1 / 4
1◆大ホール
しおりを挟む
貴族学院の卒業式が終り、学院の大ホールでは卒業記念のパーティが行われていた。
この国、ダーマ王国の貴族は学院の卒業式をもって成人となる。
「この場を借り、大事な発表をする!」
大ホールの一角に設けられた舞台上から声が響く。
「皆、聞いてほしい。第二王子であるフェーゴ・ダーマがここに宣言する。ローデリア・ファシル、お前との婚約を破棄する!」
わたくしの婚約者である第二王子フェーゴ殿下が、舞台上で声を張り上げていらっしゃいます。
国王夫妻は友好国へ外遊中、第一王子殿下は辺境地域のどちらかに視察に出ていらっしゃるこのタイミングで、何と愚かな事でしょう。名ばかり王子とはいえ王族のフェーゴ殿下をお諫めする者は、この場にはわたくし……、婚約破棄の宣言前まではわたくしが適任でした。実質、婚約破棄された今となっては止める義理もございません。
「そして新たに! 私が学院で見つけた最愛、ロサ・クラーロ令嬢と婚約を結ぶ!」
フェーゴ殿下の腕に引っ付くようにして立つクラーロ様は、半年ほど前からフェーゴ殿下と大変仲良く逢瀬を重ねているお相手です。名前も知らない親切な学院生から二人の噂は沢山聞いております。最愛とは知りませんでしたが、問題無いと判断して、お二人の行いをは放置しておりました。
そもそも、わたくしとフェーゴ殿下の婚約は順調に婚姻に至っても子は作らない、いわゆる白い結婚の予定でした。よきお相手が現れたのなら、わたくし以外との婚姻も子づくりも可能です。王位と関わらない契約を結ぶことで、王族ゆえに面倒な手続きは挟みますが……、本当に残念な方ですわ。
「在学中、ローデリアは下級生のクラーロ嬢に陰湿ないじめを行っていた。そのような振る舞いをする者は、未来の国母として相応しくないっ!」
新たな婚約者と盛り上がるフェーゴ殿下の一人芝居は、まだ続きがあるようです。とはいえ、貴族学院の卒業式を終え、成人した後のパーティで、成人した王族として宣言された婚約破棄は取り消せないでしょう。わたくしにとっても都合の良い話です。早急に受け入れましょう。
「殿下、長い間、婚約者になっていただき、ありがとう存じます。婚約破棄は承りました。……もう、パーティに戻ってよろしくて?」
「まっ、待て! いじめを行うお前が卒業し、成人となった今、地位を嵩に懸け悪逆非道を尽くす事は明白! よって国外追ほっ「出来ませんことよ。」なにぃっっ!」
殿下の問題発言を遮ってお止しましたのに、何を驚いていらっしゃるのでしょう?
舞台上の殿下をじっと見据え、持っていた扇子を広げて口の前に掲げ、冷ややかに目線を逸らします。
「諸々、大甘の激甘に判定いたしまして、卒業式後の、成人した第二王子殿下が、己の婚約者と、婚約内容の変更を行う。大変非常識に、枝葉末節すっ飛ばしておりますが、これだけ大勢の成人貴族の前で宣言されました。ですから箝口や隠蔽も難しく、情報の拡散を伴ってギリギリ許容、と申しますか、取り返しがつかない既成事実として、成立いたしましょう」
「ローデリア様……、かなり本音が漏れてましてよ」
心配そうに声をかけて下さったのは、同学年の親友アマリーリ・トラード伯爵令嬢です。
舞台上で仁王立ちする第二王子フェーゴ殿下、すなわち王家側から提示された婚約破棄が嬉しく、いつもより口が滑らかになっていたようです。
「けれども、何かの罪でわたくしを処されたい第二王子殿下は、何か役職をお持ちですの? 新卒の叙官式は十日後ですし、名誉総裁や、賑やかしの一日大臣でも構いませんけど……、今現在、何の権限をお持ちでございますの?」
「そ、そんなもの必要ない、不敬であるぞ! 私は王子だ、そして次期王となるのだからなっ」
まぁっ、次期王とは、何をおっしゃっているのでしょう? 他の正統な王子殿下と違い、フェーゴ殿下は王の側近が産んだ子、”名前だけの王子”です。立場の弱さからファシル公爵家の子と婚約することで後ろ盾を得ていたのをお忘れなのでしょうか。
わたくしと婚約破棄した今のお立場でフェーゴ殿下が王位に就く未来は、‥‥そうですわねぇ、革命でも起こらない限り無いでしょう。
「確かに王族はダーマ王国の代表であり、尊び冒さざる者として不敬を咎める事は出来ます。ですが、そこに権力は付随いたしませんわ。高位貴族の、王家傍系のわたくしを、いじめ? そんな証拠も無い模糊とした理由で求刑するなど笑止ですわね」
「な、何だと?」
「まず、処刑を行う前段階として罪状認定が必要ですし、公開裁判も義務ですわ。この貴族学院で、何を勉強されましたの? 卒業試験は受けて……。」
あら? 前方の左端にご列席の学院長先生が、ピョンピョン飛び上がり、頭の上で腕を交差させて「×」の合図を出されております。つまり殿下は卒業試験を受けていらっしゃらないのですね。承知いたしましたわ。
「えっ、ええ、殿下の勉強不足ですわね」震える声でアマリーリ様がフォローして下さいました。
学院長様のお茶目な動きに、笑いをこらえ、震えていらっしゃるアマリーリ様。
前方で合図を出す学院長様コミカルな様子は、この学院生活で最後の楽しい想い出になりそうです。アマリーリ様、共感いたしましてよ。
笑みが浮かびそうな顔前に扇を構え直し、わたくしは殿下へ視線を戻します。
親友の様子にほんのり和んだ気持ちを引き締めて、勉強不足の殿下へ貴族の罪状認定と処刑までのフローをご説明いたします。
「もしも権限をお持ちでしたら一部は裁量で進めますが、罪となる事柄の顛末書、証拠の真贋判定、そして罪状の認定を行います。更に今後予想される貴族社会への影響の推定レポート、その他必要な書類や証拠物品等を提出して公開裁判の開催、裁判所の可採を頂きませんと、逆に罪法違反で第二王子殿下に罪に問われますわ」
「黙れ、黙れぇ、どこまでも生意気な、口の減らない女がっ!」
あら、殿下の顔色が青いですわ。やっとご自分の不利に気付かれたのでしょうか?
