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第一話 記憶の墓場
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疲弊した体を引きずりながら帰宅すると、いつも通り玄関には靴が散乱していた。整理整頓のなってないそれらをぶつぶつ言いながら靴箱に放り込んでから、青葉の待つ居間に顔を出した。
「ただいまあー」
「あ、おかえり恭ちゃん。お疲れ様」
恭矢の帰宅を青葉は穏やかな笑顔で出迎えた。月並みな言葉だが、帰宅して青葉の優しい笑顔を見るとほっとする。青葉の存在に癒されつつ、部屋に充満する食欲をそそる匂いに森下との賭けの負けを確信した。
「……なあ、今日のおかずってカレー味の肉じゃが?」
「ううん、カレーだよ! 今日テレビで特集やってたから食べたくなっちゃって」
「……誰にも関心を持たれない、動物園にいるラマの真似でもするか」
「え? 何か言った?」
「カレー気分だったから嬉しいって言ったんだよ」
部屋着に着替えてから居間に戻った恭矢は、青葉が淹れてくれた茶を啜った。疲れた体に熱い緑茶が染みる。
「ああ、落ち着く。龍と玲と桜はもう寝たのか?」
「うん、三人とも。龍ちゃんは今日ぐずっちゃって、抱っこってせがむから眠るまでに時間かかっちゃった。玲ちゃんと桜ちゃんは二人とも疲れていたみたいで、お風呂上がってすぐに」
「そっか、ありがとな。桜は今日授業参観だったんだろ? 母さん、行けたって言ってた?」
「おばさんは無理言って仕事を中抜けさせてもらったみたい。服装検査で引っ掛かった生徒を指導していたら時間ぎりぎりになっちゃったって、文句言ってた。授業参観終わってから仕事戻ったから、今日は遅くなるって」
「じゃあ待たなくてもいいな。先に食べるか」
「うん、今準備するね」
青葉はカレーを温め直しながら、らっきょうとサラダを冷蔵庫から取り出し、スプーンをテーブルに並べた。肩甲骨まで伸びた髪の毛をサイドに結って、ネルシャツの上からエプロンをつけただけという生活感丸出しの格好をしている青葉だが、大きな双眸と比例しない顔の小ささ、それに手足の長さも相まって、一般的に見ても美人と言って差し支えない女の子だと思う。
そんな人目を引く容姿を持ちながらも、相沢家での家事を率先してやってくれる青葉に恭矢はいつも心から感謝していた。
恭矢の家は一般的に見て大家族と呼んでいいだろう。OLの長女・二十二歳の桂、整備士として働く長男・二十歳の修矢、次男に高校二年生の恭矢がいて、それから中学校二年生の次女・玲に小学校四年生の三女・桜。少し離れて、二歳の三男・龍矢の六人兄弟である。
子どもが多くてただでさえ金銭的に余裕がないうえに、父は龍矢の妊娠が判明する前に事故で亡くなっているため相沢家は母子家庭だ。そういった事情もあって、母は龍矢の産休が終わるとすぐに職場に復帰した。
今もなお現役の体育教師として働き続ける母の代わりに、現在相沢家の生活の面倒を見てくれているのが、隣に住んでいる一個下の幼馴染、綾瀬青葉である。
相沢家と綾瀬家は昔から家が隣ということもあり、付き合いが長い。というのも、綾瀬家は相沢家とは逆に父子家庭で、青葉は一人っ子ということもありよく相沢家で預かっていたからだ。
青葉は昔から頭が良くて可愛かったので、学校では恭矢の自慢の幼馴染だった。
だが昨年の十二月、中学校三年生の青葉はある出来事をきっかけに不登校になってしまった。青葉が心に負った傷は恭矢には想像もできないほど大きかったようで、中学校では学年順位一桁の成績を取っていたのにもかかわらず、青葉は高校へ進学しなかった。
本来であれば今頃県内有数の進学校に進み青春を謳歌する予定だった彼女は現在、相沢家の家事を手伝うだけの役不足な生活を送っている。
恭矢の母は青葉に毎月お金を渡そうとしているし、いつでもやめていいと伝えているのだが、青葉は一度だってお金を受け取らず、首も縦に振らなかった。
