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十月

消えた絵画 1

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 二学期中間考査最終日、十月第二週中盤の放課後、氷川は特別教室棟の階段を降りていた。試験期間中は図書室も閉室になるが、最終日の放課後からはまた解放されるようになる。気付けばすっかりはまってしまったドキュメンタリーDVDを借りて、傍目に見ても上機嫌だったろう。その氷川に、上階から呼びかける声があった。
「そこの生徒、ちょっと待った」
 横柄な物言いにたじろぎつつ、氷川は足を止める。振り返って見上げると、階段の上にジャージ姿の生徒が立っていた。ラインの色からして、同じ高等科二年生だ。見たことがない人物なので、A、B組の生徒ではないだろう。
「なに?」
「大きな荷物を持った人を見かけなかった?」
 彼は上階から動かず、そう訊ねてくる。心当たりの全くない質問に氷川は首を捻った。
「見てないよ。どうしたの?」
「いや、見てないならいい。呼び止めて悪かった」
 質問に答えるつもりはないらしく、彼は手を振ると踵を返した。氷川は訝しげに首を傾げ、しかしそのまま帰寮を決めた。この時の氷川には、鞄の中にある歴史ドキュメンタリー作品よりも優先するものは何もなかった。

 如水学院の校舎棟は五階建て一部三階建てで、中庭を擁する四角形をしている。高等科校舎と中等科校舎が向き合う形であり、その各棟を繋ぐ形で正面の南側に管理棟、奥の北側に特別教室棟があり、特別教室棟の裏側に体育館施設がある。また、行事に使う講堂および学生食堂を有する講堂棟が、中等科校舎から渡り廊下で繋がっている。部活棟はそれらと繋がらずに独立して校庭の脇に存在しているが、一部の部活動は特別教室を活動場所にしている。調理部、書道部、パソコンクラブ、修身室を使う茶道部と華道部などがそうだが、美術部も美術室を活動場所にしていた。
 氷川が美術室に呼び出されたのは、中間考査が終わった翌日の木曜日だった。テストから一週間程度は、授業も試験問題の解説がメインになって、勉強から少しだけ気を抜ける。その間に予習を進めておくと後々が楽なのだが、今日の放課後すぐというわけにはいかなかった。
 昼休みに、昨日廊下の上から声をかけてきた人物が教室にやってきた。教室内をぐるりと見回し、氷川を見つけると、断りもなしに教室に入ってきてこう言った。
「今日の放課後、美術室に来てくれない?」
 一緒に食事をしていた横峰が、不審そうに生徒を見上げる。横峰は氷川を一瞥してから、目を眇めた。
「どちらさん?」
「2Dの涌井わくい
「氷川の知り合い?」
「違う。ちょっと訊きたいことがあるんだ。無理か?」
 横峰に端的に返して、涌井が氷川を覗き込む。咀嚼途中だった昼食を飲み込んで、氷川は頷いた。
「放課後ね。分かった」
「良かった。じゃあまた後で」
 氷川が了承すると、涌井は安堵した表情で踵を返した。用件だけで済ませる素っ気なさにか、横峰が眉をひそめる。
「なにあれ」
「分かんないけど……昨日放課後ちょっとだけ話したよ」
「そうなの?」
 訝しげに横峰が訊ねる。それはそうだ。互いに名前も知らないのに、教室に呼びに来る関係性は謎だろう。氷川にだってよく分からない。
「うん。なんか探し物してたっぽいから、そのことじゃないかな」
「ふうん。態度悪い奴だったな」
 不機嫌そうな表情のまま、横峰が食事を再開する。氷川としてはむしろ、せいぜい学年しか分からない状態で、各クラスを見て回ったのだと思うと労をねぎらいたくなったが、あえてフォローすることでもない。適当になだめつつ、中断していた食事を進めた。
 そんなことがあって、氷川は現在、美術室に向かっていた。美術室は特別教室棟の最上階にある。階段の位置関係上、高等科の校舎棟の最上階、五階まで上がってから特別教室棟に向かうのが近道だ。最短ルートで美術室に向かい、扉を開けると、中には十人ほどの生徒がいた。
「失礼します、涌井くんに呼ばれて来ました氷川ですが」
 そう声をかけると、一人の生徒が手を挙げた。件の涌井だ。今日は制服を着ている。
「呼び出して悪い。こっち来て座って」
「うん。これは美術部の集まり?」
「ちょっと違うけど、まあそんなところ。あと一人来たら始めるから、適当に座ってて」
 本当に適当に、涌井が室内に置かれた椅子を示す。空いている数の方が多い。適当に座り、何が始まるのかを考えながら、窓の外を見上げた。昨日に引き続いて曇天が広がっている。日中はまだ暑いが、朝晩は涼しいし、空は秋めいてきた。考えてみれば、もう秋分の日も過ぎている。
 猛禽が校舎の向こうを滑空するのを眺めていると、美術室の扉が開いた。視線を向ければ、見知った人物が立っている。
「お待たせしました」
 室内に向かってそう挨拶した生徒会副会長の神森竜義は、氷川の姿に怪訝そうな表情になった。
「神森くん、忙しいのに悪いな。適当に座って」
「いいえ。これで全員ですか?」
「そう。じゃあ、えーと、まず、状況が分かってない人もいると思んで、なんでここに集まって貰ったかから話したいと思います」
 立ち上がった涌井が、室内にいる生徒達を見回して、話を切り出した。聴衆を前にすると丁寧な言葉遣いになってしまうのは、本能の一種だろうか。
 涌井の話をまとめると、部活動が解禁された昨日の放課後、この特別教室棟最上階の廊下に飾ってある絵が紛失したので、犯人を見つけて絵を取り戻したい、ということだった。
 特別教室棟最上階の廊下は、あまり通行人がいないことを幸いに、ギャラリーになっている。美術部や書道部の作品が飾られているのだ。部活が始まる前には確かに飾ってあったのに、活動時間中に涌井が通った時にはなくなっていたのだという。慌てて部員に呼びかけ、捜索を開始したが、美術部員達の努力も虚しく、絵は見つからなかった。
「中等科の階段では、テニス部が走り込みをしていました。高等科の階段では、四階部分で話し込んでいた生徒がいました。そして特別教室棟の階段の四階と三階の間に、その時丁度そこの氷川くんがいて、彼は不審な人物は見かけなかったと証言してくれました」
 涌井の言葉に氷川に視線が集まる。確かに、その状況で一番怪しいのは特別教室棟の階段だ。
 管理棟は三階建てなので、校舎棟および特別教室棟の四階、五階フロアはコの字型をしている。そして最上階は、体育館や講堂棟への渡り廊下がなく、階段でしか他のフロアに移れない。逆に言えば、階段さえパスできればいくらでも移動ができてしまう。
 氷川は中空を見上げた。
「俺が図書室にいる間に犯人が降りていったってことかな」
「多分ね」
「残念だけど、すれ違った人はいても、ずっと階段を張ってた感じの人はいなかったよ。その絵のサイズは分からないけど、そんなに大きな荷物を持った人も見なかった」
「そっか……」
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