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第六章 因縁と家族
第2話 ノイズ
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「つまらぬことをごたごたと。異議のある者はおらんな。始めるとしよう」
不機嫌な表情でパッサン卿は説明を始めた。
「奥方の魂は今、ライラ嬢を中心に屋敷全体を漂っている……と、ディーテが言っている。それは一つの魂が広い空間に散り散りになっている状態。その魂を一つに集めれば、奥方の霊を関知できるようになるはずだ」
なんとなく理解はできるが、まるで作り話を聞かされているようだ。なにも言えない私たちを、パッサン卿は鼻で笑った。
「貴殿らが仕組みを理解する必要はない。早速始めよう。エマ」
「はい」
部屋の外から返事がする。失礼しますと声がして、扉が開いた。そこに控えていたのはエマとマリーとレオンだ。
部屋に入るなり、マリーが部屋中の灯りをおとし、レオンがその灯りに代わるほのかな光源の蝋燭を用意する。エマはライラ様のベッド脇で香を焚いた。甘いような苦いような、不思議な香りが充満していく。部屋のカーテンを閉めたり、家具の位置をずらしたりと、三人はてきぱきと動いた。
横で焚かれる香りが強いのか、ライラ様が小さく咳き込む。王子はその頬に心配そうに触れた。
レオンは仕事を終えると、私の隣に立った。
「三人とも、ずっと部屋の外にいたの?」
「はい。大人数で病人の部屋に押しかけるわけにはいかないので、僕たちは待機組です。この準備が終わればまた外に出ます。なにかあれば呼んでくださいね。僕も、できることがあればお手伝いしたいから」
レオンはそういって、拳を握る。
「幽霊に拳って、効くのかしら」
「き、効かせてみせます」
「というか、幽霊といえども、お嬢様の母上よ。殴れる?」
「……僕、役立たずでしょうか」
レオンがしゅんとしたから、私は笑ってしまった。
出来上がった部屋の様子は、いかにも幽霊が出てきそうな薄暗くて寂しいものになった。だからだろうか、肌寒くなった気がして私は身震いする。パッサン卿は満足そうに部屋を見渡して、ディーにどうだと聞いた。
「音も気配も強まっています。リーフもそう思うでしょう」
「そう、ですね。先ほどからどうにも寒くて――」
これが霊の気配というものだろうか。そう思っていると、いつの間にか部屋にいる人間の視線が私に集まっていたことに気づく。あまりにもまじまじと見つめられていて、居心地が悪い。
「あの、私なにか変なことを言いましたか?」
「わたくしは寒くなんてないわ。きっとそれを感じているのはリーフとディーだけよ」
「リーフも不思議な魂をもっていますから、そういうものの干渉を受けやすいんでしょうね」
はあ、と私は中身のこもっていない返事をした。私にも霊感のようなものがあるのか。実感は湧かないが、本当にこの部屋で肌寒さを感じているのは私だけらしい。まあ前世の記憶持ちだし……とは思うけれど、そんな説明をここにいる人にするわけにもいかないから、居心地が悪い。
「さて、最後の仕上げだ。エマ」
エマが丸い鏡をもって歩いてきた。直径は三〇センチほど。小机の上にイーゼルをおいて、そこに立てかけた。鏡の裏には白いインクで複雑な模様が描かれている。いつかパッサン卿の研究室で見た魔法陣――パッサン卿とエマは科学式と言っていたが――だ。王子はその鏡を不思議そうに見ていた。
「鏡――、怖い話にはよく出てきますね。子どもの頃、エリスからよく聞かされました。鏡の中に幽霊が映るとか、鏡の中から手が出てきて異界に吸い込まれるとか」
いたずら好きの第一王女であれば、そういう話を嬉々として話すのも想像ができた。
