きっと、忘れられない恋になる。

りっと

文字の大きさ
上 下
32 / 52
第五話 記憶の忘却

3

しおりを挟む
 来たる日曜日。恭矢と青葉はバスに三十分ほど揺られ、臨海公園に来ていた。

 天候に恵まれすぎた今日は、終わった夏の暑さを連れ戻していた。日差しから肌を守るために、青葉は長い髪の毛をサイドで纏めハットを被り、ベージュのサマーニットにショートパンツを穿いていた。いつもは見ない余所行きの格好が新鮮で、恭矢は朝から胸の高鳴りが収まらなかった。

「本当に公園でよかったのか? 今日はお金のことは気にしないでいいんだぞ?」

「ううん、いいの。わたし、恭ちゃんとゆっくりした時間を過ごしたかったから。でもこの暑さは予想外だったかな。ごめんね?」

 確かに、家だといつも家事と妹たちの世話で慌ただしくしていて、二人とも落ち着いた時間はなかなか持てていなかった。

「暑いと言ってもさ、節約のためにクーラーを徹底して我慢してきた真夏に比べれば、全然大した暑さじゃないよな! お、あの辺に座ろっか」

 汗ばんだ手のひらで青葉の手を取ると、青葉も握り返してくれた。二人は木の下の芝生の上にビニールシートを敷き、青葉の作ってきてくれた弁当を食べながらいろいろなことを話した。親しんだ好みの味を楽しみながら終始笑顔の青葉と過ごす時間は、ささやかだけど確かな幸せと呼べた。

 話している間はずっと、青葉は恭矢のそばから離れなかった。皮膚と皮膚が触れ合う距離で、くるくると表情を変えながら言葉を紡いでいる青葉からは、恭矢に対する愛情が強く感じられて、素直に愛おしく思った。

 しばらくして風が出てきたと思ったら、もう陽が沈み始めていた。海の近くだけあって、夕方になると昼間の暑さが嘘みたいな涼しい風が吹いていた。楽しい時間は過ぎるのが早いと実感した。

「俺、ちょっとトイレ行ってくるから、ここで待ってて」

 用を足しに行った恭矢は気合を入れ直した。なかなか言い出せないままここまで来てしまったが、戻ったら青葉に告白しよう。

 不思議な気持ちだ。当たり前のように近くにいた青葉に、改めてずっとそばにいて欲しいと言うなんて。嬉しいような今更のような、おかしな緊張感がある。

 でも決めたことだ。俺はこの先、青葉と共に生きていく。腹をくくった恭矢だったが、待ち合わせ場所に青葉はいなかった。ビニールシートと青葉が持って来たトートバックはそのままに、彼女の姿だけがなかった。青葉の性格上、荷物を取られる心配があるから席を立つなら鞄を持っていくはずだ。

 ナンパされて連れて行かれたのではないだろうかと、最悪な予感が頭を過ぎる。急いで電話をかけてみたものの、案の定繋がることはなかった。

 青葉を一人にするんじゃなかった。冷静に考えることができなくなった恭矢は、近くにいた人たちに聞いて回った。

「すみません! ここに座っていた女の子、どこに行ったか知りませんか⁉」

「ごめんなさい、わからないわ」

 かぶりを振る人をどれだけ見ただろうか。恭矢は焦りながら、公園内をひたすら走り回った。警備員、売店の店員、多くの人に聞き込みをしたけれど、青葉の行方を知る人は誰もいなかった。

 息を切らし、手に膝をつきながら呼吸を整えていると、焦りと後悔が胸中を埋め尽くしていく。それらを振り払うようにして、恭矢は再び走り出した。

 広大な公園内を一周して辺りがすっかり暗くなってしまった頃、ビニールシートを敷いていた場所に戻って来た恭矢は人影を確認した。

 その人影こそ、恭矢が必死になって捜し続けた彼女だった。

「――青葉!」

 青葉は返事をせず、暗闇の中で動かなかった。

「どこ行ってたんだよ! 心配したんだぞ!」

 走り回っていた恭矢はシャツが濡れるほど汗をかいていたが、握った青葉の手は不自然なくらい冷たかった。恭矢が声をかけても、青葉は下を向いて顔を上げようとしなかった。

 痺れを切らした恭矢が青葉の頬を両手で挟んで無理やりに顔を上げさせると、青葉は声も出さずに泣いていた。心が痛くなるその悲痛な顔に、嫌な想像が掻き立てられた。

「青葉、お前……何か、されたのか?」

 自分で口にしておきながら、ぞっとするような響きだった。

「……ううん。恭ちゃんが想像しているようなことは、されてないよ……」

 少しだけ安堵したものの、青葉はなかなか恭矢の目を見ようとしなかった。青葉が何か隠し事をしていると思った恭矢は、青葉の許可もなく彼女を抱き締めた。

 青葉はこういうとき、言葉で追及しようとしてはいけない。まずは態度で、青葉を責めるつもりはないと伝えることが大事なのだと、長年の付き合いから知っていたからだ。

「……ごめんね。いつだってわたしは、恭ちゃんの優しさに甘えちゃうから」

「謝らなくていい。青葉に甘えているのは俺の方なんだから」

「恭ちゃんがわたしの扱いに慣れていることをいいことに、自分を変えようともしないで愛されることばかり考えていたんだよね。だから恭ちゃんはちゃんと自分を持っていて、一人で生きていける強さを持つひとに惹かれたんだ」

