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第一章 士官学校編
第九話 西方寮のとある一日
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例の決闘騒ぎから幾日かたった、ある秋の日の朝。
早くに目が覚めてしまったので散歩でもしようとぶらぶらしていると、聞き覚えのある獣のような咆哮が聞こえてきました。
「キィエエエエエエィィーーーッ!」
この叫び声を朝から聞かされるのは、たまったものではありません。人間の体のどこを使えばそんな声が出るのだろう、と不思議になりながら、声のする方を覗いてみることにしました。
例の絶叫とともに、どこから持ち出したのか丸太を地面に埋め込み、キーレはただひたすらに剣を打ち込み続けています。
取り憑かれたかのように体を動かしているキーレの横で、ヨーゼフも剣の素振りを繰り返していました。仲良くしているようで何よりです。
◇
しばらくすると訓練が終わったのか、こちらに気づいたキーレがぺこり、と頭を下げました。
「おはようございます、キーレ。朝から精が出ますね」
「体が鈍っちょってな、鍛錬ば、せんと」
「ヨーゼフも一緒に訓練しているのですね」
「ヨーゼフさぁは、まだ未熟じゃが、根性がありもすな。よか兵児になりもそ」
何やら師匠面をしているのが、微笑ましくもあります。
「マリアンヌ姉さんじゃないですか」
こちらは秘密の朝練を見られたからか、気恥ずかしそうです。
「こいつに触発されたわけではないですが、もっと強くならねば、と思いまして」
「それはいいことですね。伯父上もきっとお喜びになられると思いますよ」
褒めたつもりだったのですが、ヨーゼフは何やら少し不満げなようです。
「ずっと木を叩くのがジゲンとやらの訓練なのか?」
「おう、こいだけでごわす」
「防御は、どうするんだよ」
「太刀の来ぬ前に斬るだけでごわ」
「避けられて、反撃されたら?」
「議を、言うな。そげなこっ考える暇があれば、剣ば振りなもんせ」
呆れたような顔をしているヨーゼフを尻目に、キーレはわたしに用があるようでした。
「あん魔法の壁とやら、出してもらうことはできもすか」
「魔法障壁のことですか、はい、もちろん。防御魔法!」
ほう、と呟き魔法障壁を触ったり叩いたりしながらあれこれ観察しています。
「こん壁は、どれぐらい保ちもすかの」
「使い手の魔力にもよりますが、数十分は展開できると思いますよ」
「刀ば、通すかの」
「剣や槍で破るのは難しいですね。攻城砲も防げますから」
「大筒も、でごわすか」
うーん、と唸りながら難しい顔をしています。先日の決闘で魔法障壁に木剣を折られたのが、それほど悔しかったのでしょうか。
「対応策はありますよ、魔法障壁も万能ではないですから。わたしが説明するよりも、戦術論の本を読んでみる方がいいかもしれませんね」
「ほう」
「わたしが持っているのを貸してあげます。後でお渡ししますね」
◇
学校は、キーレの噂でもちきりになってしまっているようでした。
「サツマだ、サツマが来た」
「聞いてたより随分と小柄だな」
「なんでも異国の剣術を使うらしいぞ」
どこに行くにも、見物人がぞろぞろと付いてきて、好奇の目に絶えず晒されてしまいます。
多くの人からは単純な好奇心が、また一部の平民の一般兵科からは尊敬の念が、そして帝都貴族の子弟からは怯えのような憎悪のような目線が向けられているのを感じます。
キーレのついで、と言ってはなんですが、わたしにもよくない評判が立つようになりました。なんでも、鬼サツマを従える西方の魔女、とかなんとか。
「勝手に言わせておけば、よか。そう長くは続かん」
「少年もだいぶプロシアント語が上手になったねー」
「そうなんです。この間は歴史の本を一人で読んでいたんですよ」
すこし得意げな顔をしているキーレ。
「でもこの喋り方はそのままなのよねー。これはこれで面白いからいいんだけど」
「……。通じれば、そいでよいではないか」
◇
授業を終えて西方寮へ戻ると、談話室で一人キーレが本を読んでいました。わたしが貸した戦術論の教科書のようです。傍らに辞書を置き、ウンウン言いながら真剣な眼差しでペンを走らせています。
そんなキーレを横に、わたしは趣味の編み物をすることにしました。談話室には暖炉が備えられており、とても暖かいのです。
「すまんが、こんところが、ようわからんのじゃが」
キーレが苦戦している文章を片手にこちらにやってきました。
「いいですよ。えーっと。ここは巻末に注釈があって、そちらの方の図解を参照するとわかりやすいです」
「あいがとごわす。おんしはここで、なんをしよっとか」
「寒くなってきたので、マフラーでも編んでおこうと思って」
「こん国はもっすい寒かのう。凍えるようじゃ」
「まだまだこれから寒くなりますよ」
「おいは朝鮮にもおったが、そいよりえろう冷えもすか」
「ええ、チョウセンとやらは知りませんが、おそらくは。サツマは暖かいところなのですか」
「うむ、海が近くてのう」
「海が」
「よう、水練ばしおったもんぞ」
わたしの故郷のエンミュールは内陸で、海なんて見たこともありません。ましてや泳ぐだなんて。プロシアントの海で泳いだりしたら、凍ってしまいそうです。
「よかったらキーレにもマフラーを編んであげましょうか」
「不要じゃ。武士は寒いも暑いも言わんもんぞ」
