猫被りなきみと嘘吐きな僕

旅立ち～少し前の出来事～

　翌日、教授にメールを返信して、手続きやらなんやらで一週間後に渡米する事が決まった。
バタバタしていて忘れていたが、先輩は自己都合でお手伝いを辞退したらしい。
(別に、僕は大学院を休学するから、どうでも良かったんだけどね）
向こうで生活する部屋は、教授が全部用意してくれているようだった。
荷物を送ったり、頼まれていた論文を仕上げたりとかなり忙しくて、海と会う時間が取れたのは渡米する2日前だった。
　先輩とのことがあったから、大丈夫だと言っているのに、大学への送迎はずっと小関さんがしてくれていた。
この日は海と会う約束をしていたので、学校の門には海が立って待っていた。
「遅くなってごめん」
小走りで駆け寄ると、海が笑顔を向ける。
それは猫被りの笑顔では無く、僕にだけ見せる本当の笑顔。
「どうする？」
海の顔を覗き込むと、少し考えて
「飯食ってラブホですかね」
って答えた。
「お前……欲求に素直すぎないか？」
思わず呟いた僕に
「ち……違いますよ！別にビジネスホテルでも良いですけど、壁が薄いじゃないですか。話をするにも、万が一盛り上がった場合でも……色々と面倒だから……。ラブホは、防音がちゃんとしていますし……」
真っ赤な顔をして必死に言い訳をしている海がおかしくて、僕は「ぷっ」と吹き出して笑った。
「な……なんで笑うんですか！」
「だって……、別に『飯行きましょう』で良くない？」
クスクス笑って海の顔を見上げると、首まで真っ赤にしている。
「じゃあ、飯！行きましょう！」
海はそう叫んで僕の腕を掴むと、ズンズンと歩き出す。
「海……、か～い君」
無言で歩く海に声を掛けても、余程恥ずかしかったのか振り返らない。
一歩前を歩く海に、僕は立ち止まる。
突然立ち止まった僕に、海が驚いて振り向いた。
「僕、呼んでいるんだけど？」
ぷくっと頬を膨らませて呟くと、海がハっとした顔で僕に近付く。
「どうして無視すんの？　僕、呼んでたよね？　一緒に居たくないなら、帰る」
踵を返した僕に、海が必死に走り寄る。
「あの……すみません。俺……」
僕を引き留めようと、前に立ちはだかった海の胸に抱き付いて
「捕まえた」
そう言って微笑む。
「え？」
海は驚いた顔で僕を見下ろすと、ホッとした表情になって僕を抱き締めた。
「怒らせたかと思いました」
そう呟いた海に
「怒ってるよ！だから、もう勝手に前を歩いたらダメだからね」
と言うと、海から離れて
「じゃあ、行こうか」
僕は海の手を取って歩き出した。
外は真っ暗で、この時間帯の大学から駅までの道は、商店街に入るまで人通りがほとんど無い。
握り返された手は大きくて温かくて、ずっとこのまま手を繋いで居たいと思ってしまう。
賑な商店街へと入る手前で、僕は海の手からするりと手を解く。
「ねぇ、今日、連れて行きたい場所があるんだけど、そこで良い？」
笑顔で振り向くと、海がさっきまで僕と繋いでいた手を見つめて立ち止まっていた。
「海？　どうしたの？」
海に近付くと、深く悲しみに揺れた瞳が僕を見つめ返した。
（あぁ……、あの日の事を思い出しているんだ）
僕が肺炎になるきっかけになったあの雨の日の事が、海の心に深い傷を負わせてしまったのだと気付く。
僕はその手を再び握り締めて
「実はさ……。今日、連れて行きたい場所があるんだ」
そう言うと、走り出した。
「え？　ちょっと……」
僕に引っ張られるように走りながら戸惑う海を無視して、駅の改札を通って、丁度着いた電車に乗り込む。
「和哉さん、何処に行くんですか？」
飛び乗った拍子に、僕と海の手が自然に離れた。
「内緒、楽しみにしてて」
微笑んで答えた僕に、海がずっと不思議そうな顔で僕を見ていた。
電車に揺られること、30分。
大きな駅で降りると、僕は高級ホテルへと入って行く。
「ちょ……ちょっと、和哉さん」
慌てる海を無視してチェックインを済ませ、エレベーターに乗り込みカードキーを差し込む。
すると表示されていなかった階が表示されてノンストップで上がって行くじゃないか！
これにはさすがに、僕もびっくりした。