「……青葉?」

「でもそのひとは、強い自分を他人に見せるのが上手なだけで、別に強いわけじゃないんだよ。恭ちゃんはそれがわかったから、余計にそのひとを好きになったの。わたしとは全然違う」

 青葉が青葉ではないような錯覚を覚えた。それは可愛くて、気立てが良くて、家事万能で、恭矢に一途な幼馴染という、そんな理想の偶像を思わせることを促してきた彼女が見せた暗部だった。

「……どうしたんだよ、青葉らしくないな。やっぱり何かあったんだろ? 言ってよ。俺は青葉が何を言っても、離れたりしないから」

「――ウソツキ。多分、恭ちゃんはわたしから離れるよ」

 青葉は何もかもを諦めたように、悲しい顔をして笑った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ヤマネ姫の幸福論

ふくろう
青春
秋の長野行き中央本線、特急あずさの座席に座る一組の男女。 一見、恋人同士に見えるが、これが最初で最後の二人の旅行になるかもしれない。 彼らは霧ヶ峰高原に、「森の妖精」と呼ばれる小動物の棲み家を訪ね、夢のように楽しい二日間を過ごす。 しかし、運命の時は、刻一刻と迫っていた。 主人公達の恋の行方、霧ヶ峰の生き物のお話に添えて、世界中で愛されてきた好編「幸福論」を交え、お読みいただける方に、少しでも清々しく、優しい気持ちになっていただけますよう、精一杯、書いてます! どうぞ、よろしくお願いいたします!

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

鷹鷲高校執事科

三石成
青春
経済社会が崩壊した後に、貴族制度が生まれた近未来。 東京都内に広大な敷地を持つ全寮制の鷹鷲高校には、貴族の子息が所属する帝王科と、そんな貴族に仕える、優秀な執事を育成するための執事科が設立されている。 物語の中心となるのは、鷹鷲高校男子部の三年生。 各々に悩みや望みを抱えた彼らは、高校三年生という貴重な一年間で、学校の行事や事件を通して、生涯の主人と執事を見つけていく。 表紙イラスト:燈実 黙(@off_the_lamp)

榛名の園

ひかり企画
青春
荒れた14歳から17歳位までの、女子少年院経験記など、あたしの自伝小説を書いて見ました。

【完結】カワイイ子猫のつくり方

龍野ゆうき
青春
子猫を助けようとして樹から落下。それだけでも災難なのに、あれ?気が付いたら私…猫になってる!?そんな自分(猫)に手を差し伸べてくれたのは天敵のアイツだった。 無愛想毒舌眼鏡男と獣化主人公の間に生まれる恋?ちょっぴりファンタジーなラブコメ。

全力でおせっかいさせていただきます。―私はツンで美形な先輩の食事係―

入海月子
青春
佐伯優は高校1年生。カメラが趣味。ある日、高校の屋上で出会った超美形の先輩、久住遥斗にモデルになってもらうかわりに、彼の昼食を用意する約束をした。 遥斗はなぜか学校に住みついていて、衣食は女生徒からもらったものでまかなっていた。その報酬とは遥斗に抱いてもらえるというもの。 本当なの?遥斗が気になって仕方ない優は――。 優が薄幸の遥斗を笑顔にしようと頑張る話です。

Hand in Hand - 二人で進むフィギュアスケート青春小説

宮 都
青春
幼なじみへの気持ちの変化を自覚できずにいた中2の夏。ライバルとの出会いが、少年を未知のスポーツへと向わせた。 美少女と手に手をとって進むその競技の名は、アイスダンス!! 【2022/6/11完結】  その日僕たちの教室は、朝から転校生が来るという噂に落ち着きをなくしていた。帰国子女らしいという情報も入り、誰もがますます転校生への期待を募らせていた。  そんな中でただ一人、果歩(かほ)だけは違っていた。 「制覇、今日は五時からだから。来てね」  隣の席に座る彼女は大きな瞳を輝かせて、にっこりこちらを覗きこんだ。  担任が一人の生徒とともに教室に入ってきた。みんなの目が一斉にそちらに向かった。それでも果歩だけはずっと僕の方を見ていた。 ◇ こんな二人の居場所に現れたアメリカ帰りの転校生。少年はアイスダンスをするという彼に強い焦りを感じ、彼と同じ道に飛び込んでいく…… ――小説家になろう、カクヨム(別タイトル)にも掲載――

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

処理中です...