鎌倉最後の日

もず りょう

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2 奸臣

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   奸臣


「すまぬな、雨の中を朝から呼び立ててしまって」
 翌朝、突然の呼び出しに応じて参上した貞将を、館の主――執権北条高時は上機嫌で迎えた。
「昨夜は些か飲み過ぎたらしい。今朝は頭痛がひどくて、飯もろくに咽喉を通らなった。この天気のせいもあるのかもしれぬが……。そなたは大事ないか」
「それがしは途中で退席いたしましたし、酒もほとんど過ごしておりませぬゆえ」
「ああ、さようであったな」
 高時はフンと鼻先で嗤った。
「そなたは田楽舞が好みではないようだな。いつも途中で切り上げてしまう」
「そういうわけではありませぬが、そもそも賑やかな場というものが、あまり得意ではないのです」
「なるほど、父親譲りだな」
 高時の言葉に、
「いかにも、書画や音曲に造詣が深いあたりも、お父上の貞顕さまによう似ておわす」
 追従するような合いの手を入れたのは、三十歳過ぎぐらいの痩せぎすの男である。細い糸のような狐目に特徴的な鉤鼻。色も厚みも薄い唇がいかにも酷薄そうな印象だ。
「貞顕さまは、むくつけき武人の多い御一門にあっては、まことに出色なる御仁。貞将さまは、そのお血筋をよう受け継いでおられる。まことに結構なことと存じまする」
「どうやら褒められているようだ。素直に受け止めておこう」
 貞将の皮肉を、その男――長崎高資は薄笑いで受け流す。
 若き執権高時の後見人として幕政の実権を掌握し、今や事実上の最高権力者といっていい辣腕政治家、長崎円喜――高資はその長男である。
 父円喜は権力欲が強く、おのれを脅かす政敵に対しては容赦なく追い落としを計るなど強引な手法を取り、必ずしも広く人心を得られてはいなかったが、少なくともその才覚と豪胆さにはたしかなものがあり、ひとかどの人物ではあると誰もが認めていた。
 ところが息子の高資は、父親の旺盛な名利欲や金銭感覚のだらしなさだけを受け継いだらしく、肝心の才覚はお世辞にも褒められたものではないと見られていた。その証拠に、私利私欲に走りすぎて敵対する勢力のいずれもから過分の賄賂を受け取り、かえって調整がつかなくなって、奥羽に無用の兵乱をもたらしたりしている。
 にもかかわらず高時の信任を得ているのは、ひとつには父の威光によるものであり、さらにいえば彼自身が高時の意を汲むことに長け、巧妙に望みを叶えてその機嫌を取り持つことに成功していたからに他ならないと、衆目が一致していた。高時にしてみれば、時に面と向かって説教を垂れてくる円喜が頼もしい反面、やや怖い存在であるのに比べて、息子の高資は憚りなくおのれの我儘を押し付けられる気安い相手なのであろう。それゆえにこそ父以上に重用し、権力を与えているのだ。
「ところで、貞将」
 高時が不意に真顔になって問いかける。
「そなた、桔梗という女子を知らぬか」
「はて」
 貞将は首を傾げる。
「存じませぬが、どのような女子でしょうか」
「昨夜、館に招いた田楽一座の踊り子よ。なかなかかわいい顔をしておったゆえ伽を申し付けたのだが、厭だと言って逃げ出しおった。舞も見事であったゆえ、褒美にかわいがってやるつもりであったに……」
「まことに不埒な女子でございましたな」
 すかさず高資お決まりの追従笑いだ。
「天下の執権さまのお目に留まるなど、地下の者には過ぎたる果報。それを無にいたすとは愚かな女子でござりまする」
「取るに足らぬ踊り子風情とはいえ、あの顔は些か惜しかった。一晩かわいがってやってもよいと思うたのだがな」
 ふたりの勝手な会話を聞いていると、貞将は胸苦しさを抑えきれなくなった。
「太守さま、それがしを呼んだのは、それを聞くためだけでござりまるか」
