鎌倉最後の日

もず りょう

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「なに」
 翌朝、ふたたび執権館を訪れた貞将の思いがけぬ申し出に、高時は驚きのあまり声を上ずらせた。
「六波羅探題職を所望とな」
「いかにも」
 きっと正面を見据えながら、貞将は言う。
「ぜひともそれがしを京へお遣わしいただきとう存じまする」
「ふうむ」
「折しも現職の南方探題大仏維貞殿が退任を希望され、後任を探しておられるとのこと。金澤家の次期当主たるそれがしならば、家柄に不足はないと存じまするが」
「むろん、その点については申し分ない。だが――」
「何かご懸念でも」
「そうよのう」
 考え込む高時に代わって、
「貞将殿」
 傍らから長崎高資が口を挟む。
「なにゆえ、みずから京へ赴くことを望まれまする」
「知れたこと。幕府の屋台骨を大きく揺るがしかねぬ騒乱の火種は、今なお燻りつづけている。速やかにしかるべき手を打たねば、取り返しのつかぬことになろう」
「お言葉ながら――」
 底意地の悪い笑みを浮かべて、高資が切り返す。
「手ならば既に打ってござる」
「どのような手だ。日野資朝を佐渡へ流刑に処したことか」
「さよう、たとえ主上お気に入りの側近といえども、我等は容赦なく罪に問うという姿勢を明確にお示しいたしました。主上もよもや我等が朝廷内部にまで追及の手を伸ばしてこようとは思うておられなかったはず。これに懲りて今後はお慎みあそばすことでござりましょう」
「甘いッ!」
 貞将は一喝した。
「此度のご謀叛が多くの公家衆のみならず、在京の武士たちまでも巻き込んだ大掛かりな企てであったことは明白でござる。にもかかわらず、北方の常葉範貞殿、南方の大仏維貞殿の両探題はいずれも腰が引け、ろくに詮議もいたさぬまま、相手の目論見どおり日野資朝ひとりに罪を負わせる安易な形で決着をつけようとした。その結果、資朝とつねに行動をともにしていた日野俊基さえ無罪放免にするとは、なんとも信じがたい甘さでござる。主上もさぞかし胸を撫で下ろし、幕府与しやすしとほくそ笑まれておいでであろう」
「お控えなされ、貞将殿。仮にも主上に対し奉り、さような物言いは無礼でござりましょうぞ」
 高資が居丈高に怒鳴り返す。
「主上とて、みずからのご短慮を反省なされておりまする。さればこそ、ここは寛大な処置によって穏便に事を済ませ、やり直す機会をお与えいたすことこそ、まことの忠義と申すものではござりませぬか」
「私には、そなたの申しようこそ無礼きわまるように聞こえるが――まあ、それはよい」
 貞将は上座の高時を鋭く見据えて、
「太守さま、お願いでござりまする。親王を将軍にお送りいだたくなど、永らく幕府との良好な関係を保ちつづけてきた朝廷に、いったいどのような変化が起きているのか。その変化をもたらした当今の主上とは、どのようなお方なのか。この目でしかとたしかめてみとうござりまする。そうすることによって、幕府が取るべき道も見えてくるものと存じまする」
「貞将殿、ですから幕府の取るべき道は既に――」
「恐れながら」
 高資の言葉を、野太い声が遮った。
「金澤殿の申されること、それがしには道理かと思われまする」
 貞将が視線を向けると、がっしりとした精悍な面差しの男が、こちらを見返して微笑んでいる。
「ほう、守時は貞将を京へ送ることに賛成か」
 高時の問いかけに、
「いかにも」
 大きく頷いた男の名は、赤橋守時。貞将と同じく北条一門に列する人物である。
 その人となりは、清廉剛毅。真に裏表がなく公明正大で、温和な性格の中にも芯の強さが感じられる。妹の登子は源氏の棟梁と目される有力御家人足利家の若き嫡男高氏に嫁いでおり、北条一門以外の武士たちからも幅広く信望を得ていた。
 その守時が高時のほうへ向き直り、
