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橘祐也

打ち上げ 2

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 その後、グラスに残っていたビールを一気に干した佐竹に引きずられて雰囲気は持ち直し、小一時間もすると場は大いに温まり、成人済みの佐竹、田原はもちろん、ノンアルコールの今川と戸田もテンションがひどいことになっていた。おそらく、傍目には氷川もそうだったろう。
 手洗いに行き、一服して戻ってきた江上が、理性を取り戻した風に佐竹を窘める。
「佐竹さん飲み過ぎ。これから帰るんでしょ? 夜バスで酔っ払いは嫌がられますよ」
「え、夜行バスで新潟まで帰るんですか?」
 驚いて訊ねる氷川に、佐竹はこくりと頷いた。
「そうだよ」
「てっきり一泊して、新幹線でお帰りかと……」
「社用の出張ならともかく、私用でそんな贅沢できないよ」
 からからと笑って、佐竹が平然と言う。田原がサワーをくいと煽った。
「夜バスはいいよな、何せ寝てるだけで着くし、酒も飲める」
「ああ、ツアーはきつかったね」
「深夜割りは割引でしかないからな、結局、下道走るのが一番安いし……自分らで機材車運転して、移動するから」
 話が今ひとつ掴めていない氷川に、田原が説明してくれる。そういうものなのかと目を見張ると、江上がにやりと口角を上げた。
「ま、お陰で運転は上達したし、苦労は報われるもんだよ」
「ああ、最初は田原くんの運転怖かったね。坂道の急なカーブに六十キロで突っ込むから」
「ガードレール擦ったしね、マジ無事で良かった」
「その節はすいませんでしたね!」
 佐竹と今川がチェシャ猫のように意地悪く笑う。酔い醒ましを兼ねて配られた緑茶をぐいと飲んで、田原が自棄になったような勢いで言った。
 眩暈がしそうなほど冷たい緑茶を飲みながら、皆と一緒になってけらけらと笑う。楽しかった。とても、楽しくて幸せだ。橘の周囲の人々は、優しくて真面目で、心地が良い。世界には優しい人もいる。自分さえ心を閉ざさなければ、それは案外素直に手に入るものだったのかもしれない。
 未成年がいるからと、二十二時を前に店を追い出された。その頃になってようやく、橘から片付けがやっと終わったと連絡が入った。生徒会役員は大変だ。メールの内容を伝えると、大人達が感心したり、呆れたりした顔を見せた。
「頑張るね、高校生」
「坊ちゃん高校の生徒会って大変なのな」
「なんか土産でも買ってやるか。氷川くん、ちょっとそこのコンビニ付き合って」
 江上が七十メートルほど離れた位置にあるコンビニを指差す。遠くはないが、駅を挟んでいるため、短い距離だが往復が必要になる。浴びるほど呑んだ酔っぱらい達にはきついだろう。田原は今川が支えていなければ道路でも座り込みそうな様相を示しているし、佐竹は戸田の腕を掴んで離そうとしない。状況を判断して、氷川は頷いた。
「わかりました」
「よし。コンビニ行ってくるな、動くなよ」
「氷結買ってきて! グリーンアップル!」
「水にしとけこの酔っ払い」
 縁石に座って注文をつける佐竹に、江上が怒鳴り返して歩き出す。江上は飲んでいてもふらつきもなく、更に長身でリーチに差があるため、追う氷川は自然と早足になった。それに気付いて、江上がペースを緩める。細かい気遣いができる彼は、女性にモテそうだ。
「氷川くんはバンドやったことないんだっけ?」
 静かに問われて、氷川もまた静かにはい、と答えた。二人分の淡い影がアスファルトに放射線状に踊る。
「音楽やるつもりはある?」
「いえ……今日は楽しかったですけど、難しいですね。資格の勉強も受験勉強もありますし」
「そっかあ、ちゃんとしてるね。困ったな、言いづらくなっちゃった」
「なんですか?」
 言いづらい、と言いながら、江上は遠慮の気配もない。待ちの体勢の彼を、望まれるままに促す。江上は小さく笑った。
「今日演ったの、祐也の曲だろ。あいつ、バラード書いてきたことなかったんだよ。まああの歳でまともに作曲できるだけで凄いんだけど。それが、今日やってたバラードは結構いい出来だった。つまり、君に歌って欲しいと思ったらあんだけのもんができたってことだ」
 何も言えずに、氷川は足を進める。すぐそこのコンビニが、いやに遠く感じた。
「声も綺麗だったし、歌も上手い。声量とパフォーマンスは難ありだけど、それくらいいくらでも上達する」
「あの、江上さん」
 生唾を飲んで、隣を見上げる。江上が氷川の肩を引き寄せた。低い声が、耳元をくすぐる。
「祐也に口説かれてるんだろ? その気になったら、俺も一緒にやらせてよ」
 正面から歩いてきた女性が、驚いたように振り返った。軽薄な誘い文句にしか聞こえない台詞を囁かれているのが、囁いているのと同じ男であるというのは、そうそう遭遇しなさそうな場面ではある。不健全な関係ではありません、と心中で釈明してから、首を巡らせた。
「江上さん、光栄ですけど、でも俺は……」
「うん、難しいのはわかってるよ。だけど、君らのライブ見てて、思っちゃったんだよ。この子に全力で歌わせてあげたい、俺の隣で歌わせてみたい、ってね」
 甘い声が、理性を揺らがせるようにそそのかす。氷川は江上の腕を叩いて、拘束を解いた。
「検討しておきます。戸田くんを呼んだのも同じ理由ですか?」
 訊ねると、彼は垂れ気味の目を更に細めた。
「そ。あんなにリズム感がタイトなドラマーは高校生じゃ珍しいからね。ツバつけとこうと思って」
「江上さん、女性にモテるでしょう」
 ウィンクしてみせる江上に、脈絡のない問いを投げる。彼は虚を衝かれたように二拍ばかり黙した後、困ったように首を撫でた。
「数少ないファンの子以外には全然だけど」
「本当ですか? 女性の扱いが上手そうなのに。気遣いができて、軽薄で」
「褒めてる、貶してる?」
 苦笑して、江上がコンビニのドアを押し開けた。カランとベルが鳴る。氷川が入店するまで扉を押さえて待っていてくれる彼が、紳士的な振る舞いに慣れているのは事実だ。
「どっちでしょうね。橘くんに何買っていきます? とりあえず佐竹さんにはお水ですよね」
「そうな……帰りバス?」
 カゴを持った江上が、お菓子コーナーと冷蔵品コーナーを見比べる。
「その予定です」
「そっか。それでもアイスとかはまずいな」
 江上が冷蔵品のショーケースを覗き込む。十一月に入り、ハロウィン用の装飾は姿を消していた。少し悩んで、江上が氷川を振り返る。
「氷川くん、チーズケーキとロールケーキとモンブランのどれが好き?」
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