鎌倉最後の日

もず りょう

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  政変


 嘉暦元年(一三二六)三月――。
 鎌倉に激震が走った。
 急を報じる早馬によって事の顛末を知った貞将は驚き、烈火の如く怒った。
「兵を集めよ。ただちに鎌倉へ攻め下る」
 平素の彼には決して見られなかった取り乱しようで、郎党たちを困惑させる。小平次らが懸命に宥めすかし、どうにかひとまず矛を収めさせたが、その憤懣は収まる気配がなく、しばらくは誰も側へ近付けぬ有様であった。
 ――いったい何事であろう。
 訝しんでいた郎党たちも、やがてその怒りの理由が明らかになるにつれて、
 ――なるほど、激昂なされるのも無理はない。
 そう得心した。それどころか、
 ――我等の鎌倉とは、さように汚きところであったか。
 失望と憤慨、そして激しい絶望感に、彼等もまた苛まれた。
 ――いっそ殿の御下知のままに挙兵いたし、鎌倉を我等の手で奪い取ってしまったほうがよかったかもしれぬ。
 そんなふうにさえ考える者もいた。
 それほどに衝撃的な出来事が、起きていたのだった。

 事の発端は、執権高時が病を得たことだった。
 ――気分がすぐれぬ。
 そう言って床に着いた数日後には、人事不省の重篤に陥った。
 朝廷の不穏な動きはひとまず収束したとはいえ、その火種が未だ燻ったまま消えていないことは明らかだ。かような折に、いかにお飾りとはいえ、執権不在の状況を作ることは許されない。
 長崎父子ら幕閣首脳は協議の末、ようやく意識を取り戻した高時を出家させて執権職から外し、後任に金澤貞顕を立てた。
 貞顕は六波羅探題を経験しており、年齢的にも人柄的にも執権職を継ぐのに申し分はなかった。当人は困惑し、強く固辞したが、
 ――高時公もたってとお望みである。この難局をみなで乗り切っていくためには、京の朝廷ともつながりの深い貴殿に執権の席に就いていただくほかはないのだ。鎌倉のため、天下のために、まげて承諾していただきたい。
 と説かれては拒みとおすことも叶わず、不承不承ながら首を縦に振った。
 かくして貞顕は、鎌倉幕府十五代目の執権となった。高時の出家から三日後の三月十六日のことである。
 ところが――。
 幕閣の総意をもって決したはずのこの人事に、猛然と異を唱える者が現れた。
 高時の弟泰家である。
 泰家は兄と違って性剛毅、しかしながら、些かその度が過ぎて、血気に逸るきらいがある。兄の治政を牛耳る長崎父子とは日頃から折り合いが悪く、
 ――兄上を誑かし、道を誤らせておるあのふたりこそ諸悪の根源。いっそ、この俺が斬り捨ててくれようか。兄上とて、弟の俺が幕府のためを思うてやったことと知れば、きっとお許しくだされよう。
 などと、酒の勢いに任せて傲然と嘯くこともあるほどだった。
 当然、長崎父子らにしてみれば、なんとしてもこの男に幕政の実権を握らせることだけは避けたい。そこで白羽の矢を立てたのが、いわば「人畜無害」な金澤貞顕だったというわけだ。
 むろん泰家は納得がいかない。
 ――母を同じくする弟の俺という者がありながら、なにゆえ傍流の金澤ごときを執権と仰がねばならぬのだ。
 憤慨した泰家は、その日のうちに出家する。貞顕の幕府には協力しないという、明確な意志表示である。
 すると時を置かずして、泰家に同調する何人かの御家人たちが、その後を追うように相次いで出家した。
 決してみずから執権職を望んだわけではなく、むしろ強引に押し付けられた格好の貞顕は、思いもかけぬ混乱にすっかり動揺したが、さらに追い討ちをかけるように、
 ――泰家殿に同心する一味が、密かに貞顕殿の暗殺を企てているらしい。
 という風聞がまことしやかに囁かれ始めたことで、貞顕はとうとう執権職辞任の意向を長崎父子らに伝えた。長崎父子は懸命に宥めすかし、なんとか翻意させようとしたが、もとより権力志向が薄く、好きな文事に浸りながら余生を過ごしたいと願っていた貞顕の辞意は固く、さしもの長崎父子も説得を断念せざるをえなかった。 
