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星座が巡り会う時に ①
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「早く、早く!」
病衣と私の持ってきたパーカーに身を包んだ彼女は、急かす私に笑いながらも応えてくれた。
大地をいつも以上に蹴って、でも案外ゆっくりと、彼女のペースに合わせながら身を乗り出して走る。
抜け出した病棟がどんどん遠ざかっていった。
遠ざかるたびに私は不安にかられて。
窓から誰か見ていないかとか、巡回している警備員がいないかとか、ライトに照らされないかとか。
いつもは気にしない事でも、今日は無性にぞわぞわとした感覚に包まれながら気になった。
「ほら、ここ!」
誰も見ていないと自分は分かっているはずなのに、入念に計画もしていたから誰かに見つかるはずもないはずなのに、不思議と小声になってしまう。
入院中で外出禁止の彼女を外に連れ出したというのが、罪の意識としてあるんだと思う。
でも、一度くらいは、彼女に外の世界を見て欲しいから……。
そう思い彼女の手をゆっくりと握って、病棟からは見えない死角の所に案内した。
……その時、彼女の手が冷たかったのを異様に覚えている。
「速いってば」
彼女の息切れしかけた様子に、一瞬ドキッとした。
私のせいで彼女が死んじゃったら、
私が彼女を守れなかったら、
そんな事を考える私は、最低なのかもしれない。
最悪なんて彼女との思い出にはないのに、そんな事を考える私は……。
彼女は笑った。
「ほら、貴女が計画したんでしょう?私をもっと外の世界に連れ出してよ」
彼女が夜の短さに等しいほど死期が近い人だとは、到底思えないほど美しい。
そんな彼女に見せたかったものは、
「上、見て!」
私達の味方。
私達を包み込んで、癒してくれる。
「これ……!」
そう、星空だった。
……正確には、ただ星座を見せたかっただけなんだけど。
タダで見ているのが申し訳なくなるくらいに、この場所の星空は綺麗だ。
「あれはね、私の星座なの」
私は彼女にそう言う。
今日はキラキラとした、幸せな気持ちになれるような、綺麗で美しいものが小瓶から空いっぱいに溢れたような星空だった。
小瓶の中に詰め込んでいた幸せを、夜空にばら撒いた神様は、なんて優しいんだろう。
世界中の人が見られる夜空に散らばった星を辿っていく。すると、まるで私達を繋ぐ線のように見えた。
私が指差す先にあるのは、少し見えづらいけれど一つだけ異彩を放つように形が整った星座、おとめ座。
星空はいつ見ても美しく、別世界にいるような気分を味わえる。だからこそ、そこにあるおとめ座を自分に置き換えてみて、考えるんだ。
広大な空で、何をしようかな。
雨が降ったら、人間のように傘を差そうかな。
誰かが泣いていたら、勇気の欠片になれるかな──。
私の表情が、夜の暗闇に負けないように明るくなったのを察したんだろう。
彼女は私の視界の隅で、微笑んだ。
「ねぇ、貴女の星座は?」
星空から一旦視線を下ろして、彼女にそう聞く。
満天の星空を見上げて、彼女は少し考え込んだ。
すると突然頭の上に電球が浮かんだような顔をして、
「今、ここにはないわ」
と、悪戯っ子のように口角を上げた。
今ここにはない、星座……。
その言葉すらも夜に溶け込むように消えていく。この星空にはないと言われたはずなのに、不思議と考えている間は星空を見上げてしまった。
結局、何分か考えてみたけど、分からずじまい。
私が待ちきれない彼女の声に耳を傾けると、彼女はそんな私をふっと笑った。
「私の星座はね、うお座なの」
その星座の名前を聞いて、ハッとした。
うお座は秋の星座で、今おとめ座が見えるこの春の季節には見えない。
つまり、おとめ座とうお座が私達の見える範囲の星空に一緒に浮かび上がることは無いのだ。
「そっか……残念」
私達はずっと一緒にいるはずなのに、夜空では離ればなれになる。
それがいずれ来る彼女との別れを暗示しているようで、悲しくなった。
ぽつりと零れた私の本音を掬い上げた彼女は、私の手を握って笑う。
この夜は彼女の命の長さだ。命が短くなった今こそ、彼女が最大に輝ける、最期の舞台。
「私ね、思うの。たとえ夜空で巡り会わなくても、」
今思えば、彼女声は消えそうで……でも、意思としてはハッキリしているような、そんな声だった。
彼女は優しさに満ち溢れた表情をする。
まるで風の囁きに耳を傾けたみたいに揺れて、ぽたぽたと透明なインクが垂れたように滲んで、そのインクには彼女の美しい顔が歪んで映った───。
「互いに綺麗な星座だって、風の……ううん、雲が乗せてきた噂程度で知り合えたら、私はそれで十分だわ。」
