41 / 62
第4章 物語と、ひとつの色(上)
(7)出版社の狐
しおりを挟む
その日、絵莉は松本駅から徒歩五分の喫茶店に、一色と連れ立って訪れていた。兎ノ書房がある仲町通りや、川を挟んだなわて通りは、レトロな雰囲気に包まれているが、松本駅周辺は現代的なビルが建ち並ぶ。
四人掛けのテーブルで、一色ととなり合って座っていると、スーツの男性が「一色さんですよね」と頭を下げて、向かいの椅子に腰かけた。
「お待たせしまして、申し訳ございません。長野は寒いですね!」
はきはきと話す男性は、三十代前半くらい。つり目が派手な印象を持たせるけれど、ひとなつっこい笑顔を浮かべていて、相手の懐にするりと入り込んでいくのが得意そうだな、と思った。
一色が無言で頭を下げる。
「あはは、一色さんって本当にしゃべるのが苦手なんですか。お会いしても筆記でしか話せません、と言われたときは驚きました。でもこうしてお時間取っていただけて幸いです」
ふたりのやりとり(相手の男性がひとりで話しているようなものだけど)を聞きながら、わたしはどうすればいいのだろう……、と絵莉は困った。あまりにも自分がここにいるのは場違いのような気がするのだ。というか、絶対そうだ。
男性の視線が絵莉に向いた。
「安雲絵莉さんですね。一色さんからお話は聞いています。お会いできて光栄です」
「あ、い、いえ。こちらこそ……」
にこやかな笑顔にびくついていると、男性は名刺ケースを取り出した。一色と絵莉、それぞれに名刺が差し出される。
「すこや書房の編集部に所属している、狐谷と申します。つり目が狐っぽいと言われるので、覚えやすい名前かなあと思います。どうぞよろしくお願いします」
目を細めて笑う彼は、たしかに狐っぽいかもしれない。すこや書房編集部、と書かれた名刺を見つめる。
本当に、どうして自分はここにいるのだろうか。だが一色が同席してほしいと言ってきたのだし、ここまで来て逃げ出すこともできず、せめて失礼にならないようにと背すじを伸ばす。
店員がホットコーヒーを三つ持ってきた。ごゆっくりどうぞ、と店員が離れていくのを待ってから、狐谷が口を開いた。
「まずは一色さんにお詫びいたします。ご連絡が遅くなったこと、大変申し訳ございませんでした」
笑顔を引っ込め真面目な顔になった狐谷に、絵莉はどきりとする。一色は小さくおじぎして応えるだけだったが。しかし、どことなく狐谷に向ける眼は鋭い気もする。
「本来であれば応募していただいてから三か月の内にご連絡を差し上げるところ、こちらの不手際で連絡が滞っておりました。この場を設けてもらえたこと感謝します」
彼の話すことを、絵莉は事前に一色から聞かされていた。
一色が『本棚の手紙』を応募したのが、すこや書房が開催している新人賞だったらしい。三か月連絡がなければ落選という流れだったから、一色も三か月待ったうえで受賞ができなかったと思っていたのだが、先日狐谷からメールが届いたのだ。
受賞の祝辞と、連絡が遅れたことへの謝罪、そして書籍化したい、というメールが。
なんと一色は、受賞していたのである。連絡がなかったのは、すこや書房の不手際――ということだった。
狐谷は真剣につづけた。
「ぜひ、『本棚の手紙』を弊社から出版させていただきたいです。一色さんのつくる世界はやさしくて、子どもの心に響くはずです。構成も巧みで引き込まれます。書き出しも美しい。冒頭には心血を注げと言いますが、一ページ目から世界に引き込まれるようでした」
あ、このひと、ちゃんと評価してくれている。すらすらと淀みなく、しかし熱を込めて話す狐谷の言葉に、絵莉は思わずうなずいた。不手際の件を聞いたときは不安になったものの、きちんと作品を見る目はあるらしい……、素人の絵莉がなに目線で語っているのだ、とは思うけれど、一色から話を聞かされた時点でのすこや書房の印象は、それくらい悪かった。報連相は大事だ。
とはいえ、狐谷は小説のよさを理解してくれているし、一色の小説が正しく評価されるのは素直にうれしい。ちょっと見直した。だが一色は、眼鏡の奥の瞳を揺らがせない。いつもの無表情で、じっと話を聞いている。
「改稿された原稿も拝見させていただきました。さらに魅力が増しています。すばらしいです」
狐谷は褒めに褒める。多少オーバーだな、と感じるくらい。まあ、そうだろう。第一印象がよくないことは彼だって自覚しているだろうし、それ以上の問題もある。
――一色さん、本当に出版しない気なのかな。
そう。実は、書籍化の話を一色が渋っているのだ。
四人掛けのテーブルで、一色ととなり合って座っていると、スーツの男性が「一色さんですよね」と頭を下げて、向かいの椅子に腰かけた。
「お待たせしまして、申し訳ございません。長野は寒いですね!」
はきはきと話す男性は、三十代前半くらい。つり目が派手な印象を持たせるけれど、ひとなつっこい笑顔を浮かべていて、相手の懐にするりと入り込んでいくのが得意そうだな、と思った。
一色が無言で頭を下げる。
「あはは、一色さんって本当にしゃべるのが苦手なんですか。お会いしても筆記でしか話せません、と言われたときは驚きました。でもこうしてお時間取っていただけて幸いです」
ふたりのやりとり(相手の男性がひとりで話しているようなものだけど)を聞きながら、わたしはどうすればいいのだろう……、と絵莉は困った。あまりにも自分がここにいるのは場違いのような気がするのだ。というか、絶対そうだ。
男性の視線が絵莉に向いた。
「安雲絵莉さんですね。一色さんからお話は聞いています。お会いできて光栄です」
「あ、い、いえ。こちらこそ……」
にこやかな笑顔にびくついていると、男性は名刺ケースを取り出した。一色と絵莉、それぞれに名刺が差し出される。
「すこや書房の編集部に所属している、狐谷と申します。つり目が狐っぽいと言われるので、覚えやすい名前かなあと思います。どうぞよろしくお願いします」
目を細めて笑う彼は、たしかに狐っぽいかもしれない。すこや書房編集部、と書かれた名刺を見つめる。
本当に、どうして自分はここにいるのだろうか。だが一色が同席してほしいと言ってきたのだし、ここまで来て逃げ出すこともできず、せめて失礼にならないようにと背すじを伸ばす。
店員がホットコーヒーを三つ持ってきた。ごゆっくりどうぞ、と店員が離れていくのを待ってから、狐谷が口を開いた。
「まずは一色さんにお詫びいたします。ご連絡が遅くなったこと、大変申し訳ございませんでした」
笑顔を引っ込め真面目な顔になった狐谷に、絵莉はどきりとする。一色は小さくおじぎして応えるだけだったが。しかし、どことなく狐谷に向ける眼は鋭い気もする。
「本来であれば応募していただいてから三か月の内にご連絡を差し上げるところ、こちらの不手際で連絡が滞っておりました。この場を設けてもらえたこと感謝します」
彼の話すことを、絵莉は事前に一色から聞かされていた。
一色が『本棚の手紙』を応募したのが、すこや書房が開催している新人賞だったらしい。三か月連絡がなければ落選という流れだったから、一色も三か月待ったうえで受賞ができなかったと思っていたのだが、先日狐谷からメールが届いたのだ。
受賞の祝辞と、連絡が遅れたことへの謝罪、そして書籍化したい、というメールが。
なんと一色は、受賞していたのである。連絡がなかったのは、すこや書房の不手際――ということだった。
狐谷は真剣につづけた。
「ぜひ、『本棚の手紙』を弊社から出版させていただきたいです。一色さんのつくる世界はやさしくて、子どもの心に響くはずです。構成も巧みで引き込まれます。書き出しも美しい。冒頭には心血を注げと言いますが、一ページ目から世界に引き込まれるようでした」
あ、このひと、ちゃんと評価してくれている。すらすらと淀みなく、しかし熱を込めて話す狐谷の言葉に、絵莉は思わずうなずいた。不手際の件を聞いたときは不安になったものの、きちんと作品を見る目はあるらしい……、素人の絵莉がなに目線で語っているのだ、とは思うけれど、一色から話を聞かされた時点でのすこや書房の印象は、それくらい悪かった。報連相は大事だ。
とはいえ、狐谷は小説のよさを理解してくれているし、一色の小説が正しく評価されるのは素直にうれしい。ちょっと見直した。だが一色は、眼鏡の奥の瞳を揺らがせない。いつもの無表情で、じっと話を聞いている。
「改稿された原稿も拝見させていただきました。さらに魅力が増しています。すばらしいです」
狐谷は褒めに褒める。多少オーバーだな、と感じるくらい。まあ、そうだろう。第一印象がよくないことは彼だって自覚しているだろうし、それ以上の問題もある。
――一色さん、本当に出版しない気なのかな。
そう。実は、書籍化の話を一色が渋っているのだ。
26
お気に入りに追加
96
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

