鎌倉最後の日

もず りょう

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14 埋火

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   埋火


 貞将の不安を他所に、京から次々ともたらされてくるのは、景気のいい勝ちいくさの報せだった。
 笠置を攻めた幕府軍は、主上を守ろうとする僧兵等の激しい抵抗に遭いながらも、粘り強い戦いでこれを圧し、ついに山を陥落せしめた。
 後醍醐は近臣等に背負われて三日間、山中を彷徨ったが、幕府軍に捕えられ、宇治を経て京へと送られた。
 ――これで一安心だ。
 誰もがそう信じて疑わなかった。
 何しろ企ての張本人である主上の身柄を押さえたのだ。激に応じて挙兵した残存勢力の後始末が残っているとはいえ、所詮は烏合の衆。神輿を失えば脆いものだろう。
 貞将もひと息吐いた心地でいたが、ほどなく河内へ転進した貞冬から信じがたい報せが届いた。
 ――幕府軍、苦戦。
「なに」
 書状によれば、総大将である大仏貞直の軍勢がとりわけ大きな被害を受け、貞冬と足利高氏の軍勢がなんとかそれを助けたために、かろうじて壊滅は免れたという。
 ――敵は何者だ。
 さらに書状を読み進め、貞将の目に飛び込んできた、その名――楠木正成。
 ――ああ。
 貞将の記憶が甦る。かつて田楽一座の丹次が口にしていた男の名だ。
 たしか河内水分あたりを根城とする土豪――当節流行りの「悪党」の棟梁だったはずである。あのあたりでは知られた男だと言っていたが、
 ――よもや、そのような者たちまでもが主上に同心していようとは。
 驚くと同時に、幕府の求心力の低下ぶりを改めて思い知らされたような心持ちに捉われて、暗澹たる気分になる。
 貞冬によれば、その楠木正成という男が、およそ規格外の戦上手なのだという。神出鬼没の用兵ぶりで幕府の大軍を大いに悩ませているらしい。
 ――楠木正成。
 貞将は口には出さず、心の内だけでその名を何度も唱えた。
 なぜかわからないが、ひどく胸騒ぎを覚えながら――。