公の場で立ち直れない失態を犯す前に、退場に協力して差し上げるのが元婚約者にして幼馴染としての温情でしょう。
「ま・と・め・ますと、第二王子であらせられるフェーゴ殿下との婚約破棄は承りました。ですが、それだけでございます。双方、罪も罰もございません。もし裁判を行うのでしたらご自由に。相手方不在でも公開裁判は成立しましてよ」
求刑が通るかどうかはさておき、公開裁判の開催要件は書類重視ですので、単独でも出来るはずです。
以前、生徒同士の諍いが学院外に広まり、解決困難になった際に仲裁する立場で公開裁判を開く機会がございましたから、詳しいですわよ。
「わたくし、婚約破棄に伴い急用が出来ましたので、ファシル家の者と共に御前失礼いたします」
「逃げるつもりかっ、扉番の騎士っ、この者を捕っ
「待つがよいっ!」」
あらら、退出を止められてしまいました。
折角の卒業記念のパーティですのに、全然お祝いムードになりませんわね。不本意ですがわたくしが騒動の中心になっております。巻き込まれた関係者の皆さまに心の中で深くお詫び申し上げますわ。
前方からこちらに歩み寄って来る青年がおります。どちらの国の方かしら? 黒髪に褐色の肌はおそらく南方のご出身ですわね、どことなく高貴な雰囲気を纏った男性です。
「我はガブルス国の王太子を拝命しているエクウゥスだ。短期留学で滞在中である」
「太陽の国ガブルス国の王太子様、お会いできまして光栄でございます。ファシル公爵家の子、ローデリアでございます」
青年と向き合い、適切な距離で膝を折りカーテシいたします。いわゆる最敬礼です。自己申告でも王太子様です、失礼な応接はできません。
「うむ、楽にせよ。実は在学中に其方に一目惚れをした。だが、悲しきかな既に婚約済であった! 山脈のあなたに見た幻と一度は諦めたが、我を阻む婚約の守りは先ほど砕けた。ならば望むしかあるまいっ! 我が国へ、我の妃として参れ」
この方は……、随分と独りよがりな事をおっしゃいます。
ガブルス国は三国ある地続きの隣国の一つです。ダーマ王国の東を包む冠雪山脈群と山脈を越えて下った先に大きく広がる不毛の岩石砂漠、その砂漠を越えて延々と進んだ東南に所在する国です。文化的な差異が大きくダーマ王国とは国家レベルの交流はありません。民間レベルで細々と貿易や交流している程度です。
政略として婚姻しても国益に全くなりませんが、逆にこの求婚をお断りして関係が悪化しても、立地的に行軍がほぼ不可能な地理ですから、侵略戦争は発生いたしません。であれば解答は一択ですわね。
「卒業記念の祝賀パーティが中断されておりますので、手短に、率直に申し上げますわ。わたくし跡取りでございます、他国へ嫁ぐ可能性はございません」
「なに? 貴家には弟が居たはず、我が妃と欲するのだ、交代せよ!」
お断りを拒否されました。
何の権利も無いのに隣国の継承事情に干渉するなど、勝手に何を言っているのでしょう? まるで自分の言葉が絶対のような傲慢さを感じます。跡取りを強引に自分の家へ入れる婚姻など、権力に酔った強欲な王家ぐらいしか使わない手段ですのに……。
そうでしたっ、この方は自称。王太子様!
側近を遣い、急ぎ学院に照会して得た情報によると、留学生エクウゥス様はガブルス国を本拠地とする傭兵団の親族。留学生の身上書にはそのように記載されていたそうです。身分を隠したお忍び留学でしたら、出しゃばらず最後まで忍んで隠し切って欲しいものです。
「弟は確かにおりますわ。ですが天性の資質を見込まれまして、海を越えた西方大陸へ婿入りが決定しておりますの。来年には魔大国マヒアへ留学を予定しております。留学先の学院で最有力の婚約者候補と相性を見る予定ですが、その方と不調和でも、次点の候補者が五人程おりますので、婿入りが白紙になる可能性はございません」
「ならば養子を、近縁から養子を取ればよかろう。我はハレムに其方を、大輪の花を所望だ!」
ああ、予想通りの反応です。ハレムと呼ばれるガブルス国独特の一夫多妻婚姻様式は、近縁の子が雑草のごとく産まれるそうです。こちらの自称王太子様も、もし本物であれば現王の七番目の男王子だったと記憶しております。きっと兄弟姉妹も沢山おいでなのでしょう。
「わたくしを望んで下さるお気持ちは嬉しく思います。ですが、当方には利がございません」
ダーマ王国は王が子種をまき散らし、国を滅亡一歩手前まで衰退させた過去を、歌劇にして楽しむ程度には性に奔放な国民性です。婚姻形式も様々で一夫一妻から多夫多妻は平民にまで浸透しており、複数人の婚姻が問題になる事はありません。しかし、ガブルス国系の婚姻様式”ハレム”は、ダーマ王国では珍しく忌避される様式です。
他国の留学生を積極的に受け入れる理由は、自国の恥であり強みでもある、多情にまつわる問題や反省点、そして血統や子を守る理念を広める為です。これはダーマ王国の外交政策でもあります。
その教育過程でダーマ国民のハレムに対する否定的な見識も学びます。卒業記念パーティに参加する留学生はそのカリキュラムは必修ですから、知らないはずがございません。にも拘わらずハレムを連呼するとは、無神経ではありませんこと?
