優等生ごっこ

村川

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 養護教諭の車で、板見と養護教諭と共に向かった診療所では、問診と診察、レントゲンまで撮った挙げ句、打撲という診断を下された。様子見は必要だというが、頭部や頸部を狙われなかったので、秋内自身としてはあまり心配していない。
 診断書を頼み、支払いを済ませて処方箋を受け取る。念のためにと、養護教諭のすすめで領収証も書いて貰った。
「このあとは、家まで送ればいい? 学校としても話は聞きたいけど、今日は無理でしょ」
 薬局の駐車場で、運転席の養護教諭が問いかけてくる。秋内は二人分の通学バッグや医薬品の袋の隣に、シートベルトのお陰でなんとか姿勢を保っている。板見は助手席だ。
「板見が警察を呼んでくれたんで、多分、事情聴取的なものがあると思うんですが」
「それは今日じゃなくてもいいって言われたよ。とにかく秋内くんは身体を休めなきゃ」
「そんなに重傷でもないって。それに、送って貰うには家も遠いんで……帰るにしろ、どこか適当な駅で降ろしてくれれば充分です」
「それで、はいそうですねって電車で帰らせられる性質だったら、学校で働いてません。大人しく乗ってなさい」
 ぴしゃりと撥ね除け、養護教諭が書類を片手にカーナビゲーションシステムを操作する。無機質な女声の指示が、入力を進める度に中途半端に途切れた。どうあっても今日は帰れということらしい。
 渋滞を避けて、車は自動車専用道路を滑るように走る。手入れの行き届いたハイブリッドカーはとても静かに滑らかに走るが、運転技術にいまひとつ不安があり、車体は時折ひどく揺れた。別に女性は運転が下手だとは言わない。プロのレーサーにも女性はいるし、男性でも運転が下手な者も少なくない。とはいえ、秋内が懇意にしていた者たちは、バイクや自動車の扱いが上手い者が多かった。加減速で車体が揺れたりしなかったし、車線変更もスムーズだった。
 そんな風に引き比べてしまう自分に、秋内は失笑を噛み殺した。自分から切り捨てたものを惜しむのは愚かで無意味な行為だ。
 ほぼ均等な間隔で灯った照明が、車内を瞬時明るく照らしては背後に流れる。そのどこか見慣れた夜の風景に誘われるように、秋内は目を瞑った。
 暴力を振るう人間は、殴られる側の痛みなど知らないのだろうと言われることがある。その痛苦や屈辱を知らないから、簡単に人に手を上げられるのだ、と。しかし秋内にはそれは正しくないと思えた。秋内自身だけではなく、知っているほとんど全ての人間が、殴られ、蹴られ、地を這わされて踏みにじられた経験をしてきていた。上から顎で使われるのも日常茶飯事で、無体な指示に逆らうことも出来ず、自尊心も良心もすり減らされていく。その捌け口はといえば、無為な暴走行為や、他者への暴力になっていく。そうして多くの人間を痛めつけ、法を犯した、その報いが今になってやって来たのかもしれない。正当に贖っていないいくつもの罪の対価にしては、安すぎるが。
 そんな風に益体もないことを考えている内に眠ってしまったらしい。声を掛けられて目が覚めた。
「起きた?」
 聞き慣れた穏やかな声に、ゆっくりと目を瞬く。いやに視界が暗いと訝しんでから、今が夜であると思い出した。意識や認識と共に、記憶と身体の感覚も呼び起こされて顔をしかめる。当然だが、痛みはまるで引いていなかった。
「すいません、送っていただいたのに寝ちゃいましたね……板見も、途中で下ろして貰えばよかったのに」
「きちんとご家族に預けるまで安心できないから。起きれる?」
「信用ないな……まあ、なんとか」
 傷めた箇所に負荷が掛からないように気を付けて、ゆっくりと身体を起こす。車窓の外は既に、自宅の前だった。養護教諭が運転席からミラー越しに視線を寄越す。
「ここがお家でいいのよね」
「はい。遠くまでありがとうございました」
「当然の義務だから気にしないで。ご両親はご在宅かしら」
「いえ、まだだと思います」
 時刻を確かめてかぶりを振る。父はもちろん、母もまだパート先から帰宅していないだろう。妹が中学に上がったのを機に、週に何度か遅番を引き受けていて、今日もそのはずだ。
「じゃあ、誰もいないの?」
「多分、妹がいます」
「駐車場に入れて平気?」
「はい。父は大抵遅いんで」
「それは……大変ね」
 イグニッションキーを回して、エンジンをかけ直す。下向きのライトが住宅地の狭い道路を照らした。酷く大雑把に頭から駐車スペースに車を停めた養護教諭に荷物を頼み、板見に支えられて玄関に向かう。鍵を開け、ただいま、と声を掛けた。
「おかえりなさい。今日も遅かったね」
 妹の声がして、リビングルームの扉が開く。顔を覗かせた妹は、付添の二人に目を丸くした後、早足で玄関まで出てきた。
「何事? どちら様? 兄さん、また暴力沙汰起こしたの!?」
「あー……えっと、妹の葵です。葵、こちら、俺の学校の保健室の先生と、クラスメイト。で、兄ちゃんは大怪我でもないけど怪我人だからとりあえず座らせてくれ。お客さん用のスリッパ出して」
 慌てる葵に促すと、彼女は少し落ち着いた様子で、下駄箱を開けた。姉の趣味の、消臭芳香剤の緑の香りがふわりと広がる。
「わかった。救急箱いる?」
「医者行ったからなくていい」
「そう。じゃあこちらをどうぞ。散らかってますけど上がってください」
