きっと、忘れられない恋になる。

りっと

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最終話 記憶の部屋

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 今日の日のために恭矢を助けてくれたのは、支倉だけではない。

 格安で対応してもらったのにもかかわらず、二人分の手術費用を払うことができなかった金のない恭矢は、駄目元でエイルの店長に頭を下げ給料を前借りさせてほしいと頼み込んだ。すると店長は理由を聞くことなく、恭矢が頼んだ金額に更に上乗せして金を貸してくれた。店長の慈悲がなければ、恭矢は今ここに立っていない。

「……俺は、あなたを正しい道に戻したいという青葉の想いを背負った。だから絶対に、あなたには罪を償ってもらう」

「……君は覚えていないだろうが、この質問は二度目になる。そして、前回とは重みがまるで変わってくる。……相沢くん、君は青葉を抱いたのか?」

 この質問に対しては、沈黙をもって肯定した。

 刺青を入れるだけでは、青葉の〈記憶の再生〉能力は男である恭矢には発動させることができない。他に何か方法がないかと悩む恭矢に、青葉は体を差し出すことを申し出てくれたのだ。

 恭矢は彼女の優しさに甘え、青葉を抱いた。彼女に別れを告げた、あの日曜日のことだ。

 できるだけ優しく、できるだけ愛情を持って。それでも純粋なだけではない行為は、青葉の体に恭矢という確かな痕を残した。行為の最中、青葉は一度も弱音を吐かずに恭矢を受け入れた。だが、一度も恭矢への好意を口にしなかった。今思えば、青葉はあのときすでに恭矢から離れる気持ちを固めていたのだろう。

 ひどいことをした。青葉から大切なものを奪ったくせに、恭矢は青葉を選ばない。

 だからこそ、青葉のためならたとえ、この身がどうなろうとも戦える。

「……わからない。どうして、由宇ではなく青葉だった? 〈記憶の再生〉能力がほしかったからか?」

「……勝手な話だけど。小泉とは一緒に悩んで、一緒に戦って、一緒に生きていきたいと、そう思っているから」

「そうか……。結果的に君は由宇を選んだ、ということだね」

 美緒子は品定めのような視線を由宇に移した。

「やはり血は争えないな、由宇。お前は私によく似ている」

「似てないわ。わたしは、お母さんとは違う」

「相沢恭矢に対してとった行動を考えてみなさい。自分にとって都合が悪いことは、相手の記憶を消してでもなかったことにする。はは、どこが似ていないって? 私とお前は同じだ。私と共に生き、〈レミリア〉を継ぎなさい。由宇には素質があるよ」

「違う……わたしは……!」

 強く拳を握り締める由宇の手を、恭矢は優しく覆うようにして握った。そして驚いて恭矢を見上げる彼女に白い歯を見せてから、美緒子に断言した。

「あなたと小泉は違う。あなたは自分のために能力を使うけど、小泉はいつだって、ひとのためを思って能力を使っているんだ」

「だからどうしたというんだい? 動機がどうあれ、やったことは同じだろう?」

「違う。あなただって、本当はわかっているはずだ」

 恭矢が美緒子の元へ近づいていくと、遠藤が間に入った。

「社長に手を出すおつもりなら、容赦しませんよ」

「安心してください。手は出しません」

 そうは言っても遠藤が引き下がるはずもなく、更に一歩近づいた恭矢を押さえようと捕獲の構えに入った。恭矢は遠藤が腕を動かす少し前に、タイミングを見計らって反対の手で彼の指を掴み、勢いよく反対側に捻った。上手く決まったのか、遠藤は軽く声を上げて恭矢から離れた。

 度重なる練習の成果である。運よく技が決まったことに、恭矢は周りに気づかれないように静かに息を漏らした。喧嘩の一つもできないようでは由宇を守れないと思い、喧嘩なら負けたことがないと自慢していた西野に対人用の戦い方を教えてもらったのだ。

 西野は口だけの男ではなく、本当に腕っ節の強い男だった。恭矢は自分が喧嘩に向いているとは微塵も思っていなかったが、肉体労働もしているからか筋がいいと褒められた。西野に指導を受けていた日々は毎日が痣と筋肉痛との厳しい闘いだったが、それらと引き換えにいろいろな戦法を習得することができた。

 少ない動作に似合わない痛みを与えることができれば、敵は自分より強いのではないかと警戒し萎縮すると言った西野の教えが正しかったことを、恭矢は実感していた。

 遠藤は先程までの余裕綽綽な佇まいから一転、恭矢を警戒し、様子を窺いながら、いつでも恭矢の動きに対応できるように構えていた。

 互いの隙を狙って睨み合っていた二人だが、恭矢が間合いを詰めようと近づいた瞬間、遠藤は再び恭矢を取り押さえようと動いた。

 ――今だ!

 遠藤の片足が浮いたところを見計らい、恭矢はしゃがみこんでローキックで遠藤の脛を全力で蹴飛ばした。倒れることは免れたものの、反射的に痛みで腰を曲げふらついた遠藤の顔に、勢いを乗せた肘鉄砲を食らわせた。喧嘩に慣れていない恭矢のような人間は拳よりも肘の方が威力があり、自身の体への負担も少なく効果的だという西野の教えに従ったのだ。

 鈍い音が部屋に響き渡った後、遠藤は声を詰まらせて後ろに倒れた。気絶させることができれば完璧だったのだが、現実はそう甘くない。遠藤は痛みに顔を歪めながら、美緒子に近づこうとする恭矢の足首を掴んだ。

「遠藤、もういい。見苦しい抵抗はやめなさい」

 美緒子が静かな声でそう告げると、遠藤は辛そうに「……申し訳ございません」と呟き、体をよろけさせながら美緒子の視界に入らない場所まで移動した。

 幸運だったとしか言い様がない。五回に一回しか成功しない技の、一回目が最初に来ただけだ。

 それでも、恭矢が遠藤を退けたという結果は変わらない。恭矢はデスク越しにやっと美緒子と一対一で対峙することができた。

「前に来たときとは少しは違うようだけれど、些細なものだね。それで、君は私も殴りたいのかな? それともまたくだらない戯言を言って、私の耳を汚すつもりかい?」

 恭矢は美緒子の椅子の横に立ち、彼女の手を取った。美緒子は舐めているのか、興味深いのか、何の拒否も見せずにただじっと恭矢の顔を見ていた。

 恭矢はゆっくりと跪き、年齢よりもずっと若々しい美緒子の手の甲に唇を落とした。

 口付けた手の甲を中心に、光が集まっていく。膨大な量の光が部屋中を埋め尽くすと美緒子は意識を失い、机に伏せた。
 そして恭矢もまた、光の中に飲み込まれていった。
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