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六月

転入二週間:ワンゲル部長エンカウント 3

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 結局、帰寮は門限ぎりぎりになってしまった。二十三時という時刻は、一般的な高校生ならばまだまだ活動時間だろうが、夜の早い人ならばとうに眠っている頃合いでもある。別に好んで帰りを遅らせたわけではない。母親がなかなか帰らせてくれなかったのだ。
 さて、横峰はまだ起きているだろうか。というより、連絡先を交換していないのにどうやって会ったものか。鞄を降ろし、スマートフォンを取り出す。クラスメイトに聞けば分かるだろうが、どうして急にと怪しまれるのは確実だ。避けたい。そうやって考えていると、部屋の扉が叩かれた。ワンルームのこの部屋には、ドアホンどころかドアチャイムさえ存在しない。
「氷川くん、帰ってるよね」
「……横峰くん」
 今まさに如何にコンタクトを取るべきか悩んでいた相手の登場だった。氷川はまっすぐ戸口に向かい、鍵を開いて扉を引く。そこには私服の横峰が立っていた。時間が経って頭が冷えたのか、別れ際の動揺は残っていない。
「帰って早々で悪いとは思ったけど、落ち着かなくて」
「や、俺も思った以上に遅くなったし……帰ったら聞くって約束だったから。散らかってるけど、どうぞ」
 片手で奥を示すと、横峰は目をしばたたき、それから礼儀正しく会釈した。
「お邪魔します」
「お茶もなくて悪いけど、適当に座って」
「うん。へえ……予備室って完全に一人部屋なんだ。気兼ねなくていいじゃん」
「そうかな。ちょっと寂しいよ、確かに気楽ではあるけど」
 侘びしい調度を見回す仕草が、本当に羨ましそうで少しおかしい。普段の刺々しさが減じていて、話しやすい雰囲気に驚いた。だが、雑談で時間を潰すわけにもいかない。かといって、こちらからせっつくのも違う気がする。どうしたものか、考えて壁の時計を見上げた。
 ラグに直接腰を下ろした横峰に倣い、足を崩して座る。真正面にならないように角度を調整したのは、相対する位置は敵対関係を表すと聞いたことがあったからだ。この期に及んで口論はしたくない。氷川は疲労で重い肩を小さく動かした。
 横峰は氷川をちらりと見て、視線をそらす。まだ着替えていないので、そこそこ気張った格好のままだ。
「どうかした?」
「いや……ホテルのレストランで親と飯って、見合いとかなの」
 いきなりプライベートに踏み込まれて、言葉を失った。しかも言うに事欠いて見合い。真面目な顔で発想が斜め上だ。
「まさか」
「じゃあ、仕事関係?」
「いや……なんで俺の話になってるの。そういう詮索させるために部屋に上げたんじゃないよ」
 母親に近況を根掘り葉掘り聞き出され、愚痴や噂話に付き合わされたなんて言ってやる気には、流石にならない。切り返すと、横峰は目に見えて鼻白んだ。不機嫌に黙り込まれて、つい苛立ちのまま言葉を繋いでしまう。
「別に俺は、君が何をしてるんだとしても興味ないし、言いふらす気もない。話したいって言うから聞くつもりだったけど、話す気がないなら帰ってくれる?」
 一息に告げると、横峰が目を見張った。それから、唇だけで小さく笑う。感情の伴わない、冷めた表情だ。
「教室にいる時とは随分態度が違うね。それが本性?」
「だったら?」
「性格悪いのな。思った通りだ」
 すっと、横峰が目を細める。氷川はわざと大きく溜息を吐いた。
「脅すつもり? 無駄なことはしないほうがいいんじゃないかな」
「無駄? 何、たった二週間で俺より信頼されてると思ってるわけ」
「まさか。ただ、横峰くんはこと俺の悪口に関してだけは、全く信用してもらえないと思うよ」
 何せ彼は、そのたった二週間の間、ことあるごとに氷川に絡んでいた。そこで氷川って本当は冷笑的で性格悪いんだよと言ってみたところで、それはおまえの態度が悪いんだろうと返されるだろうことは想像に難くない。
 これでも努力して愛想良く振る舞っているつもりだ。おかげで友人もできてきた。期間は短いが、短いからこそ積み重ねは濃密だ。横峰と氷川の関係性に関しては、すっかりイメージが出来上がっているはずだ。
 氷川の台詞を精査する間を置いて、横峰が舌打ちした。
「本当、性格悪い」
「知ってる」
 横峰に言われるまでも無い。そしてこの性格だから、前の学校であそこまで孤立したことも理解している。
 少しばかり人間関係に馴染めないからと言って、それが嫌がらせにまで発展することは多くない。何かしら気にくわない理由があるから、攻撃の標的になる。それは嫉妬であったり、蔑みであったりもするだろうが、氷川の場合はもっと単純に、その態度が所以だった。
 他者と距離を取り、内に籠もり、それでいて嘲笑的。好かれる要素が乏しすぎて、好きだと言われたら趣味を疑う。そんな自分を知っているから、横峰の言葉程度では傷つかない。横峰に同調する者が出ていないおかげで、また苛められるのではという怯えも影をひそめている。最初から敵視してくる横峰相手に気を遣うのも面倒になってしまい、ほとんど素の状態で接してしまっていた。
 じっと氷川を見つめていた横峰が、顔をしかめて首を撫でた。そして噤んでいた口を開く。
「昼間も言ったけど、援交はしてない。させても、いない」
「……は?」
 脈絡もなく始まった告白に、思わず間の抜けた声を上げる。それを無視して、横峰は静かに語り出した。