「いただきます!」
少しだけ水っぽくて辛すぎない、じゃがいもの大きなカレーは、相変わらず恭矢好みに作られていた。恭矢は最近ではもう母の料理より青葉の料理の方が美味しいと思っている。
学校の話や龍矢の様子を青葉と話しながら胃袋にカレーを収めている最中、スプーンに掬ったらっきょうを見て、ふと由宇にあげたミルク飴を思い出した。
「同じクラスの女の子にさあ、話しかけても全然会話が続かないんだよね。なあ、女の子ってどんな話をすれば喜ぶかな?」
「……ごめんね。わたし、学校行ってないから流行とかよくわかんない」
少し拗ねたように笑う青葉の顔を見て、恭矢は自分の失言に気づいた。
「……カ、カレー美味いな! いつもよりちょっと甘くした?」
「あ、気がついた? 桜ちゃんのリクエストで牛乳多めにしてみたんだ。恭ちゃんはどっちが好みかな?」
「青葉の作るカレーならなんでも美味いって」
嬉しそうな青葉の表情に恭矢が胸を撫で下ろしたのも、束の間のことだった。つけっぱなしにしていたテレビから、俳優が元気な声であの言葉を発したのを聞いてしまったからだ。
〈母の日に作ろう! 簡単、手巻き寿司! ってなわけで、今日は安く簡単に作れる手巻き寿司にチャレンジしてみたいと思いまーす!〉
おそるおそる青葉を見ると、彼女の顔が強張っているのがわかった。
「……天気予報やってないかなー?」
と言って、青葉は自然を装ってチャンネルを変えた。
父の命日には墓参りをして、時々父の生前の話に花を咲かせる相沢家に対して、綾瀬家における母親の話題は一切のタブーであった。恭矢も詳しくは知らないが、青葉の母親が青葉を生んですぐに行方をくらませたせいで、青葉の父は大変な苦労をしたらしい。
そのせいか青葉は「母」という言葉に過剰に反応するので、彼女と母親の話をしたことはなかった。
「天気予報やってなかったねー。でも明日は晴れるよ。十九時前の予報ではそうだったし」
演技を忘れているのか、わざとやっているのか。不自然さを隠すつもりなど毛頭ない青葉の言葉に、
「……やったー。きっと明日はいいことあるな」
恭矢はまるで根拠のない適当な相槌を打つはめになった。
「ただいまあー」
「あ、おかえり恭ちゃん。お疲れ様」
恭矢の帰宅を青葉は穏やかな笑顔で出迎えた。月並みな言葉だが、帰宅して青葉の優しい笑顔を見るとほっとする。青葉の存在に癒されつつ、部屋に充満する食欲をそそる匂いに森下との賭けの負けを確信した。
「……なあ、今日のおかずってカレー味の肉じゃが?」
「ううん、カレーだよ! 今日テレビで特集やってたから食べたくなっちゃって」
「……誰にも関心を持たれない、動物園にいるラマの真似でもするか」
「え? 何か言った?」
「カレー気分だったから嬉しいって言ったんだよ」
部屋着に着替えてから居間に戻った恭矢は、青葉が淹れてくれた茶を啜った。疲れた体に熱い緑茶が染みる。
「ああ、落ち着く。龍と玲と桜はもう寝たのか?」
「うん、三人とも。龍ちゃんは今日ぐずっちゃって、抱っこってせがむから眠るまでに時間かかっちゃった。玲ちゃんと桜ちゃんは二人とも疲れていたみたいで、お風呂上がってすぐに」
「そっか、ありがとな。桜は今日授業参観だったんだろ? 母さん、行けたって言ってた?」
「おばさんは無理言って仕事を中抜けさせてもらったみたい。服装検査で引っ掛かった生徒を指導していたら時間ぎりぎりになっちゃったって、文句言ってた。授業参観終わってから仕事戻ったから、今日は遅くなるって」
「じゃあ待たなくてもいいな。先に食べるか」
「うん、今準備するね」
青葉はカレーを温め直しながら、らっきょうとサラダを冷蔵庫から取り出し、スプーンをテーブルに並べた。肩甲骨まで伸びた髪の毛をサイドに結って、ネルシャツの上からエプロンをつけただけという生活感丸出しの格好をしている青葉だが、大きな双眸と比例しない顔の小ささ、それに手足の長さも相まって、一般的に見ても美人と言って差し支えない女の子だと思う。