「鏡に映る世界は反転しているのが、その類の話に頻出する由縁かもしれませんな」
パッサン卿は手近にいたマリーを鏡の前に立たせた。餌食になったマリーは困り顔だ。
「右手をあげろ、鏡の中のお前はどちらの手をあげている」
「えっと、左手です――、あれ? なんで?」
言われてみれば、鏡には自分の姿がそっくり映るわけではない。鏡の中のマリーは、実際の彼女と反転している。右手ではなく、左手を上げているのだから。
「鏡に映るのは、この世と異なるもの。だから鏡にはしばしばこの世でないものが映り、また別の世界への通路となる」
説明を聞いても首を傾げ続けるマリーを、「理解できなくともよい」とパッサン卿は切り捨てた。
「裏面の模様は?」
今度はエマが鏡の裏面を見せながら、祖父に代わって説明を始めた。
「この陣は世界の構造を表し、力を秩序立てて並べ、そして導く役割を担います。あらゆる文献を辿って、この陣を構築しました。この陣には二三七の数式が含まれています。いっそこの陣だけでも科学の芸術と呼べる代物!」
説明の声は次第に大きくなり、最後にはぐっと拳を握った。エマの黒縁眼鏡がきらりと光る。そうは言われても、私にはファンタジーな魔法陣にしか見えない。
とにかく、仕組みは理解できないが準備は整ったようだ。マリーたち三人は一礼して部屋を出ていった。あとはよろしくと三人の目が訴えていて、応えるように頷いた。
「理論上は、この鏡に先妻の姿が映る」
「ここに――」
蠟燭の灯りに照らされて、私たちの影がゆらゆら揺れる。それが不気味に思えた。全員、緊張をもって鏡を見つめた。鏡には部屋の様子が映っている。とくに変わったところはない。静かな時間だけが過ぎる。あまりにも静かだから、誰かが落胆のため息を落とした。
「映りませんね」
それを境に、緊張は霧散する。それぞれが落ち着きなく視線をさまよわせた。パッサン卿は腕を組んで「なにが足りないのか」と、白い髭を撫でる。パッサン卿が思案するときの癖だ。
「馬鹿馬鹿しい。もう十分だろう。これ以上は付き合っておれん――」
旦那様がしびれを切らしたように、鏡に手を伸ばす。しかし、その手は鏡に触れる前に静止した。ジルが手を掴んだからだ。
「なんの真似だ」
「申し訳ございません。ですが、もうしばらくお待ちいただけませんか」
「こんなふざけたことに、まだ付き合えというのか」
「医者でも治せなかったライラお嬢様を、救えるのかもしれないのです。それに、お嬢様が彼らを信じると言った。ならば私も、彼らを信じるだけです」
ジルに掴まれた腕はぴくりとも動かない。旦那様は舌打ちをして抵抗の意志を弱めた。ジルが力を緩めると、即座に振りほどいて腕組みをする。その間も、パッサン卿はぶつぶつと呟きながら部屋を右へ左へ歩き回った。
「あとはなにがいる、あともう一押し――」
必死に考えを巡らせている。そんなパッサン卿と、ぱちりと視線が交わった。
「――お前、鏡に触れてみろ」
唐突にそんなことを言われた。
「え、なぜですか」
「ディーテに言わせれば、お前は普通の人間とは違うのだろう。なにか儂たちには起こせぬ反応が起こるやもしれん」
「そんなこと……、私なんかにできるとは思いませんが」
戸惑っていると、お嬢様まで「やってみて」と促してくる。お嬢様にそう言われたら――やるしかない。私は渋々鏡に近づいた。一同の視線を背中に感じて、手に汗が浮かぶ。
「なにも起きなかったら、申し訳ございません」
私は、半ば投げやりに手を伸ばした。指先が鏡に触れる。冷たい鏡面の感触。
その瞬間。
ばちん、と静電気のようなものが起きた。部屋が一瞬明るく照らされる。それと同時に、妙な感覚に襲われる。鏡の中に吸い込まれていきそうな、穴に落ちていくような、得体の知れない恐怖。視界がぐらぐらと揺れた。
「あっ」