「万に一つの可能性として、貴国のハレムに入れば、わたくしは地縁も権力も無い、遠方国の妃となるのでしょう? ハレムの序列? と申しますの? 地位と待遇の低下は明白ではございませんか。自ら不幸になる為に、故郷や今の立場を捨てると思いまして?」
「我がハレムが……。ふ、不幸?」
まさか、わが妃=幸せ、などと妄信してらしたの? 頭の中がお花畑の、こんなフローラル思考で王太子が務まるのかしら?
「では、婚姻を機に他国に移住するとしましょう。一つ一つご自身に当てはめて考えて下さいませ」
一呼吸置いて、扇を片手に持ち替えます。
もう片方の手で数を指折りしながら、婚姻による移住のデメリットをお伝えいたします。
「ひとつ、言葉が違う。ふたつ、信じる神が違う、みっつ、食と生活様式が違う。よっつ、親も友も知人も無し、手紙の往復に数ヶ月。いつつ、故郷と国交も協定も無い治外法権。如何でして?」
「……其方、ちと考えすぎでは無いのか?」
「軽く考えて故国と王太子の地位を捨てられますの? 婚姻した相手に群がる多数の伴侶の一人に成り下がりますのよ」
「有り得ぬっ、我が唯一として成るのがハレムだ、我が多数を囲うのだ!」
ハレム様式の国に自分が婿入りする側の立場に立って、やっとわたくし言葉が理解できたのでしょう。猛烈な拒絶ですわね。この方が今の立場を捨てられないように、わたくしも自国での地位を捨てる気はございません。
「わたくしは、この国で最上位貴族である公爵家の子。担う責は多くあれど、立場も国も捨てることは希みません」
「うっ、うむ。た、立場か。……ならば、致し方無し」
スッキリと諦めていただくのは難しそうですが、断固お断りの意思は伝わったようです。
先ほど殿下に婚約破棄された上に、求婚までされましたから、これ以上好奇の目に晒されるのはよろしくありません。早々に退場いたしましょう。
「ハッハッハァー、王太子は見事に振られたなぁ」
な、なんですの?
疎遠の国ではありますが、仮にも隣国の王太子を指さして高笑いって、どこのドナタ?
この貴族学院の卒業記念パーティの参加者は皆成人です。卒業生、卒業生の保護者達、成人済みの兄姉と婚約者、式典関係者に限られておりますのに、こんな常識も危機感もない痴れ者を呼び込んだのは何方かしら?
「俺が次期公爵として婿に入ろう! どうだっ!」
どうだっ! ではありませんわっ
どうにもならないお馬鹿様はお帰りをっ、阿保・即・退散ですわっ!
衝撃的な人物が笑顔で近寄って参ります。コレは悪い夢ではなくって? 現実ですの?
身体と精神の危険を感じて咄嗟に護衛達の存在を確認いたします。いつもの定位置に控えておりますわね、万一の場合は頼みますわよ。
長年培った王位教育の成果、高貴にして冷たいオーラを全開にいたします。いわゆる”寄るな絡むな”という雰囲気のバリアです。オーラの指向を不審人物に向け、扇もしっかりと握り直しました。
あ、危険人物の歩みが止まりました。よかった、感じ取っていただけたようです。
「近くで見ると、俺好みのゴージャスな女だなぁ」
「……、知らない顔ね、名乗りなさい」
「俺か? あっちの王子さんの横に引っ付いてるロサの兄で、アグワだ」
少なくとも十歳は年上に見えますけど、兄ですか?
いえ、問題はそこではございません。
ロサ様はクラーロ男爵家のご令嬢、今は殿下の横に居るピンク髪の下級生ですわね。商家の娘との間に生まれ、平民として育った子で、数年前にクラーロ男爵家に養子に迎えたとか。第三子として貴族籍に入ったと記憶しております。
お会いした事のある次期男爵である嫡子とは外見が一致しませんし、第二子も最近離婚をしていなければ二夫二妻の重婚者、貴族の伴侶は定員三人ですから除外できます。と、なると突然婚姻を迫るこの危険人物は、ロサ様の兄を名乗っても、クラーロ家の直系では無いのでしょう。
「どちらの、アグワ様ですの?」
「貴き帝国子爵家の血を引く帝国民だ。西のトレロ大湾港で貿易商をやってる」
「まぁ、実質平民が公爵家に婿入りなど、分不相応とは思いませんの?」
「おいおいおい、宗主国の貴族の血が入るんだ。嬉しいだろ?」
ニヤニヤと正視に絶えない顔をしています。
最も近い隣国であるビルドゥアール帝国は、多くの国々を併呑する過程で属国と宗主権を持つ従属国を包括しておりますが、わがダーマ王国はそのどちらでもありません。
「ほほほっ、無知ですこと。過去の敗戦で割譲したトレロ湾周辺は帝国の領地となりましたが、ダーマはどこにも属さない独立王国ですわ。大湾港の水で頭を冷やして出直しておいでなさい」
扇をパチンッと畳み、口角を上げ、目を細めます。格下の平民を馬鹿にするような表情を作って差し上げますわ。
敗戦の賠償で大型船が接岸出来るトレロ大湾港周辺を帝国に領有され、ダーマ王国の交易に大きな影響がございましたのよ。このぐらいの嫌味は許されるはずです。
「おーおー意地になって、可愛いなぁ、おぃ! 俺の商会はファシル領都を通る大街道の終点、トレロ港至近の商都プエルトに拠点があってな、帝国民で商人の俺なら簡単にトレロ港も使えるし、ちーっと難しい品だって領都まで運べんだ。いい結婚相手だろ?」
わたくしが浅学なのかしら?
