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第二章 存在の証明
拒絶
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冬休みをこれほど苦痛に感じたことはなかった。
あの日以来、冬期講習に参加することのなかった凌空と接触する機会はなかった。メッセージを送ってみても既読は一向につかず、電話なんて出てもらえるはずもない。
家まで行ってみたものの凌空は事前にマンションのコンシェルジュに何かを伝えていたのか、晴陽がインターホンを鳴らすより先に「次に敷地内で見かけたら警察に通報します」と警告をされてしまった。
想いは募るばかり。顔を見て、話がしたくて仕方がなかった。
一月八日。待ちに待った始業式当日、誰よりも先に登校して昇降口で凌空を待っていた晴陽は、登校時間ギリギリにやって来た凌空に声をかけた。
「凌空先輩! おはようございます!」
「もう俺に付きまとうのはやめろ。迷惑だ。二度と近寄るな」
今までで一番冷たい声色と冷然な目つきで睨みつけられたことで、自己防衛機能が働いて体が一瞬だけ停止した。
その隙に靴を履き替え歩き出す凌空を周りの生徒たちは日常の光景だと思っているだろうけれど、ふたりの心境は今までとは全く違う。
凌空は晴陽を拒否ではなく拒絶するために、晴陽は凌空に好意を押しつけるためではなく、自分の気持ちの在り処を主張するために必死なのだ。
「私は逢坂晴陽です。二階堂菫さんじゃありませんよ」
背中越しに声をかけられた凌空の肩が、強張ったように見えた。
「……そんなの、わかってる。だけど……もう俺には、菫にしか見えないんだよ」
「私は凌空先輩のことが好きです。超好きです。めちゃくちゃ好きです。死ぬほど好きです。この気持ちが、菫さんから引き継いだものだとは思えません」
歩を止めないまま教室へ向かう凌空の後ろを追いかけながら、必死に愛を伝えた。
「具体性がないっていうのなら、好きなところをたくさん言います。大きな瞳が好きです。笑った顔が好きです。細い指が好きで、す。……は……話すときに目を逸らさない、ところが、好きです。呆れたときの、た、溜息の吐き方が好きです。……ゲホッ、これだけじゃないです……ゴホッ、まだまだ言えます。菫さんが好きになった凌空先輩と、わ……私がこの目で見て好きになった先輩は、違うはずで、す……!」
普段、運動に制限をかけられている晴陽が小走りに近い早歩きで長時間話し続けるのは、体力的に厳しかった。ところどころで息が切れてしまい、心配なんてさせたくないのに、意図しない理由で凌空の足を止めてしまった。
呼吸が整うのを待ってくれる彼の優しさに甘える自分を情けなく思いながらも、愚直に伝えることしか晴陽には術がないのだ。
「……凌空先輩は私に、菫さんとして振る舞ってほしいんですか? そうじゃないなら、私が諦める理由にはなりません」
「違う。でも、晴陽と菫を切り離して接するなんて、もう俺にはできない。晴陽と話していても菫の顔が頭にちらついてしまう。……これから先、晴陽と純粋な気持ちで会話するなんて無理なんだよ」
そう言って、凌空は予鈴が鳴ったと同時に走り去ってしまった。帰宅部なのに足が速く、インドア派なのに運動神経抜群なところも大好きだ。
だが――晴陽は凌空のことがこんなにも好きだというのに、彼はもう、菫というフィルターを通さなければ晴陽を見てくれることはないようだ。
全身が急に重くなったように感じて、晴陽はその場を動くことができなかった。
ここまで徹底的に拒絶されたのは、初めてだった。
母親の愛と苦労が感じられる、三段の弁当箱にぎっちりと詰められたすべて手作りだというおかずを早くも平らげた明美は、残る白米を飲み込んでからイヤホンを取り出した。
「まあそう落ち込むなって。あっくんのアルバム曲に超イイ失恋ソングがあんの。聴かせてあげるから耳貸して」
「まだ失恋してないっつの」
昼休みになってすぐに凌空のクラスへ参じたものの追い返されてしまった晴陽は、泣く泣く教室に戻って明美と弁当をつついていた。
振られ慣れているとはいえ、今回ばかりは晴陽の努力だけではどうしようもできないのかもしれない。そう考えてしまうと、焦燥感と絶望感が襲ってくる。