おぼろげな視界の中で、鏡に懐かしい顔が映るのをみた。自分の体が硬直するのが分かる。本来映るはずのない姿。
「奥様」
不機嫌な表情でパッサン卿は説明を始めた。
「奥方の魂は今、ライラ嬢を中心に屋敷全体を漂っている……と、ディーテが言っている。それは一つの魂が広い空間に散り散りになっている状態。その魂を一つに集めれば、奥方の霊を関知できるようになるはずだ」
なんとなく理解はできるが、まるで作り話を聞かされているようだ。なにも言えない私たちを、パッサン卿は鼻で笑った。
「貴殿らが仕組みを理解する必要はない。早速始めよう。エマ」
「はい」
部屋の外から返事がする。失礼しますと声がして、扉が開いた。そこに控えていたのはエマとマリーとレオンだ。
部屋に入るなり、マリーが部屋中の灯りをおとし、レオンがその灯りに代わるほのかな光源の蝋燭を用意する。エマはライラ様のベッド脇で香を焚いた。甘いような苦いような、不思議な香りが充満していく。部屋のカーテンを閉めたり、家具の位置をずらしたりと、三人はてきぱきと動いた。
横で焚かれる香りが強いのか、ライラ様が小さく咳き込む。王子はその頬に心配そうに触れた。
レオンは仕事を終えると、私の隣に立った。
「三人とも、ずっと部屋の外にいたの?」
「はい。大人数で病人の部屋に押しかけるわけにはいかないので、僕たちは待機組です。この準備が終わればまた外に出ます。なにかあれば呼んでくださいね。僕も、できることがあればお手伝いしたいから」
レオンはそういって、拳を握る。
「幽霊に拳って、効くのかしら」
「き、効かせてみせます」
「というか、幽霊といえども、お嬢様の母上よ。殴れる?」
「……僕、役立たずでしょうか」
レオンがしゅんとしたから、私は笑ってしまった。
出来上がった部屋の様子は、いかにも幽霊が出てきそうな薄暗くて寂しいものになった。だからだろうか、肌寒くなった気がして私は身震いする。パッサン卿は満足そうに部屋を見渡して、ディーにどうだと聞いた。
「音も気配も強まっています。リーフもそう思うでしょう」
「そう、ですね。先ほどからどうにも寒くて――」
これが霊の気配というものだろうか。そう思っていると、いつの間にか部屋にいる人間の視線が私に集まっていたことに気づく。あまりにもまじまじと見つめられていて、居心地が悪い。
「あの、私なにか変なことを言いましたか?」
「わたくしは寒くなんてないわ。きっとそれを感じているのはリーフとディーだけよ」
「リーフも不思議な魂をもっていますから、そういうものの干渉を受けやすいんでしょうね」
はあ、と私は中身のこもっていない返事をした。私にも霊感のようなものがあるのか。実感は湧かないが、本当にこの部屋で肌寒さを感じているのは私だけらしい。まあ前世の記憶持ちだし……とは思うけれど、そんな説明をここにいる人にするわけにもいかないから、居心地が悪い。
「さて、最後の仕上げだ。エマ」
エマが丸い鏡をもって歩いてきた。直径は三〇センチほど。小机の上にイーゼルをおいて、そこに立てかけた。鏡の裏には白いインクで複雑な模様が描かれている。いつかパッサン卿の研究室で見た魔法陣――パッサン卿とエマは科学式と言っていたが――だ。王子はその鏡を不思議そうに見ていた。
「鏡――、怖い話にはよく出てきますね。子どもの頃、エリスからよく聞かされました。鏡の中に幽霊が映るとか、鏡の中から手が出てきて異界に吸い込まれるとか」
いたずら好きの第一王女であれば、そういう話を嬉々として話すのも想像ができた。
「鏡に映る世界は反転しているのが、その類の話に頻出する由縁かもしれませんな」
パッサン卿は手近にいたマリーを鏡の前に立たせた。餌食になったマリーは困り顔だ。
「右手をあげろ、鏡の中のお前はどちらの手をあげている」
