黒い泥

國灯闇一

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外来心療5

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 シェアハウス暮らしは半年も続きました。少しずつですが、僕らにも笑顔が戻ってきていました。調べることもやめました。これまでの縁も切って、シェアハウスで暮らす仲間と一緒に、もう一度やり直そうと思っていたんです。ただ、僕には一つ心配なことがありました。
 その頃、部長が吐き気をもよおしている姿を目にするようになったんです。
 少し体調が良くないと言ってましたが、病院から貰った薬があるから大丈夫と僕の心配を軽くあしらっていました。
 ですが、彼が使った後の洗面台は黒い砂のような物が見られたんです。洗面台から顔を上げた時でした。鏡に黒い女を見たんです。とっさに振り返りました。
 暗がりの廊下には誰もいませんでした。幻覚だと思って、その場はなかったことにしたんです。黒い砂を見て、なんとなく連想してしまったせいだと。

 きっとその時には、もう手遅れだったんでしょう。
 僕の部屋の真上に、部長の部屋がありました。毎晩、床を叩く音が聞こえてくるんです。鈍い音で、ドン……ド、ドン……ドンって。足音には聞こえませんでした。多少の音はお互い様だと思い、我慢して眠ることにしていました。

 シェアハウスでは食事を取る時間は自由でした。自室で取ることもあれば、共用スペースのテーブルで一緒に食事をすることもありました。たまたま食事を取る時間がみんなと重なって、一緒に食事をすることになりました。
 映研の演者だった女性、真崎さねざきは部長の隣の部屋に住んでいました。彼女が聞いたんです。『毎晩、何してるんですか』と。
 僕も興味があったので部長の返答を聞こうと思ったんですが、部長は『何もしてない』としか答えてくれませんでした。彼女も軽いノリで聞いたつもりだったと思います。でも部長は、突然不機嫌になってしまって、それ以上聞けませんでした。

 僕らはそれぞれ新しい仕事を始めていました。映研の経験を活かした仕事に就いた人もいましたし、まったく関係のない仕事に就いた人もいました。僕は映像制作の下請け会社に入りました。新しい人生を進むために、前を向いて歩いていこうと思っていたんです。

 その日、仕事から帰ってきたのは深夜遅くでした。玄関を開けて短い廊下が目に入るんですが、右側にある閉め切った扉から光が漏れていました。誰か風呂に入ってるんだと思って、リビングに向かったんです。
 リビングの扉を開けて入ると、テラスに出られる窓が開いていました。窓に向かったのですが、テラスには誰もいませんでした。誰かが閉め忘れたと思い、カギをかけて窓を閉めました。その時、聞こえたんです。音は二階からだと感じました。
 凄く大きな音でした。何かタンスくらいの物が倒れる音です。僕は様子を見にリビングから二階へ上がりました。L字型の階段を上りきると、細い廊下の左右に二つずつ、扉がありました。それぞれ自室として使っている部屋です。
 部長の住んでいる部屋の扉の下。その隙間から黒い水が出ていました。
 僕は急いで扉を開けました。瞬間、強烈な臭いが鼻を突き差したんです。明かりのついた部屋の中で、部長はベッドから上半身を投げだすように倒れていました。頭のてっぺんを床につけて目を見開いた部長の顔は、口から出ている水で真っ黒に染まっていました。

 
 部屋のドアを叩いて、他の人たちを呼びました。ドアノブを回したら、カギが開いていたんです。部屋にいない時は、みんな自宅のように必ずカギをかけてました。でも部屋には誰もいなかったんです。やっぱり何かが起こったんだと思いました。
 部屋に置かれていた物や服が散乱していたんです。床と壁には黒い液体がついていました。はっきりとした手形もありました。
 逃げるように一階に下りました。僕の部屋の隣、古藤の部屋にはカギがかかっていました。僕は心配だったんです。ドアを蹴り破って中に入りました。彼の部屋は荒れていませんでした。壁や床にも、黒いシミはありませんでした。
 拘置所で死んだ彼の言葉が現実となってしまった。そうとしか思えませんでした。

 その時、玄関からドアの開く音がしたんです。その次、古藤の声が聞こえてきました。陽気な雰囲気からして、古藤はお酒を飲んでいたようでした。まだ助かってる人がいたことに安心して、玄関へ駆けていきました。

 友人の古藤は靴を脱ぐのにもたついていました。僕は古藤に駆け寄って、部長が死んでいたことを伝えました。古藤は信じられないようでした。
 古藤から他の仲間はどこか聞かれました。部屋にはいなかったのですが、僕は忘れていたことに気づきました。脱衣場のドアからまだ光が漏れていました。僕はおそるおそるドアを開けました。
 ドアの隙間から様子をうかがってみました。浴室の電気はついていました。ですが、浴室の扉はすりガラスになっていて、詳しい中の様子は分かりませんでした。シャワーの音が聞こえてくるだけです。声をかけてみましたが、応答はありませんでした。
 躊躇ちゅうちょしている状況ではありませんでした。仕方なく僕は浴室の扉を開けました。
 演者だった女性、真崎さねざきは服を着て床に座っていました。僕が入ってきても、微動だにしませんでした。苦しい表情を貼りつけたまま、口から黒い泥を垂れ流していたんです。

 背後で古藤の絶叫がゆがんで聞こえてきました。古藤は腰を抜かしてしまうほどパニック状態でした。僕も驚きのあまり声も出せず、動けませんでした。ただ……気になるものが目に入りました。彼女の胸元に、黒い輪の形をした痣があったんです。
 古藤が今すぐ逃げようと言いだしたので、僕らは玄関へ向かいました。その時です。リビングから物音が聞こえてきたんです。部長の部屋から聞こえていた音でした。僕と古藤は思わず動きを止めていました。ゆっくりと、リビングへ視線を向けました。黄金色の明かりが扉の窓から漏れていました。そこにスッと影が入ったんです。
 当時、髪の長い同居人はいませんでした。ですが、扉を横切っていく女の影が見えたんです。
 僕は古藤と示し合わせて、音を立てないよう玄関のドアレバーを握りました。息を潜めて、ドアレバーを下ろし、飛びだしました。

 僕らはどこへ向かうでもなく、安全な場所を求めてひたすら夜の闇を走り続けました。
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