執愛の誓い

皇 英利

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一章 愛のない結婚

(四)

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グランジェ子爵家へ嫁いでから十日が経った。

一般的に考えれば一緒に暮らし始めて間もない今が一番幸せな時期なのだろうけど、フィアンは悩んでいた。

(私って、女としての魅力がないのかしら……)

ナイジェルは結婚式の夜だけでなく、いつになってもフィアンを抱こうとしなかった。

それどころか新妻を放って毎夜どこかへ遊びに行き、帰って来るのは早朝である。だからフィアンは未だに清らかな身体のままだった。

フィアンを抱かないのには何か理由があるのだろうか。

(もしかして、まだ子供は欲しくないのかしら)

たしかにナイジェルは子供好きには見えない。けれど伯爵家の当主であるかぎり、跡継ぎは必要なはずなのに。

本来なら妻であるフィアンが夫の連日の朝帰りを諫めるべきなのだろうが、実家へ金銭的な援助をしてもらっているため強く言うことはできない。

フィアンの生家であるローレライ伯爵家は、祖父の散財と父が行っていた事業の失敗から財産が底をつき、大量の借金を抱えていた。一家で路頭に迷うかもしれないという絶望的な状況のときに舞い込んできたのが、ナイジェルとの縁談だった。

グランジェ子爵家はフィアンが嫁いでくれればローレライ伯爵家の借金を全額肩代わりし、家族が今まで通りの暮らしができるよう金銭的な融通をすると約束してくれた。

グランジェ子爵家は元は商人の家系で、商売によって大金を手に入れ貴族にまでのし上がった新興貴族だ。お金はあるものの歴史は浅く、爵位を手に入れるまでの経緯から影で『成金』と揶揄されている。

一方ローレライ伯爵家の歴史は古い。遡れば王家とも繋がりがあり、古くからの貴族であるため家名には箔がある。

グランジェ子爵家はローレライ伯爵家の高い格式と箔が欲しい。

ローレライ伯爵家は一家がバラバラにならず食べていけるだけのお金が欲しい。

見事に利害が一致したため、フィアンとナイジェルの婚姻が正式に結ばれた。

(やっぱり跡継ぎは必要だわ。……この結婚を、確かなものにするためにも)

離婚されないためにも。

二人の婚約が親同士の間で交わされたとき、父が初めて娘に頭を下げた。家族のためにグランジェ子爵家の長男と結婚してくれと。

幼い弟もいたし、両親には十分すぎるほど愛され育ててもらった。それで家族を救えるのならフィアンにとっては本望だと、二つ返事で婚約を受け入れた。

だから跡継ぎを産むという、貴族の妻の最大の務めを果たさなければ。家族の援助をしてもらっているぶん、役に立たなければいけない。

まずは手始めに、侍女あたりに女としての魅力を上げる方法でも訊いてみようか。

決意を新たにし、フィアンが廊下を歩いていると。

「──可哀想、フィアン様……」

自分の名前が聞こえてきて、フィアンは思わず立ち止まる。

(……可哀想? 私が?)

聞こえてきた声は女性使用人の声だった。どうやら廊下で立ち話をしているようだ。

たしかにフィアンとナイジェルは政略結婚だが、貴族の結婚ではよくあることだ。自分で納得して決めたことだし、後悔もしていない。ナイジェルの毎日の朝帰りには若干眉をひそめているものの、子爵家の当主たるもの、貴族同士の付き合いもあるのだろうと理解している。

フィアンは自室に戻る途中だったのだが、そのためにはここの廊下を通らなければいけない。

今姿を見せるのは気まずくて、しかたなく柱の陰に身をひそめる。

「ナイジェル様、今夜もまたドーラ侯爵夫人のところへ行かれるのかしら……」

「結婚してから毎日だものね。まあ、今に始まったことじゃないけれど……。ほんと、蜜月中だというのにどういうつもりなのかしらナイジェル様は。──おっといけない、つい長話しちゃったわ。さっさと仕事に戻らないと、また怒られちゃうわ」

バケツと雑巾を手にした二人が、フィアンに気づかず急ぎ足で通り過ぎていく。

誰もいなくなっても、フィアンは驚愕でその場から動けずにいた。

(……いったいどういうこと? ナイジェルは、貴族同士の付き合いで毎日出かけていたんじゃないの? ……私がただそう思い込んでいただけ……?)

彼女たちの話によれば、ナイジェルはドーラ侯爵夫人のところへ行っているらしい。ドーラ侯爵夫人といえば、数年前に夫を亡くした美貌で名高い夫人である。

まだそんなに歳をとっていない未亡人のもとへ男性が毎夜訪れるなんて、理由はひとつしかない。

フィアンは呆然としたまま、やがてふらふらと自室へと向かって行った。
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