 それから十日ほど後に催された幕府内の評定は、身柄を確保した後醍醐天皇の処遇をめぐって意見が真っ二つに分かれた。
「前回と同じように、できるだけ穏便な対応を」
 赤橋守時や北条高時、それに貞将ら北条一門の面々が唱えたのに対して、
「断固たる措置を取るべきである」
 そう強く主張したのが、長崎高資であった。その舌鋒は鋭く、
「お歴々のそのような甘い態度が主上や取り巻きの公卿どもをつけ上がらせ、此度の事態を招いたのだと、まだお気づきにならぬか」
 と、貞将らを責め立てる。
 彼の言う「お歴々」の中には、自身の父である長崎円喜も含まれている。その円喜は今、評定の場に姿を見せていない。体調を崩して、屋敷で療養しているのだという。
 そう言われてみれば、高時の屋敷での刺客騒ぎ以来、彼は表舞台にあまり出てこなくなった。かつての精気に満ちた様子を知る者としては、些か意外な思いがしたが、たしかに円喜とてかなりの老齢である。いつまでも健康を保っているのは難しいだろう。
 刺客騒ぎといえば、貞将はあれ以来、密かに伊三太と桔梗の行方を探させている。しかし、こちらも未だ何ひとつ手がかりが掴めずにいた。
 ――おそらくもう、この鎌倉にはおらぬのであろうな。
 それならばそれでよいと、貞将は思っている。どのような理由があって刺客になどなったのかわからないが、事破れた今となっては、どこか人目につかぬところで心静かに暮らしてくれれば――。
 その願いは、かすかな寂寥感を伴うものだった。彼自身、それがどこから来るものなのかを今はもう自覚している。
 ――桔梗。
 脳裏に思い浮かぶ面影は、明瞭だった。
 強くおのれの胸を締め付ける、可憐な笑顔だった。
 会いたい。
 心が、そう叫んでいる。
「聞けば――」
 そんな想念を、高資の声が打ち破った。
「河内赤阪城でずいぶんこちらの軍勢を苦しめていた楠木某という悪党もついに力尽き、城を自焼して果てたという。近々、鎌倉へ凱旋いたすとの報せが、大仏殿より届けられた。この機を逃さず、主上のご謀叛に加担する勢力を根絶やしにいたすべし。さすれば今後、二度とかような企ては図られまい」
「それは違うぞ、高資殿」
 強い口調で貞将が反論する。
「剛毅な主上は、生きておわすかぎり決してお諦めにはならぬであろう。たとえご隠退あそばされたとて、おそらくまた何度でも立ち上がってこられる。そういうお方なのだ。それゆえに人々が付いてくる。おのが夢を託そうとする」
「わかっており申す」
 高資は傲然と胸を張って頷く。
「だからこそ、ご隠退などという甘い措置を取るつもりはないと申し上げておるのでござる」
「なに」
「恐れながら主上には、隠岐島へ赴いていただきまする」
 刹那、一座に水を打ったような沈黙が流れた。
「主上を隠岐へ……」
「そは後鳥羽院の先例に倣うてのことか」
「いかにも、さようでござる。奇しくも同種の企てをなされ、事破れた後鳥羽院と同じ道を辿っていただきまする」
 さすがに命まで取ることはできぬ。となれば、隠岐遠流は考えうる中ではもっとも苛酷な処分であるといえよう。現にその先例となった後鳥羽院は結局、終生島から出ること叶わず、寂寞の中で静かにその生涯を終えられたのだ。
「しかし、それでは世間が黙っていまい」
「さよう、我等鎌倉への風当たりはいよいよ強くなるばかりぞ」
 必死に抗弁する守時と高時――ともに、その声は上ずっている。
「ご懸念は無用にござる」
 対する高資は、どこまでも冷静だ。
「いかに世間が騒ぎ立てようとも、我等に公然と叛旗を翻せるだけの甲斐性を持つ者が、はたしてどれほどおりましょうや」
「此度のご謀叛に与した公家どもはどうだ」
「むろん主立った者たちは首を刎ねまする」
「なっ……」
 一同が絶句する。武家ならばいざ知らず、公家の死刑は久しく行われていない。しかしながら、
「保元の乱における藤原頼長卿、平治の乱における藤原信頼卿など、古来、兵乱の首謀者となった公家は等しく敵方によって命を奪われており申す。むしろ此度のみを例外とするいわれがござらぬ」
 高資にそう断じられると、つづける言葉を失った。
 居並ぶ者たちは、みな高資の気迫に圧倒されている。この上、反論を試みようとする者はひとりとしていなかった。
「では、よろしゅうござるな」
 高資が断を下す。
「どうやら議論は出尽くしたようでござる。されば主上は隠岐島へ遠流、主立った公家は斬首の刑に処す。一同、ご異論ござるまいな」
 厳然たるその言葉に、もはやみな頷くしかなかった。

