鎌倉最後の日

もず りょう

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7 ばさら者

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   ばさら者


 無事に拝謁を終え、六波羅探題としての業務に取り掛かった貞将は、日々訪れる挨拶客の応接に忙殺された。
 六波羅探題の主な職務は、西国における所領関係の紛争や訴訟の対応、京の治安維持、そして朝廷との折衝である。広汎な役割を担っているだけに、役所には人の出入りが絶えなかった。
 見知った者も、見知らぬ者も、武家も、公家も、僧侶たちも――。
 息つく間もない来訪に、貞将も次第に疲れてきて、しぜん対応もどこかぞんざいになっていく。そんな中にあって、ある客人の名を取次の者から聞かされた瞬間、貞将は思わずハッと我に返った。
 ――佐々木判官高氏殿がお見えでござりまする。
 鎌倉から連れてきた、よく物事に気の付く雑掌の小平次は、たしかにそう言ったのだ。
「お通ししろ」
 小平次に命じると、貞将は客間へ向かう前に、大きくひとつ深呼吸をした。
 佐々木判官といえば、当今流行りの、
 ――ばさら者
 の代表格ともいうべき男として、主上の口からも名が出たほどの人物である。もとよりその奇矯ともいえる振舞いと、文武はおろか風雅の道にまで通じた万能ぶりは、鎌倉武士の間でも知らぬ者はなかった。
 ――どのような男であろうか。
 どこか怖いもの見たさのような好奇心を胸に部屋へ入ると、とてつもなく派手な衣装を身にまとった男が、こちらを見て満面に笑みを浮かべている。
「おお、これはこれは、金澤貞将殿にござりまするな」
 快活な調子で、その男――佐々木判官は語り掛けてきた。三十歳近いはずだが、ゆうに十は若く見える。
「お初にお目にかかりまする。近江守護佐々木判官高氏にござりまする。このたびは六波羅探題へのご就任、まことにおめでとうござりまする。大変なお役目なれど、この判官めがしかとお支え申し上げまするゆえ、ご案じめされますな」
「かたじけない」
 畳みかけてくる判官の勢いと、声の大きさに気圧されながらも、なんとか威を取り繕うように姿勢を正して、
「貴殿のような世慣れた御仁にお力添えをいただければ、まことに心強い。頼みにしており申す」
 そう言いながら、改めて対手の風体をしげしげと見詰めた。
 とにかく派手な服装である。直垂は鮮やかな赤と緑で、肩口から脇腹にかけて金の桜がちりばめられている。まことにもってけばけばしい色合いだが、それがこの男にかかっては不思議なほどよく似合い、逆に品位さえ感じさせた。
 顔立ちは、ひとことでいえば美形である。色が白く面長で、ややもすれば中性的な印象を与える風貌だが、切れ長の目は鋭く、男性的な力強さを持っていた。
「佐々木殿は公家衆とも昵懇にされているそうですな」
「いかにも、友と呼べる御仁が何人かはおりまする」
「それらの方々から、主上のことなどお聞きになることは」
「むろん、ござりまするよ。むしろ、ほとんどの場合はそれが話題の中心であると言ってもよいでしょうな」
「されば、佐々木殿の思う主上とは、いったいどのようなお方でござる」
 貞将の問いかけに、判官は、
「そうですな……」
 と、しばし考え込んでから、
「ひとことで申すならば、異形のお方、でござりまするかな」
「異形?」
「さよう、主上が田楽舞を好まれることはご存知でござりまするか」
「先日、拝謁を賜った折にそう仰せられていた」
「驚かれませなんだか」
「いかにも、驚き申した。よもや主上が、あのような地下の芸をご覧になり、あまつさえお好みになられるとは」
「一事が万事、そういうお方なのでござりまするよ。高貴なお方なれば地下の芸になど触れることも汚らわしい――そんな固定観念を何よりもお嫌いになりまする」
「公家衆の中でも、それほど高き出自でない者たちを多く引き上げておられると聞く。そうして用いられた者たちが先のご謀叛を企てたのだとも。もし真実ならば、恐れ多きことながら些かご短慮の謗りは免れませぬな」