理解できない感情を向けられていますわね。言葉にし難い気持ちの悪さです。
帝国領と接する国境の入国審査や税の管理はファシル公爵家が行っております。国防も絡む国の大事ですからファシル公爵本人であっても私的な通商や越権行為は通らないよう、頑固な重鎮と国の出向役人を多層に織り込んだ鉄壁の布陣です。婿入りした程度で私的利用など絶対に出来ませんことよ。
過去数百年にわたりビルドゥアール帝国はダーマ王国の最大敵国でした。近代に入って和平条約を締結し緩くなりましたが、今でも帝国民との婚約婚姻は国の審議と許可が必要です。身分差に妥当性の無いアグワのような平民落ちした貴族と公爵家の子の婚姻は当然認められないでしょう。駆け落ち等して家と国を捨てれば叶いますし、過去にそういった悲恋の実話もございますけれど……。
「帝国の内情は存じませんが、他国の者と婚姻する条件は概ね決まっております。余程の功績が無ければ大商人でも下位貴族が関の山ですわ」
「ほぼ従属してんのに強気だよなぁ。そういう生意気な女も好きだが、俺の嫁ならもう少し素直になれよ。儲けて贅沢させてやんだぞ」
妄想癖でもおありなのかしら? 既に婚姻している前提で話すのは止めていただきたいです。
婚姻は完全な妄想ですが、ダーマが従属国であると頑に信じる要因に心当たりがございます。今から十数年前を境に、ダーマ貴族が新しい血縁を求め、帝国の貴族に対して帝国貴族間の婚姻より好条件で婚約婚姻を結んでいる影響でしょう。有利な条件の婚姻は宗主国に阿ったであるとか、ほぼ従属した故の忖度とでも思われて居るのでしょう。
代々、性に奔放なダーマ王族の血はこの大陸は勿論、海を越えた西方大陸にも広がっております。しかし長年敵対関係にあった帝国貴族にはダーマ王族の血がほぼ入っておりません。王族の血が濃く絡み合ってしまった結果、貴族の縁付く先が一時的に帝国に偏り、回りまわってこのような不名誉を頂くことになったのでしょう。
「婚約も婚姻も有り得ません、妄想を語るなら夢の中でなさい! 休憩室はあちらよ」
「おおっ、休憩室にお誘いか? 王子に婚約破棄された、傷物の足りない女と懇ろになってやろうってんだ、有り難く思えよ」
酷く品の無い言葉が聞こえて参ります。同じ言葉を使って別の意味を創作されるミラクル論法ですわね、初体験です。不愉快というより不気味、この方と言葉を交わして理解を深めるのは難しそうです。対話が無理な相手にどう対処したらよいのでしょう?
「ほほほっ、面白いお話をされてますわね」
振り返るとパーティ会場にいらした父母が、わたくしの後ろに立っておりました。つい先ほど卒業式を経て成人しましたが貴族の婚姻は家と家のつながりですから、両親が変わりに対応しても問題無いでしょう。それにこの雰囲気……、母は大変ご立腹のようです。
「はじめてお会いしますわ、ローデリアの母、アリーテアですわ」
「さっきも名乗ったが、貴き帝国の民にして貿易商アグワだ」
「こちらは新たに成人貴族となった若者の祝いの場。よそ事で騒いでは失礼でしてよ。個人的な話は別室で、よろしいですわね? 殿下とクラーロ男爵令嬢、ローデリアとアグワ殿。今、指名した四名の保護者と関係者の方はご一緒にいらして」
母がいい笑顔で会場を見回し、わたくしへ視線を移します。ええ、視線を合せなくとも意図は共有出来ておりますわ。
それにしても流石お母様です。このミラクル論法の猛者を制し、質問している体で決定を下す話術。是非習得したいものです。
「気ぃ強ぇぇのは母譲りかよっ! しかも子持ちのくせに、華のある美人じゃねーか、たまんねぇ」
急にか寒気が……、父母周辺の空気が特に冷えたように感じます。
帝国商人の戯言は無視して、わたくしは両親とホールの出入口へ向かいます。脇に立つ扉番の騎士が扉を開くのを待ち、退場の礼をいたします。手を数回叩いてホールの注目を集めます。
大ホール全体に届くように言葉を前へ押し出します。
「この場にお集まりの皆さま、私事でお騒がせいたしました。さぁ、卒業を祝うパーティを再開いたしましょう!」
この国、ダーマ王国の貴族は学院の卒業式をもって成人となる。
「この場を借り、大事な発表をする!」
大ホールの一角に設けられた舞台上から声が響く。
「皆、聞いてほしい。第二王子であるフェーゴ・ダーマがここに宣言する。ローデリア・ファシル、お前との婚約を破棄する!」
わたくしの婚約者である第二王子フェーゴ殿下が、舞台上で声を張り上げていらっしゃいます。
国王夫妻は友好国へ外遊中、第一王子殿下は辺境地域のどちらかに視察に出ていらっしゃるこのタイミングで、何と愚かな事でしょう。名ばかり王子とはいえ王族のフェーゴ殿下をお諫めする者は、この場にはわたくし……、婚約破棄の宣言前まではわたくしが適任でした。実質、婚約破棄された今となっては止める義理もございません。
「そして新たに! 私が学院で見つけた最愛、ロサ・クラーロ令嬢と婚約を結ぶ!」
フェーゴ殿下の腕に引っ付くようにして立つクラーロ様は、半年ほど前からフェーゴ殿下と大変仲良く逢瀬を重ねているお相手です。名前も知らない親切な学院生から二人の噂は沢山聞いております。最愛とは知りませんでしたが、問題無いと判断して、お二人の行いをは放置しておりました。
そもそも、わたくしとフェーゴ殿下の婚約は順調に婚姻に至っても子は作らない、いわゆる白い結婚の予定でした。よきお相手が現れたのなら、わたくし以外との婚姻も子づくりも可能です。王位と関わらない契約を結ぶことで、王族ゆえに面倒な手続きは挟みますが……、本当に残念な方ですわ。
「在学中、ローデリアは下級生のクラーロ嬢に陰湿ないじめを行っていた。そのような振る舞いをする者は、未来の国母として相応しくないっ!」
新たな婚約者と盛り上がるフェーゴ殿下の一人芝居は、まだ続きがあるようです。とはいえ、貴族学院の卒業式を終え、成人した後のパーティで、成人した王族として宣言された婚約破棄は取り消せないでしょう。わたくしにとっても都合の良い話です。早急に受け入れましょう。
「殿下、長い間、婚約者になっていただき、ありがとう存じます。婚約破棄は承りました。……もう、パーティに戻ってよろしくて?」
「まっ、待て! いじめを行うお前が卒業し、成人となった今、地位を嵩に懸け悪逆非道を尽くす事は明白! よって国外追ほっ「出来ませんことよ。」なにぃっっ!」
殿下の問題発言を遮ってお止しましたのに、何を驚いていらっしゃるのでしょう?
