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第五話 記憶の忘却
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来たる日曜日。恭矢と青葉はバスに三十分ほど揺られ、臨海公園に来ていた。
天候に恵まれすぎた今日は、終わった夏の暑さを連れ戻していた。日差しから肌を守るために、青葉は長い髪の毛をサイドで纏めハットを被り、ベージュのサマーニットにショートパンツを穿いていた。いつもは見ない余所行きの格好が新鮮で、恭矢は朝から胸の高鳴りが収まらなかった。
「本当に公園でよかったのか? 今日はお金のことは気にしないでいいんだぞ?」
「ううん、いいの。わたし、恭ちゃんとゆっくりした時間を過ごしたかったから。でもこの暑さは予想外だったかな。ごめんね?」
確かに、家だといつも家事と妹たちの世話で慌ただしくしていて、二人とも落ち着いた時間はなかなか持てていなかった。
「暑いと言ってもさ、節約のためにクーラーを徹底して我慢してきた真夏に比べれば、全然大した暑さじゃないよな! お、あの辺に座ろっか」
汗ばんだ手のひらで青葉の手を取ると、青葉も握り返してくれた。二人は木の下の芝生の上にビニールシートを敷き、青葉の作ってきてくれた弁当を食べながらいろいろなことを話した。親しんだ好みの味を楽しみながら終始笑顔の青葉と過ごす時間は、ささやかだけど確かな幸せと呼べた。
話している間はずっと、青葉は恭矢のそばから離れなかった。皮膚と皮膚が触れ合う距離で、くるくると表情を変えながら言葉を紡いでいる青葉からは、恭矢に対する愛情が強く感じられて、素直に愛おしく思った。
しばらくして風が出てきたと思ったら、もう陽が沈み始めていた。海の近くだけあって、夕方になると昼間の暑さが嘘みたいな涼しい風が吹いていた。楽しい時間は過ぎるのが早いと実感した。
「俺、ちょっとトイレ行ってくるから、ここで待ってて」
用を足しに行った恭矢は気合を入れ直した。なかなか言い出せないままここまで来てしまったが、戻ったら青葉に告白しよう。
不思議な気持ちだ。当たり前のように近くにいた青葉に、改めてずっとそばにいて欲しいと言うなんて。嬉しいような今更のような、おかしな緊張感がある。
でも決めたことだ。俺はこの先、青葉と共に生きていく。腹をくくった恭矢だったが、待ち合わせ場所に青葉はいなかった。ビニールシートと青葉が持って来たトートバックはそのままに、彼女の姿だけがなかった。青葉の性格上、荷物を取られる心配があるから席を立つなら鞄を持っていくはずだ。
ナンパされて連れて行かれたのではないだろうかと、最悪な予感が頭を過ぎる。急いで電話をかけてみたものの、案の定繋がることはなかった。
青葉を一人にするんじゃなかった。冷静に考えることができなくなった恭矢は、近くにいた人たちに聞いて回った。
「すみません! ここに座っていた女の子、どこに行ったか知りませんか⁉」
「ごめんなさい、わからないわ」
かぶりを振る人をどれだけ見ただろうか。恭矢は焦りながら、公園内をひたすら走り回った。警備員、売店の店員、多くの人に聞き込みをしたけれど、青葉の行方を知る人は誰もいなかった。
息を切らし、手に膝をつきながら呼吸を整えていると、焦りと後悔が胸中を埋め尽くしていく。それらを振り払うようにして、恭矢は再び走り出した。
広大な公園内を一周して辺りがすっかり暗くなってしまった頃、ビニールシートを敷いていた場所に戻って来た恭矢は人影を確認した。
その人影こそ、恭矢が必死になって捜し続けた彼女だった。
「――青葉!」
青葉は返事をせず、暗闇の中で動かなかった。
「どこ行ってたんだよ! 心配したんだぞ!」
