ダイアモンド・ダスト

柑奈木

文字の大きさ
上 下
28 / 54

28.テスト2日目

しおりを挟む
「昨日教えてもらったところテストに出た!」

 テスト二日目を終えた私は今日も岡本君と共に図書室に来ていた。

「今回の出来はよさそう。岡本君のおかげだよ、ありがとう」

「俺じゃないよ。立川が真面目に勉強したからだ」

 お礼を言う私に岡本君は首を横に振った。

「でも、私一人じゃ分からなかったと思うから」

 岡本君は安心したような顔つきを見せるだけで、何も返してこなかった。

 テスト最終日の明日は古典と地学基礎と世界史だった。岡本君は理系だから、物理と現代社会と科学。

 それぞれ勉強するものが違うので、共通の話題が出にくい。昨日までに比べて口数は少なかった。

 黙々と単語を解いていく。
 
 苦手意識を持つほどの教科ではなかったので、特に行きづまることはなかった。

 日の光が細くなって、私が鞄から小型スタンドライトを取り出したころ、岡本君がシャーペンの手を止めた。

「もう四時か。いつもなら部活が始まるな」

 本棚の上のわずかな隙間から見える掛け時計を見てそう呟いた。

「なぁ、久しぶりに運動場見にいかねぇか?」

 岡本君が問題集にしがみついていた私にそう言った。

「いいね。そろそろ休憩したいところだった」

 私も手を止めた。

 夕日に赤く染めあげられた運動場はどこか異国の砂漠を目の前にしているようだった。

「世界まで行かなくても絶景見れるじゃん」

 私が呟くと、隣の岡本君も

「そうだな」

と静かな声を落とした。

 誰もいない、広大な砂漠を前にしてたった二人で小さなベンチに身を寄せ合っている。

 今日の運動場を駆け抜けるのは、まだ少し肌寒い風だけ。耳に響くのも風の唸り声だけ。ただ、穏やかな時が流れている。

 運動場は見るたびに違う顔を見せてくれる。でも、どの運動場よりも今日の運動場は一番岡本君との距離が近い。

「岡本君」

「ん?」

「前にさ、陸上やめたいって言ってたよね」

「そんなこともあったな」

「私、ずっとここから岡本君のこと見てた」

「そうだったな」

「練習してる姿見て、岡本君が陸上のことものすごく好きだってわかった。ものすごく好きだから、苦しくなっちゃうんだね」

「……」

「好きなものでつまずくのは、嫌いなことがうまくいかないよりよっぽど辛いの」

 太陽の光が眩しい。

「でも、好きだから努力することはやめられない。でも、どれだけやってもうまくいかない。その繰り返しが苦しいって思っちゃうんだよね」

「……」

「本当はやめたくないって言うのが本音でしょ?」

 私の問いかけに岡本君が苦笑した。

「ああ、そうだな。俺は本当はやめるつもりなんてないんだ」

 彼の影法師がうなだれる。

「俺は陸上をやめたいんじゃない。今の俺の陸上から抜け出したいんだ」

 とても、穏やかな声だった。

「全く目標のタイムに届かなくて。でも、周りの人は俺のこと才能があるって期待してくれている。俺自身も期待している人も納得のいかない結果を出し続けることから逃げ出したいんだ。飯食ってても、勉強してても陸上のことが頭を締め付けてきて、息苦しい。俺、本当は陸上嫌いなんじゃないかって。陸上の神様に愛されてないんじゃないかって。不安になるんだ」