 かくして就任からわずか十日後の三月二十六日、貞顕は白けきった雰囲気の中で執権職を辞し、その後を赤橋守時に譲ることとなったのである。

「噂は聞きましたぞ、金澤殿。いやはや、鎌倉とは、まこと恐ろしきところにござりまするなあ」
 ばさら者の佐々木判官が六波羅を訪れたのは、事件の一報から数日が過ぎ、ようやく貞将が心に少し落ち着きを取り戻し始めた頃であった。
 傍らには、あの若公卿千種忠顕の姿がある。どうやら連れ立って訪ねて来たらしい。
 なんとも意外な取り合わせだが、それよりも貞将を驚かせたのは、判官のいでたちである。
「佐々木殿、どうなされた、その頭は」
「ああ、これでござるか」
 判官は面映ゆげに笑って、つるりと剃り上げたおのれの頭をぺしぺしと叩いてみせる。
「実はこのたび出家いたしましてな」
「出家? なにゆえに出家など」
「鎌倉の執権に倣ったのだそうな」
 揶揄するように忠顕が口を挟む。
「ここぞとばかりに忠義面をしてみせようとの魂胆じゃ」
 判官は反論もせず、ただニヤニヤと笑っている。
 呆れたような眼差しを向ける貞将に、
「名も改め申した。これよりは佐々木道誉と名乗りまする」
「佐々木道誉殿――」
「よい名でござろう。自分でもなかなか気に入っており申す」
 そう言うと判官改めて道誉は、声を立てて笑い出した。
 辺りに響き渡る、高らかな哄笑。
 それを見詰める忠顕の顔には、微苦笑が浮かんでいる。
「鎌倉の一件、麿も耳にいたした。貴殿のお父上には、とんだ災難であったな」
「恐れ入りまする」
 貞将の表情が強張る。
 やはり思い返すと憤りが甦ってくるのだった。
「どうやら長崎父子は、そうとう信望を失っているようだな。御家人たちは泰家に同調したというよりも、長崎父子が推し立てた貴殿のお父上を執権として崇めることを拒絶したのだろう。それはすなわち長崎父子を崇めることに他ならないからな」
 忠顕の見立ては鋭い。ばさらな言動ばかりが目立つが、さすがに主上がその才覚を認めているだけのことはあると、貞将は些か見直す思いで、この若公卿の言葉を受け止めていた。
「それにしても、貞顕殿はなにゆえ長崎父子の申し出をお受けになったのかのう」
 大きく坊主頭を傾げながら、道誉が言う。
「貞顕殿のような賢明な御仁に、長崎父子の思惑がわからぬはずはなかったであろうに」
「もとより父は長崎父子の狙いを見抜いていたと思う。しかし、人の好い父は、長崎父子――殊に老練な円喜入道がいかにも篤実ぶった口振りで、若く血気に逸りがちな泰家を執権の座に据えることが、朝廷との間に溝ができた今の幕府にとっていかに危ういか、その溝を埋めるには公家衆との関係が良好で、現職の六波羅探題であるそれがしを息子に持つ父こそが適任なのだと迫られれば、おそらく厭とは言えなかったのであろう」
「まあ、円喜の言い分そのものは道理に叶っているからな」
「父は温和で気の弱い性格だ。かような時世にみずから火中に栗を拾いに行くようなことを本来であれば望まぬはず。にもかかわらず、執権就任の申し出を受けたのは、父なりに北条一門としての責務を果たそうとしたからだろう。父にとっては真冬に崖から川へ飛び込むほどの悲壮な決意だったに違いない。その心意気を無にしたばかりか、命の危険にまでさらした奴等のことを、それがしはどうしても許すことができぬ」
「それで兵を集め、鎌倉へ攻め下ろうとなされたわけか」
「……早耳だな」
 気恥ずかしげな表情を見せる貞将。
「些か気が動転いたした。お恥ずかしいかぎりだ」
「なんの。貴殿が怒るのは当然のことだ。むしろ、それがしは惜しかったと残念に思うておるのよ。もし貴殿が本気で今の鎌倉と一戦交えてくれるのならば、それがしは喜んでお供つかまつったのでござるがな」
 道誉は悪戯っぽく笑いかけながら、
「貴殿が執権となり、新たな鎌倉を作り直してくださるとなれば、おそらくそれがしだけではなく、多くの武士たちがそれを後押しするに相違ない。みな、今の鎌倉の体たらくには心底から失望している。それを立て直せるのは貴殿を措いて他にないとも、衆目が一致している。それがしは今の鎌倉にはなんの興味もないゆえ深く関わるつもりもないが、貴殿のもとでならば、おもしろきことができそうだ」
