悪役令嬢の使用人

橘花やよい

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第四章 騎士は優しく

第1話 危ない好奇心と警告

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「ごきげんよう。お邪魔します」
「お二人ともどうぞ、コーヒー淹れますね」
「貴様ら、どんどん遠慮というものを忘れていくな」

 額に青筋を浮かべるパッサン卿を気にも留めず、お嬢様は研究室の椅子に座り、エマはお茶の準備を始めた。何だかんだ言っても、パッサン卿は私たちを追い出すことはしないのだから、良好な関係を築けているのだと思う。

 パッサン卿の研究室は広い。いたるところに本やメモ書きが散乱しているせいで窮屈な気分にはなるけれど。パッサン卿は諦めたようにため息をつくと椅子に深く沈み込んだ。

「芸術家も味方につけたようだな。小娘のくせによくやるわ」
「ディーのアトリエに通っている間、こちらへの足が途絶えてしまい申し訳ございませんでした。今後はまた定期的にお邪魔しますわ」
「お前たちがいないと静かでよかったんだがな」

 エマはお茶を淹れ終わると順に配っていく。屋敷にいると紅茶が多いから、コーヒーの香りは新鮮だ。祖父であるパッサン卿にカップを差し出す際に、エマはにっと笑った。

「じいちゃん、みんながこないから寂しかったんですよね――いたっ」

 無言でエマの額が叩かれた。

 コーヒーをすすったパッサン卿は、相変わらずの仏頂面で私たちをみた。隣ではエマが祖父の仕打ちに頬を膨らませながら、自分のカップにミルクと砂糖を入れてかき混ぜている。

「あの芸術家も、他人とはなれ合わぬ主義だっただろう。どうやって懐柔した」
「彼はリーフに興味があったようで、声をかけていただいたのです。それがきっかけですわ」
「こんなちんちくりんな小娘のどこに興味が湧いたのだか」

 鋭い目に頭からつま先まで観察される。居心地が悪くなる私を横目に、お嬢様は優雅にコーヒーを飲んだ。

「ディーはリーフの魂が特殊だから気になった、と言っていますわ。わたくしたちには分からない何かを、感じているのでしょう」
「魂か……、なるほど」

 現実主義なパッサン卿はそういう類の話には興味がないのかと思いきや、ふむと頷く。

「面白い。一度その芸術家に話を聞いてみたいものだな」
「え?」

 私は思わず、パッサン卿をまじまじと見てしまった。

「なんだ」
「……いえ、失礼。スピリチュアルなことに興味がおありなのだなと、意外でして」
「何を言うか。人の魂はどこから生まれてくるのか。魂と体の関係は。死後の魂の行方は――。興味深いテーマだろう」
「そうですよ、リーフさん!」

 この国では幽霊、占い、呪い……そんなものが日常的に受け入れられている。だけど、私はそういうことを真面目に考えられない性質だった。科学が発達した前世の記憶があるからかもしれない。

 ――いや、違うか。

 よく考えたら……、私自身が前世の記憶を持つ特殊な存在だ。前世があるなら、幽霊や占い、呪いだってある……?

「リーフさん、ほらこれ、見てみください!」

 エマの眼鏡がきらりと輝く。

「この式! 幽霊を映すための式です。これを編み出すために、どれだけの苦労をしたことか! まあ、まだ作成途中ですけど。でも完成したら、目に見えないはずの幽霊が見えるようになりますよ!」
「――魔法陣?」
「馬鹿を言え。式だ、式。科学の集大成だ。魔法などという非科学的なものと一緒にするな」

 パッサン卿は不機嫌そうな顔をする。しかし、エマが示すのはどこからどうみても、ファンタジー要素漂う魔法陣だった。これは、科学なのか……? 幽霊はよくて、魔法は駄目というのもよく分からない。

「物分かりの悪いやつだな。――しかし、貴様が本当に特殊な魂を持っているのであれば、一度じっくり研究したいものだ」
「や、やめてください……!」

 怪しく目を光らせるパッサン卿の言葉に背筋が凍る。彼の探究心はお嬢様以上だ。私を研究台に張り付けにして解剖を始めかねない。ふんっと面白そうに笑うパッサン卿から身を隠したいが、あいにくと隠れる場所はない。

「それはそうと、レイチェル様のダンスパーティーの話、聞きましたよ。すごく綺麗だったって。やりましたね」

 私を不憫に思ったのか、エマが話題を変えてくれた。

 お嬢様は数日前、貴族の屋敷で開催されたダンスパーティーに参加していた。優雅に美しく、そして楽しそうに踊るお嬢様は人の目を集めた。ディーは、お嬢様に芸術の指導をしない。それでも彼といるだけで、お嬢様は多くを学んでいく。どうすればもっと綺麗に踊れるのか。どうすればもっと優雅な仕草ができるのか。ディーを見るお嬢様の目は、本を読んでいる時のような好奇心に満ちていた。

「ずいぶんと順調に評判を上げているようだな。小賢しい」

 パッサン卿はおもむろにティーカップを置いた。

「儂には分からんな。地位を得てなにが楽しい? お前が目指す后という座も――、政略結婚は気に入らん」
「浅ましいですか、わたくしは」

 お嬢様の表情が曇るのを見て、もう、とエマがため息をついた。

「気にしなくていいですよ、レイチェル様。じいちゃんは恋愛結婚主義者なんです。じいちゃんとばあちゃんは大恋愛だったから――いたっ」

 またしてもエマの頭が叩かれた。
 それにしても、このパッサン卿が、大恋愛――。

「意外です」
「ええ」
「……儂の話はいい。忘れろ。――権力者というものはしがらみが増えて、身動きができなくなっていくものだ。政略結婚もしがらみの一つと言える。お前たちはせいぜい自由を奪われないように気を付けるのだな」
「しがらみ、ですか――」

 お嬢様は難しそうな顔。パッサン卿はコーヒーを飲んだ。

「ともかく、評判が上がれば注目もされる。そうすれば危険も多くなるものだ。嫉妬をする馬鹿どもは短絡的に愚かな行動をするからな。護衛もつけずに出歩いている能天気は早死にするぞ」
「それは、つまり……、騎士が必要ということですね。今まではリーフがいてくれたから、そこまで気にしたことはなかったけれど、そうか、騎士……」

 パッサン卿が膝の上に手を組んだ。

「名のある騎士をつければ、それもまた主人の権威となるだろう。これも戦略だ」

 この国には宮廷が運営する騎士学校が存在する。代々貴族に仕える騎士の家柄の子どもから、田舎の出で腕を買われた特待生まで、年間二百人ほどの騎士見習いが通っている。この学校で優秀な成績をおさめたエリートを雇えるのは、上流貴族の証だ。

 とはいえ、優秀な者は、どこかの家に雇われていると考えていいはず。

「騎士――、そうですわね。一人、思い当たる人物がいますわ。彼を騎士にしたところで、権威には繋がらないかもしれませんが」

 誰のことだろう、と考えるまでもない。私の頭には一人の姿が思い浮かんでいた。
 パッサン卿はしばらくお嬢様をみてから、ふんっと鼻を鳴らす。

「勝手にしろ」
「訳すと、レイチェル様に悔いが残らないように自分の意志を貫きなさい、ってことですね、いたっ」

 エマは叩かれた額をおさえ、恨めし気に祖父を睨んだ。
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