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第一章 愛の証明
二階堂蓮
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イルカショーを見るために、開始時間の十五分前に会場に入った。
晴陽としてはレインコートを買って最前列で凌空と一緒に水を被るのもいいなと思っていたけれど、凌空に渋い顔で完全に拒否されたので後ろの方で見ることになった。
「凌空先輩はこのあと予定あるんですか?」
「別にない。今日は晴陽と別れたら家に帰ってゆっくりするって決めてる」
今日という貴重な休日の一日を、晴陽だけのために空けてくれたという事実が嬉しい。
「まだ始まるまで時間あるよな。トイレ行ってくる」
「一人で行けますか? 一緒に行きますか?」
「……セクハラって男女平等の言葉だって、知ってるか?」
席を立った凌空を手を振って見送り、早く帰って来ないかなあと思いながらイルカショーへの期待に胸を膨らませていると、晴陽の隣――もっと具体的にいえば、凌空が座っていた場所に知らない男の人が座った。
「あ、すみません。今席を外しているだけで、ここは連れが座っていて」
自分の口から発せられた「連れ」という単語に舞い上がりそうになる気持ちを堪えつつ、男の人を見た。
ふわふわの茶色い髪をした可愛らしい顔立ちのその人は、風貌的におそらく大学生だろう。知り合いではなさそうだ。
だが男は晴陽を見て大ファンのアイドルにでも遭遇したかのように、興奮気味に瞳を輝かせながら満面の笑みで抱きついてきた。
「晴陽ちゃん! 会いたかったよ!」
「え? えええええ⁉」
頭が真っ白になるとは、こんな状態を指すのだろうと思った。もし晴陽が漫画の主人公ならば狼狽え方にも面白味があるのだろうが、実際に平凡な自分の身に起こるとひたすらに動揺して言葉も出てこないことを知る。
「近くで見ると本当に可愛い顔をしてるんだね! 子犬みたいに黒目が大きいし、目鼻立ちのバランスもいい! あ、癖毛も可愛いー! わしゃわしゃってしてもいい?」
「ひっ、ひひひ、人違いじゃないですか?」
「オレのこともう忘れちゃったの? ひどいなあー」
本気で心当たりがなくて青ざめながら、光の速さで男を突き飛ばした。
「ごめんなさい! 私、本当にあなたのこと知りませんから! 人違いだと思います!」
「ええー? 人違いなんかしてないよ? 瀧岡高校一年、逢坂晴陽ちゃんでしょ?」
「そいつは私のドッペルゲンガーか何かです! 今ここにいる私とは、全くもって無関係ですから!」
なぜ晴陽の個人情報を知っているのか。なぜいちいち語尾にハートマークがついているのか。気になる要素は多々あれど、混乱する頭で行きついた答えは、彼の前から一刻も早く離脱することだった。
立ち上がって逃げようとした晴陽だったが、「待ってよー」と甘い声で手を握られて更なるパニックを起こした。
凌空にこんな場面を見られてしまったら誤解で済むはずもない。愛を証明するとか言って執拗に好意を伝えておきながら他の男とこんなに親し気に触れ合っていては、凌空の女性不信に磨きがかかってしまう。
今はこの状況を見られないようにすることが最優先だ。早く、この場を――。
「晴陽、なにしてんの?」
なんて、考えているうちに愛しい人の声が聞こえて心臓が破裂しかけた。
晴陽の手を握る見知らぬ男の存在に、凌空は何を感じたのだろう。いつも以上に冷ややかというか、軽蔑を含有した視線を向けられている気がした。
「ち、違うんですよ。えっと、この男の人とは初対面なんですけど、なんかいきなり手を握られたっていうか……」
何を話しても言い訳に聞こえてしまうので泣きたくなる。晴陽の説明が下手なのか、男の雰囲気に「そう」思わせる説得力があるのか、端から凌空が晴陽を疑ってかかっているからか。答えはきっと、全部なのだろう。
蒼白する晴陽とは対照的に、男は凌空に笑顔を向けていた。
「君、都築凌空くんだよね? オレ、二階堂蓮。二階堂菫の兄貴なんだけど、妹のこと覚えてる? 中等部の頃の同級生で、一年生のときに告白して玉砕したらしいんだけど……しばらく会ってないだろうし、やっぱり忘れちゃったかな?」
「……え⁉ 同志⁉」
反応したのは凌空ではなく晴陽だ。たとえ相手が翁だろうが幼女だろうが、凌空に好意を向ける人類は晴陽にとって同志であり、ライバルである。どんな情報でも過剰反応してしまうのは当然だった。
「……覚えていますよ。わざわざ俺に話しかけてくるってことは、恨んでいるんですか?」
不審感を隠さない中にも何かに怯えたような表情で、凌空は蓮の反応を観察していた。
怖いもの知らずというか、自分の領域を侵す人間には誰が相手でも躊躇なく攻撃する凌空にしては、一歩引いた対応をしていると感じた。
凌空とは正反対の人懐こい笑顔をする蓮は、胸の前で手をブンブンと横に振った。
「恨むわけないじゃん! 菫からはよく君の話を聞かされていたからさ、ずっと会ってみたかったんだよね。菫のことは、女と付き合う気はないって言って振ったんでしょ? 晴陽ちゃんとお付き合いしているってことは、女嫌いは克服したの?」
よく喋るうえに、さっきから凌空の地雷を踏み抜きそうな話ばかりするのでハラハラしてきた。現に今、凌空の眉間には皺が寄っている。
「晴陽とは付き合ってないですし、今でも女は苦手です。だから俺には、二階堂さんみたいに女の手を平気で握れる神経はわかりません」
「え、そうなの? じゃあ、もしかして男の方が好きな人?」
「知りません。男も女も好きになったことがないので」
わざとかと疑いたくなるほど蓮は凌空を苛つかせている。先程までは蓮の様子を窺っていた凌空はもう、彼を明確に不快な対象と認識したのか睨みつけていた。
機嫌を損ねた凌空が「帰る」と言い出す前に、フォローに入らなければ。
「私が凌空先輩とお付き合いしたい一心で、猛アピールしている真っ最中なんですよ! というわけで、すみませんね二階堂さん! 貴重なデートの時間なのでふたりにさせてもらえませんか? ほら、そろそろイルカさんたちも出てきますし!」
自分は凌空に一途なのだとアピールしつつ、凌空から蓮を遠ざけるいい作戦だと思った。だが蓮はこの場から去ろうとする動きを見せるどころか、申し訳なさそうな表情すら見せることはなかった。
晴陽としてはレインコートを買って最前列で凌空と一緒に水を被るのもいいなと思っていたけれど、凌空に渋い顔で完全に拒否されたので後ろの方で見ることになった。
「凌空先輩はこのあと予定あるんですか?」
「別にない。今日は晴陽と別れたら家に帰ってゆっくりするって決めてる」
今日という貴重な休日の一日を、晴陽だけのために空けてくれたという事実が嬉しい。
「まだ始まるまで時間あるよな。トイレ行ってくる」
「一人で行けますか? 一緒に行きますか?」
「……セクハラって男女平等の言葉だって、知ってるか?」
席を立った凌空を手を振って見送り、早く帰って来ないかなあと思いながらイルカショーへの期待に胸を膨らませていると、晴陽の隣――もっと具体的にいえば、凌空が座っていた場所に知らない男の人が座った。
「あ、すみません。今席を外しているだけで、ここは連れが座っていて」
自分の口から発せられた「連れ」という単語に舞い上がりそうになる気持ちを堪えつつ、男の人を見た。
ふわふわの茶色い髪をした可愛らしい顔立ちのその人は、風貌的におそらく大学生だろう。知り合いではなさそうだ。
だが男は晴陽を見て大ファンのアイドルにでも遭遇したかのように、興奮気味に瞳を輝かせながら満面の笑みで抱きついてきた。
「晴陽ちゃん! 会いたかったよ!」
「え? えええええ⁉」
頭が真っ白になるとは、こんな状態を指すのだろうと思った。もし晴陽が漫画の主人公ならば狼狽え方にも面白味があるのだろうが、実際に平凡な自分の身に起こるとひたすらに動揺して言葉も出てこないことを知る。
「近くで見ると本当に可愛い顔をしてるんだね! 子犬みたいに黒目が大きいし、目鼻立ちのバランスもいい! あ、癖毛も可愛いー! わしゃわしゃってしてもいい?」
「ひっ、ひひひ、人違いじゃないですか?」
「オレのこともう忘れちゃったの? ひどいなあー」
本気で心当たりがなくて青ざめながら、光の速さで男を突き飛ばした。
「ごめんなさい! 私、本当にあなたのこと知りませんから! 人違いだと思います!」
「ええー? 人違いなんかしてないよ? 瀧岡高校一年、逢坂晴陽ちゃんでしょ?」
「そいつは私のドッペルゲンガーか何かです! 今ここにいる私とは、全くもって無関係ですから!」
なぜ晴陽の個人情報を知っているのか。なぜいちいち語尾にハートマークがついているのか。気になる要素は多々あれど、混乱する頭で行きついた答えは、彼の前から一刻も早く離脱することだった。
立ち上がって逃げようとした晴陽だったが、「待ってよー」と甘い声で手を握られて更なるパニックを起こした。
凌空にこんな場面を見られてしまったら誤解で済むはずもない。愛を証明するとか言って執拗に好意を伝えておきながら他の男とこんなに親し気に触れ合っていては、凌空の女性不信に磨きがかかってしまう。
今はこの状況を見られないようにすることが最優先だ。早く、この場を――。
「晴陽、なにしてんの?」
なんて、考えているうちに愛しい人の声が聞こえて心臓が破裂しかけた。
晴陽の手を握る見知らぬ男の存在に、凌空は何を感じたのだろう。いつも以上に冷ややかというか、軽蔑を含有した視線を向けられている気がした。
「ち、違うんですよ。えっと、この男の人とは初対面なんですけど、なんかいきなり手を握られたっていうか……」
何を話しても言い訳に聞こえてしまうので泣きたくなる。晴陽の説明が下手なのか、男の雰囲気に「そう」思わせる説得力があるのか、端から凌空が晴陽を疑ってかかっているからか。答えはきっと、全部なのだろう。
蒼白する晴陽とは対照的に、男は凌空に笑顔を向けていた。
「君、都築凌空くんだよね? オレ、二階堂蓮。二階堂菫の兄貴なんだけど、妹のこと覚えてる? 中等部の頃の同級生で、一年生のときに告白して玉砕したらしいんだけど……しばらく会ってないだろうし、やっぱり忘れちゃったかな?」
「……え⁉ 同志⁉」
反応したのは凌空ではなく晴陽だ。たとえ相手が翁だろうが幼女だろうが、凌空に好意を向ける人類は晴陽にとって同志であり、ライバルである。どんな情報でも過剰反応してしまうのは当然だった。
「……覚えていますよ。わざわざ俺に話しかけてくるってことは、恨んでいるんですか?」
不審感を隠さない中にも何かに怯えたような表情で、凌空は蓮の反応を観察していた。
怖いもの知らずというか、自分の領域を侵す人間には誰が相手でも躊躇なく攻撃する凌空にしては、一歩引いた対応をしていると感じた。
凌空とは正反対の人懐こい笑顔をする蓮は、胸の前で手をブンブンと横に振った。
「恨むわけないじゃん! 菫からはよく君の話を聞かされていたからさ、ずっと会ってみたかったんだよね。菫のことは、女と付き合う気はないって言って振ったんでしょ? 晴陽ちゃんとお付き合いしているってことは、女嫌いは克服したの?」
よく喋るうえに、さっきから凌空の地雷を踏み抜きそうな話ばかりするのでハラハラしてきた。現に今、凌空の眉間には皺が寄っている。
「晴陽とは付き合ってないですし、今でも女は苦手です。だから俺には、二階堂さんみたいに女の手を平気で握れる神経はわかりません」
「え、そうなの? じゃあ、もしかして男の方が好きな人?」
「知りません。男も女も好きになったことがないので」
わざとかと疑いたくなるほど蓮は凌空を苛つかせている。先程までは蓮の様子を窺っていた凌空はもう、彼を明確に不快な対象と認識したのか睨みつけていた。
機嫌を損ねた凌空が「帰る」と言い出す前に、フォローに入らなければ。
「私が凌空先輩とお付き合いしたい一心で、猛アピールしている真っ最中なんですよ! というわけで、すみませんね二階堂さん! 貴重なデートの時間なのでふたりにさせてもらえませんか? ほら、そろそろイルカさんたちも出てきますし!」
自分は凌空に一途なのだとアピールしつつ、凌空から蓮を遠ざけるいい作戦だと思った。だが蓮はこの場から去ろうとする動きを見せるどころか、申し訳なさそうな表情すら見せることはなかった。
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