仲町通りのアトリエ書房 -水彩絵師と白うさぎ付き-

橘花やよい

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第4章 物語と、ひとつの色(上)

(7)出版社の狐

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 その日、絵莉は松本駅から徒歩五分の喫茶店に、一色と連れ立って訪れていた。兎ノ書房がある仲町通りや、川を挟んだなわて通りは、レトロな雰囲気に包まれているが、松本駅周辺は現代的なビルが建ち並ぶ。

 四人掛けのテーブルで、一色ととなり合って座っていると、スーツの男性が「一色さんですよね」と頭を下げて、向かいの椅子に腰かけた。

「お待たせしまして、申し訳ございません。長野は寒いですね!」

 はきはきと話す男性は、三十代前半くらい。つり目が派手な印象を持たせるけれど、ひとなつっこい笑顔を浮かべていて、相手の懐にするりと入り込んでいくのが得意そうだな、と思った。

 一色が無言で頭を下げる。

「あはは、一色さんって本当にしゃべるのが苦手なんですか。お会いしても筆記でしか話せません、と言われたときは驚きました。でもこうしてお時間取っていただけて幸いです」

 ふたりのやりとり(相手の男性がひとりで話しているようなものだけど)を聞きながら、わたしはどうすればいいのだろう……、と絵莉は困った。あまりにも自分がここにいるのは場違いのような気がするのだ。というか、絶対そうだ。

 男性の視線が絵莉に向いた。

安雲あぐも絵莉さんですね。一色さんからお話は聞いています。お会いできて光栄です」
「あ、い、いえ。こちらこそ……」

 にこやかな笑顔にびくついていると、男性は名刺ケースを取り出した。一色と絵莉、それぞれに名刺が差し出される。

「すこや書房の編集部に所属している、狐谷こたにと申します。つり目が狐っぽいと言われるので、覚えやすい名前かなあと思います。どうぞよろしくお願いします」

 目を細めて笑う彼は、たしかに狐っぽいかもしれない。すこや書房編集部、と書かれた名刺を見つめる。

 本当に、どうして自分はここにいるのだろうか。だが一色が同席してほしいと言ってきたのだし、ここまで来て逃げ出すこともできず、せめて失礼にならないようにと背すじを伸ばす。

 店員がホットコーヒーを三つ持ってきた。ごゆっくりどうぞ、と店員が離れていくのを待ってから、狐谷が口を開いた。

「まずは一色さんにお詫びいたします。ご連絡が遅くなったこと、大変申し訳ございませんでした」

 笑顔を引っ込め真面目な顔になった狐谷に、絵莉はどきりとする。一色は小さくおじぎして応えるだけだったが。しかし、どことなく狐谷に向ける眼は鋭い気もする。

「本来であれば応募していただいてから三か月の内にご連絡を差し上げるところ、こちらの不手際で連絡が滞っておりました。この場を設けてもらえたこと感謝します」

 彼の話すことを、絵莉は事前に一色から聞かされていた。

 一色が『本棚の手紙』を応募したのが、すこや書房が開催している新人賞だったらしい。三か月連絡がなければ落選という流れだったから、一色も三か月待ったうえで受賞ができなかったと思っていたのだが、先日狐谷からメールが届いたのだ。

 受賞の祝辞と、連絡が遅れたことへの謝罪、そして書籍化したい、というメールが。

 なんと一色は、受賞していたのである。連絡がなかったのは、すこや書房の不手際――ということだった。

 狐谷は真剣につづけた。

「ぜひ、『本棚の手紙』を弊社から出版させていただきたいです。一色さんのつくる世界はやさしくて、子どもの心に響くはずです。構成も巧みで引き込まれます。書き出しも美しい。冒頭には心血を注げと言いますが、一ページ目から世界に引き込まれるようでした」

 あ、このひと、ちゃんと評価してくれている。すらすらと淀みなく、しかし熱を込めて話す狐谷の言葉に、絵莉は思わずうなずいた。不手際の件を聞いたときは不安になったものの、きちんと作品を見る目はあるらしい……、素人の絵莉がなに目線で語っているのだ、とは思うけれど、一色から話を聞かされた時点でのすこや書房の印象は、それくらい悪かった。報連相は大事だ。

 とはいえ、狐谷は小説のよさを理解してくれているし、一色の小説が正しく評価されるのは素直にうれしい。ちょっと見直した。だが一色は、眼鏡の奥の瞳を揺らがせない。いつもの無表情で、じっと話を聞いている。

「改稿された原稿も拝見させていただきました。さらに魅力が増しています。すばらしいです」

 狐谷は褒めに褒める。多少オーバーだな、と感じるくらい。まあ、そうだろう。第一印象がよくないことは彼だって自覚しているだろうし、それ以上の問題もある。

 ――一色さん、本当に出版しない気なのかな。

 そう。実は、書籍化の話を一色が渋っているのだ。
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