 無店舗型風俗特殊営業、というものがある。性風俗であればデリヘルや出張ホストの類いで、成人でなければ利用も就業も出来ないことになっている。だがそれは性的な行為をともなう場合であって、それを禁止すれば未成年を使うことが許される――らしい。
 一時期よく騒がれた、JKビジネスというものがある。女子高生と散歩したり、あるいは個室で耳かきなどの親密な接客をさせる商売だ。性風俗ではないし、夜まで働かせるわけではないし、酒を出すテーブルで接客させるわけでもない。それでも倫理的に問題があるとして、大人達は規制をかけた。そんな仕事を覚えた女の子は次は水商売に、そして悪ければ性風俗産業に就いてしまうと危惧するのは理解できる。悪い大人が唆さなければ道を踏み外さないかはともかく。
 横峰が行なっているのは、その男子高校生版であるらしい。キャストを派遣し、指名料金を受け取り、デートする。顧客は男子高生の数時間を金で買うわけだ。
 説明を聞き終えて、氷川は小さく首を捻った。疑問をそのまま口に出す。
「ここの生徒に、そんなにお金に困ってる子がいると思わなかったな……あ、ごめん。失礼なこと言ったかも」
「親とあんなホテルで会う奴には分かんないだろうけど、ここ通えるからって自由になる金があるかは別だよ。特待生制度や奨学金を受けてる生徒もいるし」
「まあ、確かに。自分の財布と親の財布は違うしね」
 特待生か。そういえばそういうものもあったなと思い出す。
 私立、全寮制のこの学校の学費は決して安くない。授業料や制服代などの学校生活に関わるもの、食費と水道光熱費を含めた寮費、更に部に所属すれば部費が徴収される場合もあるらしい。特待生ならばそれらの全てが免除される仕組みだが、さすがに小遣いまでは支給されない。だが。
「でもさ、ここってバイト可だよね。掲示板に求人出てるし。なのにわざわざ、危ない橋を渡る必要ないんじゃない?」
 そう、小遣いは流石に支給されないが、その代わりのように、生徒の経済活動は推奨されていた。学内での小間使いのようなものの他、学外でのアルバイトや起業も、届け出さえすれば許可される。もっとも、倫理的に問題がある場合は許されないだろうが。
 そんな氷川の疑問を、横峰はあっさり否定する。
「それはここ五年くらいの話。以前は学生の本分は勉強ですって感じで、バイトは歓迎されてなかったし、学内での募集なんてなかった。遊ぶ分にはまあ、我慢すればいいかもしれないけど、部活では困るよね」
「特待生なら部費は免除でしょ。それを渋るような保護者だったら、ここに通ってもいないだろうし」
 どうにも腑に落ちなくて、眉が寄る。氷川の疑問に怒るでもなく、横峰はあのさと切り出した。
「氷川くんって、運動部に所属したことある?」
 予想外の質問に、目をまたたいた。氷川は運動には不向きだ。隠しようがないので、クラスでは既に周知の事実になってる。百メートル走なんて十四秒を切ったことがないし、パスを回しても回されてもカットされる。シュートなんて入ったためしがない。以前横峰が言った通り、鎖場から滑り落ちるような腕力と体力と運動神経しかないのが氷川だった。
「ないよ。ついでに、演劇も吹奏楽もやったことない」
 体育会系文化部筆頭の二つをあげると、横峰は唇の端だけで微かに笑った。
「やっぱりね。運動部ってさ、金銭負担大きいんだよ。吹奏楽や軽音なんかが楽器代や遠征費、会場代がかかるみたいに、合宿や試合や大会、うちだったら下見もする。備品や消耗品だって安くない。それを、毎月の部費以外にも徴収するんだよね。寄付って形にすることもある。そうやって必要な額をどうにか調達して活動してる」
 嫌な話の流れになってきた。思って、氷川は顔をしかめる。その表情を無視して、横峰は話を続けた。
「それが払えない生徒はどうすればいいと思う?」
「……負担できない生徒がいるなら、その分を他が補えばいいんじゃないの? 金持ち多いじゃん、ここ」
 一人で二人分背負うのは難しくとも、人数がいればなんとかなるはず。そう思って言った氷川に、横峰は呆れたような視線を投げた。
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