ダイアモンド・ダスト

柑奈木

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37.けんか

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 学校祭準備期間の放課後は騒がしい。

 すでに作業開始から日数が経っていることもあって、廊下には、自分の体よりも大きな制作物を運搬している生徒もいた。

「桜、どこ行くの?今日は演技練習だから教室に残ってって言ったでしょ」

 琴乃と岡本君と一緒に演技練習するなんて気まずい。こっそりと抜け出そうとした私を光咲が引き留めた。

「今日、ちょっと体調悪いから帰ろうかなって」

 午前中に私が倒れたことはみんな知っている。口実にして逃げてしまおうと思った。

「えー、でもさっきまで元気そうだったじゃん。体育も参加してたし」

「うん、でも」

「困るよ。この間の練習でも間違えてたのに。真面目にやってもらわないと、迷惑かけられるのはこっちなんだから」

 光咲が舌打ちした。

「でも……」

「ちょっとくらい頑張りなよ。一人の自分勝手な行動で劇を台無しにするわけにはいかないの」

 彩夏にも畳みかけられて私は鞄を置いた。

「……わかった。頑張るから」

 強く言われると断れない。BGMに集中しているふりをしていれば琴乃と岡本君とかかわらずに済むだろう。

「はい、シーン7から始めるよ」

 光咲は私の返事を聞くとすぐにメガホンをとった。

「琴乃、岡本。昼錬の打ち合わせ通りだからね」

 光咲はちらりと私の方を見てから琴乃と岡本君に指示を出した。二人は気まずそうに目配せをした後でスタンバイした。

「もう時間がないのです。短い時間でしたが、私はあなたとダンスが出来て幸せでした。また、どこかであなたと会えることを信じています。さようなら」

 お姫様役の琴乃は王子様役の岡本君から走って逃げようとする。姫の腕を王子が掴んで引き留める。

「離してください!困ります」

「君を……」

 岡本君と琴乃のやり取りを見ていると、変な気分になる。

 頭の中で昼休みに見た景色が再生される。

 忘れようとすればするほど、瞼の裏にあの光景が蘇ってくる。

 どうしようもなかった。今はBGMに集中しなければと何度も自分に言い聞かせた。でも、ダメだった。

 全く集中していなかった私は、どうやら間違ったボタンを押してしまったらしい。

 スピーカーから出ている音がハウリングを起こし、その場にいた全員が耳を塞ぐ。

「ご、ごめん!」

 私は驚きながらもCDの電源を切った。

「ちょっと、また桜。ちゃんとやってよ。もう、何回目?」

 光咲が声を荒げた。

「いい加減にしてよ」

 光咲がつかつかと私の元まで歩いてくる。そして、私の持っていた下敷き取り上げ、怒りに任せて真っ二つにへし折ってしまった。

「こんな小学生みたいなキャラクターものの下敷き使って。琴乃の手紙破ったってこともそうだけど、気持ち悪いよ」

 周りで見ていたクラスメイトは同意の言葉を発したりはしないものの、せせら笑っていた。

 ダメだ。どうして私は悔しくなると泣きそうになってしまうんだろう。何でこんなに気が弱いのか。

「え、なんかコイツ泣いてねぇ!」

 私の近くで暗幕を支えていた男子が焦ったような、引いたような声を出した。まだ、涙は流していないものの視界はぼやけてきてしまっている。

「人のもの壊したくせに自分のものを壊されたら傷つくとか何なの。自己中すぎ、死ね」

「……大事なものだったのに」

 悔しさと同時に気持ちを吐き出した。

「手紙だって大事でしょ、ね、琴乃?」

 光咲は悪びれる様子もなく、むしろ正義を成し遂げたかのような口ぶりだった。

 しかし、それを聞いた琴乃の反応は、光咲が期待したものとはかけ離れていた。

「光咲、やりすぎ」

 琴乃の声は冷たかった。それを聞いた光咲の顔が氷つく。

