鎌倉最後の日

もず りょう

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3 新田義貞

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   新田義貞


 新田家は清和源氏の流れを汲む名門である。
 八幡太郎義家の子義国を家祖に持ち、その子義重以来、代々上野国新田庄を本貫地としている。
 由緒ある家柄とはいえ、その内実は決して裕福ではなかった。歴代の当主はよくも悪くも武骨で、世渡りは不器用であった。そのため、同族でありながら執権北条氏と血縁関係を結び、
 ――源氏の棟梁
 として鎌倉でも一目置かれる立場だった足利氏と比べると、その存在はひどく希薄で、心許なかった。
 義貞は、その新田家の若き惣領である。この年、二十五歳になったばかりだ。
 血気盛んな年頃である。おまけにライバルともいうべき足利氏に水をあけられ、名流の裔に見合わぬうだつの上がらぬ日々の暮らしに、鬱屈した思いを抱えている。
「貞将殿は、今の鎌倉を――幕府を、どう見ておられる」
 郎党に命じて傷口の応急手当てを手早く済ませた後、義貞は真っ向からそう切り込んできた。
 目の前には酒と肴――いくらか過ごしただけにもかかわらず、義貞の顔はもう真っ赤になっている。剛健な見た目とは裏腹に、あまり強いほうではないらしい。
「どう、と申されると」
「高時公は執権の職に就かれてはや八年にもなるが、田楽舞や闘犬にうつつを抜かし、政務にはいっこうに興味を示されぬご様子。まつりごとを取り仕切るのは内管領長崎円喜殿とその子高資殿。父親は権勢欲の、息子は金銭欲の塊との評判にて、幕府内部は彼等に媚びへつらう佞臣ばかりが重んじられ、気骨ある者たちは遠ざけられて糜爛頽廃の極みにあると聞き及びます。まことに嘆かわしきことなれど、さしずめ貞将殿などは、遠ざけられし気骨の武士の筆頭格であろうと、それがしは睨んでおり申す。その貞将殿の目に、今の幕府の実情がどう映っているのかを、ぜひともお聞かせ願いたい」
 義貞は一気にまくし立てるように言って、血走った双眸を貞将に向けてきた。
 貞将はしばし無言のままその視線を受け止めていたが、
「よくはない。それだけはたしかだ」
 おのれの言葉を噛み締めるように、訥々と語り出した。
「それがしがどれほどの者かは措くとしても、貴殿の申されるとおり、幕府内部にも気骨ある武士がいるのは間違いない。たとえばわが北条一門の中にも、赤橋守時殿のような心映えの涼やかな武人がいる。だが、そうした者たちは今の幕府においては、その力量や人物に相応しい居場所が与えられていない。掌中の珠である執権高時公にそれらを近づけまいとする長崎父子の圧力が働いているからだ」
「……」
「百歩譲って、平時ならばそれでもよいかもしれぬ。息子の高資はともかく、父の円喜は優れた才覚の持ち主だ。やりかたは汚いが、幕府の屋台骨を大きく揺るがすような失策は犯すまい。しかし、今は違う。京での一件は貴殿も知っているだろう」
「主上のご謀叛でござるな。むろん聞き知っており申す。何しろ承久の乱以来の公武衝突でござれば、この屋敷でも、すわ一大事ぞと、家人たちがずいぶん色めき立っており申した」
「当今の主上は、もとより血気盛んなご気性。文保の和談によって定められた両統迭立の決めごとにもご不満をお持ちになり、みずからの皇子に皇位を継がせんとなさっていると聞く。此度の一件も、それがための企てと高資あたりは言っているが――」
「そうではござるまい」
 義貞は、言下にそれを否定した。
「主上の企図するところは、王政復古の一事に他なりますまい。なればこそ、慣例を破って、みずからの謚号を生前よりお決めあそばされているのでござろう」
