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野分彩斗

文化祭 1

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 初日と二日目は内部公開日で、学院を上げての行事とはいえど、どこかのんびりとした雰囲気だ。橘から誘われたステージイベントで潰された時間以外は、クラス展示や部活の展示などをゆっくり見ることが出来た。結局、部活には所属しなかったし、それを後悔もしていないが、力作の展示を見ると胸が躍る。特に理系の展示は力が入っており、レベルの高さが窺えた。
 三日目の外部公開日には、幼馴染みの古川紗織から、氷川の両親と共に見学に行くと連絡があった。母親とではなく、両親とと書かれたメールを三度は確かめてから、到着時刻等の詳細を訊ねると、昼食を摂って昼過ぎに着くという。それならば午前中はゆっくりしていられる。
 九時から十時までクラス展示の待機当番をこなし、どう時間を潰そうか考えながら廊下に出た氷川は、階段の手前で足を止めた。
 二年生の教室は三階にある。中等科と、高等科一年、二年のクラス展示は真面目で堅苦しい内容ばかりと決まっている。外部の者が見て楽しめる展示は、高等科三年生の有志による展示と、部活動の展示、そして食品系の模擬店と体育館や特設会場のイベントなどだ。そのため、このフロアは人気が多くない。それなのにどうして、氷川の腰くらいまでしか背丈のない子供が立っているのだろう。
 悩んだのはほんの少しの時間で、氷川はまっすぐにその子供に向かって足を向けた。目線を合わせるようにしゃがみ込むと、彼女は不安そうに目をまたたいた。
「あの……」
「こんにちは。俺はここの生徒だよ。きみは、お兄ちゃんの学校を見に来たの?」
 そう問いかけると、彼女はこくりと頷いた。泣いていなくて助かったと思ってしまうのは、いささか非人道的かもしれない。だが、子供と接する機会の乏しい氷川には、泣く子をあやす技術はない。黒い瞳をこぼれそうに見開いて、彼女は氷川をじっと見つめた。
「お兄ちゃんを探しに来たの?」
「うん」
「そっか、どこかで待ち合わせしてる?」
「ううん」
 受け答えのしっかりした様子に安堵して、そっか、と氷川は目を細めた。
「お父さんかお母さんと一緒に来たの?」
「お父さん」
「そっか。じゃあ、お兄ちゃんを探すより、お父さんと合流……えっと、一緒にいたほうがいいと思うんだけど、どうかな?」
 その提案に、はじめて彼女はためらうような表情になった。眉間に小さく皺が寄る。
「いきなり見つけてお兄ちゃんをびっくりさせたいかな? でもね、お父さんが今頃、とっても、とっても心配して、探してるよ」
「……そうかも」
「じゃあ、お父さんが探しに来てくれる所に一緒に行こうか」
「うん」
 ようやく頷いてくれた少女に安堵して、氷川は内心で胸を撫で下ろした。一緒に兄を探して回るのは非効率的だし、すれ違う可能性も高い。迷子センターを兼ねた本部で待機して貰うのが安全だし、保護者と落ち合える可能性も高い。
 少女の手を取って一階まで降り、そのまま手を繋いで実行委員会本部の扉を叩いた。
「失礼します、探検中のお嬢さんを保護してきました」
 迷子という表現を使うのもはばかられて、そう告げる。室内にいた野分と神森、実行委員会副会長が控えめな笑い声を漏らした。野分が席を立ち、二人を応接セットへ促した。
「ご苦労さん。お嬢さんはそっちのソファに座って貰って」
「俺はここまで付き添っただけだよ」
「おまえには別件の用事」
 言いながら、野分は何かの用紙を手にして少女の向かいに座った。彼女はぼんやりと野分を見上げている。野分は優しそうな風貌ではないが、厳めしさもない。子供を相手にすることも慣れているようだった。
 名前と年齢、兄弟の名前と年齢を訊ね、日時を確かめながら用紙を埋めていく。迷子預かり票だろう。書き終えた用紙を実行委員に手渡すと、彼は頷いて出て行った。その様子を眺めていると、気付いた様子で氷川に視線を向けた。