得意気に言っていますが、その手は暖炉の方に向けられています。
その姿が可愛らしく思えて、マフラーをもう一人分追加で編んでおこうか、と思ったのでした。
早くに目が覚めてしまったので散歩でもしようとぶらぶらしていると、聞き覚えのある獣のような咆哮が聞こえてきました。
「キィエエエエエエィィーーーッ!」
この叫び声を朝から聞かされるのは、たまったものではありません。人間の体のどこを使えばそんな声が出るのだろう、と不思議になりながら、声のする方を覗いてみることにしました。
例の絶叫とともに、どこから持ち出したのか丸太を地面に埋め込み、キーレはただひたすらに剣を打ち込み続けています。
取り憑かれたかのように体を動かしているキーレの横で、ヨーゼフも剣の素振りを繰り返していました。仲良くしているようで何よりです。
◇
しばらくすると訓練が終わったのか、こちらに気づいたキーレがぺこり、と頭を下げました。
「おはようございます、キーレ。朝から精が出ますね」
「体が鈍っちょってな、鍛錬ば、せんと」
「ヨーゼフも一緒に訓練しているのですね」
「ヨーゼフさぁは、まだ未熟じゃが、根性がありもすな。よか兵児になりもそ」
何やら師匠面をしているのが、微笑ましくもあります。
「マリアンヌ姉さんじゃないですか」
こちらは秘密の朝練を見られたからか、気恥ずかしそうです。
「こいつに触発されたわけではないですが、もっと強くならねば、と思いまして」
「それはいいことですね。伯父上もきっとお喜びになられると思いますよ」
褒めたつもりだったのですが、ヨーゼフは何やら少し不満げなようです。
「ずっと木を叩くのがジゲンとやらの訓練なのか?」
「おう、こいだけでごわす」
「防御は、どうするんだよ」
「太刀の来ぬ前に斬るだけでごわ」
「避けられて、反撃されたら?」
「議を、言うな。そげなこっ考える暇があれば、剣ば振りなもんせ」
呆れたような顔をしているヨーゼフを尻目に、キーレはわたしに用があるようでした。
「あん魔法の壁とやら、出してもらうことはできもすか」
「魔法障壁のことですか、はい、もちろん。防御魔法!」
ほう、と呟き魔法障壁を触ったり叩いたりしながらあれこれ観察しています。
「こん壁は、どれぐらい保ちもすかの」
「使い手の魔力にもよりますが、数十分は展開できると思いますよ」
「刀ば、通すかの」
「剣や槍で破るのは難しいですね。攻城砲も防げますから」
「大筒も、でごわすか」
うーん、と唸りながら難しい顔をしています。先日の決闘で魔法障壁に木剣を折られたのが、それほど悔しかったのでしょうか。
「対応策はありますよ、魔法障壁も万能ではないですから。わたしが説明するよりも、戦術論の本を読んでみる方がいいかもしれませんね」
「ほう」
「わたしが持っているのを貸してあげます。後でお渡ししますね」
◇
学校は、キーレの噂でもちきりになってしまっているようでした。
「サツマだ、サツマが来た」
「聞いてたより随分と小柄だな」
「なんでも異国の剣術を使うらしいぞ」
どこに行くにも、見物人がぞろぞろと付いてきて、好奇の目に絶えず晒されてしまいます。
多くの人からは単純な好奇心が、また一部の平民の一般兵科からは尊敬の念が、そして帝都貴族の子弟からは怯えのような憎悪のような目線が向けられているのを感じます。
キーレのついで、と言ってはなんですが、わたしにもよくない評判が立つようになりました。なんでも、鬼サツマを従える西方の魔女、とかなんとか。
「勝手に言わせておけば、よか。そう長くは続かん」
「少年もだいぶプロシアント語が上手になったねー」
「そうなんです。この間は歴史の本を一人で読んでいたんですよ」
すこし得意げな顔をしているキーレ。
「でもこの喋り方はそのままなのよねー。これはこれで面白いからいいんだけど」
「……。通じれば、そいでよいではないか」
◇
授業を終えて西方寮へ戻ると、談話室で一人キーレが本を読んでいました。わたしが貸した戦術論の教科書のようです。傍らに辞書を置き、ウンウン言いながら真剣な眼差しでペンを走らせています。
そんなキーレを横に、わたしは趣味の編み物をすることにしました。談話室には暖炉が備えられており、とても暖かいのです。
「すまんが、こんところが、ようわからんのじゃが」
キーレが苦戦している文章を片手にこちらにやってきました。
「いいですよ。えーっと。ここは巻末に注釈があって、そちらの方の図解を参照するとわかりやすいです」
「あいがとごわす。おんしはここで、なんをしよっとか」
「寒くなってきたので、マフラーでも編んでおこうと思って」
「こん国はもっすい寒かのう。凍えるようじゃ」
「まだまだこれから寒くなりますよ」
「おいは朝鮮にもおったが、そいよりえろう冷えもすか」
「ええ、チョウセンとやらは知りませんが、おそらくは。サツマは暖かいところなのですか」
「うむ、海が近くてのう」
「海が」
「よう、水練ばしおったもんぞ」
わたしの故郷のエンミュールは内陸で、海なんて見たこともありません。ましてや泳ぐだなんて。プロシアントの海で泳いだりしたら、凍ってしまいそうです。
「よかったらキーレにもマフラーを編んであげましょうか」
「不要じゃ。武士は寒いも暑いも言わんもんぞ」
得意気に言っていますが、その手は暖炉の方に向けられています。
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