舞台上の殿下をじっと見据え、持っていた扇子を広げて口の前に掲げ、冷ややかに目線を逸らします。
「諸々、大甘の激甘に判定いたしまして、卒業式後の、成人した第二王子殿下が、己の婚約者と、婚約内容の変更を行う。大変非常識に、枝葉末節すっ飛ばしておりますが、これだけ大勢の成人貴族の前で宣言されました。ですから箝口や隠蔽も難しく、情報の拡散を伴ってギリギリ許容、と申しますか、取り返しがつかない既成事実として、成立いたしましょう」
「ローデリア様……、かなり本音が漏れてましてよ」
心配そうに声をかけて下さったのは、同学年の親友アマリーリ・トラード伯爵令嬢です。
舞台上で仁王立ちする第二王子フェーゴ殿下、すなわち王家側から提示された婚約破棄が嬉しく、いつもより口が滑らかになっていたようです。
「けれども、何かの罪でわたくしを処されたい第二王子殿下は、何か役職をお持ちですの? 新卒の叙官式は十日後ですし、名誉総裁や、賑やかしの一日大臣でも構いませんけど……、今現在、何の権限をお持ちでございますの?」
「そ、そんなもの必要ない、不敬であるぞ! 私は王子だ、そして次期王となるのだからなっ」
まぁっ、次期王とは、何をおっしゃっているのでしょう? 他の正統な王子殿下と違い、フェーゴ殿下は王の側近が産んだ子、”名前だけの王子”です。立場の弱さからファシル公爵家の子と婚約することで後ろ盾を得ていたのをお忘れなのでしょうか。
わたくしと婚約破棄した今のお立場でフェーゴ殿下が王位に就く未来は、‥‥そうですわねぇ、革命でも起こらない限り無いでしょう。
「確かに王族はダーマ王国の代表であり、尊び冒さざる者として不敬を咎める事は出来ます。ですが、そこに権力は付随いたしませんわ。高位貴族の、王家傍系のわたくしを、いじめ? そんな証拠も無い模糊とした理由で求刑するなど笑止ですわね」
「な、何だと?」
「まず、処刑を行う前段階として罪状認定が必要ですし、公開裁判も義務ですわ。この貴族学院で、何を勉強されましたの? 卒業試験は受けて……。」
あら? 前方の左端にご列席の学院長先生が、ピョンピョン飛び上がり、頭の上で腕を交差させて「×」の合図を出されております。つまり殿下は卒業試験を受けていらっしゃらないのですね。承知いたしましたわ。
「えっ、ええ、殿下の勉強不足ですわね」震える声でアマリーリ様がフォローして下さいました。
学院長様のお茶目な動きに、笑いをこらえ、震えていらっしゃるアマリーリ様。
前方で合図を出す学院長様コミカルな様子は、この学院生活で最後の楽しい想い出になりそうです。アマリーリ様、共感いたしましてよ。
笑みが浮かびそうな顔前に扇を構え直し、わたくしは殿下へ視線を戻します。
親友の様子にほんのり和んだ気持ちを引き締めて、勉強不足の殿下へ貴族の罪状認定と処刑までのフローをご説明いたします。
「もしも権限をお持ちでしたら一部は裁量で進めますが、罪となる事柄の顛末書、証拠の真贋判定、そして罪状の認定を行います。更に今後予想される貴族社会への影響の推定レポート、その他必要な書類や証拠物品等を提出して公開裁判の開催、裁判所の可採を頂きませんと、逆に罪法違反で第二王子殿下に罪に問われますわ」
「黙れ、黙れぇ、どこまでも生意気な、口の減らない女がっ!」
あら、殿下の顔色が青いですわ。やっとご自分の不利に気付かれたのでしょうか?