 ほどなく上方から追討軍が凱旋してきた。
 沿道に出迎えた弥次馬たちの拍手喝采を浴びながら、金澤貞冬たちは面映ゆげに若宮大路を行軍した。
 ひととおりの報告を済ませ、屋敷へ戻った貞冬は、
「兄上、このままでは鎌倉は滅びまするぞ」
 開口一番、切迫した口振りで告げた。
「どうしたのだ、藪から棒に」
「京で、佐々木道誉殿にお会いしました」
「おお、佐々木殿か。息災でおられたか」
「はい」
 貞冬は険しい表情で頷く。
「兄上のことはずいぶんと懐かしがっておられ、ぜひまたお会いしたいとおっしゃっていました。しかし、話題の中心はそのことではありませんでした」
「……」
「兄上は、北畠具行卿というお方をご存知ですか」
「ああ、知っている。残念ながら、お会いする機会はなかったが、佐々木殿や千種忠顕殿からお噂はよく耳にした。たしか此度の一件で――」
「ええ、処刑されました。刑を膝行されたのは佐々木殿だったそうです」
「……そうか」
 貞将は視線を落とした。判官と具行は旧知の友であったはずだ。その処刑を任せられるとは……。
「佐々木殿は仰いました。当節、あまたの武士がいるが、その志操の堅固さ、覚悟の潔さにおいて具行卿に勝る者はひとりとしておらぬと改めて思い知った、と」
 貞将は結局、京にいる間に北畠具行と親しく交わることがなかった。だが、道誉や忠顕だけでなく、都中の武士や公家から一目置かれているその存在には敬意を払っていた。今、その死を知らされて、さながら知己を失ったがごとき喪失感を覚えているのは、そのためである。
「その具行卿が首を討たれる直前、佐々木殿にこう言われたそうです。たとえ自分を斬り、日野俊基殿を斬り、主上を隠岐へ流し奉ったところで世の流れは変えられぬ。それどころか、無理やりにせき止めた流れが、その堰を切ってふたたび流れ出した時、それはもはや誰にも止められぬ奔流と化すであろう。幕府は此度のことでみずからの命脈を絶った。そのことに鎌倉の者たちはおそらく気付いておるまい、と」
「……」
「これを聞いた時、私は咄嗟に否定しようとしました。しかし、言葉が見付けられませんでした。具行卿の仰るとおりかもしれぬ――そう思えてしまったからです。鎌倉にいてはわからぬ世の動きが、上方へ行けばよくわかります。兄上だって、そうでしょう。六波羅へ行かれる前と後とでは、兄上は変わられた。このままではいけない――京へ行って、そうお感じになったからではありませぬか」
「そうかもしれぬ」
「兄上」
 貞冬はにじり寄り、
「今からでも遅くはない。長崎父子を討ち、幕府をあるべき姿に戻しましょう」
 切迫した声音で言った。
「鎌倉を離れ、遠慮のなくなった兵たちは、口々に長崎父子の専横を憤っていました。それはもう聞くに堪えぬ罵詈雑言の数々――奴等のことを疎ましく思っているそれがしでさえ耳を塞ぎたくなるような有様でした。奴等がのさばっているかぎり鎌倉は一枚岩にはなりませぬ。此度はなんとか治められましたが、次にまたいくさが起きれば、同じようにはいきますまい」
「またいくさが起きる恐れは残っているのか。主上は隠岐へ流され、主立った近臣たちはみな斬られて死んだ。頑強な抵抗を見せていた大塔宮は行方知れずとなり、それを助けて意外な働きを見せた悪党楠木正成も城と運命をともにしたと聞く。この上、いくさを挑んでくる余力はとうてい残っていまい」
「お言葉ですが、兄上」
 貞冬はいくぶん声を潜めて、
「楠木正成は生きておりまするぞ」
「なに」
 驚く貞将に、
「確たる証拠はござりませぬが、彼の者のいくさぶりを直に見たそれがしの直感でござりまする。彼の者の戦いかたはとにかく粘り強く、かつ奇抜でござりました。我等は何度追い詰めてもその都度、伏兵や奇襲に悩まされ、決定的な打撃を与えることができませんでした。そうこうしているうちにこちら側が焦れてきて無謀な攻撃に打って出るのを待っているのだとわかっていながら、つい痺れを切らして突進を仕掛け、幾度となく痛い目に遭わされてきたのです。その楠木正成が、ああも易々と城に火を放ち、そこでみずから命を絶ったなど、とうてい信じられませぬ」
 貞将は思い返すのも口惜しいといった口振りで告げた。
「おそらくあれは偽計でござりましょう。主上が囚われの身となり、今は我に利なしと判断した楠木正成は、みずからも望みを失い、死んだかのように見せかけて、その実、今もどこかで虎視眈々と再起の時を窺うておるに相違ござりませぬ」