「ああ、そうだが」
 高時はきょとんとした表情で、
「他にどのような用があると思ったのだ」
「されば――」
 貞将は姿勢を正して、
「昨日は酒の席ゆえ深くは追及いたしませんでしたが、改めておうかがいいたしまする。此度の主上ご謀叛、太守さまはいかがお考えにござりまする」
 強い口調で問いかけた。
「当今のみかどが猛き御心の持ち主であるらしいことは、ご即位の砌より察せられておりましたが、よもや公然と兵乱をお企てあそばすとは、思いもよりませなんだ。天下のまつりごとを預かる幕府としては、このまま放っておくわけにはいきますまい」
「放ってはおらぬ」
 高時が口を尖らせる。
「謀叛の首謀者と思しき君側の奸、日野資朝は佐渡へ流した。主上とてこれに懲り、二度と同じことはお考えにならぬであろう」
「そうでしょうか」
 貞将は反駁する。
「大それた企てが近臣ひとりの流罪で済んだことで、主上とその取り巻きたちは逆に胸を撫で下ろしていることでありましょう。むしろ、幕府与しやすしとの印象さえ与えてしまったかもしれませぬ」
「お控えなされ、貞将さま」
 高資の叱声が飛んだ。
「太守さまの寛大なるご配慮に、けちをつけるおつもりか」
「寛大とは物の言いよう。つまるところ、事を大きくしたくなかっただけのことであろう」
 高資のほうへ向き直って、貞将が舌鋒鋭く論じ立てる。
「その証拠に、資朝とつねに行動をともにしていた日野俊基でさえ、ろくに詮議もいたさぬまま無罪放免といたしたではないか。おおかた朝廷と密儀を交わし、資朝ひとりに責めを負わせることで手打ちにしようと話がついたのに相違ない。むろん、その裏には少なからず欲得が絡んでおるのであろうな。誰のとは申さぬが」
「貞将さま、聞き捨てなりませぬな。それがしを疑うておられるのか」
「そなたのこととは、ひとことも申しておらぬ」
「目が、そう言うておられまする」
「ほう、私の目は心に思ったことを勝手に申しおるのだな」
「愚弄なされるか、貞将さま」
「やめよ、ふたりとも」
 高時が苛立たしげに両者の口論を遮った。
「貞将、高資を責めるは筋違いぞ。朝廷との関係をできるだけ悪くせぬよう、よきところに落としどころをもうけたは、高資ならではの才覚であろう」
「太守さま、恐れ入りまする」
 大仰な所作で、高資が平伏してみせる。貞将にはそのさまが片腹痛く感じられたが、当の高時はそうは思わぬらしく、満足げに頷いている。
「わが国のまつりごとは東国の幕府と西国の朝廷――いわば、この二本の柱が並び立つことによって成り立っておりまする。この均衡が崩れれば、ふたたび治承・寿永の内乱がごとき争いごとが起きましょう。それを防ぐためには、いたずらに厳しい態度で臨むことは得策でないと判断いたしたまで」
「さすがは高資だ。父譲りの思慮深さよ」
「もったいなきお言葉」
 滑稽なほど息の合った主従のやり取りに、貞将は苦笑して、
「失礼してよろしいか。弱い酒をあおったせいで頭痛がいたしますもので」
「なんだ、貞将。そなた、ほとんど呑んでおらぬと先程、自分でも申したばかりではないか。あれしきの酒で二日酔いたいすとは……。いやはや、近頃の御家人どもは何かというとそなたを褒めそやし、執権には儂ではなくそなたをこそ望ましいという声も少なからず上がっておると聞き及ぶが、些か拍子抜けよのう」
「恐れ多きことにござりまする。それがしなど、執権にはとうてい相応しからざる若輩者。どうかお嗤いくださりませ」
「そうか、嗤うてよいか」
「いかようにも」
「高資、嗤うてやれ。本人がよいと申しておるのだ。嗤うてやれ、このようにな」
 そう言うと高時は、壊れた笛のようななんとも奇怪で調子外れな声で、けたたましく笑い出した。それも、館が揺れるのではないかと思えるほどの大音声で――。
「どうした、高資。嗤え、嗤うてやれ」
 高時に急かされて、高資も笑い出す。こちらは公家のように袖で口元を抑え、小さく肩を揺らしながらヒッ、ヒッと声をしゃくり上げる笑いかただ。
