猫被りなきみと嘘吐きな僕

古紫汐桜

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思い出~海の回顧録④

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「相馬先生!」
 週一回の授業の後、意を決して声を掛けてみた。
すると何も映さない瞳が僕を見て
「誰?」
って聞いて来た。
「一条です。一条海です」
そう言うと、先生は不思議そうな顔をして俺を見ると
「僕の授業で何かあった?」
と聞いて来た。
その顔は、あの日の事を全く覚えてないみたいだった。
「いえ……」
そう答えると
「もういいかな?」
と冷たく言われ、俺に背を向けて歩き出す。
その後ろ姿は、「声を掛けないで」と言っているみたいだった。

 あの日、先生は大笑いした後、涙を拭いて
「久しぶりに大笑いした」
そう言って時計を見ると
「やば! 昼休み終わっちゃう! ほら、お前も早く教室に戻れよ」
そう言うと、慌てたように走り出した。
階段を駆け降りる先生を追いかけ
「先生! ありがとうございました」
って叫ぶと一瞬立ち止まり、笑顔を浮かべてヒラヒラと手を振ると、そのまま走り去って行った。

 あれから5日しか経過していないのに、先生は何も覚えていない事がショックだった。
俺にとって、特別で大切な思い出になったのに、この人にとってはなんでもない時間だったんだと思い知らされた。
それから毎日、先生を追い掛けて挨拶したり話しかけたりしてみた。
でも……、答えはいつも同じだった。
先生から、あの日の笑顔を浮かべてもらえる事はなかった。
どうにもならない気持ちを抱え、ただ時間だけが過ぎていく中で事件は起こった。
帰り支度をしていると、校内放送で校長室に呼ばれる。
何かしたかな? と首を傾げながら向かうと、学年主任と担任、そして相馬先生も居た。
何がなんだか良くわからないでいると、校長先生から
「一条君、実はきみと相馬先生の事が噂になっていてね」
そう切り出されたのだ。
「噂?」
校長先生に聞き返すと
「きみが相馬先生と……その、恋人だっていう……」
言い辛そうに言われて、目の前が真っ暗になった。
俺が追い掛けたせいで、そんな噂が……。
落ち込んで相馬先生を見ると、何も映さない瞳で遠くを見ているだけだった。
「男性同士ですし、そんな馬鹿げた話し……とは思ったのですが」
そう言われて、俺は拳を握り締める。
「先生の授業が楽しくて、俺は数学が好きになりました。だから、先生からもっと話しをお聞きしたくて、俺が相馬先生を追い掛けていました」
と答えた。
すると校長先生は嬉しそうに微笑み
「そうだったのですか。彼の授業は、そんなに楽しかったのですか?」
そう聞いて来た。
「はい。今まで、学校の教科だからと数学を学んでいました。でも、相馬先生の授業で、その数式から薬だったりコンピューターだったり、たくさんの世界が広がると教わりました。たかが必須科目の教科から、学ぶ事の意味を教わりました」
校長先生は俺の言葉を聞くと、うんうんと頷き
「どうですか? この言葉を聞いても、お二人は疑われますか?」
学年主任と担任に声を掛けると
「一条君は、私達の授業で質問する事がなかったもので……。すみませんでした」
頭を下げられてしまい
「それは違います。先生方の授業は、授業時間範囲内でも理解出来る様に教えてくださっています。だから、質問しなかったんです。……ただ、相馬先生のお話は、授業とは違うものでしたので。僕も配慮が足りませんでした。すみませんでした」
と、3人に頭を深々と下げた。
すると相馬先生は
「えっと……、誰でしたっけ?」
っと、担任に耳打ちをして聞くと
「一条君……だっけ? 数学に興味を持ってくれて、ありがとう」
そう言って微笑んだ。
でもそれは、俺が欲しかった笑顔では無かった。
先生の特別授業の終わりが近い事もあり、特に問題になる事もなくこの事件は幕を閉じた。
そして相馬先生の勤務、最終日。
俺は、昼休みに屋上へ走って向かった。
あの日以来、先生の睡眠の邪魔にならないように行くのを控えていた。
 ドアを開けると、空を見上げて先生が立っていた。その姿はやっぱり綺麗で、空に消えてしまいそうに儚かった。
「そんなにフェンスに近付くと、綺麗すぎて、空に消えてしまいそうです……」
思わずぽつりと呟いた俺に、先生はガラス玉のような瞳で俺を見た。
「誰?」
そう言われて、俺は小さく微笑むと
「一条です」
と答えた。
もう、此処で会う事は無いんだと、その姿を焼き付けるように見つめる。
真っ青な空と、屋上のフェンス。
真っ白な白衣に身を包み、空を見上げている姿が本当に綺麗だった。
「なに?」
ぽつりと聞かれて
「1ヶ月間、お世話になりました。先生のお陰で、数学を好きになりました」
深々とお辞儀をしてそう伝えると、驚いたような顔をしてから
「そっか……。それなら、良かった」
ふわりと微笑んだ笑顔に泣きそうになる。
(あなたが好きです)
そう伝えたら、又、会えますか?
「頑張ってね」
そう言われて思わず俯く。
(離れたく無い! これで終わりなんて嫌だ!)
心の中で叫んでも、自分に出来るのは笑顔で送り出すことだってわかっている。
「先生も……お元気で」
絞り出した声に、先生が微笑んだまま
「一条君……だっけ? きみもね」
差し出された手を握り返した。
俺より少し小さな手を握り締めても、するりと直ぐに離れてしまう。
俺の初恋は、こうして終わりを告げた。
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