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第一部 ヴェスピエットにある小さな町で

1-17 リッカとトウジ

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この国は「式(レシピ)至上主義」だと思う。

稀に各ご家庭でおふくろの味的アレンジがされているものがあって面白いが、基本"式は完全"という考えだ。式を使わない作業は非効率的だから、なるべく避ける方が快適と考えられている。

式を使った魔法はほとんどの人が扱えるもので、その上使用者によってクオリティに差が生まれることはなく、基本"誰が作っても同じになる"のである。ところが僕はこの基本原則に当てはまらず、同じ式を使っていても品質の高い完成品を作れる。

なんとなく前世の知識が関わっている、という所まではわかっているのだけど、さすがに"前世の記憶を持っている人がいる"という話を聞いたことがないので誰にも相談できずにいる。

周りには薄っすら気づかれていそうだが、これ以上ヤバい子だと思われたくはない。

7歳になってからいろいろと市場や商店を回った。見たところ「安かろう悪かろう」で道具も粗悪なものが多い。完成品の品質は素材と式に依存しているが、この近辺ではそもそも質の高いものの需要が少ないようだ。

壊れたらまた新たに作る。
修繕する時間があれば、新しいものが作れる。
わざわざ非効率的な方法を取ることは珍しい。

『神は細部に宿る』と前世で誰かが言っていたが、そんな気持ちの良いものづくりをこの世界でも見てみたいものだとつくづく思う。

そう考えると、薬屋を含めたクラウディオさんの価値観ってこの国ではかなり異質だ。

今日はお手伝いも早めに終わったことだし、ワフをモフるついでにクラウディオさんにお話を聞いてみよう。


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「ということで遊びにきました」
「どういうことかわかりませんが、いらっしゃい」

「クラウディオさんの"ものを大切に手入れする"という価値観はどこからやってきたのですか?」
「はは、突然ですねえ」

チャッチャと爪が床を引っ掻く音が近づいてきて、ソファーに腰掛ける僕の隣が深く沈んだ。僕の膝にゆっくりとワフが頭を預けると、上目遣いにこちらを見たので彼の肩の辺りを優しく撫でる。予想外の質問にクラウディオさんは驚きながらも、いつも通り落ち着いた様子で答えてくれる。

「以前にほんの少しだけ話をしたと思いますが、我が家ではひいおじいさんから代々受け継がれてきた価値観ですね。」

「良いものに囲まれて育ったおかげだと思いますが、私は物心ついた時から"手入れ"が大好きでした」
「リッカくんはどうですか?」

「うーん、僕は最近ちょっと閃いたというか、ある日泉のように湧いてきたというか」
「同じ考えを共有できる人が中々いないのが寂しいなと思ってます」

「なるほど、なるほど」
「そういうことでしたら今日は面白いものがありますよ」

クラウディオさんが真っ白で小ぶりのリンゴのような果物を持ってきた。

「ファトゥスの実ってご存知でしょうか」
「いえ、はじめて聞きました」
「まずはひとくち食べて貰いましょうか」

小さな果物ナイフで薄く削いだものを渡される。
香りはリンゴより酸味のある感じだ。

「…っぺえええ!!!」

口に入れると、ものすごく酸っぱかった。

寝ていたワフが僕の大きな声に驚いて目を覚ました。すぐに起き上がって、僕の口元をぺろぺろ舐めようとしてくるので慌てて遠ざける。しばらく我慢して咀嚼していると段々苦味が出てきたので一息で無理やり飲み込んだ。

「なんてもの食べさせるんですか!…というかこれ本当に食べても大丈夫なものなんですか!?」

コップに注いだ水を僕に手渡した後、クラウディオさんはファトゥスを大きく削って自らの口に放り込んだ。

「えっ」
「甘くて美味しいですよ」
「ええっ…」
「引かないで下さいよ、本当に美味しいんですって」

もぐもぐしているクラウディオさんに疑いの眼差しを向ける。

「種明かしをするとですね、君以外のほとんどの者はこの果物を"美味しい"と感じるんです」
「僕以外、ほとんど…?」

そう言ってもうひとつ大きく切ったものをワフに投げてやると喜んで食べた。

「このファトゥスは"異世界から来たやつが嫌う実"と言われていて、それくらいこの実を嫌う人はごく僅かだということを例えているんです」

「あくまでも"そんな人はいない"ということの例えと言われていますが、今となってはどうでしょうね」

「君だから打ち明けますが、うちのひいおじいさんは異世界人だったんです。彼もこの実が苦手だと言っていたそうですよ」

「異世界人発見果実…だと…」

そんな都合の良いものあってたまるか。
なんてふざけた調子で返していたが、続くクラウディオさんの言葉に僕は別れの挨拶も忘れて部屋を飛び出した。

「ちなみに、トウジくんに昔あげた時も"食えたもんじゃない"って言ってましたよ」

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