公の場で立ち直れない失態を犯す前に、退場に協力して差し上げるのが元婚約者にして幼馴染としての温情でしょう。
「ま・と・め・ますと、第二王子であらせられるフェーゴ殿下との婚約破棄は承りました。ですが、それだけでございます。双方、罪も罰もございません。もし裁判を行うのでしたらご自由に。相手方不在でも公開裁判は成立しましてよ」
求刑が通るかどうかはさておき、公開裁判の開催要件は書類重視ですので、単独でも出来るはずです。
以前、生徒同士の諍いが学院外に広まり、解決困難になった際に仲裁する立場で公開裁判を開く機会がございましたから、詳しいですわよ。
「わたくし、婚約破棄に伴い急用が出来ましたので、ファシル家の者と共に御前失礼いたします」
「逃げるつもりかっ、扉番の騎士っ、この者を捕っ
「待つがよいっ!」」
あらら、退出を止められてしまいました。
折角の卒業記念のパーティですのに、全然お祝いムードになりませんわね。不本意ですがわたくしが騒動の中心になっております。巻き込まれた関係者の皆さまに心の中で深くお詫び申し上げますわ。
前方からこちらに歩み寄って来る青年がおります。どちらの国の方かしら? 黒髪に褐色の肌はおそらく南方のご出身ですわね、どことなく高貴な雰囲気を纏った男性です。
「我はガブルス国の王太子を拝命しているエクウゥスだ。短期留学で滞在中である」
「太陽の国ガブルス国の王太子様、お会いできまして光栄でございます。ファシル公爵家の子、ローデリアでございます」
青年と向き合い、適切な距離で膝を折りカーテシいたします。いわゆる最敬礼です。自己申告でも王太子様です、失礼な応接はできません。
「うむ、楽にせよ。実は在学中に其方に一目惚れをした。だが、悲しきかな既に婚約済であった! 山脈のあなたに見た幻と一度は諦めたが、我を阻む婚約の守りは先ほど砕けた。ならば望むしかあるまいっ! 我が国へ、我の妃として参れ」
この方は……、随分と独りよがりな事をおっしゃいます。
ガブルス国は三国ある地続きの隣国の一つです。ダーマ王国の東を包む冠雪山脈群と山脈を越えて下った先に大きく広がる不毛の岩石砂漠、その砂漠を越えて延々と進んだ東南に所在する国です。文化的な差異が大きくダーマ王国とは国家レベルの交流はありません。民間レベルで細々と貿易や交流している程度です。
政略として婚姻しても国益に全くなりませんが、逆にこの求婚をお断りして関係が悪化しても、立地的に行軍がほぼ不可能な地理ですから、侵略戦争は発生いたしません。であれば解答は一択ですわね。
「卒業記念の祝賀パーティが中断されておりますので、手短に、率直に申し上げますわ。わたくし跡取りでございます、他国へ嫁ぐ可能性はございません」
「なに? 貴家には弟が居たはず、我が妃と欲するのだ、交代せよ!」
お断りを拒否されました。
何の権利も無いのに隣国の継承事情に干渉するなど、勝手に何を言っているのでしょう? まるで自分の言葉が絶対のような傲慢さを感じます。跡取りを強引に自分の家へ入れる婚姻など、権力に酔った強欲な王家ぐらいしか使わない手段ですのに……。
そうでしたっ、この方は自称。王太子様!
側近を遣い、急ぎ学院に照会して得た情報によると、留学生エクウゥス様はガブルス国を本拠地とする傭兵団の親族。留学生の身上書にはそのように記載されていたそうです。身分を隠したお忍び留学でしたら、出しゃばらず最後まで忍んで隠し切って欲しいものです。
「弟は確かにおりますわ。ですが天性の資質を見込まれまして、海を越えた西方大陸へ婿入りが決定しておりますの。来年には魔大国マヒアへ留学を予定しております。留学先の学院で最有力の婚約者候補と相性を見る予定ですが、その方と不調和でも、次点の候補者が五人程おりますので、婿入りが白紙になる可能性はございません」
「ならば養子を、近縁から養子を取ればよかろう。我はハレムに其方を、大輪の花を所望だ!」
ああ、予想通りの反応です。ハレムと呼ばれるガブルス国独特の一夫多妻婚姻様式は、近縁の子が雑草のごとく産まれるそうです。こちらの自称王太子様も、もし本物であれば現王の七番目の男王子だったと記憶しております。きっと兄弟姉妹も沢山おいでなのでしょう。
「わたくしを望んで下さるお気持ちは嬉しく思います。ですが、当方には利がございません」
ダーマ王国は王が子種をまき散らし、国を滅亡一歩手前まで衰退させた過去を、歌劇にして楽しむ程度には性に奔放な国民性です。婚姻形式も様々で一夫一妻から多夫多妻は平民にまで浸透しており、複数人の婚姻が問題になる事はありません。しかし、ガブルス国系の婚姻様式”ハレム”は、ダーマ王国では珍しく忌避される様式です。
他国の留学生を積極的に受け入れる理由は、自国の恥であり強みでもある、多情にまつわる問題や反省点、そして血統や子を守る理念を広める為です。これはダーマ王国の外交政策でもあります。
その教育過程でダーマ国民のハレムに対する否定的な見識も学びます。卒業記念パーティに参加する留学生はそのカリキュラムは必修ですから、知らないはずがございません。にも拘わらずハレムを連呼するとは、無神経ではありませんこと?
「万に一つの可能性として、貴国のハレムに入れば、わたくしは地縁も権力も無い、遠方国の妃となるのでしょう? ハレムの序列? と申しますの? 地位と待遇の低下は明白ではございませんか。自ら不幸になる為に、故郷や今の立場を捨てると思いまして?」
「我がハレムが……。ふ、不幸?」
まさか、わが妃=幸せ、などと妄信してらしたの? 頭の中がお花畑の、こんなフローラル思考で王太子が務まるのかしら?
「では、婚姻を機に他国に移住するとしましょう。一つ一つご自身に当てはめて考えて下さいませ」
一呼吸置いて、扇を片手に持ち替えます。
もう片方の手で数を指折りしながら、婚姻による移住のデメリットをお伝えいたします。
「ひとつ、言葉が違う。ふたつ、信じる神が違う、みっつ、食と生活様式が違う。よっつ、親も友も知人も無し、手紙の往復に数ヶ月。いつつ、故郷と国交も協定も無い治外法権。如何でして?」
「……其方、ちと考えすぎでは無いのか?」
「軽く考えて故国と王太子の地位を捨てられますの? 婚姻した相手に群がる多数の伴侶の一人に成り下がりますのよ」
「有り得ぬっ、我が唯一として成るのがハレムだ、我が多数を囲うのだ!」
ハレム様式の国に自分が婿入りする側の立場に立って、やっとわたくし言葉が理解できたのでしょう。猛烈な拒絶ですわね。この方が今の立場を捨てられないように、わたくしも自国での地位を捨てる気はございません。
「わたくしは、この国で最上位貴族である公爵家の子。担う責は多くあれど、立場も国も捨てることは希みません」
「うっ、うむ。た、立場か。……ならば、致し方無し」
スッキリと諦めていただくのは難しそうですが、断固お断りの意思は伝わったようです。
先ほど殿下に婚約破棄された上に、求婚までされましたから、これ以上好奇の目に晒されるのはよろしくありません。早々に退場いたしましょう。
「ハッハッハァー、王太子は見事に振られたなぁ」
な、なんですの?
疎遠の国ではありますが、仮にも隣国の王太子を指さして高笑いって、どこのドナタ?
