父様は、わたくしがお嫌いですか」
旦那様は返事をしない。
「わたくしは、お父様のことが嫌いです。本当に、不器用で馬鹿な人だと思います」
無言でお嬢様を見つめ返す旦那様が、なにを考えているのか、私にはよく分からなかった。ただ、普段まとっている刃のような空気がないことだけは、たしかだった。お嬢様も、静かな瞳をしていた。
「――しかし、ライラが言っていました。バルド家に来る前、アンナ様もライラも、妾とその娘という理由でいい思いはしていなかった。そんな中、お父様が自分たちによくしてくれたから、救われたのだと」
お嬢様は目を閉じた。
「お父様も、守りたかっただけなのでしょう、アンナ様たちのことを。けれどそれでお母様は傷ついた。お母様もアンナ様も、もう戻ってこない」
それでも。
「わたくしとライラは、まだ、生きています」
秋の気配をにじませた風が、お嬢様の艶やかな黒髪を撫でていく。髪を耳にかけて、赤い瞳が旦那様を射抜く。
「お父様のことは嫌いですが、お母様が守ろうとしたバルド家のことを、わたくしは守りたい。お母様にもそう約束しましたから。もう、あなたに邪魔はさせない。――では、失礼します」
お嬢様は深々と一礼をして、踵を返した。
旦那様は、最後まで、なにも言わなかった。
屋敷へ引き返す道を歩くお嬢様は、ふと、空を見上げた。とても、青い空だった。
「わたくしも、ライラも、幸せに生きてみせるわ」
呟いて、私たちを見ると、微笑む。
「さあ。帰りましょう」
私たちは、青空の下を歩き出した。
ライラ様はそれまでの不調が嘘のように回復していった。すっかりベッドから起き上がって、庭で散歩もできるほどだ。ただ、ライラ様が浮かべる微笑みには影があって、メイドたちも気づかわし気に見守っている。
「そのうち、心から微笑むことができるようになりますよ。こういうものは時間が解決してくれるのです。リーフよりも少し長く生きている私の経験則ですが」
ジルは笑っていた。その顔も、本調子にはほど遠いくせに。前世もあわせれば私の方が長く生きている気もするけど……まあ、考えないようにしよう。精神年齢おばあちゃんなんて思いたくない。
「ライラ様には、レイチェルお嬢様や殿下もいてくださいますからね。たしかに、大丈夫かもしれません」
王子は政務の合間をぬっては宮廷を抜け出してライラ様の見舞いに来てくれていた。こんなに抜け出していいのかと、私たちが心配になるくらいだ。でも、ライラ様も嬉しそうだし、王子といるときは穏やかな雰囲気に包まれているから、大歓迎だ。
「さて。リーフ、そろそろ時間ではないですか」
「そうですね。行ってきます」
「こちらのことは気にせず、ごゆっくり」
その日は、奥様の命日だった。
別館でレイチェルお嬢様たちと待ち合わせて、屋敷の南にある丘へ向かう。日差しが柔らかい。ずっと続いた暑さもひいて、最近はずいぶんと涼しくなった。マリーがお嬢様のために日傘をさしながら歩く。その後ろを、私とレオンが並んで続いた。
「奥様って、リーフさんからみてどんな方だったんですか?」
レオンが前を歩く二人を気にしながら、こっそりと尋ねてきた。腕に抱えた花束を見つめていた私は、ゆっくりと考える。
「優しくて強い人だった。お嬢様にそっくりだったわ」
聞こえているのかいないのか、お嬢様が振り返った。風が吹いて、さらりと黒髪がなびく。
「殿下、昨日もお見舞いにいらっしゃったんですって?」
「はい。政務もありますので、すこしの時間ではありましたが」
「そう。お忙しい方ね」
お嬢様は笑った。
ゆるやかな傾斜を登り切ると、小さな丘がある。丘の中心に、奥様の墓があるのだ。野草がさわさわとこすれて、さざなみのように揺れた。バルド家の所有地で、奥様がたまに息抜きをしに訪れていた場所らしい。純白で小さな花、カスミソウの花束を私から受け取ったお嬢様は、そっと墓前に供える。
「わたくしがお父様の書斎から借りたパッサン卿の本、カスミソウの栞が挟んであったの。カスミソウは、お母様が好きな花だった。あんな可愛らしい栞、お父様の趣味ではないでしょうに」
お嬢様は小さな花を撫でる。寂しそうな瞳に、私は目を伏せる。
「これは――、わたくしの希望でしかない。でもお父様は、ほんのわずかであっても、お母様のことを大切に思っていたのだと、そう信じたい」
丘に、私たち以外の気配がした。
普段なら人が寄り付かない静かな場所。今日は、来客が多いようだ。
涼しいとはいえ、汗ばむ陽気。それなのに全身真っ黒の出で立ち。
「お父様」
旦那様は私たちを見ても、なにも言わなかった。交わった視線は、すぐに逸らされる。
「そのお花は」
カスミソウの花束と旦那様は、ちぐはぐな組み合わせだった。旦那様は無言で墓に歩み寄り、お嬢様の花束の隣に添えた。白い花束が二つ。
「お母様の好きな花、ご存知だったんですか」
「一度だけ」
旦那様が呟いた。
「この花が好きだと、聞いた。あまり話もしなかったから、そのときのことは、よく覚えている」
小さな花が健気に咲いている姿が好きなのよ、と奥様は笑っていた。愛らしくて、守ってあげたくなるのだと。
「お父様は、わたくしがお嫌いですか」
旦那様は返事をしない。
「わたくしは、お父様のことが嫌いです。本当に、不器用で馬鹿な人だと思います」
無言でお嬢様を見つめ返す旦那様が、なにを考えているのか、私にはよく分からなかった。ただ、普段まとっている刃のような空気がないことだけは、たしかだった。お嬢様も、静かな瞳をしていた。
「――しかし、ライラが言っていました。バルド家に来る前、アンナ様もライラも、妾とその娘という理由でいい思いはしていなかった。そんな中、お父様が自分たちによくしてくれたから、救われたのだと」
お嬢様は目を閉じた。
「お父様も、守りたかっただけなのでしょう、アンナ様たちのことを。けれどそれでお母様は傷ついた。お母様もアンナ様も、もう戻ってこない」
それでも。
「わたくしとライラは、まだ、生きています」
秋の気配をにじませた風が、お嬢様の艶やかな黒髪を撫でていく。髪を耳にかけて、赤い瞳が旦那様を射抜く。
「お父様のことは嫌いですが、お母様が守ろうとしたバルド家のことを、わたくしは守りたい。お母様にもそう約束しましたから。もう、あなたに邪魔はさせない。――では、失礼します」
お嬢様は深々と一礼をして、踵を返した。
旦那様は、最後まで、なにも言わなかった。
屋敷へ引き返す道を歩くお嬢様は、ふと、空を見上げた。とても、青い空だった。
「わたくしも、ライラも、幸せに生きてみせるわ」
呟いて、私たちを見ると、微笑む。
「さあ。帰りましょう」
私たちは、青空の下を歩き出した。
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