そんな人目を引く容姿を持ちながらも、相沢家での家事を率先してやってくれる青葉に恭矢はいつも心から感謝していた。
恭矢の家は一般的に見て大家族と呼んでいいだろう。OLの長女・二十二歳の桂、整備士として働く長男・二十歳の修矢、次男に高校二年生の恭矢がいて、それから中学校二年生の次女・玲に小学校四年生の三女・桜。少し離れて、二歳の三男・龍矢の六人兄弟である。
子どもが多くてただでさえ金銭的に余裕がないうえに、父は龍矢の妊娠が判明する前に事故で亡くなっているため相沢家は母子家庭だ。そういった事情もあって、母は龍矢の産休が終わるとすぐに職場に復帰した。
今もなお現役の体育教師として働き続ける母の代わりに、現在相沢家の生活の面倒を見てくれているのが、隣に住んでいる一個下の幼馴染、綾瀬青葉である。
相沢家と綾瀬家は昔から家が隣ということもあり、付き合いが長い。というのも、綾瀬家は相沢家とは逆に父子家庭で、青葉は一人っ子ということもありよく相沢家で預かっていたからだ。
青葉は昔から頭が良くて可愛かったので、学校では恭矢の自慢の幼馴染だった。
だが昨年の十二月、中学校三年生の青葉はある出来事をきっかけに不登校になってしまった。青葉が心に負った傷は恭矢には想像もできないほど大きかったようで、中学校では学年順位一桁の成績を取っていたのにもかかわらず、青葉は高校へ進学しなかった。
本来であれば今頃県内有数の進学校に進み青春を謳歌する予定だった彼女は現在、相沢家の家事を手伝うだけの役不足な生活を送っている。
恭矢の母は青葉に毎月お金を渡そうとしているし、いつでもやめていいと伝えているのだが、青葉は一度だってお金を受け取らず、首も縦に振らなかった。
「いただきます!」
少しだけ水っぽくて辛すぎない、じゃがいもの大きなカレーは、相変わらず恭矢好みに作られていた。恭矢は最近ではもう母の料理より青葉の料理の方が美味しいと思っている。
学校の話や龍矢の様子を青葉と話しながら胃袋にカレーを収めている最中、スプーンに掬ったらっきょうを見て、ふと由宇にあげたミルク飴を思い出した。
「同じクラスの女の子にさあ、話しかけても全然会話が続かないんだよね。なあ、女の子ってどんな話をすれば喜ぶかな?」
「……ごめんね。わたし、学校行ってないから流行とかよくわかんない」
少し拗ねたように笑う青葉の顔を見て、恭矢は自分の失言に気づいた。
「……カ、カレー美味いな! いつもよりちょっと甘くした?」
「あ、気がついた? 桜ちゃんのリクエストで牛乳多めにしてみたんだ。恭ちゃんはどっちが好みかな?」
「青葉の作るカレーならなんでも美味いって」
嬉しそうな青葉の表情に恭矢が胸を撫で下ろしたのも、束の間のことだった。つけっぱなしにしていたテレビから、俳優が元気な声であの言葉を発したのを聞いてしまったからだ。
〈母の日に作ろう! 簡単、手巻き寿司! ってなわけで、今日は安く簡単に作れる手巻き寿司にチャレンジしてみたいと思いまーす!〉
おそるおそる青葉を見ると、彼女の顔が強張っているのがわかった。
「……天気予報やってないかなー?」
と言って、青葉は自然を装ってチャンネルを変えた。
父の命日には墓参りをして、時々父の生前の話に花を咲かせる相沢家に対して、綾瀬家における母親の話題は一切のタブーであった。恭矢も詳しくは知らないが、青葉の母親が青葉を生んですぐに行方をくらませたせいで、青葉の父は大変な苦労をしたらしい。
そのせいか青葉は「母」という言葉に過剰に反応するので、彼女と母親の話をしたことはなかった。
「天気予報やってなかったねー。でも明日は晴れるよ。十九時前の予報ではそうだったし」
演技を忘れているのか、わざとやっているのか。不自然さを隠すつもりなど毛頭ない青葉の言葉に、
「……やったー。きっと明日はいいことあるな」
恭矢はまるで根拠のない適当な相槌を打つはめになった。
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