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第四話 記憶の献上
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全く眠れなかった恭矢は翌日、時間が経つごとに心が腐っていくのを感じていた。
クラスメイトたちは働かずに遊んだり部活に精を出したりして青春しているというのに、俺は遊ぶこともほとんどなく、毎日必死になって家計のためにバイトをしている。
なぜ俺ばっかりがこんなに辛い思いをしなければならないのだろうと思うと、不満しかなかった。振り返ってみれば、生きていて楽しいと思ったことなんて数少ない人生である。少なくとも恭矢が思い出せる記憶の中には、幸せで心が満たされた思い出はなかった。
恭矢の脳味噌の中で、何かが切れた音が聞こえた。やる気だとか向上心だとか、そういった類の大事なものだと思う。
三時間目の授業の途中、恭矢は鞄を持って立ち上がった。もう大人しく授業を受けることなんてできなかった。どれだけ勉強したところで、どうせ大学に行くことはできない。将来に繋がらない授業に意味を見出すことは難しかった。
「相沢、どこに行くんだ?」
「今日は帰ります」
「帰るだと? どうした? 具合でも悪いのか?」
恭矢が一年かけて積み上げてきた信頼の賜物か、教師は帰りたいと口にする恭矢をまるで疑うことなく、病気だと思い込んでいる。その思い込みが、今はとても鬱陶しかった。
「……別に、なんでもないです」
教師の声もクラスメイトのざわめきも無視して、恭矢は教室を飛び出した。
目的もなく街をふらふらと歩いていると、時間を持て余す感覚に喜びが込み上げた。真面目に生きていたって得することなんてなかったのだから、もっと早くこんな風に適度に不真面目に生きていればよかったのだ。家族のためではなく、自分のためにもっと好き勝手やればよかったのだ。
先のことを何も考えたくなかった恭矢は、ATMで金を下ろし、普段は金の無駄だと避けていたゲームセンターで遊んだ。格闘ゲームは不慣れで弱かったのですぐに負けることが続き、ストレスは溜まるし、あっという間に金はなくなり散々だったが、メダルゲームは運がよかったこともあって長く続けられた。何より、当たりが出るとピカピカ光る刺激的な画面を見ていると、何も考えずに済んで気が楽になった。
飽きたらショッピングモールに足を運び、自分の好きな洋服を買った。大抵は修矢のお下がりを着ている恭矢は、少しだけ緊張しつつも気分が高揚した。
家族や青葉の分を買って行こうかという考えが一瞬だけ頭を過ぎったが、急いで振り払った。これからは人のことばかり考えるのはやめて、自分勝手に生きると決めたのだ。
フードコート内のテラス席でドーナッツを食べながら、陽が傾きかけている空に気がついた。
いつもとは違う時間を過ごしていたから長く感じてはいたけれど、やはり時間は平等に流れていたのだ。当たり前の事実に溜息が漏れた。学校帰りの生徒たちの姿を何人か見かけてショッピングモールの大時計を見ると、もう十七時前になっていた。
知っている顔に会いたくなくて移動することにしたが、家にはまだ帰るつもりはなかった。「バイトはどうしたの?」と、青葉に聞かれるのが面倒くさいからだ。
今日は暑くて湿度も高いからだろうか。これだけ好き勝手遊んでいるのにもかかわらず、恭矢の気分は優れなかった。体を動かせば胸に溜まったこの嫌な気分も消えてなくなるだろうと信じ、国道沿いの歩行者通路をひたすら前だけ見て歩いた。
だが、陽が完全に落ちて街灯頼りになった頃、認めたくなかったことについに気づいてしまった。
結局恭矢は、自分一人のための遊び方を知らないのだ。金を持っても時間があっても、どう使っていいのかわからない。だからこんなに時間が過ぎるのが長く感じる。こんなに空虚な時間に思える。
どうすればいい? 俺は、どうやって生きていけばいい?