「これは手厳しい」
 判官は苦笑して、
「しかし、さすがは北条一門随一の器量人と謳われし金澤殿。相手が誰であろうと臆することなく物申される性分とお見受けいたした」
「正しいと思うことは、申さねばならぬとおのれに言い聞かせてござる」
「なるほど、それで執権殿に遠ざけられて、京へ送られたというわけでござりまするな」
「さにあらず」
 貞将は強い口調で否定する。
「京へはおのれの意志でまいった。未だ燻りつづける動乱の火種がいかようなものであるかを見極めたくてな」
「ほう」
 判官は大袈裟な仕種で驚いてみせ、
「これはまた剛毅な。見極めて、いかがなさる」
 と、挑発するように問いかけてきた。
「むろん消し止め申す」
 貞将は即答する。
「それが六波羅探題たるそれがしの役目でござるゆえな」
「道理でござりまするな。しかしながら――」
 判官は少し声を潜めて、
「はたしてまことに消すべき火種かどうか、まずはその目でしかとたしかめられてからでも遅うないのではござりませぬか」
 探るような眼差しを注いだ。
「どういうことでござる」
 怪訝そうに訊ねる貞将。
 判官はそれには直接応えず、
「明日、それがしの屋敷で田楽舞を催しまする。金澤殿もおいでなさりませぬか」
 と、誘った。
「田楽舞でござるか」
「他にも何名か友人を呼んでござりまする。よろしければ、お引き合わせいたしましょうぞ」
「それはありがたいが……」
「田楽舞はお嫌いでござりまするかな」
「鎌倉で何度か観る機会を得たが、それがしにはどうも性に合い申さぬ」
「なんの、同じ田楽舞でも頽廃した鎌倉でご覧になるのと、清新なるこの都でご覧になるのとでは、ずいぶんと違いましょうぞ」
「さようなものかな」
「百聞は一見に如かずじゃ。明日、お待ち申し上げておりまするぞ」 
 判官は愉しそうに笑いながら去って行った。

 翌日、貞将は誘いに応じて、佐々木判官の屋敷を訪れた。
 広間へ通されると、既に庭には舞台が設けられ、客人たちが舞の始まりを待っているようだった。
「おお、来られたか、金澤殿。待ちかねましたぞ。ささ、これへ座られよ」
 客席の中央に陣取った判官が、大音声で貞将を手招きする。
 貞将は言われるままに、指定された席へ腰を下ろした。
 隣に座った公卿が、無言で小さく一礼する。
 まだ若い。貞将とほぼ同じ年頃だろうか。
 小柄だが、決してひ弱な印象ではなかった。むしろ公卿とは思えぬほどの精悍さを感じさせる面差しである。
 ――油断ならぬ男だ。
 直感的に、そう思った。
 対手は、そんな貞将の心中など我知らぬ顔で、舞台に視線を戻す。
 ほどなく田楽舞が始まった。
 ぴい、ひゃらり。
 ぴい、ひゃらり。
 軽妙な笛の根が響き渡る。
 とん、とん。
 調子を合わせる鼓の音も軽やかだ。
 風流笠を頭に乗せた男女が、体をくねらせながら舞う。
 ――鎌倉で観たのと寸分違わぬ。
 あたりまえの感想にひとり自嘲していると、
「一献、よろしゅうござるか」
 隣席の若公卿が突然、声を掛けてきた。
 手には徳利を掲げている。
「ああ、これは失礼いたした」
 慌てて杯を受ける。
「田楽舞はお気に召しませぬか」
 若公卿が悪戯っぽく微笑んで言った。笑うと存外、愛嬌のある顔つきになる。
「ずいぶんつまらなそうな顔をしておられる」
「いや、これは――」
 貞将は気まずそうに苦笑して、
「生来の武骨者ゆえ、かような風雅を嗜むゆとりがござりませぬ。どうかご容赦のほど」
 軽く頭を下げてみせる。
「なんの、これが風雅なものかよ」
 若公卿はフンと鼻先で嗤ってみせた。
「所詮、地下人どもの手慰み。風雅などとはおよそ程遠い代物でござる。気になされることはない」
「ほう」
 貞将は驚いて、
「ご貴殿も田楽舞はあまりお好きではござらぬのか」
 と、訊ねる。
「フッ」
 若公卿はまた同じように鼻を鳴らして、
「大好きでござるよ」
 ニヤリと嗤ってみせた。
「老いぼれの公家どもが好む肩肘張った風雅などより、こちらのほうがよほどいい」
「はあ」