「校内放送で保護者のアナウンスをかけるんだ」
「お連れ様がお待ちです?」
「そう。お父さんが来るまでもう少し待ってような」
 野分が微笑みかけると、少女はこくりと頷いた。五歳だというが、落ち着いた子供だ。
 その後、アナウンスを聞いて迎えに来た兄に、少女は安堵した様子で抱きついた。間を置かずに訪れた父親に何度も礼を言われたが、大したこともしていない。むずがゆく身じろぐ氷川とは異なり、野分はよそ行きの笑顔で応対する。
「何事もなくて良かったです。どうぞ善祥祭をお楽しみください」
 本当にお世話になりましたと頭を下げて、彼らは本部を後にした。三人居なくなると、急に静まり返る気がする。待っている間に他の役員や委員たちも来客が見回りがと出て行ってしまったため、本部に残っているのは氷川と野分の二人だけだ。校内放送はにぎやかにイベントの案内や音楽を流しているが、それが却って白々しい。
「お疲れさま」
「そっちこそ、連れてきて貰って助かったよ」
「たまたま見かけたから。落ち着いた子でよかったよ、じゃなかったら困っちゃったと思う」
「そうなあ、五つだろ、もう幼稚園なり行ってるだろうから大丈夫だったんだろ。おまえが柄の悪いおっかない奴だったら別だろうけど」
 野分がにんまりと笑って氷川の全身に視線を巡らせる。言われるまでも無く、自分が貧相な体格しか持っていないことは自覚している。野分もそこまで鍛えた体躯でもないくせにと、恨みがましい気持ちで睨み返した。
「用がないならもう行くよ」
 特に用事もないが、からかわれるために居座るつもりはない。腰を上げようとすると、慌てたように野分が手を上げた。
「待った。時間あるならもうちょっとここにいない?」
「時間はあるけど、なんで?」
 氷川の用事はもう終わった。本来ならば迷子を連れて来るまででお役御免のところを、引き取られるまで待機していた。これ以上ここにいる必要はないはずだ。そう思って見返すと、野分が困ったように頬を撫でた。
「本部って基本、二人以上待機なんだよ。でもって今、俺とおまえしかいねえじゃん」
「いや、俺は実行委員でも生徒会の役員でもないし」
「まあな。でも多分、まあ俺もだけど皆忘れてんだよ。ほら、おまえずっと準備の手伝いに入ってくれてただろ」
 確かに、神森のサボりを見て見ぬ振りした埋め合わせに、準備に参加してはいた。だが、肩書きまで受け取ったつもりはない。ただ働きもいい所だったというのに、本番でまで拘束されるのかと眉を跳ね上げる。野分が宥めるように笑顔を作り、ソファを離れた。設置されたポットから紅茶を汲んで、紙コップを渡してくれる。彼はそのまま氷川の隣に座った。
「これ、お詫びの賄賂。悪いけどもうしばらくここにいてよ」
「いいけど。俺がここにいても仕方なくない? 二人以上待機って、役員がいなくならないためでしょう」
 揉め事や緊急の呼び出しなどで、本部から呼ばれることがある。複数人数待機させるのは、その対策のはずだ。その意味では、氷川はここに待機していても仕方がないし、対応に出て行くこともできない。ただ、いるだけだ。役立たずもいいところではないか。
 温かい紅茶の紙コップを両手で包み持ち、野分を窺い見る。彼は不思議と機嫌良さそうに、紅茶のカップを軽く揺らした。
「こんだけ関わってたら準役員みたいなもんだろ」
「それも嬉しくないよ」
「何でだよ、役員やってりゃいいこともあるってのに」
「大変なことばっかりじゃなくて?」
 氷川はそこまで付き合っていないが、役員や委員達は夜、かなり遅い時間まで作業をしていたはずだ。橘などは、それに加えて夜間にバンドの練習も入れていたため、毎日眠そうにふらふらしていた。
 氷川の疑念に、野分が苦笑して肩をすくめた。
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