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第5章 物語と、ひとつの色(下)
(12)たったひとつの色
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茶封筒から、原稿の束を取り出す。ずしりと重い、宝物のような物語。もう一度、読み直そう。見失っていたこの物語の色を見つけよう。
自室のちゃぶ台に原稿を置き、背筋を伸ばした。わたしが向き合うべきは、この物語だ。
「描けそうですか」
ふと、お雪さんの声がした。ふり向き、微笑む。
「描けるよ」
手を伸ばせば、白うさぎがじゃれついてくる。その美しい毛並みをなでると、すこししてから、するりと逃げられた。
「じゃまをしてはいけませんね。二階に、一色さんととわくんがいます。今日はわたしが二階を見ておきますから、安心してください」
「うん。ありがとう」
「今日は雪が積もります。あたたかくしてくださいね」
そう言い残して、お雪さんは出ていった。
狐谷から言い渡された装画の提出締切日は、二日後。集中しなければ終わらない。これまで悩んできたぶんを取り返さなければ。原稿の言葉たちに指を沿わせて、一語一語をかみしめる。切なく、あたたかく、心に届く物語。なるほど、とわのための物語だ。
――最初から、そう言ってくれればいいのに。
一色は、真意をだれにも言わずに製本するつもりだったようだ。驚かせようとしてくれたのだろう。それにしたって、絵莉には教えてくれればいいのに……。途中から一色を避けていたから、話す機会を逃してしまったのかもしれないけれど、それでももっと前から知りたかった。
原稿をめくる手は止まらず、没頭するうちに、すぐさま最後の一枚にたどり着いていた。名残惜しく、終わりの一文を見つめる。
この物語は、とわに届く。たくさんの子どもたちに届く。届かせてみせる。
想いのままに線画を描き、絵筆を取り、深呼吸した。
窓の外ではしんしんと雪が舞っている。明るかった空は夕陽に焼かれ、しだいに藍色を広げていく。月が出ているのか、やわらかな光に包まれていた。
象牙色の下塗りを終わらせる。
パレットに山吹色を溶かした。赤みのある黄色を水で伸ばせば、淡くあたたかく色づく。陽の光の中にいるような、そんな黄金色の景色に仕上げていきたい。影の落ちる部分は赤みのある茶色。陰があれば、光が際立つ。
主人公の少女は後ろ姿で描くけれど、きっと微笑んでいるのだろうと思う。そういえば、とわに贈る物語であれど、主人公は少女なんだなと絵莉は笑った。さすが、多くの読者に女性作家と勘違いされる一色だ。彼が生み出す少女は繊細で美しい。一色の全力が注がれた物語なのだろう。
兎ノ書房で出会ってから、とわにも一色にも、助けたし助けられた。もちろん彩乃にも。そしてお雪さんにも。とわのおかげで、描きたいと思う心を取りもどすことができた。一色のおかげで、自分にしか描けない絵があると知った。感謝はすべて、絵で返そう――。
二日かけて、絵莉は一枚の装画を描いた。筆を置いたのは、ちょうど夜明けだった。カーテンを開けて、わあ、と声を出す。町並みは白く染まっていた。まぶしいほどの、まっさらなキャンバスのような白。いまの自分なら、どんな色を乗せるだろう。きっと美しく染められる。
描き上がったばかりの絵が朝陽を受けるのを見つめて、畳に倒れこむ。
「……できた」
軽い足音がした。頬にもふもふとした白い身体がすり寄ってくる。そのあたたかさを感じ、笑ってしまった。
「お雪さん」
「はい」
ぎゅっと、白うさぎを抱きしめる。あたたかい。
「できた」
一枚の、これ以上はないという絵が。
「できたよ、お雪さん」
「はい」
「楽しかった」
お雪さんも微笑む気配があった。あいかわらずの美声で、ささやく。
「お疲れさまでした、絵莉さん」
自室のちゃぶ台に原稿を置き、背筋を伸ばした。わたしが向き合うべきは、この物語だ。
「描けそうですか」
ふと、お雪さんの声がした。ふり向き、微笑む。
「描けるよ」
手を伸ばせば、白うさぎがじゃれついてくる。その美しい毛並みをなでると、すこししてから、するりと逃げられた。
「じゃまをしてはいけませんね。二階に、一色さんととわくんがいます。今日はわたしが二階を見ておきますから、安心してください」
「うん。ありがとう」
「今日は雪が積もります。あたたかくしてくださいね」
そう言い残して、お雪さんは出ていった。
狐谷から言い渡された装画の提出締切日は、二日後。集中しなければ終わらない。これまで悩んできたぶんを取り返さなければ。原稿の言葉たちに指を沿わせて、一語一語をかみしめる。切なく、あたたかく、心に届く物語。なるほど、とわのための物語だ。
――最初から、そう言ってくれればいいのに。
一色は、真意をだれにも言わずに製本するつもりだったようだ。驚かせようとしてくれたのだろう。それにしたって、絵莉には教えてくれればいいのに……。途中から一色を避けていたから、話す機会を逃してしまったのかもしれないけれど、それでももっと前から知りたかった。
原稿をめくる手は止まらず、没頭するうちに、すぐさま最後の一枚にたどり着いていた。名残惜しく、終わりの一文を見つめる。
この物語は、とわに届く。たくさんの子どもたちに届く。届かせてみせる。
想いのままに線画を描き、絵筆を取り、深呼吸した。
窓の外ではしんしんと雪が舞っている。明るかった空は夕陽に焼かれ、しだいに藍色を広げていく。月が出ているのか、やわらかな光に包まれていた。
象牙色の下塗りを終わらせる。
パレットに山吹色を溶かした。赤みのある黄色を水で伸ばせば、淡くあたたかく色づく。陽の光の中にいるような、そんな黄金色の景色に仕上げていきたい。影の落ちる部分は赤みのある茶色。陰があれば、光が際立つ。
主人公の少女は後ろ姿で描くけれど、きっと微笑んでいるのだろうと思う。そういえば、とわに贈る物語であれど、主人公は少女なんだなと絵莉は笑った。さすが、多くの読者に女性作家と勘違いされる一色だ。彼が生み出す少女は繊細で美しい。一色の全力が注がれた物語なのだろう。
兎ノ書房で出会ってから、とわにも一色にも、助けたし助けられた。もちろん彩乃にも。そしてお雪さんにも。とわのおかげで、描きたいと思う心を取りもどすことができた。一色のおかげで、自分にしか描けない絵があると知った。感謝はすべて、絵で返そう――。
二日かけて、絵莉は一枚の装画を描いた。筆を置いたのは、ちょうど夜明けだった。カーテンを開けて、わあ、と声を出す。町並みは白く染まっていた。まぶしいほどの、まっさらなキャンバスのような白。いまの自分なら、どんな色を乗せるだろう。きっと美しく染められる。
描き上がったばかりの絵が朝陽を受けるのを見つめて、畳に倒れこむ。
「……できた」
軽い足音がした。頬にもふもふとした白い身体がすり寄ってくる。そのあたたかさを感じ、笑ってしまった。
「お雪さん」
「はい」
ぎゅっと、白うさぎを抱きしめる。あたたかい。
「できた」
一枚の、これ以上はないという絵が。
「できたよ、お雪さん」
「はい」
「楽しかった」
お雪さんも微笑む気配があった。あいかわらずの美声で、ささやく。
「お疲れさまでした、絵莉さん」
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