 貞将は、面喰っている。さらりと言っているが、なかなかに傍若無人な放言だ。
「麿は窮屈なことが嫌いでござってな。この田楽舞のように決まった型や掟のない、自由なものが好きなのじゃ。芸の道のみならず人の生きかたも、果ては天下のありようも、そうあれかしと願うておる」
 些か呂律が怪しいところを見ると、したたかに酔っているらしい。よく見れば、頬も真っ赤に染まっている。
「どうなされた、金澤殿。鳩が豆鉄砲を喰らうたような顔をなされておるぞ」
 佐々木判官が近付いてきて、貞将の杯に酒を注ぐ。
「ははあ、さては、このばさら公卿殿の毒気に当てられましたな」
「いや、まあ」
 貞将は困惑した表情を浮かべる。
「お気遣いは無用でござるぞ、金澤殿。このお方のばさらぶりを見て驚かぬ者はおり申さぬ。この判官ですら近頃は些か持て余しておるほどにて。いやはや、困った御仁よ」
「何を申すか、判官。この千種忠顕、朝廷にあってこそばさらを気取っておるが、御辺のような際物の前では、糞おもしろうもない堅物でござるわ」
「これはまた、とんだ世迷い言を聞くものよ。今を時めくばさら公卿、千種忠顕卿の口から堅物などとは」
「たしかに、ちと言い過ぎた」
 ふたりは腹を抱えながら高らかに哄笑する。
 そのさまを横目で眺めながら、
 ――これが千種忠顕卿か。
 主上に拝謁を賜った折、その口から何度も名が出た人物だ。あの時、傍らに侍していた老公卿吉田定房は、
 ――あのばさら者が。
 と、あまり好意的でない姿勢を示していたが、なるほど、それも道理かと思われるほどに、目の前の人物の派手な服装や傍若無人とも取れる言動は、主上の側近くに仕える貴人としては突飛であった。
「金澤殿、これが都でござるよ」
 判官が真顔で告げる。
「有り体に申さば、この都は今、爛熟の盛りにある。それは必ずしも万人にとって好もしい様態ではござるまい。だが、時代はこの爛熟を必要としており申す。この地に暮らしておると、そのことが身に染みて実感されまする。片や鎌倉は頽廃の底にある。この差は大きゅうござりまするぞ」
 胸に差し込まれるような痛みを覚えつつも、貞将は反論すべき言葉を持たない。
 都がいかなるものか、ここへ来て日が浅い自分にはまだよくわからない。だが、鎌倉が頽廃の極みにあることは紛れもない事実だ。執権とそれを取り巻く一部の権臣――今でいえば、それは長崎円喜・高資父子だ――らだけが肥え太り、わが世の春を謳歌する鎌倉は、かつて源頼朝が武家の都として芽吹かせた清新さも堅実さも、すべてを失っている。少なくとも今、目の前で些か品のない笑顔を弾かせている佐々木判官や千種忠顕のように明るい表情をしている武士は、鎌倉には誰ひとり存在しない。
 そういう目で改めて舞台の上を眺めてみると、同じであるはずの田楽舞も、鎌倉で観たそれとはまったく異なるもののように見えてくるから不思議である。
 踊り手のひとりひとりが生命力を漲らせ、むしろそれを持て余すかのように激しく跳び、そして唄っている。そのさまを見ていると、こちらまで心が軽やかになるような気がした。
 ――田楽舞とは、これほど愉しきものであったか。
 新鮮な驚きが貞将の心を満たした。
 思わず頬を緩め、みなに合わせて手拍子を打ち始めた、その時である。
「あっ」
 貞将は、我知らず小さな叫び声を上げていた。
 舞台狭しと踊る一座に、見知った顔を認めたのだ。
 ――あれは、あの時の。
 忘れもしない。執権高時の屋敷で田楽舞を鑑賞した、帰り道のことだ。
 酔漢たちに追われていた彼女を、貞将は助けた。執権高時の招きにあずかって舞を披露した夜――あの時に感じた芯の強さは、今もなお失われていない。だが、それ以上に、今の彼女は自信と矜持に満ち溢れている。こうして田楽舞を踊る自分を心から誇りに思い、瞬間を楽しんでいる様子が、漲るような生命感となって若い総身から放散されているのだった。
 たしか鎌倉を去る時にも、群衆の中に彼女の姿を見止めた。言葉を交わしたわけではないが、あれはたしかに彼女に間違いなかった。
 ――京へ来ていたのか。