この貴族学院の卒業記念パーティの参加者は皆成人です。卒業生、卒業生の保護者達、成人済みの兄姉と婚約者、式典関係者に限られておりますのに、こんな常識も危機感もない痴れ者を呼び込んだのは何方かしら?
「俺が次期公爵として婿に入ろう! どうだっ!」
どうだっ! ではありませんわっ
どうにもならないお馬鹿様はお帰りをっ、阿保・即・退散ですわっ!
衝撃的な人物が笑顔で近寄って参ります。コレは悪い夢ではなくって? 現実ですの?
身体と精神の危険を感じて咄嗟に護衛達の存在を確認いたします。いつもの定位置に控えておりますわね、万一の場合は頼みますわよ。
長年培った王位教育の成果、高貴にして冷たいオーラを全開にいたします。いわゆる”寄るな絡むな”という雰囲気のバリアです。オーラの指向を不審人物に向け、扇もしっかりと握り直しました。
あ、危険人物の歩みが止まりました。よかった、感じ取っていただけたようです。
「近くで見ると、俺好みのゴージャスな女だなぁ」
「……、知らない顔ね、名乗りなさい」
「俺か? あっちの王子さんの横に引っ付いてるロサの兄で、アグワだ」
少なくとも十歳は年上に見えますけど、兄ですか?
いえ、問題はそこではございません。
ロサ様はクラーロ男爵家のご令嬢、今は殿下の横に居るピンク髪の下級生ですわね。商家の娘との間に生まれ、平民として育った子で、数年前にクラーロ男爵家に養子に迎えたとか。第三子として貴族籍に入ったと記憶しております。
お会いした事のある次期男爵である嫡子とは外見が一致しませんし、第二子も最近離婚をしていなければ二夫二妻の重婚者、貴族の伴侶は定員三人ですから除外できます。と、なると突然婚姻を迫るこの危険人物は、ロサ様の兄を名乗っても、クラーロ家の直系では無いのでしょう。
「どちらの、アグワ様ですの?」
「貴き帝国子爵家の血を引く帝国民だ。西のトレロ大湾港で貿易商をやってる」
「まぁ、実質平民が公爵家に婿入りなど、分不相応とは思いませんの?」
「おいおいおい、宗主国の貴族の血が入るんだ。嬉しいだろ?」
ニヤニヤと正視に絶えない顔をしています。
最も近い隣国であるビルドゥアール帝国は、多くの国々を併呑する過程で属国と宗主権を持つ従属国を包括しておりますが、わがダーマ王国はそのどちらでもありません。
「ほほほっ、無知ですこと。過去の敗戦で割譲したトレロ湾周辺は帝国の領地となりましたが、ダーマはどこにも属さない独立王国ですわ。大湾港の水で頭を冷やして出直しておいでなさい」
扇をパチンッと畳み、口角を上げ、目を細めます。格下の平民を馬鹿にするような表情を作って差し上げますわ。
敗戦の賠償で大型船が接岸出来るトレロ大湾港周辺を帝国に領有され、ダーマ王国の交易に大きな影響がございましたのよ。このぐらいの嫌味は許されるはずです。
「おーおー意地になって、可愛いなぁ、おぃ! 俺の商会はファシル領都を通る大街道の終点、トレロ港至近の商都プエルトに拠点があってな、帝国民で商人の俺なら簡単にトレロ港も使えるし、ちーっと難しい品だって領都まで運べんだ。いい結婚相手だろ?」
わたくしが浅学なのかしら?
理解できない感情を向けられていますわね。言葉にし難い気持ちの悪さです。
帝国領と接する国境の入国審査や税の管理はファシル公爵家が行っております。国防も絡む国の大事ですからファシル公爵本人であっても私的な通商や越権行為は通らないよう、頑固な重鎮と国の出向役人を多層に織り込んだ鉄壁の布陣です。婿入りした程度で私的利用など絶対に出来ませんことよ。
過去数百年にわたりビルドゥアール帝国はダーマ王国の最大敵国でした。近代に入って和平条約を締結し緩くなりましたが、今でも帝国民との婚約婚姻は国の審議と許可が必要です。身分差に妥当性の無いアグワのような平民落ちした貴族と公爵家の子の婚姻は当然認められないでしょう。駆け落ち等して家と国を捨てれば叶いますし、過去にそういった悲恋の実話もございますけれど……。
「帝国の内情は存じませんが、他国の者と婚姻する条件は概ね決まっております。余程の功績が無ければ大商人でも下位貴族が関の山ですわ」
「ほぼ従属してんのに強気だよなぁ。そういう生意気な女も好きだが、俺の嫁ならもう少し素直になれよ。儲けて贅沢させてやんだぞ」
妄想癖でもおありなのかしら? 既に婚姻している前提で話すのは止めていただきたいです。
婚姻は完全な妄想ですが、ダーマが従属国であると頑に信じる要因に心当たりがございます。今から十数年前を境に、ダーマ貴族が新しい血縁を求め、帝国の貴族に対して帝国貴族間の婚姻より好条件で婚約婚姻を結んでいる影響でしょう。有利な条件の婚姻は宗主国に阿ったであるとか、ほぼ従属した故の忖度とでも思われて居るのでしょう。
代々、性に奔放なダーマ王族の血はこの大陸は勿論、海を越えた西方大陸にも広がっております。しかし長年敵対関係にあった帝国貴族にはダーマ王族の血がほぼ入っておりません。王族の血が濃く絡み合ってしまった結果、貴族の縁付く先が一時的に帝国に偏り、回りまわってこのような不名誉を頂くことになったのでしょう。
「婚約も婚姻も有り得ません、妄想を語るなら夢の中でなさい! 休憩室はあちらよ」
「おおっ、休憩室にお誘いか? 王子に婚約破棄された、傷物の足りない女と懇ろになってやろうってんだ、有り難く思えよ」
酷く品の無い言葉が聞こえて参ります。同じ言葉を使って別の意味を創作されるミラクル論法ですわね、初体験です。不愉快というより不気味、この方と言葉を交わして理解を深めるのは難しそうです。対話が無理な相手にどう対処したらよいのでしょう?
