猫被りなきみと嘘吐きな僕

古紫汐桜

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思い出~海の回顧録⑦

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 そして、金曜日がやって来た。
帰宅すると、既に先生の靴が玄関にあった。
階段を上ると、楽しそうな笑い声が聞こえる。
たった一枚のドアが、途方もなく遠くへ先生と俺との距離を隔てているように感じた。
その時だった。
「恋人ですか?」
と、聞いている渚の声が聞こえた。
「え? 何で?」
戸惑うような先生の声に
「なんとなく……? 嬉しそうだったから……」
と答える渚の声が耳に入った。
その瞬間、俺の脳裏にあのエリート顔した男の顔が浮かんだ。
そしてあの日に見た、首筋にいくつも刻まれた紅印。
嫉妬でドアを殴りそうになる感情を押さえていると、中から楽しそうな笑い声の後
「それより、早く返事して上げたら?」
渚の言葉に、俺の我慢の糸が切れた。
渚の部屋のドアを開けて、楽しそうに話している2人に近付き
「な~ぎ~さ~!」
と言って、大好きな人の身体を抱き締めた。
ふわりと香る甘い香り。
ずっと触れてみたかった、大好きな人の身体。
すると、先生は驚いた顔で俺を見上げた。
その瞳は、あの頃のような黒いガラス玉のような瞳では無く、きちんと人間の生気のある瞳をしていた。
ハッと我に返り
「あれ?」
と驚いたフリをして先生の身体を離し
「すみません! あれ? 今日って……」
驚いた顔を作ったまま、渚を見ると
「兄貴……、今日は家庭教師の日だよ」
呆れた顔で渚が俺を見ていた。
俺は笑顔を浮かべて
「すみません。俺、渚の兄で海と言います。海と書いてかいと読みます」
そう言って手を差し出した。
すると先生は笑顔で
「初めまして。渚君の家庭教師をさせて頂いている、相馬和哉です」
と答えると、俺の手を握り返した。
でも、先生の顔は初対面の人を見る顔で、俺の事は覚えてないのだと実感させられた。
ガッカリした気持ちと、もしかしたら思い出してくれるかもしれない……という期待を込めて先生を見つめて
「あの……、何処かでお会いしませんでしたか?」
と聞いてみた。
すると先生は作り笑顔を浮かべたまま
「いえ、初めて……です」
と、最初は「初めて」と言い掛けて、ハッとした顔で俺を見上げた。
もしかして、思い出してくれたのかもしれない。期待を込めて見つめていると、先生は曖昧な笑みを浮かべて俺を見つめ返した。
『先生、俺です! あの日、あなたに元気をもらった一条海です!』そう叫びそうになったその時
「兄貴、勉強の邪魔!」
と叫ぶ渚に、部屋を追い出されてしまった。
 その日の授業が終わり、俺は先生をお見送りする母さんの後ろに立って先生を見送った。
でも、先生は俺とは目を合わせないようにして、逃げるように帰ってしまう。
結局、声を掛けられないまま、俺はガッカリして重い足取りで部屋に戻った。
 初めて抱き締めた先生の身体は細くて、驚いたように俺を見つめた瞳は、ちゃんと俺を認識していたようだった。
やっと……、やっと先生の瞳に映ったと喜んだのも束の間だった。
部屋がノックされ、渚が入って来た。
俺の部屋に来るなんて珍しいと思っていると
「兄貴、先生と会ったことあるんだって?」
渚に言われて、覚えていてくれたんだと嬉しくなって
「そうなんだよ!」
と答えると
「ふ~ん、それで差別するんだ」
渚が冷めた目で俺を見た。
「え?」
言葉の意味が良く分からなくて聞き返すと
「先生から聞いたよ。先生、ゲイなんだって? で、ラブホから男の人と出て来たのを兄貴に見られたから、クビになるかもって言われたよ」
そう言われて愕然とした。
(そっちなんだ……)
俺の心が沈んで行く。
「俺、兄貴はそういう差別しない人だと思っていたのに……。凄い残念だよ」
そう言われて
「違う!」
と叫んだ。
でも渚は俺を見て
「もし、先生を泣かせるようなことしたら、許さないから」
そう言い残すと、部屋から出て行ってしまった。

どうしてお前がその言葉を言うんだよ!
それは、俺が言いたかった言葉なのに!
何で俺が、言われなくちゃならないんだよ!

悔しくて涙が止まらなかった。
 結局、俺はあの人の瞳には映らない。
このままで居たら、又、俺は忘れ去られてしまう。覚えられたとしても、可愛い家庭教師先の生徒のお兄さん。
渚の授業が終わり、もし、又、何処かで出会っても、あの瞳で『誰?』と言われてしまう。
そう考えただけで、頭がおかしくなりそうだった。どうしたらあの人の瞳にうつるんだろう。
どうしたら、あの人の記憶に残るんだろう。
そして出た結論が、あの人の心に残らないなら、一層、憎まれた方がマシだ。
そう考えたんだ。
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