「いかにも、それも後醍醐とな」
「延喜・天暦の世に親政を行われた醍醐帝にあやからんとする御意志は明白。私情によるご謀叛と決めつけるのは欺瞞でござる」
 喝破する義貞に、貞将は苦い顔で頷いた。
「高資は、おのれの失政を認めたくないがために、事の本質をすり替えようとしているに過ぎぬ。此度の一件は幕府の頽廃が招きしこと。それは疑いようがない」
「で、あれば――」
 義貞が膝を詰めてくる。
 酒臭い匂いが貞将の鼻を突いた。
「北条家御一門たる貞将殿は、いかがあそばされる」
 鋭い眼差しで、貞将を射抜こうとする。
「むろん、思うところがないわけではない。だが――」
 貞将はかすかに目を逸らし、
「今の幕府には、それがしの声など届かぬ」
 乾いた声で言った。
「今の幕府を動かしているのは、貴殿の申されるとおり得宗家とその身内である内管領の長崎父子だ。一門といっても傍流の我等は、得宗家にとっては家人同様。諫言したとて、おそらく耳を貸すまい」
「これはしたり」
 義貞が声を荒げる。
「傍流とはいえ、貴殿は紛れもなく執権北条家の御一門。いわば幕府の運営に責めを負うべきお立場ではござらぬか。我等武士を代表していただかねばならぬお方が、かような現状を見て見ぬふりをなさるのか」
「いや、そういうわけではないが――」
「ならば、なにゆえ高時公の放埓を諫めようとなさらぬ。なにゆえ奸臣長崎父子を取り除こうとなさらぬ」
「……貴殿には、まつりごとの機微がわかっておらぬ」
 貞将の声音に苛立ちが滲んだ。
「我等とて、このままでよいとは思うておらぬ。だが、いたずらに事を荒立てて幕府がふたつに割れるようなことになっては、いよいよ朝廷の思うつぼであろう」
「だから、黙っていると言われるのか」
「黙っているわけではない。折に触れて意見は申し上げている」
「届かぬ意見ならば、言うておらぬのと同じでござろう」
「なにッ!」
 たまりかねて貞将が激昂した。
「助けていただいたことには礼を言う。だが、今日初めて会うた貴殿に、さようなことを責められるいわれはない」
「なんでござるとッ!」
 義貞も負けじと怒鳴り返す。
「たしかに、こうして直接言葉を交わすのは初めてでござる。しかしながら、貴殿のご盛名はずっと以前より聞き及んでおり申した。堕落した北条一門の中にあって数少ない硬骨の士。いずれ必ずや幕府を立て直し、泰時公、時頼公の頃のような、我等武士がみな誇りを持つことのできるような、そんな鎌倉を作っていただけるお方と、それがしのみならず心ある武士がみな期待しておるのでござる」
 口吻が熱を帯びる。
「当今の主上は英邁なお方とのこと。そのようなお方なればこそ、今の幕府の体たらくに憂いを深くなされ、かかる仕儀と相成ったものと推察いたす。なればこそ、我等鎌倉武士は揃って襟を正し、その主上にもご納得いただけるようなまつりごとを行っていかなければならぬのではないか。それには、私利私欲のみを追い求める得宗家の方々ばかりに幕府を委ねておってはならぬと、それがしは思うており申す」
 語るうちに感情が激してきたのか、いつしかその言葉は打ち震え、双眸からは滂沱の涙が流れ落ちていた。
「それがしと志を同じゅうする武士は、この鎌倉にもあまたおり申す。今の腐りきったまつりごとを一新し、強き国を作る――そのためには、旗頭になっていただけるお方が必要でござる。金澤殿、それがしは貴殿こそがそれに相応しいとかねてより思うており申す。今日、こうしてお会いして、そのお人柄に触れ、この思いが間違っていなかったと確信いたした。どうか、我等鎌倉武士のために――いや、天下万民のために、強き心をお持ちくだされ。今の幕府を変えられるお方は、貴殿を措いて他にない」