 冗談とも本気ともつかぬ口振りで言った。
「また、そのような戯言を」
「戯言であるものか」
 咄嗟に切り返した道誉の眼差しには、これまで見せたことのない真摯な熱が宿っている。
「貞将殿、貴殿はそれだけの器量を持って、北条一門に生を受けた。今、鎌倉は誰の目にも明らかな頽廃ぶりを示している。誰かがこれを正さねばならぬ。主上とて、そう思われたからこそ先日のような企てをあえて起こされたのであろう。だが、真に正しきやりかたであったかと問われれば、恐れ多きことながら違うと言わざるをえまい。戦による世の乱れは民百姓を不幸にする。そのような世直しであれば、一時的には成功しても、結局のところ人心が離れていく。その後に待つものは長く醜き乱世だ。貞将殿、貴殿ならば、そうなることを防ぐことができる。それがしはそう信じている」
 言葉に込められた思いが、貞将の胸を強く揺さぶった。
「……肝に銘じよう」
 呻くような口調で、
「幸か不幸か、父の後は赤橋守時殿が継がれたと聞いている。守時殿は清廉な武人だ。鎌倉武士を束ねるのに相応しい御仁だと、それがしは思う。だが、真っ直ぐなお人柄ゆえ、長崎父子らにしてみれば、あるいは与しやすい相手であるかもしれぬ。それがしは全力で守時殿をお助けし、ともに鎌倉を正しき姿に戻すために努める所存だ」
「よう申された」
 道誉が喝采を送る。
「それでこそ貞将殿、それがしが見込んだ御仁よ」
 その表情には、いつもの闊達さが戻っている。
「いやあ、実に愉快だ。こうして訪ねてまいった甲斐があったというものよ」
「それを言うために、わざわざまいられたのか」
「おお」
 道誉は大仰な仕種で手を打って、
「違うのだ、貞将殿。もちろん、詰まるところはこの話をしにまいったのだが、何もこのようなところで無粋に話すつもりなどなかった。実は、鴨川沿いの桜が今まさに満開でな。少し散策などご一緒せぬかと誘いにまいったのであった」
「桜か。よろしゅうござるな」
 貞将も身を乗り出した。
「鎌倉にいた頃は、よく鶴岡八幡宮の桜を見に行ったものであったが、京へ来てからは政務がなかなか落ち着かず、ゆるりと桜を見る機会も作ることができずにいた」
「気分が晴れぬ時は、美しき花でも眺め、汚き現世のことなど忘れ去るのが得策でござりまするぞ。さあ、ともに参ろうぞ」
 笑顔で誘う道誉。
 傍らでは忠顕も微笑んでいる。
「わかり申した」
 貞将は彼等の誘いに乗ることにした。今はただすべてを忘れられるところへ逃げていたいと思ったのだ。

「どうじゃ、京の桜は」
 馬上から桜に手を伸ばした忠顕は、細い枝を一本折ると、自身の烏帽子に突き刺してみせた。
「武家の都たる鎌倉の桜とは、趣も違うであろう」
 可憐な花弁がそよ風に揺れ、忠顕の白い頬を撫でる。
「ほう、これはまた風雅な。どれ、それがしも」
 道誉も同じように枝を手に取ったが、
「おお、うっかりしておった。それがしの頭には、これを刺すところがござらぬ」
 そう言って、からからと笑ってみせた。
「それ見たことか。おのれが髪を剃ったことさえ忘れておるわ。とんだ生臭坊主よ」
 忠顕がすかさず揶揄した。
「なんの、かように生臭き世なれば、僧形の身とて生臭くならざるをえますまい」
「道理じゃな。されば、金澤殿。貴殿も今日は日頃の憂さを忘れ、生臭き愚痴話でもいたそうよ」
「はあ」
 些か呆気に取られたような顔をしている貞将に向かって、
「お父上のことは残念だった」
 忠顕は正面から切り込んできた。
「我等公家衆の間でも、貴殿のお父上は評判がよい。六波羅探題としてこの京におられた折、穏やかなお人柄と高き教養を身近で感じた面々は、むくつけき坂東武者には珍しき御仁よと、誰もが好感を抱いた。このたび執権職にお就きなされたと聞いた時は、これで冷えきった朝幕関係も少しは融和に向かうであろうと期待したのだが……、儚い夢だったようじゃな」
「忠顕卿」
 貞将が問いかける。
「一度お聞きしたいと思うておりました」
「なんじゃ」
「公家衆は――あるいは、その頂点におわす主上は、今の幕府をどのようにお考えでありましょうか」