 来客用のスリッパを用意して、葵が養護教諭と板見を促す。その勢いに気圧された風に、二人はお邪魔しますと行って靴を脱いだ。施錠して秋内の鞄を受け取り、葵がリビングに向かう。
「今はお家には妹さんだけなんだ?」
 親しげに訊ねる養護教諭に、葵が軽く頷く。
「はい、両親は今日は遅いと思いますけど、姉はそのうち帰ってきますよ。お茶入れますね。ソファにどうぞ」
「ありがとう。中学一年って話だったけど、ちゃんとしてるのね」
「大人の人が思うよりは、子供ってちゃんとしてるもんですよ。兄さんみたいな例があると信じられないと思いますけど」
 おまえなとたしなめようとした秋内を軽く睨み、葵がリビングに身を翻す。養護教諭にひとり掛けのソファを譲り、秋内と板見はふたりで並んで腰を下ろした。グラスの用意をする葵の背中を眺めて、板見が小さく囁いてくる。
「あんまり似てないね」
「あいつと姉貴は親父とお袋のいいところを掛け合わせた顔してんだよ」
「確かに可愛いけど……」
 言いながら板見が苦笑する。大方、親馬鹿ならぬ兄馬鹿だとでも思っているのだろう。頓着せずに、秋内は僅かに肩をすくめて見せた。
「可愛げはねえけどな。まあそれは俺のせいもあるから言ってやんな」
 葵は小学校では“秋内桂輔の妹”として腫れ物に触るような扱いを受けてきた。地元の公立中学への進学が視野に入らない程度には、厳しい経験をさせてしまったらしい。悪いことをしたと思っている。
 素行不良の人間が身内にいれば、教師や真っ当な人間を称する者たちからはからは警戒され、柄の悪い連中からは近づきになろうとしたり、あるいは利用しようとしたりされるものだ。そうした状況で曲がらずに育ってくれたのは、他の家族や、近しい者たちとの環境が良かったからなのだろう。
 夕食の時間が近いはずだからと冷やした緑茶だけ用意した葵が話を促すと、養護教諭は崩していた姿勢を正した。
「本当なら、お母様にきちんとお話しするべきなんですけど……」
 戸惑った様子の養護教諭に、葵が苦笑した。
「正直、うちでは兄が怪我して帰ってくるのも、それどころか大怪我しても家に帰ってこないのも日常茶飯事だったんで、ちょっと対応が雑というか、普通じゃないとは思うんですけど……ちゃんと伝えてはおきます。病院には連れて行きました?」
「ええ。骨には異常はないそうです。打ち身と、何箇所か擦り傷がありますが」
「脳も問題ないんですね」
「今のところは」
 養護教諭は軽く頷いてから、今日の状況を伝えていく。綺麗に整頓すればそれはとても簡単な内容だった。前々から絡まれていて、ついに、と聞いた葵は、整えた眉を大きくひそめた。秋内を呆れた表情で睨め付けてから、大きく息を吐く。
「そうですか……保護してくださってありがとうございました。板見さんも、通報していただいてありがとうございます。あとの対応は両親と相談して決めますが……この一件は、何か処罰の対象になりますか」
 葵の静かな問いに、養護教諭は軽く首を傾げた。
「脅されて、暴力を受けただけの生徒が、処分されることはないでしょうね。ただ、同じようなことが続いて、その理由が本人の過去にあるとするならば……そうね、処分はできませんが、少し考える必要はあるでしょうね。地域の治安とか、風紀とか、そういうことへの影響をね」
 養護教諭が秋内に視線を寄越す。早々に片を付けなければ追い出されかねない、そういうことだ。秋内は開きかけた口を閉じる。息を呑んだ板見が何か言いたげに唇を噛む。何も言えずにいる男二人を尻目に、葵は無造作に頷いてみせた。
「なるほど……まあ、日本的ですね。分かりました。よく相談しておきます」
 それが会話を切り上げる合図だった。緑茶を飲み干した養護教諭が、静かにグラスを卓に戻す。溶け残った氷がからからと軽快な音を立てて回転した。
 誰も急かす言葉を発してなどいないのに、せっつかれたかのように慌ただしく養護教諭が鞄を手にする。
「お話は以上です。夜分に失礼いたしました。板見くん、帰りましょう。秋内くんはちゃんと休むように」
「はい、送っていただいてありがとうございました」
 何度目かの礼を伝え、軽く会釈する。促されるままに板見も腰を上げた。
「お茶ごちそうさまでした。じゃあ、また学校で」
「ああ。今日は助かった」
「遅すぎなかったみたいで良かったよ」
 軽口で流して、板見が置いたままだったスクールバッグを手に取る。玄関まで見送るからと葵が腰を上げた。立とうとする秋内を押し止めて、三人がリビングルームから出て行く。交わされる会話を聞き流して、秋内は静かに目を瞑った。
 身体のあちこちが熱を持ってずきずきと痛む。誰に言われるまでも無く、安瀬にしているより他にない状況だ。だが仕方がない。道を歩いていて唐突に絡まれて殴られたわけじゃない。秋内は自分自身の愚かさ故に、くだらないことを目論む愚者に目を付けられ、騒ぎを起こされ、殴られ蹴られた。今日の出来事に自分の意思がなかったとしても、責任の一端すらないと言えるほどの潔白な生き方はしてこなかったのだから。
 ――気付けばまた眠ってしまっていたらしい。気付けば母と姉が帰宅していた。今日の出来事を報告すると、二人揃って呆れきった表情で嘆息してくれたが、学校側へのポーズも兼ねて被害届だけは出しておくという方針がまとまるまでに、そう時間はかからなかった。
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