 田楽一座は、諸国を旅して廻る。どこにいても決して不思議ではなかった。
 ――たしか桔梗という名であったな。
 貞将は、彼女の踊りに引き込まれた。
 その一挙手一投足に目を奪われ、心まで持ち去られるようだった。
 それは、どこか陶酔する感覚にも似ていた。
 そんな貞将の眼差しを、彼女は逃げることなく受け止め、むしろ挑むように見詰め返しながら、踊りをさらに激しく、情熱的なものにしていくのだった。
 互いの視線が絡み合う。
 貞将の脳髄を、快感が刺激する。
 急速に高まる感覚。
 ――いかぬ。
 貞将は、つとめて我に返った。
 乱れた心を平静に戻すべく、大きくふーっと息を吐く。
 その様子を見て、少女は勝ち誇ったような微笑みを浮かべて視線を外し、ゆるやかに舞いつづけた。
「なに」
 落ち着きを取り戻した貞将の耳に、判官の声が飛び込んでくる。
「そうか、それは残念だな」
 見れば、近習がやってきて何事か囁いている。
 視線に気付いた判官は、こちらを見てからからと笑い、
「いやはや、残念なことになり申した」
 大きな声で言いながら、歩み寄ってきた。
「実はもうひとり、この席にお招きしていた御仁がおったのでござるが、急な所用が入られたとのこと。これまたなかなかおもしろき御仁ゆえ、ぜひとも金澤殿にお引き合わせしたかったのだが」
「判官殿、それはもしや具行卿ではあるまいな」
 傍らから忠顕が声を挟む。
「鋭いのう、忠顕殿。図星でござるよ」
「なんと。彼の御仁がお見えになるのであれば、麿は早々に失礼いたすとしようぞ」
「いやいや、所用が長引く見込みゆえ、今日はお越しいただけぬそうでござる」
「ならばよい」
 浮かしかけた腰を、ゆっくりと戻しながら、
「どうも、あの御仁だけは苦手じゃ。御所でも会えば説教ばかり喰らうておる」
 忠顕は苦笑交じりに嘆息した。
「具行卿は硬骨の士でござるゆえな。公家衆の中にもかような人物がおられるのかと、それがしも驚いたものでござる」
 呵々と笑いながら、判官が言う。
「まこと、主上に対しても、あの方はつねに遠慮呵責のう叱咤なされる。周囲で見ている我等は冷や汗ものだが、主上はいつも神妙な面持ちでお聞きになり、時には頭を下げて詫び言を仰せられるのだ。他の者には決してできぬ芸当ぞ」
「あれぞまさしく忠義の臣と申すべきでござりましょうな。正直なところを申さば、それがしもはじめはどこか気難しそうに取り澄ました御仁ゆえ、あまり虫が好かなんだのでござるが、何度か言葉を交わし合ううちに、その印象がいかに表面しか見ていない浅薄なものであったかを思い知らされ、見かたを改めたのでござる」
「そうだったのか。近頃、とみに親しゅうしておるとの噂は聞き知っていたが……。麿はいかぬ。あの鋭い目で見据えられると、どうにも気後れしてしもうて、まともに会話もできぬのだ。麿はおそらく嫌われておるであろうゆえな」
「たしかに、剛直清廉な具行卿にしてみれば、忠顕卿の如きばらさぶりは受け入れがたき振舞いかもしれませぬな」
 からかうように言う判官に、
「なんの」
 忠顕は口を尖らせて反駁する。
「それを言うなら、具行卿こそ真のばさらであろう。あのような公家はこれまでひとりとしていなかった。その剛直さは、かの日野資朝卿や俊基卿とて遠く及ばぬ。まことに恐ろしきお方よ」
「いかにも、そのとおり。なればこそ、それがしは金澤殿にぜひともお引き合わせしておきたかったのでござるよ」
 その機会が失われたことを、判官は何度も口惜しがった。
「それがしも残念でござる。そのようなお方ならば、ぜひともお会いしとうござった」
 そう応えながらも、貞将の視線はふたたび舞台上の少女に注がれている。
 既に舞は終わり、踊り子たちは一礼をして、舞台から下がって行くところだった。
 桔梗も最後尾について、ゆっくりと歩き出す。
 こちらを振り返ろうともしない。
 その華奢な――それでいて凛とした力強さをたたえた後ろ姿を、貞将は名残惜しそうにずっと見詰めつづけた。
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