川の上にかかる橋の真ん中、緩やかな下りに差し掛かる途中で足を止めた恭矢は、一歩も動けなくなってしまった。歩き出せば下り坂だから楽に進むだろう。
だけど、葛藤せずにはいられない。一度下ってしまえば、戻るときは大変な困難になることがわかっていたからだ。
「――相沢くん!」
葛藤の海から恭矢を現在に引っ張り上げたのは、誰かの声だった。恭矢は顔を上げて、その声の主を確認した。
小泉由宇が、恭矢を見据えて橋のふもとに立っていた。言葉を失っている恭矢のそばまで、彼女は息を切らしながら走って近づいてきた。
クラスメイトたちは働かずに遊んだり部活に精を出したりして青春しているというのに、俺は遊ぶこともほとんどなく、毎日必死になって家計のためにバイトをしている。
なぜ俺ばっかりがこんなに辛い思いをしなければならないのだろうと思うと、不満しかなかった。振り返ってみれば、生きていて楽しいと思ったことなんて数少ない人生である。少なくとも恭矢が思い出せる記憶の中には、幸せで心が満たされた思い出はなかった。
恭矢の脳味噌の中で、何かが切れた音が聞こえた。やる気だとか向上心だとか、そういった類の大事なものだと思う。
三時間目の授業の途中、恭矢は鞄を持って立ち上がった。もう大人しく授業を受けることなんてできなかった。どれだけ勉強したところで、どうせ大学に行くことはできない。将来に繋がらない授業に意味を見出すことは難しかった。
「相沢、どこに行くんだ?」
「今日は帰ります」
「帰るだと? どうした? 具合でも悪いのか?」
恭矢が一年かけて積み上げてきた信頼の賜物か、教師は帰りたいと口にする恭矢をまるで疑うことなく、病気だと思い込んでいる。その思い込みが、今はとても鬱陶しかった。
「……別に、なんでもないです」
教師の声もクラスメイトのざわめきも無視して、恭矢は教室を飛び出した。
目的もなく街をふらふらと歩いていると、時間を持て余す感覚に喜びが込み上げた。真面目に生きていたって得することなんてなかったのだから、もっと早くこんな風に適度に不真面目に生きていればよかったのだ。家族のためではなく、自分のためにもっと好き勝手やればよかったのだ。
先のことを何も考えたくなかった恭矢は、ATMで金を下ろし、普段は金の無駄だと避けていたゲームセンターで遊んだ。格闘ゲームは不慣れで弱かったのですぐに負けることが続き、ストレスは溜まるし、あっという間に金はなくなり散々だったが、メダルゲームは運がよかったこともあって長く続けられた。何より、当たりが出るとピカピカ光る刺激的な画面を見ていると、何も考えずに済んで気が楽になった。
飽きたらショッピングモールに足を運び、自分の好きな洋服を買った。大抵は修矢のお下がりを着ている恭矢は、少しだけ緊張しつつも気分が高揚した。
家族や青葉の分を買って行こうかという考えが一瞬だけ頭を過ぎったが、急いで振り払った。これからは人のことばかり考えるのはやめて、自分勝手に生きると決めたのだ。
フードコート内のテラス席でドーナッツを食べながら、陽が傾きかけている空に気がついた。
いつもとは違う時間を過ごしていたから長く感じてはいたけれど、やはり時間は平等に流れていたのだ。当たり前の事実に溜息が漏れた。学校帰りの生徒たちの姿を何人か見かけてショッピングモールの大時計を見ると、もう十七時前になっていた。
知っている顔に会いたくなくて移動することにしたが、家にはまだ帰るつもりはなかった。「バイトはどうしたの?」と、青葉に聞かれるのが面倒くさいからだ。
今日は暑くて湿度も高いからだろうか。これだけ好き勝手遊んでいるのにもかかわらず、恭矢の気分は優れなかった。体を動かせば胸に溜まったこの嫌な気分も消えてなくなるだろうと信じ、国道沿いの歩行者通路をひたすら前だけ見て歩いた。
だが、陽が完全に落ちて街灯頼りになった頃、認めたくなかったことについに気づいてしまった。
結局恭矢は、自分一人のための遊び方を知らないのだ。金を持っても時間があっても、どう使っていいのかわからない。だからこんなに時間が過ぎるのが長く感じる。こんなに空虚な時間に思える。
どうすればいい? 俺は、どうやって生きていけばいい?
川の上にかかる橋の真ん中、緩やかな下りに差し掛かる途中で足を止めた恭矢は、一歩も動けなくなってしまった。歩き出せば下り坂だから楽に進むだろう。
だけど、葛藤せずにはいられない。一度下ってしまえば、戻るときは大変な困難になることがわかっていたからだ。
「――相沢くん!」
葛藤の海から恭矢を現在に引っ張り上げたのは、誰かの声だった。恭矢は顔を上げて、その声の主を確認した。
小泉由宇が、恭矢を見据えて橋のふもとに立っていた。言葉を失っている恭矢のそばまで、彼女は息を切らしながら走って近づいてきた。
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