 甲高い高時の哄笑と、薄気味の悪い高資の冷笑を背に受けながら、貞将は憮然とした面持ちで退出した。

 朝から降っていた雨は、いつの間にか上がっていた。
 とはいえ、ひどい曇天である。
 まだ夕刻までには少し間があるというのに、ほとんど夜更けのような暗さだった。
 滞在していたのは、ほんの四半刻(約三十分)程度だったはずだ。にもかかわらず、体中が疲れている。
 脳裏に高時と高資の笑い声がこびりついて離れない。
 ――あのふたりを頭に頂いて、我等ははたして都に燻る火種を摘み取ることができるのか。
 それは、まさしく動乱の兆しといっていい一大事だった。

 事の発端は元亨四年(一三二四)六月の後宇多法皇の崩御である。
 既に院政を停止していたとはいえ、未だ隠然たる力を有しつづけていた法皇の死を受けて、時のみかど後醍醐は蠢動を開始した。
 後醍醐は壮大な野望を抱いていた。
 ――鎌倉幕府を討滅し、まつりごとを朝廷の手に取り戻すのだ。
 通常、天皇の諱は死後に冠されるものだが、後醍醐は平安の御世に天皇親政を実現させた醍醐天皇を崇敬し、その生前においてみずからの諱を「後醍醐」と定めた。まさしく異例中の異例といってよかったが、旧弊な前例など意にも介さぬ大胆さが、この後醍醐という人物にはあった。
 後醍醐は近臣の日野資朝・日野俊基や護持僧文観らと相語らい、討幕の秘策を練った。すなわち九月の北野天満宮祭礼の喧騒に紛れて軍勢を動かし、六波羅探題を急襲して機先を制し、京から幕府勢力を一掃する。しかる後に、元寇以来の窮乏によって幕府に不満を抱いている西国武士らを糾合し、大軍を擁して一気に鎌倉へ攻め下ろうとする目論見であった。
 ところが、その企てが事前に露見した。
 朝廷の挙兵計画に密かに与していた土岐頼員という武士がいた。美濃守護土岐氏の流れを汲み、武勇をもって知られた男である。蜂起を目前に控え、若い妻との名残を惜しんだ頼員は、あろうことか寝物語に計画を洩らしてしまう。
 慌てた妻は父親に相談を持ちかけた。この父親――斎藤利行という人物が、よりにもよって六波羅探題の奉行職を務める身であったことから、事態は急展開を見せる。
 頼員はおのれの犯した失態の大きさに慄然とし、夜逃げ同然に姿を晦ました。
 一方、利行の報せを受けた六波羅探題は、土岐一族の有力御家人、多治見国長と土岐頼兼に出仕を命じる。頼員が同志として名を挙げていた者たちである。もしも、その話が真実であったならば、突然の呼び出しに警戒の念を抱くに違いない。
 はたして彼等は言を左右にして、召喚の命に応じなかった。
 謀叛への加担は決定的と見た六波羅探題は、ただちに討伐軍を差し向ける。両名も急拵えの軍勢でこれを迎え撃つが、衆寡敵せずして敗れ、ともに自害して果てた。
 討幕軍の先鋒を務める予定だった土岐・多治見が討たれたことで気勢を削がれた朝廷方は脆かった。いたずらに周章狼狽するばかりでなす術を持たず、首謀者と目された日野資朝・日野俊基は退路を断たれて出頭した。
 後醍醐は切歯扼腕し、彼等を奪還すべしと息巻いたが、周囲の近臣らに宥めすかされてようやく思い止まり、老練な万里小路宣房を鎌倉へ遣わして弁祖させた。
 宣房は、
 ――此度の一件は資朝・俊基ら一部の跳ね返り者たちが、主上の御意志とは関わりのないところで企んだもの。主上はいっさい預かり知らぬことにて、むしろはなはだ迷惑なされておりまする。
 と、幕閣に泣きついた。
 ――主上おんみずからの企てであることは明白。ご退位を迫るべきである。
 ――退位だけでは手ぬるい。いっそ承久の乱における後鳥羽院がごとく配流に処するが妥当であろう。
 轟々と湧き上がる強硬論を抑え、
 ――今、事を大きくしては国難のもと。未然に防いだのを幸いとして、穏便に対処すべきである。
 穏便に取り計らうべし、と主張したのが長崎高資であった。