走り回っていた恭矢はシャツが濡れるほど汗をかいていたが、握った青葉の手は不自然なくらい冷たかった。恭矢が声をかけても、青葉は下を向いて顔を上げようとしなかった。
痺れを切らした恭矢が青葉の頬を両手で挟んで無理やりに顔を上げさせると、青葉は声も出さずに泣いていた。心が痛くなるその悲痛な顔に、嫌な想像が掻き立てられた。
「青葉、お前……何か、されたのか?」
自分で口にしておきながら、ぞっとするような響きだった。
「……ううん。恭ちゃんが想像しているようなことは、されてないよ……」
少しだけ安堵したものの、青葉はなかなか恭矢の目を見ようとしなかった。青葉が何か隠し事をしていると思った恭矢は、青葉の許可もなく彼女を抱き締めた。
青葉はこういうとき、言葉で追及しようとしてはいけない。まずは態度で、青葉を責めるつもりはないと伝えることが大事なのだと、長年の付き合いから知っていたからだ。
「……ごめんね。いつだってわたしは、恭ちゃんの優しさに甘えちゃうから」
「謝らなくていい。青葉に甘えているのは俺の方なんだから」
「恭ちゃんがわたしの扱いに慣れていることをいいことに、自分を変えようともしないで愛されることばかり考えていたんだよね。だから恭ちゃんはちゃんと自分を持っていて、一人で生きていける強さを持つひとに惹かれたんだ」
「……青葉?」
「でもそのひとは、強い自分を他人に見せるのが上手なだけで、別に強いわけじゃないんだよ。恭ちゃんはそれがわかったから、余計にそのひとを好きになったの。わたしとは全然違う」
青葉が青葉ではないような錯覚を覚えた。それは可愛くて、気立てが良くて、家事万能で、恭矢に一途な幼馴染という、そんな理想の偶像を思わせることを促してきた彼女が見せた暗部だった。
「……どうしたんだよ、青葉らしくないな。やっぱり何かあったんだろ? 言ってよ。俺は青葉が何を言っても、離れたりしないから」
「――ウソツキ。多分、恭ちゃんはわたしから離れるよ」
青葉は何もかもを諦めたように、悲しい顔をして笑った。
天候に恵まれすぎた今日は、終わった夏の暑さを連れ戻していた。日差しから肌を守るために、青葉は長い髪の毛をサイドで纏めハットを被り、ベージュのサマーニットにショートパンツを穿いていた。いつもは見ない余所行きの格好が新鮮で、恭矢は朝から胸の高鳴りが収まらなかった。
「本当に公園でよかったのか? 今日はお金のことは気にしないでいいんだぞ?」
「ううん、いいの。わたし、恭ちゃんとゆっくりした時間を過ごしたかったから。でもこの暑さは予想外だったかな。ごめんね?」
確かに、家だといつも家事と妹たちの世話で慌ただしくしていて、二人とも落ち着いた時間はなかなか持てていなかった。
「暑いと言ってもさ、節約のためにクーラーを徹底して我慢してきた真夏に比べれば、全然大した暑さじゃないよな! お、あの辺に座ろっか」
汗ばんだ手のひらで青葉の手を取ると、青葉も握り返してくれた。二人は木の下の芝生の上にビニールシートを敷き、青葉の作ってきてくれた弁当を食べながらいろいろなことを話した。親しんだ好みの味を楽しみながら終始笑顔の青葉と過ごす時間は、ささやかだけど確かな幸せと呼べた。
話している間はずっと、青葉は恭矢のそばから離れなかった。皮膚と皮膚が触れ合う距離で、くるくると表情を変えながら言葉を紡いでいる青葉からは、恭矢に対する愛情が強く感じられて、素直に愛おしく思った。
しばらくして風が出てきたと思ったら、もう陽が沈み始めていた。海の近くだけあって、夕方になると昼間の暑さが嘘みたいな涼しい風が吹いていた。楽しい時間は過ぎるのが早いと実感した。
「俺、ちょっとトイレ行ってくるから、ここで待ってて」
用を足しに行った恭矢は気合を入れ直した。なかなか言い出せないままここまで来てしまったが、戻ったら青葉に告白しよう。