「えっと、左手です――、あれ? なんで?」
言われてみれば、鏡には自分の姿がそっくり映るわけではない。鏡の中のマリーは、実際の彼女と反転している。右手ではなく、左手を上げているのだから。
「鏡に映るのは、この世と異なるもの。だから鏡にはしばしばこの世でないものが映り、また別の世界への通路となる」
説明を聞いても首を傾げ続けるマリーを、「理解できなくともよい」とパッサン卿は切り捨てた。
「裏面の模様は?」
今度はエマが鏡の裏面を見せながら、祖父に代わって説明を始めた。
「この陣は世界の構造を表し、力を秩序立てて並べ、そして導く役割を担います。あらゆる文献を辿って、この陣を構築しました。この陣には二三七の数式が含まれています。いっそこの陣だけでも科学の芸術と呼べる代物!」
説明の声は次第に大きくなり、最後にはぐっと拳を握った。エマの黒縁眼鏡がきらりと光る。そうは言われても、私にはファンタジーな魔法陣にしか見えない。
とにかく、仕組みは理解できないが準備は整ったようだ。マリーたち三人は一礼して部屋を出ていった。あとはよろしくと三人の目が訴えていて、応えるように頷いた。
「理論上は、この鏡に先妻の姿が映る」
「ここに――」
蠟燭の灯りに照らされて、私たちの影がゆらゆら揺れる。それが不気味に思えた。全員、緊張をもって鏡を見つめた。鏡には部屋の様子が映っている。とくに変わったところはない。静かな時間だけが過ぎる。あまりにも静かだから、誰かが落胆のため息を落とした。
「映りませんね」
それを境に、緊張は霧散する。それぞれが落ち着きなく視線をさまよわせた。パッサン卿は腕を組んで「なにが足りないのか」と、白い髭を撫でる。パッサン卿が思案するときの癖だ。
「馬鹿馬鹿しい。もう十分だろう。これ以上は付き合っておれん――」
旦那様がしびれを切らしたように、鏡に手を伸ばす。しかし、その手は鏡に触れる前に静止した。ジルが手を掴んだからだ。
「なんの真似だ」
「申し訳ございません。ですが、もうしばらくお待ちいただけませんか」
「こんなふざけたことに、まだ付き合えというのか」
「医者でも治せなかったライラお嬢様を、救えるのかもしれないのです。それに、お嬢様が彼らを信じると言った。ならば私も、彼らを信じるだけです」
ジルに掴まれた腕はぴくりとも動かない。旦那様は舌打ちをして抵抗の意志を弱めた。ジルが力を緩めると、即座に振りほどいて腕組みをする。その間も、パッサン卿はぶつぶつと呟きながら部屋を右へ左へ歩き回った。
「あとはなにがいる、あともう一押し――」
必死に考えを巡らせている。そんなパッサン卿と、ぱちりと視線が交わった。
「――お前、鏡に触れてみろ」
唐突にそんなことを言われた。
「え、なぜですか」
「ディーテに言わせれば、お前は普通の人間とは違うのだろう。なにか儂たちには起こせぬ反応が起こるやもしれん」
「そんなこと……、私なんかにできるとは思いませんが」
戸惑っていると、お嬢様まで「やってみて」と促してくる。お嬢様にそう言われたら――やるしかない。私は渋々鏡に近づいた。一同の視線を背中に感じて、手に汗が浮かぶ。
「なにも起きなかったら、申し訳ございません」
私は、半ば投げやりに手を伸ばした。指先が鏡に触れる。冷たい鏡面の感触。
その瞬間。
ばちん、と静電気のようなものが起きた。部屋が一瞬明るく照らされる。それと同時に、妙な感覚に襲われる。鏡の中に吸い込まれていきそうな、穴に落ちていくような、得体の知れない恐怖。視界がぐらぐらと揺れた。
「あっ」
おぼろげな視界の中で、鏡に懐かしい顔が映るのをみた。自分の体が硬直するのが分かる。本来映るはずのない姿。
「奥様」
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