「それはね、それだけ陸上が好きだって証拠だよ」

 私は岡本君の手に、自分の手を重ねた。

「好きなことだから嫌いになれるんだよ。どうでもいいことだったら嫌になる前に投げ出してる。苦しいってことはそれだけ好きってことなんじゃないかな」

「俺、そんな風に考えたことがなかった」

 乾いた声で岡本君がそう言った。

「そうか、俺はここで走ることが好きなのか」

「うん、私が保証する。だから、いいんだよ。これからもここで走って。岡本君は十分陸上の神様に愛されてるんだから」

「立川」

「何?」

 私は全身を岡本君の方へ向けた。改まって呼びかけられたもんだから思わず体ごと反応してしまっていた。

「ありがとう」

 視線を向けた時にぶつかった岡本君の目が、夕日の光に瑞々しく光っていた。

「そっか、俺、好きなんだ」

 岡本君はひとりでに呟いた。

「そっか、よかった」

 足の裏で地面を抱きしめるように、愛おしそうに一歩一歩を踏みしめていた。その歩みは徐々に速度を増していき、風の中に消えた。

 私の網膜にいつもの運動場が蘇る。

 叫ぶ声。泥の音。打撃音。

 全ての音が私の中で再生される。

 叫んでいるサッカー部員がいないことも、泥をはねる音や金属で打つ音を響かせる野球部員がいないことも関係ない。

 私にとって運動場の主役は青色のコースを颯爽と走るたった一人の陸上部員だから。

 彼がいれば、そこは紛れもなく私が大好きな風景だ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

美少女幼馴染が火照って喘いでいる

サドラ
恋愛
高校生の主人公。ある日、風でも引いてそうな幼馴染の姿を見るがその後、彼女の家から変な喘ぎ声が聞こえてくるー

隣の人妻としているいけないこと

ヘロディア
恋愛
主人公は、隣人である人妻と浮気している。単なる隣人に過ぎなかったのが、いつからか惹かれ、見事に関係を築いてしまったのだ。 そして、人妻と付き合うスリル、その妖艶な容姿を自分のものにした優越感を得て、彼が自惚れるには十分だった。 しかし、そんな日々もいつかは終わる。ある日、ホテルで彼女と二人きりで行為を進める中、主人公は彼女の着物にGPSを発見する。 彼女の夫がしかけたものと思われ…

壁の薄いアパートで、隣の部屋から喘ぎ声がする

サドラ
恋愛
最近付き合い始めた彼女とアパートにいる主人公。しかし、隣の部屋からの喘ぎ声が壁が薄いせいで聞こえてくる。そのせいで欲情が刺激された両者はー

婚約をなかったことにしてみたら…

宵闇 月
恋愛
忘れ物を取りに音楽室に行くと婚約者とその義妹が睦み合ってました。 この婚約をなかったことにしてみましょう。 ※ 更新はかなりゆっくりです。

君の浮気にはエロいお仕置きで済ませてあげるよ

サドラ
恋愛
浮気された主人公。主人公の彼女は学校の先輩と浮気したのだ。許せない主人公は、彼女にお仕置きすることを思いつく。

ご褒美

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
彼にいじわるして。 いつも口から出る言葉を待つ。 「お仕置きだね」 毎回、されるお仕置きにわくわくして。 悪戯をするのだけれど、今日は……。

お嬢様、お仕置の時間です。

moa
恋愛
私は御門 凛(みかど りん)、御門財閥の長女として産まれた。 両親は跡継ぎの息子が欲しかったようで女として産まれた私のことをよく思っていなかった。 私の世話は執事とメイド達がしてくれていた。 私が2歳になったとき、弟の御門 新(みかど あらた)が産まれた。 両親は念願の息子が産まれたことで私を執事とメイド達に渡し、新を連れて家を出ていってしまった。 新しい屋敷を建ててそこで暮らしているそうだが、必要な費用を送ってくれている以外は何も教えてくれてくれなかった。 私が小さい頃から執事としてずっと一緒にいる氷川 海(ひかわ かい)が身の回りの世話や勉強など色々してくれていた。 海は普段は優しくなんでもこなしてしまう完璧な執事。 しかし厳しいときは厳しくて怒らせるとすごく怖い。 海は執事としてずっと一緒にいると思っていたのにある日、私の中で何か特別な感情がある事に気付く。 しかし、愛を知らずに育ってきた私が愛と知るのは、まだ先の話。

俺のセフレが義妹になった。そのあと毎日めちゃくちゃシた。

ねんごろ
恋愛
 主人公のセフレがどういうわけか義妹になって家にやってきた。  その日を境に彼らの関係性はより深く親密になっていって……  毎日にエロがある、そんな時間を二人は過ごしていく。 ※他サイトで連載していた作品です

処理中です...