不思議な気持ちだ。当たり前のように近くにいた青葉に、改めてずっとそばにいて欲しいと言うなんて。嬉しいような今更のような、おかしな緊張感がある。
でも決めたことだ。俺はこの先、青葉と共に生きていく。腹をくくった恭矢だったが、待ち合わせ場所に青葉はいなかった。ビニールシートと青葉が持って来たトートバックはそのままに、彼女の姿だけがなかった。青葉の性格上、荷物を取られる心配があるから席を立つなら鞄を持っていくはずだ。
ナンパされて連れて行かれたのではないだろうかと、最悪な予感が頭を過ぎる。急いで電話をかけてみたものの、案の定繋がることはなかった。
青葉を一人にするんじゃなかった。冷静に考えることができなくなった恭矢は、近くにいた人たちに聞いて回った。
「すみません! ここに座っていた女の子、どこに行ったか知りませんか⁉」
「ごめんなさい、わからないわ」
かぶりを振る人をどれだけ見ただろうか。恭矢は焦りながら、公園内をひたすら走り回った。警備員、売店の店員、多くの人に聞き込みをしたけれど、青葉の行方を知る人は誰もいなかった。
息を切らし、手に膝をつきながら呼吸を整えていると、焦りと後悔が胸中を埋め尽くしていく。それらを振り払うようにして、恭矢は再び走り出した。
広大な公園内を一周して辺りがすっかり暗くなってしまった頃、ビニールシートを敷いていた場所に戻って来た恭矢は人影を確認した。
その人影こそ、恭矢が必死になって捜し続けた彼女だった。
「――青葉!」
青葉は返事をせず、暗闇の中で動かなかった。
「どこ行ってたんだよ! 心配したんだぞ!」
走り回っていた恭矢はシャツが濡れるほど汗をかいていたが、握った青葉の手は不自然なくらい冷たかった。恭矢が声をかけても、青葉は下を向いて顔を上げようとしなかった。
痺れを切らした恭矢が青葉の頬を両手で挟んで無理やりに顔を上げさせると、青葉は声も出さずに泣いていた。心が痛くなるその悲痛な顔に、嫌な想像が掻き立てられた。
「青葉、お前……何か、されたのか?」
自分で口にしておきながら、ぞっとするような響きだった。
「……ううん。恭ちゃんが想像しているようなことは、されてないよ……」
少しだけ安堵したものの、青葉はなかなか恭矢の目を見ようとしなかった。青葉が何か隠し事をしていると思った恭矢は、青葉の許可もなく彼女を抱き締めた。
青葉はこういうとき、言葉で追及しようとしてはいけない。まずは態度で、青葉を責めるつもりはないと伝えることが大事なのだと、長年の付き合いから知っていたからだ。
「……ごめんね。いつだってわたしは、恭ちゃんの優しさに甘えちゃうから」
「謝らなくていい。青葉に甘えているのは俺の方なんだから」
「恭ちゃんがわたしの扱いに慣れていることをいいことに、自分を変えようともしないで愛されることばかり考えていたんだよね。だから恭ちゃんはちゃんと自分を持っていて、一人で生きていける強さを持つひとに惹かれたんだ」
「……青葉?」
「でもそのひとは、強い自分を他人に見せるのが上手なだけで、別に強いわけじゃないんだよ。恭ちゃんはそれがわかったから、余計にそのひとを好きになったの。わたしとは全然違う」
青葉が青葉ではないような錯覚を覚えた。それは可愛くて、気立てが良くて、家事万能で、恭矢に一途な幼馴染という、そんな理想の偶像を思わせることを促してきた彼女が見せた暗部だった。
「……どうしたんだよ、青葉らしくないな。やっぱり何かあったんだろ? 言ってよ。俺は青葉が何を言っても、離れたりしないから」
「――ウソツキ。多分、恭ちゃんはわたしから離れるよ」
青葉は何もかもを諦めたように、悲しい顔をして笑った。
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