「……ずいぶんと買い被られたものでござるな」
 貞将は面映ゆげに苦笑したが、すぐに真顔に戻り、
「義貞殿、今のお言葉、胸に重く響き申した。貴殿の申されるとおり、幕府はこのままではいかぬ。主上の宸襟を安んじ奉るためにも、今一度、気を引き締めなおさねばならぬと幕府内でも心ある者はみな思うておる」
「たとえば赤橋守時殿のような――」
「そうだ。守時殿の妹御は足利高氏殿に嫁いでおられるゆえ、貴殿等源氏の方々とも所縁が深かろう」
 足利高氏――貞将の口からその名が洩れた時、義貞の面上にかすかな翳りが差した。しかし、義貞はすぐにそれを振り払って、
「いかにも、その足利殿から時折、噂は聞き及んでおり申す。清々しいご気性の武人であるとか。もっとも、それゆえにまつりごとには些か不向きなご気性ではないかと足利殿は申しておられたが」
「たしかに、清濁併せ呑むといった芸当は、あまり得意ではないかもしれぬな。まあ、それがしも他人のことは言えぬが」
「なんの、まずはその発想から変えればよいのでござる」
 義貞は莞爾と微笑み、
「まつりごとを司ることは清濁を併せ呑むこと――この発想からいったん離れてみるのでござるよ。あくまで清なるものを重んじ、濁なるものはこれを排除する。そうやってまつりごとを動かしていくことができるならば、これに越したことはござるまい」
「それは、そうだが……」
 貞将は小さく溜息を吐いて、
「あまりにも現実離れした理想論に過ぎぬのではないか」
「なにゆえ、そうと決めつけなさる」
 義貞が口を尖らせる。
「これまで誰もそういうまつりごとを行ったことがないからでござるか。であれば、我等が初めにそれをやればよい。それぐらいの気概を持って臨まねば、主上とてご納得あそばされますまい」
 その言葉はどこまでも力強く、信念に満ちていた。貞将には、それが真っ直ぐ胸に響き、心の奥底から湧き上がる衝動が、何かを突き動かそうとしているように感じられた。
「義貞殿」
 気付けば彼は義貞の手を取り、大きく頷いていた。
「よくぞ言うてくだされた。この貞将、これまで幕府の行く末をただひとり案じ、憂いてまいったが、それがしひとりの力でできることなど何もないと、いつしか勝手に匙を投げてしまっていた。執権殿に対しても長崎父子に対しても言うだけのことは言うた。後はどうなろうとそれがしのせいではないと、知らず知らずそんな自己弁護に逃げていたのかもしれぬ。今、貴殿と話をして、ようやく目が覚めた思いがいたす」
「金澤殿」
「残念ながら、今のそれがしには幕府の腐敗をただちに正すことはできぬ。だが、世の乱れの火種は都で燻りつづけている。それを知りながらこの鎌倉にいて手を拱いているのは、卑怯者のすることであろう。今のそれがしにできることは何か――まずはそこから考えるべきであった」
「よくぞ申された、金澤殿。そういうお方と知ればこそ、我等は貴殿に期待を寄せ、多くを望むのでござる」
「貴殿のような心ある鎌倉武士がそれがしの背中を強く押してくれるならば、それがしは必ずやその期待に応えてみせる。一命を賭して幕府を――天下のまつりごとを正しき方向へ導いてみせようぞ。そうすれば太守さまも、そして都の主上も、きっと得心くださり、力を合わせてくださるに違いない」
「その意気ぞ、金澤殿」
 義貞は感涙に咽びながら、貞将の肩を何度も叩いた。生来、激情家なのであろう。
「今宵は愉快な夜となり申した。我等鎌倉武士の新たな船出の一夜となるような気がいたす。さあ、金澤殿。まだ夜は長い。今宵はとことん呑み明かしましょうぞ」
 義貞の言葉に、貞将は満面の笑みで頷いた。
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