 執権高時は、まつりごとにおいて彼の言うことには絶対に逆らわない。
 ――事を荒立てるのは儂も好まぬ。首謀者ひとりを特定して罪を負わせ、その他は不問とせよ。
 結果、すべてを背負う形となった日野資朝が佐渡島への流刑を受け入れることで事件は決着を見た。人々は、
 ――おそらく朝廷から長崎高資に多額の賄賂が贈られたのであろう。
 と噂し合ったが、当の高資はそのような風評など「どこ吹く風」であった。

 この処置が正しかったかどうかについて、貞将には判断がつかない。
 高資の言い分にも一理あるように思われるし、とはいえ些か甘過ぎるようにも感じられる。
 主上が此度の企てに関わっていた――いや、むしろ積極的に主導していたことは明らかだった。高資とて、それは十分わかった上での決断であろう。そこに巷間言われるような賄賂の存在があったかどうかはともかく――。
 主上はことのほか気性が激しく、信念の強い性格であるという。ひとたび思い立った「討幕」という目標を、たった一度の失敗で諦めるとは思われない。そのことは当然ながら高資も意識はしており、
 ――以降は六波羅探題を含めた西国政策に梃入れしていく必要がある。
 と、明言している。それについては、貞将とて異論はない。
 承久の乱以来、絶えて久しかった朝幕の争いが、ふたたび起きようとしているのだ。下手をすれば高資の言うとおり国を二分するような大乱につながる可能性も孕んでいる。
 世情は緊迫している。そのことは貞将ならずとも誰もが感じている現実であるはずだった。
 にもかかわらず、その国のまつりごとの事実上の頂点に君臨すべき執権高時があの体たらくでは……。
 貞時の心を、暗澹たる思いが支配した。

「もうし」
 しばらく歩いたところで、後ろから声を掛けられた。
 低く、太い男の声である。
「金澤貞将さまでござりまするか」
「ああ、そうだが――」
 いくぶん身構えながら振り向いた瞬間、貞将の目に白刃の煌めきが飛び込んできた。
 慌てて身をかわす。
 息つく間もなく第二撃が来た。
 迅い。
 かわしきれぬと見て、貞将は咄嗟に刀を抜いた。
 正面で受け止める。
 重い。
 腕だけでなく上肢全体が激しく痺れる感覚があった。
「何者だッ!」
 鋭く誰何する。
「公家方の手の者か。それとも――」
「無用ッ!」
 みなまで言わせず、対手はまた斬り込んできた。
 今度は横薙ぎに貞将の胴を狙ってくる。
 貞将は刀を立てて、かろうじてそれを受け止める。
 やはり、重い。
 危うく刀を取り落としそうになるのを、懸命にこらえた。
「なにゆえ私を狙う」
 貞将はなおも問いかける。
「誰の遺恨も買った覚えはないぞ」
 この間に乱れた呼吸を整えようとするのだが、対手の男はそれを許さない。
 無言のまま凄まじい勢いで攻撃をつづけてくる。
 貞将は、受け止めるのがやっとだ。
 少しずつ腕の力が失われてきている。
 それだけの剛剣を受けつづけているのだった。
 ――このままでは、やられる。
 そう感じ、逃げ出す間合いを図ることに意識を転じた。
 だが、隙がない。
 背を向ければ、たちまち餌食になるだろう。
 さりとて、突進していくわけにもいかない。
 ――これは進退窮したな。
 額に汗が滲む。
 こちらの焦燥を愉しむかのように、対手は口元を歪めた。
 不気味な歯茎の目立つ、厭らしい笑いかただ。
 為す術のないまま、じりじりと後ずさる。
 余裕のある表情で、刺客が間を詰めてくる。
 ――これまでか。
 貞将が天を仰ぎかけた、その時である。
「くっ」
 突然、男が顔を抑えて蹲った。
 どこからともなく飛翔した礫が、額を襲ったのだ。
「何奴ッ!」
 血相を変えて、辺りを見回す。
 だが、人の気配はない。
 と――。
「うわっ」
 ふたたび悲鳴を上げて、男がのけぞった。
 今度はもうひと回り大きな礫が、先程とほぼ同じ場所を襲ったのだ。
「おのれ、卑怯な」
 刺客は我を失って叫ぶ。