「かねてより京の情勢には注意を払わねばならぬと、それがしも思うておりました。次なる六波羅探題職にはそれができる才覚と気概の持ち主を選ばねばなりませぬ。この守時、憚りながら気概において誰に劣るものでもござらねど、恥ずかしいことに生来の武骨者にて、都の風土に馴染めるとはとうてい思われませぬ。その点、金澤殿なればお父上に似て学問や風雅の道にも明るく、公家たちとも対等に付き合うことができましょう」
「ほう、貞将は風雅の道に明るいか。それにしては、儂が催す田楽舞の宴にはとんと興味を示さぬのう」
 貞将はつい苦笑を洩らす。高時にとっては、あの騒がしいだけで品のない田楽舞が「風雅」だというのか。
 小さく洩らした溜息をかき消すように、
「さればでござる」
 守時の大きな声が広間に響き渡った。
「金澤殿を六波羅探題として京へお遣わしになり、朝廷の公家たちの動きをしかとお探りいただくのでござりまする。高資殿の申されるとおり、此度の一件で日野資朝を処罰し、他の者をあえて不問に付すことで、主上には釘を刺すことができたやもしれませぬが、他の公家たちがみな同じように感じているかといえば、必ずしもそうではないように思われまする。未だ腹中に一物を抱えながら、ふたたび事を構えんと機を窺う者とておりましょう。金澤殿ならば、そうした者たちの懐深くまで入り込むことができまする」
「懐深くまで入った挙句、取り込まれてしまわねばよろしいのですが」
 高資がそう言って、皮肉げに笑ってみせる。
「雑言、聞き捨てならぬな」
 貞将が気色ばんだ。
「仮にも武士に向かって申すべき言葉ではあるまい。むろん、それなりの覚悟があって申しておるのであろうな」 
 凄んでみせると、高資の面上にかすかに怯えの色が浮かぶ。だが、
「およしなされ、金澤殿」
 傍らから守時が、やんわりとそれを制した。
「高資、そのほうも些か言葉が過ぎよう。口を慎め」
 上座の高時も、どこか興覚めしたような声で高資を咎めた。
「ははっ」
 救いの船に乗り遅れまいとばかり、高資が大仰に恐れ入った所作を見せる。
「申し訳ござりませぬ。どうか、ご容赦くださりませ」
「よい。そなたとて幕府の行く末を案じてのことと、余にはわかっておるゆえな」
「ありがたきお言葉。この高資、太守さまの御為ならばいつ、いかなる時にてもこの命、差し出す覚悟はできてござりまする」
「うむ、余もそなたのことを誰よりも頼みと思うておる。これからも余のため、幕府のために力を尽くしてくれよ」
「ははあっ」
 まったく、とんだ茶番である。貞将は守時と顔を見合わせて、小さく苦笑し合った。
「さて、貞将」
 高時が声音を改めて言った。
「そなたの志は、ようわかった。たしかに次の六波羅探題に課せられる使命には、それなりに大きなものがあるであろう。そなたほどの器量の者が担ってくれるならば、我等としても心強きかぎりじゃ。明日にも評定にかけ、結審いたし次第、速やかに京へ向かってもらうことといたそうぞ」
「はっ、さっそくのお聞き届け、痛み入りまする」
 貞将は勢いよく平伏して、礼を言った。
 高時は満足げに頷いている。
 その傍らでは、長崎高資がなんとも複雑な表情を浮かべていた。

「赤橋殿」
 執権館を先に出た赤橋守時に、小走りで追いついた貞将は、乱れた呼吸を整えながら、
「ご助勢、かたじけのう存じまする」
 改めて謝意を口にした。
「おかげさまで、京へ行くことが叶いそうでござりまする」
「うむ、一応は評定にかけてからということになろうが、太守さまが同意しておられる以上、覆ることはあるまい」
 守時は爽やかな笑顔を見せて、
「本当ならば、それがしも名乗り出たいところでござったが、何しろ先程も申し上げたとおり、かような武骨者に京でのお役目は務まるまい。その点、貴殿ならば懸念はない。まさしく適任というものだ。それに――」
「それに?」
「高資はこのところ貴殿を目の敵にしているようだ。密かに刺客を用意し、亡き者にしようとさえしていると耳にいたした」
「なんと」
 貞将は驚いたが、すぐに昨夜の出来事が脳裏に蘇った。
 ――そうか、やはりあれは高資が放った刺客であったか。となれば、太守さまも当然、ご存知のことであろうな……。
