猫被りなきみと嘘吐きな僕

古紫汐桜

文字の大きさ
上 下
52 / 96

思い出~海の回顧録⑦

しおりを挟む
 そして、金曜日がやって来た。
帰宅すると、既に先生の靴が玄関にあった。
階段を上ると、楽しそうな笑い声が聞こえる。
たった一枚のドアが、途方もなく遠くへ先生と俺との距離を隔てているように感じた。
その時だった。
「恋人ですか?」
と、聞いている渚の声が聞こえた。
「え? 何で?」
戸惑うような先生の声に
「なんとなく……? 嬉しそうだったから……」
と答える渚の声が耳に入った。
その瞬間、俺の脳裏にあのエリート顔した男の顔が浮かんだ。
そしてあの日に見た、首筋にいくつも刻まれた紅印。
嫉妬でドアを殴りそうになる感情を押さえていると、中から楽しそうな笑い声の後
「それより、早く返事して上げたら?」
渚の言葉に、俺の我慢の糸が切れた。
渚の部屋のドアを開けて、楽しそうに話している2人に近付き
「な~ぎ~さ~!」
と言って、大好きな人の身体を抱き締めた。
ふわりと香る甘い香り。
ずっと触れてみたかった、大好きな人の身体。
すると、先生は驚いた顔で俺を見上げた。
その瞳は、あの頃のような黒いガラス玉のような瞳では無く、きちんと人間の生気のある瞳をしていた。
ハッと我に返り
「あれ?」
と驚いたフリをして先生の身体を離し
「すみません! あれ? 今日って……」
驚いた顔を作ったまま、渚を見ると
「兄貴……、今日は家庭教師の日だよ」
呆れた顔で渚が俺を見ていた。
俺は笑顔を浮かべて
「すみません。俺、渚の兄で海と言います。海と書いてかいと読みます」
そう言って手を差し出した。
すると先生は笑顔で
「初めまして。渚君の家庭教師をさせて頂いている、相馬和哉です」
と答えると、俺の手を握り返した。
でも、先生の顔は初対面の人を見る顔で、俺の事は覚えてないのだと実感させられた。
ガッカリした気持ちと、もしかしたら思い出してくれるかもしれない……という期待を込めて先生を見つめて
「あの……、何処かでお会いしませんでしたか?」
と聞いてみた。
すると先生は作り笑顔を浮かべたまま
「いえ、初めて……です」
と、最初は「初めて」と言い掛けて、ハッとした顔で俺を見上げた。
もしかして、思い出してくれたのかもしれない。期待を込めて見つめていると、先生は曖昧な笑みを浮かべて俺を見つめ返した。
『先生、俺です! あの日、あなたに元気をもらった一条海です!』そう叫びそうになったその時
「兄貴、勉強の邪魔!」
と叫ぶ渚に、部屋を追い出されてしまった。
 その日の授業が終わり、俺は先生をお見送りする母さんの後ろに立って先生を見送った。
でも、先生は俺とは目を合わせないようにして、逃げるように帰ってしまう。
結局、声を掛けられないまま、俺はガッカリして重い足取りで部屋に戻った。
 初めて抱き締めた先生の身体は細くて、驚いたように俺を見つめた瞳は、ちゃんと俺を認識していたようだった。
やっと……、やっと先生の瞳に映ったと喜んだのも束の間だった。
部屋がノックされ、渚が入って来た。
俺の部屋に来るなんて珍しいと思っていると
「兄貴、先生と会ったことあるんだって?」
渚に言われて、覚えていてくれたんだと嬉しくなって
「そうなんだよ!」
と答えると
「ふ~ん、それで差別するんだ」
渚が冷めた目で俺を見た。
「え?」
言葉の意味が良く分からなくて聞き返すと
「先生から聞いたよ。先生、ゲイなんだって? で、ラブホから男の人と出て来たのを兄貴に見られたから、クビになるかもって言われたよ」
そう言われて愕然とした。
(そっちなんだ……)
俺の心が沈んで行く。
「俺、兄貴はそういう差別しない人だと思っていたのに……。凄い残念だよ」
そう言われて
「違う!」
と叫んだ。
でも渚は俺を見て
「もし、先生を泣かせるようなことしたら、許さないから」
そう言い残すと、部屋から出て行ってしまった。

どうしてお前がその言葉を言うんだよ!
それは、俺が言いたかった言葉なのに!
何で俺が、言われなくちゃならないんだよ!

悔しくて涙が止まらなかった。
 結局、俺はあの人の瞳には映らない。
このままで居たら、又、俺は忘れ去られてしまう。覚えられたとしても、可愛い家庭教師先の生徒のお兄さん。
渚の授業が終わり、もし、又、何処かで出会っても、あの瞳で『誰?』と言われてしまう。
そう考えただけで、頭がおかしくなりそうだった。どうしたらあの人の瞳にうつるんだろう。
どうしたら、あの人の記憶に残るんだろう。
そして出た結論が、あの人の心に残らないなら、一層、憎まれた方がマシだ。
そう考えたんだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

諦めようとした話。

みつば
BL
もう限界だった。僕がどうしても君に与えられない幸せに目を背けているのは。 どうか幸せになって 溺愛攻め(微執着)×ネガティブ受け(めんどくさい)

Promised Happiness

春夏
BL
【完結しました】 没入型ゲームの世界で知り合った理久(ティエラ)と海未(マール)。2人の想いの行方は…。 Rは13章から。※つけます。 このところ短期完結の話でしたが、この話はわりと長めになりました。

消えない思い

樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。 高校3年生 矢野浩二 α 高校3年生 佐々木裕也 α 高校1年生 赤城要 Ω 赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。 自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。 そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。 でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。 彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。 そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。

好きなあいつの嫉妬がすごい

カムカム
BL
新しいクラスで新しい友達ができることを楽しみにしていたが、特に気になる存在がいた。それは幼馴染のランだった。 ランはいつもクールで落ち着いていて、どこか遠くを見ているような眼差しが印象的だった。レンとは対照的に、内向的で多くの人と打ち解けることが少なかった。しかし、レンだけは違った。ランはレンに対してだけ心を開き、笑顔を見せることが多かった。 教室に入ると、運命的にレンとランは隣同士の席になった。レンは心の中でガッツポーズをしながら、ランに話しかけた。 「ラン、おはよう!今年も一緒のクラスだね。」 ランは少し驚いた表情を見せたが、すぐに微笑み返した。「おはよう、レン。そうだね、今年もよろしく。」

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

家族になろうか

わこ
BL
金持ち若社長に可愛がられる少年の話。 かつて自サイトに載せていたお話です。 表紙画像はぱくたそ様(www.pakutaso.com)よりお借りしています。

私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない

文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。 使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。 優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。 婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。 「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。 優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。 父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。 嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの? 優月は父親をも信頼できなくなる。 婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。

Take On Me

マン太
BL
 親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。  初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。  岳とも次第に打ち解ける様になり…。    軽いノリのお話しを目指しています。  ※BLに分類していますが軽めです。  ※他サイトへも掲載しています。

処理中です...