「隠れておらず、姿を見せよ。尋常に勝負いたさん」
「よかろう」
 低い声とともに、ひとりの武士が路傍から姿を現した。
 背はそれほど高くないが、がっちりとした体つきで、面差しも精悍だ。一見して、ただ者ではないと感じさせる雰囲気を持っている。
「何者だ。名を名乗れ」
「そちらが名乗れば、名乗ってやろう」
「なに」
「だが、名乗れまい。薄汚い刺客ゆえな。おおかた執権か内管領の狗であろうが」
「黙れッ!」
 刺客が激昂した。
「見たところ貧乏御家人のようだが、わが主を愚弄した罪の深さを思い知らせてやる」
「ほう、白状いたしたな」
 武士がニヤリと笑う。
 瞬間、刺客の貌からサッと血の気が引いた。
「はてさて、驚き入ったるものよ。仮にも天下のまつりごとを束ねるべき立場にあるお方が、事もあろうに御一門に列する御仁に刺客を放ち、闇討ちにいたそうとは」
「くっ……」
「このところの北条得宗家の横暴には、目に余るものがある。これではとうてい鎌倉武士の信望を得ることなど叶うまい。京の動乱の火種が未だ消えることなく燻りつづけている今、かような体たらくでは幕府の先も見えたというべきであろうな」
「ほざくな、下郎ッ!」
 刺客が飛び掛かる。
 武士はやすやすとそれをかわしてみせた。
 ――ああ。
 この瞬間、貞将には勝敗の行方が見えた。
 刺客は完全に我を失っている。
 武士はあえて挑発的な態度を取り、刺客の心を乱しにかかったのだろう。
 刺客は、まんまとそれにかかった。
 こうなれば、勝負は完全に主導権を握った武士のものだ。
「死ねッ!」
 声を上ずらせながら、刺客は刀を振り回す。
 その攻撃は、もはや闇雲でしかない。
「もういいだろう」
 武士はそんな刺客の横面に肘鉄を喰らわせた。
「ぐおっ」
 くぐもった呻き声を発して、刺客が跪く。
 刀を投げ捨てて、鼻を押さえる。
 鮮血が噴出している。
「ううっ」
 苦悶の表情を浮かべる刺客。
 流れる血は止まらない。鼻骨が折れているのかもしれなかった。
「かような裏通りとはいえ、誰が通りかかるかわからぬ。無様な姿を見られぬうちに、疾く立ち去れ」
 武士が言い放つ。
 ぞっとするほど凄味のある声だ。
 精悍な面差しの奥にある鋭い目が光っている。
「お、覚えておれ」
 刺客は慌てて刀を拾うと、一目散に駆け出していった。
 その背中を見送りながら、武士はふーっと大きく息を吐く。
 それから貞将のほうへ向き直り、
「お怪我はござらぬか」
 と、訊ねた。
「ああ――」
 大事ござらぬ、と言いかけたところで、思わず顔を顰める。
 肩口に鋭い痛みが走ったのだ。どうやらかすかに斬られたらしい。
「これはいかぬな」
 武士はその傷を見て、
「それがしの屋敷はここから近うござる。差し支えなければお立ち寄りくだされ。手当てしてしんぜよう」
「お申し出はありがたいが、ご迷惑ではござらぬか」
「なんの、貴殿とは一度ゆるりと膝を交えて語りたいと思うておったところでござるよ、金澤貞将殿」
 相好を崩すと、武士は意外と愛嬌のある表情になった。どこか相手の警戒心を瞬時に解きほぐすような人懐っこさが感じられる。
「それがしをご存知か」
「当然のこと。今や金澤貞将殿といえば、われら御家人の衆望を一身に集めるお方。いずれ執権にと待ち望む声も多うござる。むろん、かくいうそれがしもそのひとりでござるが」
「これは、また――」
 貞将は面映ゆげに苦笑して、
「ずいぶんと買い被られたものでござるな」
「ささ、ともあれ屋敷へ。早う手当てをいたさねば」
「あいわかった。それでは、お言葉に甘えることといたそう。して、貴殿の名は」
 貞将の問いかけに、武士はなんとも魅力的な笑顔を浮かべて、こう名乗った。
「それがしは新田小太郎義貞と申す。以後、お見知りおきくだされ」
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