「さように思うたならば、なにゆえ行方を追わなかったのだ。聞けば、楠木の亡骸は損傷が激しく、誰の目にもそれが当人か否か判別しかねたというではないか。しかし、徹底的に山を探し尽くせば、もう少し証を見出せたであろうに。妻や子とて逃げたまま、どこに潜んでおるかわからぬのであろう」
「むろん、そうしようと言いました」
 貞冬は語気を強める。
「しかし、大仏殿も足利殿も、その必要はないと……」
「なにゆえだ」
「大仏殿は疲れておいででした。いくさに勝った以上、一刻も早く鎌倉へ戻りたい――そんなお気持ちがありありと見て取れました」
「足利殿は」
「わかりませぬ。わかりませぬが――それがしの目には、足利殿ははじめから戦意を持っておられぬように映りました。評定の席でもつねにどこか投げやりで、ろくに意見も申されませぬ」
「……どういうことだ」
 訝しむ貞将。
 足利高氏といえば、源氏一門の棟梁である。新田義貞も同じ源氏だが、鎌倉における両者の地位には天と地ほどの開きがある。片や執権赤橋守時の妹を妻に迎え、北条家の連枝同然に扱われている重臣、片や一介の貧乏御家人に過ぎぬ身である。
 その高氏が、なぜそのような態度を示すのか。
「お父上の喪中に出陣を命じられたことを根に持っておられるのか」
 たしかに不本意ではあったろう。だが、今は非常の時だ。仮にも武門の棟梁たる身であれば、そうした定めもあるべきものと覚悟はしているはずである。
「たしかに、それもあるでしょう。しかし、おそらくそれだけではありませぬ」
 貞冬はいっそう低い声で言った。
「それがしが思いまするに、足利殿の心は既にこの鎌倉を離れているのではないでしょうか」
「どういうことだ」
「そもそも足利殿は源氏の血筋。平氏の末流である我等北条一門がまつりごとを行うのを好もしく思うてはおられますまい。彼の御仁には、はなから鎌倉の――というより我等北条のために身を粉にして働くおつもりなど毛頭なかったのではないか。それがしには、そのように思われてなりませぬ」
「馬鹿な」
 貞将は破顔しようとした。
「足利殿とて坂東武士ぞ。源氏の平氏のと申す前に、武家と公家の戦いである此度のいくさに乗り気でないはずはあるまい」
 言葉ではそう言いながら、彼はおのれの笑いが引き攣っていることを自覚していた。
 足利高氏という人物には、むろん何度か鎌倉で会ったことがある。にこやかで如才のない男だが、茫洋としていて掴みどころのない不気味さを持っていた。
 あの笑顔の奥にとてつもない野望を秘めていると言われたら――どこかで否定しきれない自分がいる。
 それはとてつもなく恐ろしい想像であった。高氏が起てば諸国の源氏が動く。それはたちまち大きなうねりとなって鎌倉を呑み込むだろう。それだけの影響力を持っているのだ。足利高氏という男は――あるいは、その血筋は。
 足利尊氏、楠木正成――埋火たちは、燃え上がる機会を虎視眈々と窺っている。貞将には、そんな気がしてならなかった。
「わかった。とにかく我等は用心を怠らぬようにしよう。そして、何が起きようとも決して揺るがぬ鎌倉を、もう一度しかと作り直していこう。貞冬、そなたも長いくさで疲れたであろう。ゆるりと休むがいい」
「はい」
 頷いて帰って行く弟の背中を見送りながら、貞将はおのれが果たすべき役割に思いを廻らせた。この鎌倉を立て直するために、自分にできることは何か――答えは、見えつつあった。

 貞冬の危惧は的中した。
 ほどなく上方から、
 ――吉野に潜行していた大塔宮が兵を挙げた。
 という報せが届けられた。しかも、死んだと思われていた楠木正成が河内でふたたび蜂起し、大塔宮を居城の千早城に迎え入れて、幕府軍に徹底抗戦の構えを示しているのだという。
「主上がおわさぬ京や河内でいくさを起こしたとて、所詮は焼け石に水。ただの悪足搔きに過ぎぬ。六波羅へ軍勢を送り、捻り潰すよう指示いたせばよかろう」
 長崎高資をはじめとする幕府中枢の面々が高を括っていたところへ――。
 驚愕の続報がもたらされてきた。
 後醍醐帝が、隠岐から脱出したというのである。
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