【完結】ポーションが不味すぎるので、美味しいポーションを作ったら
七鳳
ファンタジー
※毎日8時と18時に更新中!
※いいねやお気に入り登録して頂けると励みになります!
気付いたら異世界に転生していた主人公。
赤ん坊から15歳まで成長する中で、異世界の常識を学んでいくが、その中で気付いたことがひとつ。
「ポーションが不味すぎる」
必需品だが、みんなが嫌な顔をして買っていく姿を見て、「美味しいポーションを作ったらバカ売れするのでは?」
と考え、試行錯誤をしていく…
真夜中の仕出し屋さん~料理上手な狛犬様と暮らすことになりました~
椿蛍
キャラ文芸
「結婚するか、化け物屋敷を管理するか」
仕事を辞めた私に、父は二つの選択肢を迫った。
料亭『吉浪』に働いて六年。
挫折し、料理を作れなくなってしまった――
結婚を断り、私が選んだのは、化け物屋敷と父が呼ぶ、亡くなった祖父の家へ行くことだった。
祖父が亡くなって、店は閉まっているはずだったけれど、なぜか店は開いていて――
初出:2024.5.10~
※他サイト様に投稿したものを大幅改稿しております。

【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。
独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立
水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~
第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。
◇◇◇◇
飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。
仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。
退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。
他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。
おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。
『 ゆりかご 』 ◉諸事情で非公開予定ですが読んでくださる方がいらっしゃるのでもう少しこのままにしておきます。
設樂理沙
ライト文芸
皆さま、ご訪問いただきありがとうございます。
最初2/10に非公開の予告文を書いていたのですが読んで
くださる方が増えましたので2/20頃に変更しました。
古い作品ですが、有難いことです。😇
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
" 揺り篭 " 不倫の後で 2016.02.26 連載開始
の加筆修正有版になります。
2022.7.30 再掲載
・・・・・・・・・・・
夫の不倫で、信頼もプライドも根こそぎ奪われてしまった・・
その後で私に残されたものは・・。
・・・・・・・・・・
💛イラストはAI生成画像自作

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる