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第五話 記憶の忘却
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青葉の泣き声が落ち着いてきた頃、恭矢は切り出した。
「……と、いうわけで。俺は二人の母親とちょっと話がしたいと思っている。小泉、母親がどこにいるのか、教えてもらえるか?」
「……会ってどうするつもりなの? 説教でもするつもり?」
「母親業を放棄したことと、急に青葉に接触したことに文句言って、言い分を聞く。話をしてみようと思うんだ。どうしようもない理由でやったことでも、これから改心してくれれば何よりだし、変わらないのなら……もう二度と二人に近づくなって言うつもりだ」
「……世間知らずな子どもの台詞だね。どうしようもない理由しかないと思うし、改心するなんて考えられない。第一、相沢くんが話をできるような環境にいるひとじゃないわよ」
手厳しい言葉だが由宇は恭矢を馬鹿にしているのではなく、あくまで今まで母親と接してきて感じた自分の意見を述べただけなのだろう。
「やってみなくちゃわからないだろ」
「無駄だと思う」
「無駄になるかどうかは俺が決める。頼む、教えてくれ」
恭矢が絶対に引かないことを悟ったのか、由宇は少しだけ逡巡した後、溜息を吐いて立ち上がった。
「……お代わりはコーヒーでいいのよね?」
由宇が折れてくれた理由はわからないけれど、第三者の介入で母親が変わることを彼女自身も少しだけ期待しているからだと予想した。
「相沢くんや青葉みたいな、真面目な若者に話すのも気が引けるんだけど……世の中には昔から、裏の世界というものが存在しているの。まあ正直、表と裏は手を組んでいるんだけどね。……今は裏の世界の話だけしていくわ」
自分だってまだ高校生のくせに、由宇はまるでロシアンマフィアの大物のような口振りで語り出した。
「母が興した会社〈レミリア〉はね、表の世界では美学とされていることへの反乱をモットーに、大きくなっていった会社なの」
「ちょっと難しい……由宇ちゃん、どういうこと?」
泣きはらした瞳を充血させながら、青葉が問いかけた。
青葉はあくまで、忘れていた記憶を思い出しただけであって、元々知らない話は今でもわからないのだと言っていた。
「辛い思いをしているひとに対して、『これを乗り越えれば必ず成長できるから頑張れ!』って応援するのが、表の世界の常識。相沢くんも、新谷くんにそう言ったでしょ? それを『辛かったね。だったら忘れて楽になろうよ』って声をかけるのが、裏の世界で母がやっていることなの」
「具体的には小泉がやっているように、『ひとの記憶を奪う』ってこと?」
「そう。基本的に、人間って脆くて弱いの。だから、そこを突いた〈レミリア〉はすぐに裏社会で有名になって、世界中に多くの顧客を持つ大企業に成長したわ。わたしはこの仕事を始めたときから、月に一度、母と〈レミリア〉で打ち合わせをしているわ。仕事の話しかしていないけれど、一高校生にしか過ぎないわたしでもわかる。あのひとは……普通じゃない。だからできれば、これからも青葉と接触してほしくないと思っている。それだけは忘れないで」
由宇はローテーブルの棚からメモ用紙を取り出し、ボールペンを走らせた。走り書きでも、日誌や黒板で見る手本のような字の美しさは顕在していた。
「目的を違えないでね。相沢くんに母の居場所を教えるのは、相沢くんが母に説教したいって欲望を叶えさせるためでもない。今後、あのひとと青葉を接触させない確率を、少しでも上げたいだけだから」
恭矢は深く頷いた。
「はい、これがわたしが使用しているIDカード。カードがないと入れない社長室はビルの八階にあって、母は大体十九時から朝の五時までそこにいるわ。依頼主が来るのはイレギュラーがない限り二十二時過ぎだから、その時間までに行くのがいいかも」
由宇から渡されたメモ用紙には、〈レミリア〉の住所と母親の名前が書いてあった。恭矢はメモ用紙は受け取ったものの、IDカードは由宇に返した。
「教えてくれてありがとう。でも、IDカードはいらない。俺が我儘言って勝手するだけだからさ、なるべく小泉には甘えたくないんだ。それに、下手にカードを使って小泉に足がついたら困るだろ?」
「……相沢くんがわたしの同級生だって知られた時点で、真っ先にわたしに疑いはかかるだろうけどね……でもわかった。頑張ってね、相沢くん」
IDカードを仕舞った由宇を見て、青葉だけが戸惑っていた。
「え、いいの? 恭ちゃんはそれで大丈夫なの? 裏の世界の会社なんでしょ? 危ないんじゃ……?」
「いいの。青葉には無理してほしくないけれど、相沢くんは自分から首を突っ込みたいって言ったんだから。無理してでも頑張ってもらう」
「由宇ちゃん、それは恭ちゃんに対してちょっと……酷いんじゃないかな?」
由宇を嗜めようとする青葉に、恭矢は笑った。
「……あのな、小泉は青葉のことが、可愛くてしょうがないんだよ。超シスコンなの、シスコン。だから青葉のためなら俺が多少どうにかなっても、自分が被害を受けても平気ってこと。俺もその考えには賛同しているから、全然気にしてないって」
青葉は驚いたように由宇の顔を見たけれど、どうして今まで気がつかなかったのか恭矢には不思議でならなかった。
青葉には普通の生活を送ってほしい。青葉には幸せになってほしい。由宇はいつだって、それだけは一貫してきたというのに。
「……もう、今頃気づいたの?」
由宇もまた青葉の反応に驚き、照れたように笑った。
「……と、いうわけで。俺は二人の母親とちょっと話がしたいと思っている。小泉、母親がどこにいるのか、教えてもらえるか?」
「……会ってどうするつもりなの? 説教でもするつもり?」
「母親業を放棄したことと、急に青葉に接触したことに文句言って、言い分を聞く。話をしてみようと思うんだ。どうしようもない理由でやったことでも、これから改心してくれれば何よりだし、変わらないのなら……もう二度と二人に近づくなって言うつもりだ」
「……世間知らずな子どもの台詞だね。どうしようもない理由しかないと思うし、改心するなんて考えられない。第一、相沢くんが話をできるような環境にいるひとじゃないわよ」
手厳しい言葉だが由宇は恭矢を馬鹿にしているのではなく、あくまで今まで母親と接してきて感じた自分の意見を述べただけなのだろう。
「やってみなくちゃわからないだろ」
「無駄だと思う」
「無駄になるかどうかは俺が決める。頼む、教えてくれ」
恭矢が絶対に引かないことを悟ったのか、由宇は少しだけ逡巡した後、溜息を吐いて立ち上がった。
「……お代わりはコーヒーでいいのよね?」
由宇が折れてくれた理由はわからないけれど、第三者の介入で母親が変わることを彼女自身も少しだけ期待しているからだと予想した。
「相沢くんや青葉みたいな、真面目な若者に話すのも気が引けるんだけど……世の中には昔から、裏の世界というものが存在しているの。まあ正直、表と裏は手を組んでいるんだけどね。……今は裏の世界の話だけしていくわ」
自分だってまだ高校生のくせに、由宇はまるでロシアンマフィアの大物のような口振りで語り出した。
「母が興した会社〈レミリア〉はね、表の世界では美学とされていることへの反乱をモットーに、大きくなっていった会社なの」
「ちょっと難しい……由宇ちゃん、どういうこと?」
泣きはらした瞳を充血させながら、青葉が問いかけた。
青葉はあくまで、忘れていた記憶を思い出しただけであって、元々知らない話は今でもわからないのだと言っていた。
「辛い思いをしているひとに対して、『これを乗り越えれば必ず成長できるから頑張れ!』って応援するのが、表の世界の常識。相沢くんも、新谷くんにそう言ったでしょ? それを『辛かったね。だったら忘れて楽になろうよ』って声をかけるのが、裏の世界で母がやっていることなの」
「具体的には小泉がやっているように、『ひとの記憶を奪う』ってこと?」
「そう。基本的に、人間って脆くて弱いの。だから、そこを突いた〈レミリア〉はすぐに裏社会で有名になって、世界中に多くの顧客を持つ大企業に成長したわ。わたしはこの仕事を始めたときから、月に一度、母と〈レミリア〉で打ち合わせをしているわ。仕事の話しかしていないけれど、一高校生にしか過ぎないわたしでもわかる。あのひとは……普通じゃない。だからできれば、これからも青葉と接触してほしくないと思っている。それだけは忘れないで」
由宇はローテーブルの棚からメモ用紙を取り出し、ボールペンを走らせた。走り書きでも、日誌や黒板で見る手本のような字の美しさは顕在していた。
「目的を違えないでね。相沢くんに母の居場所を教えるのは、相沢くんが母に説教したいって欲望を叶えさせるためでもない。今後、あのひとと青葉を接触させない確率を、少しでも上げたいだけだから」
恭矢は深く頷いた。
「はい、これがわたしが使用しているIDカード。カードがないと入れない社長室はビルの八階にあって、母は大体十九時から朝の五時までそこにいるわ。依頼主が来るのはイレギュラーがない限り二十二時過ぎだから、その時間までに行くのがいいかも」
由宇から渡されたメモ用紙には、〈レミリア〉の住所と母親の名前が書いてあった。恭矢はメモ用紙は受け取ったものの、IDカードは由宇に返した。
「教えてくれてありがとう。でも、IDカードはいらない。俺が我儘言って勝手するだけだからさ、なるべく小泉には甘えたくないんだ。それに、下手にカードを使って小泉に足がついたら困るだろ?」
「……相沢くんがわたしの同級生だって知られた時点で、真っ先にわたしに疑いはかかるだろうけどね……でもわかった。頑張ってね、相沢くん」
IDカードを仕舞った由宇を見て、青葉だけが戸惑っていた。
「え、いいの? 恭ちゃんはそれで大丈夫なの? 裏の世界の会社なんでしょ? 危ないんじゃ……?」
「いいの。青葉には無理してほしくないけれど、相沢くんは自分から首を突っ込みたいって言ったんだから。無理してでも頑張ってもらう」
「由宇ちゃん、それは恭ちゃんに対してちょっと……酷いんじゃないかな?」
由宇を嗜めようとする青葉に、恭矢は笑った。
「……あのな、小泉は青葉のことが、可愛くてしょうがないんだよ。超シスコンなの、シスコン。だから青葉のためなら俺が多少どうにかなっても、自分が被害を受けても平気ってこと。俺もその考えには賛同しているから、全然気にしてないって」
青葉は驚いたように由宇の顔を見たけれど、どうして今まで気がつかなかったのか恭矢には不思議でならなかった。
青葉には普通の生活を送ってほしい。青葉には幸せになってほしい。由宇はいつだって、それだけは一貫してきたというのに。
「……もう、今頃気づいたの?」
由宇もまた青葉の反応に驚き、照れたように笑った。
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