 田楽一座の桔梗とかいう女を差し出さなかったことを、まだ根に持っているのか。
「いや」
 守時はその心中を察したらしく、
「太守さまは、ご存知ではあるまい。おそらく高資の独断であろう」
「そうでしょうか」
「なるほど、その様子では既に魔の手は貴殿の身に及んでいたのでござるな」
「されば、昨夜のこと――」
 貞将は事の顛末を守時に語って聞かせた。
「さようであったか」
 聞き終えた守時は、ふーっと大きな溜息を吐き、
「高資め、どこまで悪辣な企みをいたすつもりか。まこと、あやつこそが幕府にとっての獅子身中の虫。太守さまのお許しさえあれば、この儂が一刀のもとに斬り捨ててくれようものを」
「そのようなこと、太守さまは決してお認めになりますまい」
「ああ、そうだな。何しろ今の幕府は高資とその父円喜にすっかり壟断されている。嘆かわしきことながら、我等北条一門といえども、奴等には手も足も出すこと叶わぬ」
「そのとおりでござりまする。だからこそ――」
 貞将はおのが言葉に力を込めて、
「それがしは京へ行きたいのでござりまする」
 強くそう言いきった。
「この狭い鎌倉の地で、我等が愚かな内輪揉めを繰り返している間にも、京で燻る火種はふたたび大きくなり、今度こそ天下を揺るがす一大事に発展いたしかねませぬ。その実態をしかとこの目でたしかめたいのと同時に、それがしはしばらくこの鎌倉を離れたほうがよい気もしているのでござりまする。何しろ、このところそれがしは太守さまにひどく嫌われている様子ゆえ」
「なんの、太守さまにそれほどの度胸はあるまいよ」
 守時はからりと笑って、
「貴殿を恐れているのは、むしろ高資のほうであろう。彼奴は太守さまの信任篤きをよいことに横暴のかぎりを尽くしているが、内実はひどく小心で自信のない男だ。操り人形の座に甘んじている太守さまや、武骨なばかりで鈍いそれがしなどは眼中にもないだろうが、貴殿の存在は脅威と感じているに違いない。おそらく太守さまのご不興を買うように佞言を弄し、よからぬ企てをいたしておるのであろう」
「なにゆえ、それがし如き若輩者を彼の者が恐れましょうや」
「金澤殿、貴殿はご自身のことがあまりよくわかっておられぬようだな。今や、この鎌倉に住まう武士たちの中で、貴殿に期待を寄せぬ者はおらぬといってよい。それがしの妹婿足利高氏殿なども、金澤殿が執権になれば幕府は昔日の――泰時公や時頼公の頃の輝きを取り戻すかもしれぬと、日々申しておる」
「足利殿が、そのような」
 貞将にとって、それは少なからぬ驚きであった。
 足利高氏は源氏の頭領足利貞氏の嫡男である。平素は茫洋として掴みどころのない人物だが、彼をよく知る者たちの間では、
 ――大器の片鱗あり。
 と、噂されている。
「足利殿といい、昨夜、貴殿を助けた新田義貞殿といい、この鎌倉には、ともに手を携えるべき武士があまたおり申す。それらをいたずらに排除し、権力を得宗家の一手に集中させるのは決して得策とはいえぬのだが……。太守さまや長崎父子には、それがわかっておらぬ」
「いかにも、そのとおりでござりまする。それがしも昨夜、新田殿と一晩話をして、つくづくそう思いました。鎌倉は武家の都。決して北条家の都でも、ましてや得宗家の都でもござりませぬ。そこをもう一度、あるべき姿に正せば、都におわす主上のお考えとて変えられるやもしれませぬ」
「やはり金澤殿は若いのに世の中が見えておられる。貴殿のような方が六波羅探題として京へ赴いてくださるのは、幕府にとってまさに僥倖。豺狼が如き高資からしばし離れ、その目でとくと都の情勢を――そして我等のなすべきことを見極めてきていただきたい」
 守時の熱情を込めた激励に、
「恐れ入りまする。若輩者ゆえ至らぬところも多々ござりまするが、幕府の行く末は京の朝廷の動向にかかっていると申しても過言ではござりませぬ。我等が進むべき道が何辺にあるか、この目でしかとたしかめてまいりまする」
 貞将は力強く応じた。
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