「ほほほっ、面白いお話をされてますわね」
振り返るとパーティ会場にいらした父母が、わたくしの後ろに立っておりました。つい先ほど卒業式を経て成人しましたが貴族の婚姻は家と家のつながりですから、両親が変わりに対応しても問題無いでしょう。それにこの雰囲気……、母は大変ご立腹のようです。
「はじめてお会いしますわ、ローデリアの母、アリーテアですわ」
「さっきも名乗ったが、貴き帝国の民にして貿易商アグワだ」
「こちらは新たに成人貴族となった若者の祝いの場。よそ事で騒いでは失礼でしてよ。個人的な話は別室で、よろしいですわね? 殿下とクラーロ男爵令嬢、ローデリアとアグワ殿。今、指名した四名の保護者と関係者の方はご一緒にいらして」
母がいい笑顔で会場を見回し、わたくしへ視線を移します。ええ、視線を合せなくとも意図は共有出来ておりますわ。
それにしても流石お母様です。このミラクル論法の猛者を制し、質問している体で決定を下す話術。是非習得したいものです。
「気ぃ強ぇぇのは母譲りかよっ! しかも子持ちのくせに、華のある美人じゃねーか、たまんねぇ」
急にか寒気が……、父母周辺の空気が特に冷えたように感じます。
帝国商人の戯言は無視して、わたくしは両親とホールの出入口へ向かいます。脇に立つ扉番の騎士が扉を開くのを待ち、退場の礼をいたします。手を数回叩いてホールの注目を集めます。
大ホール全体に届くように言葉を前へ押し出します。
「この場にお集まりの皆さま、私事でお騒がせいたしました。さぁ、卒業を祝うパーティを再開いたしましょう!」
1
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
婚約破棄された私と、仲の良い友人達のお茶会
もふっとしたクリームパン
ファンタジー
国名や主人公たちの名前も決まってないふわっとした世界観です。書きたいとこだけ書きました。一応、ざまぁものですが、厳しいざまぁではないです。誰も不幸にはなりませんのであしからず。本編は女主人公視点です。*前編+中編+後編の三話と、メモ書き+おまけ、で完結。*カクヨム様にも投稿してます。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
愚者による愚行と愚策の結果……《完結》
アーエル
ファンタジー
その愚者は無知だった。
それが転落の始まり……ではなかった。
本当の愚者は誰だったのか。
誰を相手にしていたのか。
後悔は……してもし足りない。
全13話
☆他社でも公開します
女神に頼まれましたけど
実川えむ
ファンタジー
雷が光る中、催される、卒業パーティー。
その主役の一人である王太子が、肩までのストレートの金髪をかきあげながら、鼻を鳴らして見下ろす。
「リザベーテ、私、オーガスタス・グリフィン・ロウセルは、貴様との婚約を破棄すっ……!?」
ドンガラガッシャーン!
「ひぃぃっ!?」
情けない叫びとともに、婚約破棄劇場は始まった。
※王道の『婚約破棄』モノが書きたかった……
※ざまぁ要素は後日談にする予定……
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
聖女が降臨した日が、運命の分かれ目でした
猫乃真鶴
ファンタジー
女神に供物と祈りを捧げ、豊穣を願う祭事の最中、聖女が降臨した。
聖女とは女神の力が顕現した存在。居るだけで豊穣が約束されるのだとそう言われている。
思ってもみない奇跡に一同が驚愕する中、第一王子のロイドだけはただ一人、皆とは違った視線を聖女に向けていた。
彼の婚約者であるレイアだけがそれに気付いた。
それが良いことなのかどうなのか、レイアには分からない。
けれども、なにかが胸の内に燻っている。
聖女が降臨したその日、それが大きくなったのだった。
※このお話は、小説家になろう様にも掲載しています
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
(完)聖女様は頑張らない
青空一夏
ファンタジー
私は大聖女様だった。歴史上最強の聖女だった私はそのあまりに強すぎる力から、悪魔? 魔女?と疑われ追放された。
それも命を救ってやったカール王太子の命令により追放されたのだ。あの恩知らずめ! 侯爵令嬢の色香に負けやがって。本物の聖女より偽物美女の侯爵令嬢を選びやがった。
私は逃亡中に足をすべらせ死んだ? と思ったら聖女認定の最初の日に巻き戻っていた!!
もう全力でこの国の為になんか働くもんか!
異世界ゆるふわ設定ご都合主義ファンタジー。よくあるパターンの聖女もの。ラブコメ要素ありです。楽しく笑えるお話です。(多分😅)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
忘れるにも程がある
詩森さよ(さよ吉)
恋愛
わたしが目覚めると何も覚えていなかった。
本格的な記憶喪失で、言葉が喋れる以外はすべてわからない。
ちょっとだけ菓子パンやスマホのことがよぎるくらい。
そんなわたしの以前の姿は、完璧な公爵令嬢で第二王子の婚約者だという。
えっ? 噓でしょ? とても信じられない……。
でもどうやら第二王子はとっても嫌なやつなのです。
小説家になろう様、カクヨム様にも重複投稿しています。
筆者は体調不良のため、返事をするのが難しくコメント欄などを閉じさせていただいております。
どうぞよろしくお願いいたします。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
その国が滅びたのは
志位斗 茂家波
ファンタジー
3年前、ある事件が起こるその時まで、その国は栄えていた。
だがしかし、その事件以降あっという間に落ちぶれたが、一体どういうことなのだろうか?
それは、考え無しの婚約破棄によるものであったそうだ。
息抜き用婚約破棄物。全6話+オマケの予定。
作者の「帰らずの森のある騒動記」という連載作品に乗っている兄妹が登場。というか、これをそっちの乗せたほうが良いんじゃないかと思い中。
誤字脱字があるかもしれません。ないように頑張ってますが、御指摘や改良点があれば受け付けます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる