黒い泥

國灯闇一

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外来心療6

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 僕たちは大通りへやってきて、ようやく足を止めていました。
 休みたかったし、とにかく落ち着かないといけないと思って、コンビニの飲食スペースに腰を下ろしたんです。

 ひとまず、何があったのかを改めて友人に話しました。部長が死んだこと。他の仲間の部屋の様子。姿を見ていない他の二人も、無事ではなかったと思います。
 これからどうしたらいいのか……。僕らは途方に途方に暮れました。またあの家に戻ろうとは思えなかった。古藤は悲観的になっていました。もう逃げられないと。
 じゃあ拘置所で死んだ彼に、猪方さんはなんでそんなことを伝えたのか。あの黒い女の仕業だと、古藤は言っていました。最初に希望を持たせて、苦しんでる僕らを見たいんだろうと。拘置所で死んだ彼か、猪方さんか、あるいはその両方か。いずれにせよ、黒い女に操られていたと言いたいのでしょう。
 黒い女はなんのためにそんなことをするのでしょうか。あの館で勝手に撮影をしている僕らに怒りを覚えたからでしょうか。それとも、楽しそうにしていた僕らをねたんでのことでしょうか。
 今となっては、その理由もどうでもいいのかもしれません。僕らは黒い女の怒りを買った。たったそれだけ理由が、僕らの肩に重くのしかかっていました。

 藁をもすがる思いでした。黒い泥を食べたのに、部長たちは死んでしまった。黒い泥を食べなきゃ死ぬという猪方さんからのメッセージ。生き残る手がかりは、それだけしかありませんでした。ですが、もし猪方さんの意思によるものだとしたら、あのメッセージは僕らを助けようとしたものだったと考えた方が自然だと思ったんです。
 僕はもう一度、獄中で死んだ彼の言葉を思い起こしてみました。『あの黒い泥を食べなきゃ。みんな死ぬ』と、彼は言っていました。『あの』とは、どの黒い泥なのか。黒い泥は指定されていたんです。僕はとっさにあの館を思い浮かべました。浴槽いっぱいに入っていた黒い水です。あの中には、黒い泥があったんじゃないかって思ったんです。

 僕は古藤に提案しました。あの館に行こうって。彼は行きたくないと頭を振りました。長テーブルに肘をついて、顔をうずめるようにして塞ぎ込んでしまったんです。腕を掴む彼の手が袖をまくりあげました。そこには、黒い輪っかの痣が入っていました。
 僕は言えませんでした。わざわざ怖がらせる必要がなかったからです。それに、そんなことを言えば、きっと館へ行くことを余計に拒むだろうと思ったんです。
 諦めたくなかったんです。やっと、再出発できると思っていたのに、こんな形で終わってしまうなんて。だから、部長たちの分まで足掻いて生きていこうって、古藤を励ましました。
 古藤は震えながら、頷いてくれました。

 僕たちはレンタカーを借りて館のある山へ向かいました。僕は少し焦っていました。部長たちのようになってしまわないか、不安で仕方がなかったんです。
 隣で友人の顔色を常々うかがっている間に、山へ辿りつき、山道を登っていきました。不気味な雰囲気を放って、館は待ち構えていました。最初に亡くなった彼女が発見されたという情報を、僕らはすっかり忘れていました。門には新しい錠前がかけられ、固く閉じられていたんです。
 侵入できないよう、鉄の格子扉の上には有刺鉄線が張り巡らされていました。館は高さ四メートルもの赤壁に囲まれていて、簡単には登れそうにありませんでした。僕らは足止めを食らったのです。
 何か方法はないかと考えました。代わりになる何かが。愛人が発見されたのは、池だった。館の水は、池の水をひいていた。その池の底には、黒い泥があるのではないかと、僕は思ったんです。僕は古藤にその推測を伝え、池を探そうと提案しました。古藤は歩き疲れた様子でしたが、同意してくれました。

 僕たちは枯れ葉の積もる山の中を探し回りました。右も左も分からなくなるほど、気力を振り絞って進んだんです。

 空が赤く染まり始めた頃でした。僕らの視界が広がったのです。
 緑色の水面が眼前にありました。とても広い池でした。周りには物が捨てられていて、濁っていましたが、僕たちは池に向かって走りだしていました。
 池に入って、水面に勢いよく顔をぶつけました。水の中は一メートル先も見えませんでした。それでも良かったんです。足下にある底さえ分かれば。

 僕は手を伸ばしました。貼りつくようにやわらかい物が触れました。僕はそれを両手ですくって、水から顔を出しました。
 水が目に入って滲む視界に、真っ黒なものがありました。大量の黒い土でした。
 僕は喜びました。これで助かるんだって。僕は友人とこの喜びを分かち合いたくて、手にした泥を見せつけようとして声をかけました。
 そこに古藤はいませんでした。周囲を見回しても、いなかったんです。腰くらいの水位しかない池だったので、溺れるなんてことはないはずでした。何度も古藤を呼びました。でも、僕の声が周囲に散っていくだけでした。

 僕の声が空の向こうへ消えて、静寂が降りた時です。水が音を立てたんです。僕が身じろいだせいではありません。だって、僕のいるところから離れていましたから。水面が泡立っていたんです。水の中で立ち昇って水面で消えていく小さな泡が、僕の視線を離しませんでした。
 泡がどんどん増えていって、水面が大きく波を打ちました。
 水面に仰向けになった古藤が水の中から浮いてきたんです。
 僕は古藤を救えなかったことが悔しくてたまりませんでした。友人は目玉が飛びだしそうなほど見開いて、湧いて出てくる黒い泥を吐きだしていました。
 何もかも失った。友人の死に顔を見て、そう思いました。

 僕の涙は、不意に止まりました。友人の死体にぶつかった波が、僕の滲んだ視界に入ってきたんです。死体が水面に上がってきた時の波は、すでに小さくなっていました。しかも、明らかに背後から、その波はやってきたのです。
 僕は振り返りました。水の中に浸かった影が、こちらを見ていました。黒く染まった長い髪の女。鏡の中にいた、黒い女に間違いありませんでした。赤く染まった空のせいか、女を纏っている黒さは濃くなっている気がしました。森すら黒く感じて、何もかもが黒く染まってしまうようで怖くなりました。

 次は僕が殺される。僕は後ずさっていました。それと同時に女が動きだしたんです。僕は一瞬で黒くなった視界の中で、わずかに泥のついた両手で口を塞ぎました。
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