「これはまた唐突な」
「主上が日野資朝卿らと相語らい、ご謀叛を企てられた理由を、鎌倉では、両統迭立の約定を守り、持明院統に皇位を渡すことを嫌われたためであると申す者もござりまする。むろん、中にはそう思いたいゆえに、わざとそのように噂しておる向きもござりましょうが、しかしながら、真剣にそう考えておる者も少なからずおりまする。それがしに言わせれば、その危機感の欠如こそが今の鎌倉の頽廃を象徴しているように思われてなりませぬ」
 貞将の口吻が熱を帯びる。
「主上は、我等鎌倉の幕府を倒そうとなされている――そうではありませぬか、忠顕卿」
「もし、そうであったならば、どうなさる」
「むろん全力で阻止いたしまする」
「いかにして阻止なさるおつもりか」
 忠顕の言葉にも力が込められる。
「先の企ては不幸にして事前に露見いたしたが、もしも次を狙うとすれば、主上も近臣等も同じ轍は踏むまい。一度事が起きてしまえば、もはや戦は避けられぬ。さすれば承久の乱以来の、朝廷と幕府の武力衝突じゃ。今の幕府――執権の高時やそれを牛耳る長崎父子に、承久の北条義時・泰時が如き求心力はあるまい。となれば、幕府に勝ち目はない」
「忠顕卿は、戦を望んでおいででござりまするか」
「なんと」
 忠顕は愉快そうに笑って、
「ばさらと呼ばれても麿は公家じゃ。荒事は好まぬ」
 と、言った。
「戦は貴殿等武家の務め。我等公家は、その務めを無にいたさぬようまつりごとを正していくのが古来よりのわが国の形であったはず。しかるに鎌倉に幕府が作られ、その力が日増しに強まっていくにつれ、その均衡が崩れてきてしまった。世の乱れの原因は両者が互いの分を越えようとすることによって生まれたと、麿は考えている。誤った現状を誤った手段を用いて変えることはできぬ。仮にできたとしても、それはあくまで一時的なもの。必ずどこかに綻びが生じよう」
「ならば忠顕卿は、いかにしてその誤った現状を変えようとお考えでござりまするか」
「それは、むしろ麿が貴殿に訊ねたい」
 忠顕は貞将のほうへ向き直り、
「金澤殿はみずから望んで六波羅探題の職に就き、この京へ来られたそうな。生真面目な貴殿のことゆえ、先の一件以来、都に燻る火種が未だ残っていると睨み、それを消すために、あえて火中の栗を拾う覚悟で起たれたのであろう。その潔き覚悟は感服いたすほかはない。さりながら――」
「……」
「貴殿はひとつ重大な思い違いをなされている」
「思い違い?」
 貞将が問い返す。
「どういうことでござりましょうか」
「たしかに先の一件によって一気に燃え広がるはずであった焔は、完全に消え去ったわけではない。地底の奥深くで燻りつづけ、ふたたび噴火する時を待っていることは紛れもない事実であろう。しかし、それを根本から消し去りたいと願うならば、この京にいても無駄じゃ」
「では、どこへ行けばよろしいのです」
「今さら問うまでもあるまい。貴殿は今まさにそれを肌身で思い知ったではないか」
 鋭い忠顕の言葉に、貞将は反論できなかった。
 そう。
 まさにそのとおりだった。
 彼は今、はっきりと確信していた。
 天下を揺るがす震源地は、間違いなく、この京である。
 だが、その震源を刺激するかしないかは、鎌倉にかかっている。
 頽廃し、堕落した鎌倉幕府こそが、京で燻る火種を燃え滾らせる元凶なのだ。
 一刻も早く、これを立て直さなければならない。
「信じるかどうかは、貴殿にお任せする。だが、我等公家は元来、争いごとは好まぬ。穏やかなる御世でまつりごとに勤しみ、風雅の道を究めたい。そういうものなのじゃ。我等にそのような生きかたを許さぬのは、今の幕府ぞ。鎌倉ぞ。もし鎌倉が今のありようを改め、かつての清新さを取り戻すならば、京に燻る火種は焔と化すことなく、静かに消えるであろう」
「それが叶わぬ時は?」
 貞将の問いかけに、忠顕は応えなかった。
 彼はただ微笑みを浮かべたまま、美しく咲き誇る桜の花を見詰めていた。
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