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最終章 命の証明

蓮の意図

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 蓮の意図を悟り、蒼白した。

 岩場に立つ蓮の真後ろには川が流れていて、軽く飛ぶだけで簡単に入水できる。生きる理由を失った彼は今、自ら命を絶とうとしているのだ。

 蓮を強く刺激しないように、晴陽はゆっくりと彼の側まで近づいて手を差し出した。

「そんなことを言わないでください。わたしは――」

「その目でオレを見るな!」

 さっきまでの消え入りそうな雰囲気から一転、ひどい剣幕に驚いた晴陽は、伸ばした手を咄嗟に少しだけ引いてしまった。

 そんな晴陽を見て、蓮は心底憎いものを語るかのように声を荒らげた。

「オレにはわかる。凌空くんを描き上げるという目的を達成した今、君という器の中から菫はいなくなってしまった。君が、二度もあの子を殺した! ……許せない。好きな人と結ばれて、一人だけ幸せそうに生きようとしている君が!」

 菫の消失はとっくに見透かされていた。憤怒と憎悪をその瞳に滾らせ晴陽を睨みつける蓮からは、いつもの明るくて爛漫な彼の影を微塵も感じず、ゾッとさせられる怖さがあった。

 いや、勝手に人格を決めつけること自体、蓮に対して無礼だった。自分や相手が傷つくことがわかっていても、容赦なく憎しみをぶつけられるような好戦的で感情的な今の姿こそ、彼の本来の姿かもしれないのだ。 

 凌空に夢中で、凌空しか見ようとしてこなかったから知らなかった。

 逃げないでほしいと懇願されたとき、菫として生きてほしいと言われたとき――蓮の中にある危うい思想に気づいて、手を差し伸べる機会は何度もあったはずなのに。

 それなのに晴陽は、菫というフィルターを通して『妹を溺愛する優しい兄』という肩書でしか蓮を見てこなかった、蓮の気持ちを考えてこなかった報いを今、受けているのだろうと思った。

 晴陽の動揺を煽るように、蓮は薄ら笑いを浮かべながら捲くし立てた。

「もっと動揺して。もっと困り果てて。オレの言葉一つひとつにくるくると踊らされてよ。晴陽ちゃんの思考や感情がオレの言動で左右されるのが、たまらなく気持ちいいんだ」

 菫の存在が体内から消えた今、素直な感想を述べてしまえば、蓮を怖いと思った。

 一つでも選択肢を間違えて彼の逆鱗に触れてしまったら、大切なものを失ってしまう予感しかなかったからだ。

「……わたしもこの間まで、自分がわからなくなって藻掻いたんです。いろいろと調べて知ったんですけど、人格は先天性と後天性の二つによって決まるらしいんです。逢坂晴陽は菫さんだけで作られているわけではありません。だから――」

「そんな話は聞きたくないんだよ」

 ピシャリとした拒絶に口を噤んだ。理解してもらうために話をしようとしたが、失敗だったようだ。

「はい、ここで問題です! オレが晴陽ちゃんにちょっかいをかけ続けてきた理由は二つあるんだけど、もうわかったかな? 一つは『菫』への嫌がらせですが、さて、もう一つはなんでしょう?」

 クイズ番組の司会者のような明るい声色で、蓮は目に見えないマイクを晴陽に向ける仕草をしてみせた。

「……凌空先輩のことが、気に入らないからですか?」

 蓮さんは「せいかーい」と言って、拍手した。

「オレはね、この身が黒い炎で焦げてしまうほど凌空くんに嫉妬してたんだ。だから八つ当たりしたかったんだよね」

 嫉妬。言葉にすればたった三文字の世の中にごくありふれた感情であり、菫を可愛がっていた蓮が妹の想い人である凌空に対して嫉妬する理由はわかる。

 だが、彼がさらりと口にした一つ目の答えについては腑に落ちず、引っ掛かりを覚えて気持ちが悪い。

「待ってください。わたしへの嫌がらせなら理解できるんですけど、菫さんへの嫌がらせが目的だったってどういうことですか? 蓮さんは菫さんのことが大好きで、大切だったんじゃないんですか?」

「嫌だなあ、オレを噓吐きみたいに言わないでよ。もちろんオレは菫のことが大切だし、大好きだよ? でもね……だからこそ菫に対してものすごく、怒っていたんだよ」

 そう言って蓮は晴陽――いや、晴陽の心臓を指差した。

「心臓だけになった菫は、凌空くんへの好意だけを覚えていた。だから晴陽ちゃんの体を使って、恋を実らせようと努力していた! そんな酷い話があるか⁉ 家族のことは全部忘れた? どうでもよかった? オレから関わろうとしなければ無視するつもりだったんだろうよ!」

 今にも泣きそうな顔で辛そうに叫ぶ蓮を見て、かつて菫のものだった心臓は痛んだ。

 違う。誤解だ。大切な人にこんな顔をさせたいはずがない。

 晴陽が凌空を好きな気持ちが相乗効果となっていたせいか、蓮から見れば家族をないがしろにして凌空を追いかけてばかりいるように見えたかもしれないが、決してそんなことはない。

 菫はずっと家族を想っていた。蓮のことも、本当に大切にしていたのだ。

 異様な威圧感を纏って近づいてきた蓮は、両手で晴陽の頬をそっと挟んだ。

「菫に聞いてくんない? どうしてオレのことは覚えていてくれなかったの? オレたち、仲のいい兄妹じゃなかったの? ……そう思っていたのは、オレだけだった?」

「覚えていないわけがないじゃないですか。忘れるはずがないじゃないですか!」

 だけど、それを蓮に理解してもらえる術はない。歯がゆいけれど『証明』できないのだ。

「……だったら、どうして……」

 蓮の手はゆっくりと晴陽の頬から下に降りてきて、その細い指を首にかけた。

 至近距離で見る蓮の瞳に、きっと晴陽は映っていない。

 彼はいつも、どこでも、どんなときでも、愛する妹の姿を探し求めている。

「蓮さんは……菫さんの心臓を使って生きているわたしが、憎いですか?」

「菫を感じられたときの晴陽ちゃんは、好きだったよ。だけど……もう、菫はいないから」

 目の前にいるのに晴陽を否定する蓮に対して、腹が立つとか悲しいとか、そういった感情は抱かなかった。このままだと消えてしまいそうな彼を繋ぎ止めることだけに、思考回路を必死に働かせていた。
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