「最初はあんなことがあって私だって混乱してたし、ショックだったから静観してたけど、光咲も彩夏も桜にひどいことしすぎ。私、復讐してなんて頼んでないよ」

「は、何よ?なんでうちらがそんな言われ方しなくちゃいけないの。うちらは琴乃が可哀想だからかばってあげてたんじゃん」

「そうよ、琴乃は桜よりも私たちの方がひどいって言うの?」
私は唖然としていた。状況が飲み込めない。自分が渦中にいるというのに全くどうしていいかわからない。

「なんで、桜がやったって決めつけてんのよ」

 琴乃は光咲たちが複数人で責め立ててもひるまなかった。

「でもさ、琴乃が手紙を託したのは桜なんでしょ。桜が破ったって考えるのが自然でしょ」

「そんな訳ないじゃん!」

 琴乃が大声を出した。

「その下敷き、私と桜が小学生の修学旅行の時に、お揃いで買ったやつなんだよ。私はもうずいぶん前に自分で折っちゃったけど、桜はずっとそれを大切に使い続けてくれたの。こんなに優しい子が、人の手紙破るわけないじゃん!」

「……琴乃」

 嬉しかった。琴乃が私のことを信じてくれていた。

 それと同時に琴乃が私をかばえばかばうほど苦しかった。琴乃の言葉がナイフになって、私の心をずたずたに切りつけているようだった。

 いっそのこと正直に打ち明けてビンタでも食らった方がマシなのではないかと思った。

「琴乃こそ勝手なこと言ってるんじゃないわよ!うちらが悪者みたいないい方しないで」

「そうよ。最近、琴乃悲劇のヒロイン気取りだよね。岡本とのことだって応援されちゃって調子のってるんじゃないの?」

 いつの間にか私は蚊帳の外。光咲たちの矛先は琴乃に向かっていた。

「実はさ、自作自演だったりして。今一番得してるの、琴乃だもんね」

「確かに!」

 二人は一段と声を上ずらせる。不気味な笑みを浮かべる二人に、私は狂気さえ感じた。

 なんでそうなるのか、私には到底理解不能だった。

 勝手に自分の都合のいいように考えて、勝手に納得している。

 エスカレートしていく妄想を見ているのは辛かった。何で悪いこと何もしてない琴乃が酷いこと言われないといけないのか。

 でも、私はやっぱり自分がやったことだと正直にうちあけるのが怖い。琴乃にも岡本君にも失望されたくない。

 私、どうしたらいいんだろう。

 自然と助けを求めるように岡本君のことを見てしまっていた。

 しかし、私が期待していたような頼もしい彼はそこにいなかった。

 私と同じように、岡本君も状況を飲み込めずにただ茫然と立っているだけだった。

 急展開についていけたのは張本人たちだけだったということだろう。

「もう、いい。あんたみたいな最低な女をちょっとでも庇ったうちがバカだった。出てって!お姫様役だってやってもらわなくていいから!」

 光咲が琴乃の腕を引っ張って乱暴に教室から追い出す。光咲が閉めようと手をかけたドアを、琴乃が抑えた。

「私だって、あんたみたいなのに一時でも励まされたことが恥だと思ってるから」

 吐き捨てるように言うと自らドアを閉めてしまった。あまりに勢いがよかったので床に散らかっていた折り紙が少し宙を舞った。

 嵐が去って、やっと小さな紙吹雪がやんだ後、静けさが教室に戻ってきた。

「俺、結木のこと探してくる。みんなは練習続けててくれ」

 ようやく岡本君は我を取り戻したようで、廊下の向こうに消えて行った。

 練習を続けるといっても主役二人がいないのにどうやって続けろというのか。

 岡本君までいなくなってしまった教室は、行き先不透明の沈黙を決め込むこととなった。

「ごめんね。大事な下敷き折っちゃって」

 光咲の柔らかい声が聞こえる。

「……」

「桜、ねぇ。ごめんね」

「……え、私?」

 先ほどとは打って変わった態度に、すぐにはその声が私に向けられたものだと気が付くことが出来なかった。
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