鎌倉最後の日

もず りょう

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12 理想と現実

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   理想と現実


「聞き申したぞ、金澤殿」
 屋敷へ戻って、まんじりと眠れぬ夜を過ごした貞将のもとを、翌朝早くに新田義貞が訪ねて来た。
「太守さまのお屋敷で一大事が起きたそうでござるな」
「さすがは新田殿。早耳だな」
「なんの、既に鎌倉中の武士たちに知れ渡っておりまするぞ。黒幕は太守さま、狙ったのは長崎円喜・高資父子との噂。まことでござるか」
「はて、そのあたりはなんとも――」
「太守さまも、ずいぶん思い切ったことをなされたものですな。ああ見えて、よほど長崎父子の専横が腹に据えかねておられたのでござろう。正直なところ、些か見直し申した」
 義貞はそう言うと、豪快に笑ってみせた。
 昨夜の一件が高時の差し金によるものだという風聞は、疾風のように駆け巡り、既に貞将の耳へも届いてはいた。
 高時には、およそ剛毅なところがなく、癇性の強い我儘さはあっても、これほどの大事を本当にやってのけたのだとすれば――結果的には失敗したわけだが――、やはり大きな驚きであった。
 実際に昨夜、高資を狙った丹次が高時をも標的としていた様子はなかった。だとすれば、やはり高時の差し金だったと見るべきなのか。その高時が最終的に丹次を斬殺したのは、事はならずと判断して口封じをしたということなのだろうか。
 だが、昨夜の宴席を整えたのは他ならぬ高資の父円喜である。あの場が高資誅殺の舞台に選ばれたとすれば、円喜も一枚噛んでいたということになる。むろん円喜にそのようなつもりはなく、これを好機と高時がひとり画策したと考えられなくもないが、それにしては、あの時の円喜は堂々とし過ぎていた。まるで、こうなることをはじめから知っていたかのように。となれば……。
 ――いや、やはりにわかには信じがたい。
 円喜が高資を評価していないことは、貞将ももう知っている。しかし、それでも父子は父子だ。もし高時に高資への害意があると知れば、あのような大事が起きる前になんらかの手を打っていただろう。老練な円喜ならば、それぐらいのことは十分に可能だったはずだ。
 いずれにせよ、
 ――昨夜の一件で、鎌倉の命運は大いに危うくなってしまった。
 そう思うと、貞将の心は重かった。
 此度の騒動で、幕府内部が一枚岩ではないことが衆目に晒される形となった。それは、誰の企てであろうが同じことだが、どうせなら成功していたほうが、まだましだったかもしれない。ただでさえ内部分裂の実態が明るみに出てしまった上に、肝心の結果がこれでは、首謀者の迂闊さ、無能さまで露呈した形になってしまっている。いってみれば、
 ――最悪の結果
 であった。
 立場を失った高時に代わって、長崎父子――特に息子の危機に直面してもなお毅然たる振舞いに終始した円喜の権勢は、いよいよ強まるだろう。だが、そのことは幕府の力が強まることを意味しない。むしろ、逆である。
 高時に人望はないが、仮にも得宗家の当主であり、かつての執権である。その高時が明確に「敵」と認め、その命さえ奪おうとしたかもしれない者たちに、武士たちは決して従わないだろう。もしも今、幕府に対抗しうる強大な敵――たとえば京の朝廷が牙を剥いて襲い掛かってきたら、おそらく武士たちは「敵」である長崎父子に牛耳られたこの鎌倉幕府を、身を挺して守りはすまい。
 ――英邁剛毅な主上が、これほどの好機を見逃すはずはない。
 此度の一件の首謀者が高時であったとすれば――仮にそれが円喜に唆されてのことであったとしても、彼はみずから世の乱れの種を蒔いてしまったのだと、貞将はその浅はかさを嘆いた。
「そうではないか」
 と、義貞に詰め寄ると、
「ならば、それがしが見てきてしんぜよう」
 ニヤリと笑って、そう切り返す。
「どういうことだ」
「実は、大番役を仰せつかったのだ。近々、それがしは京へ赴く。主上が此度の一件をどのようにご覧あそばしたか、しかとこの目でたしかめてこよう」
「まことか」
「ああ、大変な時に当たったものだが、こうなれば、かえって興味深い。噂では、京の朝廷は今、幕府とは比べ物にならぬほど清新な空気に満ちているという。この目でそれをたしかめ、おのれの行く道を決めるのも悪くないだろう」
「おのれの行く道、と申したか」
 貞将は聞き咎める。
「それはつまり、幕府に叛旗を翻すということか」
「そうは申しておらぬ。だが――」
 義貞は少し声を潜めて、
「幕府はこのままでは立ち行かぬと、心ある者たちはみな思っている。それがしも同じだ。おそらく京の主上とて同じだろう。一度は失敗したご謀叛の企てをふたたびなさらぬともかぎらぬ。そうなった時、はたして武士たちはどちらに与するか――承久の乱の折とは違い、此度ばかりは蓋を開けてみなければわからぬぞ」
「この鎌倉は武家の都ぞ。みなで守るが道理ではないか」
「その道理を通らぬものにしてしもうたのは、他ならぬ北条一門であろう」
 正面切ってそう言われると、貞将には反論の余地がない。