「いや、でも諦める理由にはならない! ちゃんとごはん食べて、また放課後凌空先輩のところに行ってくるわ!」
自分に言い聞かせるように好物の唐揚げを頬張っていると、背後から肩を叩かれた。
「なんか暗い顔してるな。幸せが逃げるぞ?」
ダメージの蓄積で油断したら涙が零れそうな晴陽とは対照的に、翔琉はやけに機嫌がよさそうだった。制服の着崩し方はチャラいが笑顔や雰囲気は爽やかで、手に持った紙パックのオレンジジュースのイメージキャラクターにすら見えてくる。
「よ、明ちゃん元気? 相変わらずフッサフサの睫毛してんね!」
「距離感を考えて! オタクはすぐに惚れるんだからね⁉」
明美はオタクを公言しているくせに、なぜか男子の前では声優好きだということは隠して、漫画・アニメオタクとして通している。晴陽からしてみればどちらも変わらないと思うのだが、明美にとっては譲れないラインなのだそうだ。
明美の好きなあっくんと翔琉は真逆のタイプだが、明美は惚れっぽいところがあるのでそう遠くない未来に恋愛相談でも受けるのかもしれない。そうなったら、友人としてしっかり諦めるよう諭してやるつもりだ。
「久川はやけに元気じゃん。なんかあった?」
「美術室に新しいイーゼルが増えていたから、見ちゃったんだよね。この間、おれが気を遣ってやった成果が出てるじゃん! 都築先輩の絵、いつ頃完成しそう?」
屈託のない笑顔が今の晴陽には眩しすぎて直視できなかった。だが協力してもらった手前、嘘を吐いたり適当な言葉で逃げを打ったりしてはいけないと思った。
「……うーん……しばらくは無理かも」
「なんで?」
今までとは全く質の違う理由で避けられ、話しかけることすら許されないほど拒絶されていることを伝えると、翔琉は難しい顔をしていた。
「……おれ的にはさ、逢坂にはどうしてもあの絵を完成させてほしいんだよ。だからそういう意味では、お前の恋路を応援してやりたいと思ってる」
翔琉の表情は真剣そのものだった。
「おれに何かできることがあったら言って。できる限りのことはするから」
明美が小首を傾げていたが、どうして翔琉がここまで言ってくれるのかは晴陽にもわかっていなかった。
あの日以来、冬期講習に参加することのなかった凌空と接触する機会はなかった。メッセージを送ってみても既読は一向につかず、電話なんて出てもらえるはずもない。
家まで行ってみたものの凌空は事前にマンションのコンシェルジュに何かを伝えていたのか、晴陽がインターホンを鳴らすより先に「次に敷地内で見かけたら警察に通報します」と警告をされてしまった。
想いは募るばかり。顔を見て、話がしたくて仕方がなかった。
一月八日。待ちに待った始業式当日、誰よりも先に登校して昇降口で凌空を待っていた晴陽は、登校時間ギリギリにやって来た凌空に声をかけた。
「凌空先輩! おはようございます!」
「もう俺に付きまとうのはやめろ。迷惑だ。二度と近寄るな」
今までで一番冷たい声色と冷然な目つきで睨みつけられたことで、自己防衛機能が働いて体が一瞬だけ停止した。
その隙に靴を履き替え歩き出す凌空を周りの生徒たちは日常の光景だと思っているだろうけれど、ふたりの心境は今までとは全く違う。
凌空は晴陽を拒否ではなく拒絶するために、晴陽は凌空に好意を押しつけるためではなく、自分の気持ちの在り処を主張するために必死なのだ。
「私は逢坂晴陽です。二階堂菫さんじゃありませんよ」
背中越しに声をかけられた凌空の肩が、強張ったように見えた。
「……そんなの、わかってる。だけど……もう俺には、菫にしか見えないんだよ」
「私は凌空先輩のことが好きです。超好きです。めちゃくちゃ好きです。死ぬほど好きです。この気持ちが、菫さんから引き継いだものだとは思えません」
歩を止めないまま教室へ向かう凌空の後ろを追いかけながら、必死に愛を伝えた。
「具体性がないっていうのなら、好きなところをたくさん言います。大きな瞳が好きです。笑った顔が好きです。細い指が好きで、す。……は……話すときに目を逸らさない、ところが、好きです。呆れたときの、た、溜息の吐き方が好きです。……ゲホッ、これだけじゃないです……ゴホッ、まだまだ言えます。菫さんが好きになった凌空先輩と、わ……私がこの目で見て好きになった先輩は、違うはずで、す……!」
