風の声 森の唄

古紫汐桜

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抜け落ちた記憶が語るもの②

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記憶の中の彼女は、見た目と違い自由で大らかな性格だった。
いつだったか、今にも消えそうな座敷童子を連れ帰って来て、自分の力を分け与えて座敷童子を元の姿に戻してあげた為に、自分が倒れていた。
彼女は自分の事よりも、他の傷付いた妖怪や付喪神を助けてはぶっ倒れるを繰り返していた。
「お前、もう少し自分を大切にしたらどうだ?」
彼女にそう言うと、驚いた顔をして
『それは恭介さんの方です。私はこの里に居れば、幾らでも力は戻ります。あなたは限りのある命なのです。もっと大事にしなさい』
そう言って恭介が怒られていた。
いつしか恭介の中で、そんな彼女に特別な感情を抱くようになっていた。
でも、いずれ自分は元の世界に戻される身。
この気持ちを伝えても、届かないのは分かっていた。
だから恭介は、自分の思いを言わないつもりだったし、伝えようなんて気持ちも無かった。
『恭介さん、あなたは私が何者か分かっていますか?』
ある時、彼女にやんわりと聞かれた。
「はぁ? 龍神だろう?」
呆れた顔で答えた恭介に
『あなたの考えている事、思っている事は全て筒抜けなのですよ』
微笑んで言われた彼女の言葉に、恭介は頬が焼けるように熱くなった。
『恭介さん、私はずっとあなたが好きでした。私をあなたの妻にしてはいただけませんか?』
とんでもない事を言い出した彼女を、恭介には拒むことは出来なかった。
龍神の人間が婚姻関係を結ぶなんて、正気の沙汰では無い事は分かっていた。
でも恭介は、彼女と一緒にずっと此処で穏やかに暮らそうと心に決めたのだった。
人間であった事も忘れ、ただ彼女と穏やかで幸せな日々を過ごしていた。
最初は大反対していた大龍神も、彼女のお腹に子供が出来る頃には、恭介達に龍神の里にある一番住みやすい場所に住まいを与えてくれた。
二人の間に生まれた子供は、風の神様として生を受けた。
龍神になれなかったのは、半分、自分の血が混じってしまったからなのかもしれない……と、恭介は考えていた。
それでも彼女は幸せそうに
『この子は風太。風太と名付けましょう』
そう言って微笑んでいた。
(そうか……風太は、俺の子供だったのか……)
恭介は、ぼんやりと少しずつ蘇る記憶を眺めていた。
慣れない子育ての中、彼女は自分の手で育てると言って、決して使いの者には手伝わせなかった
『恭介さん。私は龍神として生を成し、この変わりゆく世界を見守るだけで終わると思っていました。でも、あなたに出会えて愛する事を知って、こうして子供まで授かりました。私は幸せ者です』
(微笑む彼女と、何故、俺は離れたんだろう?)
そう考えると、恭介は再び記憶の深い深い闇に呑まれていく。
(ダメだ……。その先が大切なのに、又、記憶が飲み込まれていく)
恭介は必死に、記憶の闇に抵抗するかのように考える。

微笑む君の名前は……?
そして俺たち家族は何故、引き離されたのだろうか……?

暗闇に呑まれ、とても愛していた女性の笑顔が遠くなって行く。
(まだ生後間も無い風太を抱いて、確かにきみは隣で笑っていた。)
恭介は、必死に暗闇に落ちて行く記憶の糸に手を伸ばした。
(行くな!俺のそばから離れるな!)
名前を叫ぼうとして、恭介は目を覚ました。
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