「佞臣がのさばるのを抑えることができず、地下の田楽舞を使って亡き者にせんと図った挙句、失敗いたすとは呆れて物も言えぬ」
「……」
「もっとも、呆れたという点では長崎円喜も同じことでござるがな。せっかく捕えた証人どもを、みすみす逃してしまったというのだから」
「なに」
 貞将は驚いて、
「あの田楽舞たちは、逃げたのか」
 喰い気味に問いかける。
「ご存知なかったのか」
 義貞は冷ややかな笑みを浮かべ、
「たった一晩にして破獄を許してしまわれたそうな。牢の鍵は容易く切られ、見張りの者はいぎたなく眠らされていたのだとか。まったく迂闊にもほどがある。厳しく尋問いたせば、所詮は地下の芸人どもゆえ、太守の下知を受けてのことと白状いたしたでござろう。さすれば太守とて逃げ場はなくなり、いよいよまつりごとの一線から身を引かざるをえなくなり申す。長崎父子の権勢はいよいよ盤石かと思うたが……、円喜入道めも存外な間抜けぶりでござったわ」
 義貞はそう言ってからからと笑ったが、
 ――それは、おかしい。
 貞将の心には、大いなる疑念が生じていた。
 円喜は、それほど甘い男ではない。峻厳な性格で知られた執権北条貞時(高時の子)にその才気を見込まれ、薫陶を受けてきた人物である。自分たちの命運を左右する大切な捕囚を、むざむざと手放すようなへまをするだろうか。
 ――わざとではないか。
 そんな考えが、貞将の中に芽生える。
 だとしたら、それはいったいなぜか。
 ますますわけがわからなくなる。
 円喜は、その気になれば、捕囚となった伊三太や桔梗を痛めつけて、自分たちを狙わせたのが高時であると無理矢理吐かせるような芸当も厭わずにやってのけるだろう。たとえそれが事実であろうがなかろうが、そのようなことにはお構いなしに、である。むしろ、そうするためにこそ捕囚の身柄を引き取ったのだと考えたほうが自然なぐらいだった。
 ところが、その捕囚を逃がしてしまったという。そんな不注意を犯す人物では絶対にないはずだ。
 ――少なくとも、やはり円喜はこの一件に関わっていないということか。
 だとすれば、昨夜の事態を招いたのはいったい何者の仕業なのか。やはり高時の独断によるものなのか。それでは、どうにも辻褄が合わぬ気がするのだが……。
「新田殿」
 迷いを振り切るように、強い口調で呼びかける。
「たしかに今の幕府はよくない。武士たちの信望を得るには十分でないことは、それがしにもよくわかっている。だが、やはりそれがしは諦めたくないのだ。源頼朝公やわが北条家の義時公、泰時公、それに新田殿の祖先をはじめとする多くの坂東武者たちが夢を託し、希望を紡いで起ち上げたこの幕府を――鎌倉を、ふたたび誇れる武家の都にしたい。京の朝廷ともいたずらに事を構えるのではなく、互いを尊重し合いながら、ともにこの国のまつりごとを執り行う。そういう関係性を築き上げたいのだ。新田殿にも、ぜひそれを手伝っていただきたい」
「金澤殿」
 義貞は微笑しながら応える。
「それは理想だ。理想は尊いが、現実にするためには、時に痛みを伴わなければならぬ。金澤殿には、その覚悟がおありか」
「むろんだ」
 貞将は力強く頷いた。
「そのようなこと、今さら申すまでもなかろう。この鎌倉に輝きを取り戻させるためならば、それがしはどのような労苦をも厭わぬ」
「その言葉に偽りはござらぬな」
「誓って言おう。偽りはない」
「ならば、今すぐ執権職にお就きなされよ」
「なんと」
「宮将軍をお助けし、幕府を動かしていくのは執権だ。執権こそ我等、鎌倉武士の頭領。貴殿がその座に着くというのならば、それがしは全力でそれを支えよう。従わぬ者は、この手で打ち滅ぼしてもかまわぬ」
「待ってくれ、新田殿。執権は赤橋殿が――」
「わかっている。赤橋殿は立派な武人だ。妹婿の足利高氏殿からも、好漢だと聞かされている。だが、あの方はどう考えてもまつりごとには不向きだ。貴殿も大概だが、あのお方の一本気な性格は群を抜いている。お父上が理不尽にも隠退を余儀なくされた折、貴殿は長崎円喜のところへ差しで話をつけにいったそうだが、あのお方ならばきっと違っただろう。おそらく話などせず、一刀のもとに円喜を斬り捨てていたに違いない」
 たしかにそうかもしれぬ、と貞将は思う。
 赤橋守時という人物には裏表がなく、直情径行なところがある。それが武人としての清々しさにつながっている反面、権謀術数渦巻くまつりごとの世界に身を置くのは、彼自身も決して本意ではないだろう。
「もし――」
 少し逡巡しながらも、貞将は問いかける。
「それがしが執権になったら、貴殿は本当に力になってくれるのか」
「あえて問わねばならぬか」
 義貞の声音が強張った。
「それがしと貴殿の間柄で、今さらそれを」
「……悪かった」
 貞将が頭を下げる。
「愚かなことを言った。忘れてくれ」
「かまわぬさ」
 義貞はひらひらと手を振り、
「貴殿に期待しているのは、それがしだけではない。鎌倉中の武士がそれを待ち望んでいる。貴殿には些か重荷であろうが、そういう家柄に、そういう器量を持って生まれついた身の運命と思って得心してもらうほかない」
 莞爾と微笑んだ。
「……わかった。考えてみよう」
 貞将はそう言うと、口元を引き締めた。
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