普段、運動に制限をかけられている晴陽が小走りに近い早歩きで長時間話し続けるのは、体力的に厳しかった。ところどころで息が切れてしまい、心配なんてさせたくないのに、意図しない理由で凌空の足を止めてしまった。
呼吸が整うのを待ってくれる彼の優しさに甘える自分を情けなく思いながらも、愚直に伝えることしか晴陽には術がないのだ。
「……凌空先輩は私に、菫さんとして振る舞ってほしいんですか? そうじゃないなら、私が諦める理由にはなりません」
「違う。でも、晴陽と菫を切り離して接するなんて、もう俺にはできない。晴陽と話していても菫の顔が頭にちらついてしまう。……これから先、晴陽と純粋な気持ちで会話するなんて無理なんだよ」
そう言って、凌空は予鈴が鳴ったと同時に走り去ってしまった。帰宅部なのに足が速く、インドア派なのに運動神経抜群なところも大好きだ。
だが――晴陽は凌空のことがこんなにも好きだというのに、彼はもう、菫というフィルターを通さなければ晴陽を見てくれることはないようだ。
全身が急に重くなったように感じて、晴陽はその場を動くことができなかった。
ここまで徹底的に拒絶されたのは、初めてだった。
母親の愛と苦労が感じられる、三段の弁当箱にぎっちりと詰められたすべて手作りだというおかずを早くも平らげた明美は、残る白米を飲み込んでからイヤホンを取り出した。
「まあそう落ち込むなって。あっくんのアルバム曲に超イイ失恋ソングがあんの。聴かせてあげるから耳貸して」
「まだ失恋してないっつの」
昼休みになってすぐに凌空のクラスへ参じたものの追い返されてしまった晴陽は、泣く泣く教室に戻って明美と弁当をつついていた。
振られ慣れているとはいえ、今回ばかりは晴陽の努力だけではどうしようもできないのかもしれない。そう考えてしまうと、焦燥感と絶望感が襲ってくる。
「いや、でも諦める理由にはならない! ちゃんとごはん食べて、また放課後凌空先輩のところに行ってくるわ!」
自分に言い聞かせるように好物の唐揚げを頬張っていると、背後から肩を叩かれた。
「なんか暗い顔してるな。幸せが逃げるぞ?」
ダメージの蓄積で油断したら涙が零れそうな晴陽とは対照的に、翔琉はやけに機嫌がよさそうだった。制服の着崩し方はチャラいが笑顔や雰囲気は爽やかで、手に持った紙パックのオレンジジュースのイメージキャラクターにすら見えてくる。
「よ、明ちゃん元気? 相変わらずフッサフサの睫毛してんね!」
「距離感を考えて! オタクはすぐに惚れるんだからね⁉」
明美はオタクを公言しているくせに、なぜか男子の前では声優好きだということは隠して、漫画・アニメオタクとして通している。晴陽からしてみればどちらも変わらないと思うのだが、明美にとっては譲れないラインなのだそうだ。
明美の好きなあっくんと翔琉は真逆のタイプだが、明美は惚れっぽいところがあるのでそう遠くない未来に恋愛相談でも受けるのかもしれない。そうなったら、友人としてしっかり諦めるよう諭してやるつもりだ。
「久川はやけに元気じゃん。なんかあった?」
「美術室に新しいイーゼルが増えていたから、見ちゃったんだよね。この間、おれが気を遣ってやった成果が出てるじゃん! 都築先輩の絵、いつ頃完成しそう?」
屈託のない笑顔が今の晴陽には眩しすぎて直視できなかった。だが協力してもらった手前、嘘を吐いたり適当な言葉で逃げを打ったりしてはいけないと思った。
「……うーん……しばらくは無理かも」
「なんで?」
今までとは全く質の違う理由で避けられ、話しかけることすら許されないほど拒絶されていることを伝えると、翔琉は難しい顔をしていた。
「……おれ的にはさ、逢坂にはどうしてもあの絵を完成させてほしいんだよ。だからそういう意味では、お前の恋路を応援してやりたいと思ってる」
翔琉の表情は真剣そのものだった。
「おれに何かできることがあったら言って。できる限りのことはするから」
明美が小首を傾げていたが、どうして翔琉がここまで言ってくれるのかは晴陽にもわかっていなかった。
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