笑顔が まるで古い写真のように色褪せ、掠れていく。
インクが涙と気づいたのは、多分もっと前だったはずなのにな。
病衣と私の持ってきたパーカーに身を包んだ彼女は、急かす私に笑いながらも応えてくれた。
大地をいつも以上に蹴って、でも案外ゆっくりと、彼女のペースに合わせながら身を乗り出して走る。
抜け出した病棟がどんどん遠ざかっていった。
遠ざかるたびに私は不安にかられて。
窓から誰か見ていないかとか、巡回している警備員がいないかとか、ライトに照らされないかとか。
いつもは気にしない事でも、今日は無性にぞわぞわとした感覚に包まれながら気になった。
「ほら、ここ!」
誰も見ていないと自分は分かっているはずなのに、入念に計画もしていたから誰かに見つかるはずもないはずなのに、不思議と小声になってしまう。
入院中で外出禁止の彼女を外に連れ出したというのが、罪の意識としてあるんだと思う。
でも、一度くらいは、彼女に外の世界を見て欲しいから……。
そう思い彼女の手をゆっくりと握って、病棟からは見えない死角の所に案内した。
……その時、彼女の手が冷たかったのを異様に覚えている。
「速いってば」
彼女の息切れしかけた様子に、一瞬ドキッとした。
私のせいで彼女が死んじゃったら、
私が彼女を守れなかったら、
そんな事を考える私は、最低なのかもしれない。
最悪なんて彼女との思い出にはないのに、そんな事を考える私は……。
彼女は笑った。
「ほら、貴女が計画したんでしょう?私をもっと外の世界に連れ出してよ」
彼女が夜の短さに等しいほど死期が近い人だとは、到底思えないほど美しい。
そんな彼女に見せたかったものは、
「上、見て!」
私達の味方。
私達を包み込んで、癒してくれる。
「これ……!」
そう、星空だった。
……正確には、ただ星座を見せたかっただけなんだけど。
タダで見ているのが申し訳なくなるくらいに、この場所の星空は綺麗だ。
「あれはね、私の星座なの」
私は彼女にそう言う。
今日はキラキラとした、幸せな気持ちになれるような、綺麗で美しいものが小瓶から空いっぱいに溢れたような星空だった。
小瓶の中に詰め込んでいた幸せを、夜空にばら撒いた神様は、なんて優しいんだろう。
世界中の人が見られる夜空に散らばった星を辿っていく。すると、まるで私達を繋ぐ線のように見えた。
私が指差す先にあるのは、少し見えづらいけれど一つだけ異彩を放つように形が整った星座、おとめ座。
星空はいつ見ても美しく、別世界にいるような気分を味わえる。だからこそ、そこにあるおとめ座を自分に置き換えてみて、考えるんだ。
広大な空で、何をしようかな。
雨が降ったら、人間のように傘を差そうかな。
誰かが泣いていたら、勇気の欠片になれるかな──。
私の表情が、夜の暗闇に負けないように明るくなったのを察したんだろう。
彼女は私の視界の隅で、微笑んだ。
「ねぇ、貴女の星座は?」
星空から一旦視線を下ろして、彼女にそう聞く。
満天の星空を見上げて、彼女は少し考え込んだ。
すると突然頭の上に電球が浮かんだような顔をして、
「今、ここにはないわ」
と、悪戯っ子のように口角を上げた。
今ここにはない、星座……。
その言葉すらも夜に溶け込むように消えていく。この星空にはないと言われたはずなのに、不思議と考えている間は星空を見上げてしまった。
結局、何分か考えてみたけど、分からずじまい。
私が待ちきれない彼女の声に耳を傾けると、彼女はそんな私をふっと笑った。
「私の星座はね、うお座なの」
その星座の名前を聞いて、ハッとした。
うお座は秋の星座で、今おとめ座が見えるこの春の季節には見えない。
つまり、おとめ座とうお座が私達の見える範囲の星空に一緒に浮かび上がることは無いのだ。
「そっか……残念」
私達はずっと一緒にいるはずなのに、夜空では離ればなれになる。
それがいずれ来る彼女との別れを暗示しているようで、悲しくなった。
ぽつりと零れた私の本音を掬い上げた彼女は、私の手を握って笑う。
この夜は彼女の命の長さだ。命が短くなった今こそ、彼女が最大に輝ける、最期の舞台。
「私ね、思うの。たとえ夜空で巡り会わなくても、」
今思えば、彼女声は消えそうで……でも、意思としてはハッキリしているような、そんな声だった。
彼女は優しさに満ち溢れた表情をする。
まるで風の囁きに耳を傾けたみたいに揺れて、ぽたぽたと透明なインクが垂れたように滲んで、そのインクには彼女の美しい顔が歪んで映った───。
「互いに綺麗な星座だって、風の……ううん、雲が乗せてきた噂程度で知り合えたら、私はそれで十分だわ。」
笑顔が まるで古い写真のように色褪せ、掠れていく。
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