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傷深き花嫁

とても苦しい ~何をすればいいのか~

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 アルジェントは自分に寄りかかっているルリを見ていた。
 少し見ていると口を拭うような仕草をしているのに気づいた。
「ルリ様、どうなさいました?」
「……さっきの奴に、キスされた感触が残ってて気持ち悪い……」
 アルジェントの顔がこわばる、そうだ、あの男はルリの唇を汚したのだと。
「もう一度口をお拭きになりますか……」
「ん……」
 アルジェントは濡れたハンカチを出現させ、ルリの薄紅色の唇を傷つけないように慎重に拭いた。
「……やっぱり気持ち悪いの消えない」
 ルリは再びごしごしと唇をこするように手の甲で拭き始めた。
 ルリの目の前だから手加減していたが、手加減せず頭部を叩き割ればよかったとアルジェントは心の中で舌打ちした。
「……アル、ジェント」
「何でしょう?」
「……キス、してくれる? なんかこのまま気持ち悪いの……いや」
「それは……」
 ルリの言葉にアルジェントは狼狽えた、現状のルリにそんな事をしては主になんと言えばよいのか困る。
「……じゃあグリースに頼む……」
「私がします」
 グリースの名前が出た途端、即時に先ほどの考えを捨てた。

――グリースに口づけさせる位なら私がいたします――

 ルリはまだ少し怯えた表情をしている、アルジェントは口づけだけ、触れるだけと頭の中で念を押す。
 そして薄紅色の柔らかな唇に己の唇をそっと重ねた。

 その感触に肉欲がぞわりと頭の中で囁く、犯してしまえと。

 アルジェントはそれを何とか押し殺して、触れるだけの口づけを止めた。
「どうですか?」
「……うん、気持ち悪いの無くなった。ありがとう」
 ルリはそう言って唇に触れていた。
 アルジェントの心臓は高鳴っていた。
 酷くうるさく感じられるほどに、心臓の鼓動が耳に届く。
「……ルリ様は、何故私やグリースに頼もうと?」
「……散々、キスしてきたじゃない、嫌いじゃないならもういいやってなったのよ。昔は好きな人とキスしたいって願望があったけど、私こんな状態だものできっこない」
 ルリの諦めたような表情と言葉に、アルジェントは言葉を失う。

――嗚呼、この方は愛してくださらないのか――

 傷ついた最愛の人は、今誰も「愛せない」。
 元から人を「愛する」ことができないのか、それともこの環境が原因で「愛する」ことができないのかわからない。
 ただ、「愛する」よりも先に主に抱かれたのも最愛の人が「愛する」ことができなくなった原因にも思えてしまった。
 体を貪って、「愛してほしい」と囁いて、それを酷く苦痛に感じて一度壊れたのだ。
 皆その感情を押し殺している、けれども、囁かずにはいられない。

「――ルリ様」

 ルリは何処か虚ろな表情をしている。
「……何?」
「……愛しております」
 ルリの手を握り、言葉を吐き出す。
「――そう」
 ルリの表情は虚ろなまま、返事もどこか他人事のようだ。

 拒否もしなければ受け入れもしない。

 ルリの「愛」を受け止める器はおそらく、ヒビが入っているか、穴が開いているのだろう。
 そんな器に「愛」という液体を注いだところで、器に液体は溜まらない。
 器は空のままだ。

 どうすれば、そのヒビを消せるのか、穴を埋めれるのか。

 アルジェントが考え込んでると、ルリの体がずるりと倒れた。
「ルリ様?!」
 アルジェントはルリをベッドに寝かせて頬に触れる。
 いつもより体温が低く感じられた。
「……なんか酷く眠い……」
 ルリの目は眠そうというよりも生気がないといった方が正しいかった。
「ルリ様、眠ってはいけません、ルリ様!!」
 眠ったら二度と目を覚まさないのではないかという予感がした。
 ルリを抱き起し、目を閉じないように声をかけ、体に触れる。

「おい、どうした? 何あったんだ?」

 口調は軽いが、明らかに、異常を感じ取っているような声にアルジェントが振り向けば、グリースが居た。
 グリースはルリの異変を察知しているらしく、アルジェントをどかして、ルリの上半身を抱く。
「……何か危害を加えられなかったか?」
「――以前幼児退行していた時のルリ様に危害を加えた輩が、再度ルリ様を侮辱し、穢そうとしていた、なんとか止めれたが」
「それだな、暴言に結構精神的にやられてる、後お前――」

「『愛している』とか言わなかったか?」

 グリースの目は咎めるようにアルジェントを見ていた。
 アルジェントは思わず目をそらしてしまった。
「言ったな、ヴァイスの野郎も言ってやがったし、言った場合は見返りを求めないことを付け加えないと今のルリちゃんには凄まじく負担なんだよ!!」
「――何故お前は見返りを求めずにいられる!!」
 グリースの言葉にアルジェントは耐えきれず問いかけた。
「愛にも色んな形があるんだよ、俺はルリちゃんが幸せならそれでいいんだよ。ルリちゃんが誰を愛そうが、お前を愛そうが、ヴァイスを愛そうが、俺を愛そうが、それ以外を愛そうがな」
 グリースはそう言うと、ルリの頬に触れる。
「ルリちゃん、悪いけど、起きてくれ」
「……ん」
 グリースの言葉にルリは弱弱しく目を開いた。
「……頭……重くて……起きてるのが……辛い……」
「今寝たらだめだ、この薬飲んで」
 グリースは液体状の物体をルリの口元に持っていった。
 ルリはグリースに促されるまま、液体を飲み干した。
「……にがい」
 ルリは赤い舌をべっと出した。
「味の改良は途中だから次回に期待してな。……次回がねーといいんだけど」
 グリースはルリを抱きしめながら、最後ぼそりと呟いていた。
「俺がいない間こわいことあった?」
「……赤髪の男が私に無理やりしようとしてきた……私を悪者扱いして酷い事言ってきた……」
 ルリはグリースに抱き着きながらぼそぼそと喋っている。
「それは怖いし、嫌だよなぁ」
 グリースはルリの言葉を聞きながら頷き、優しく髪を撫でている。

 グリースはルリを抱き支えながら、唇や、頬を優しく触れつつ話に耳を傾ける。
「……」
 体温は少しだけ戻りつつある、虚ろな目にも少しずつ生気が戻りつつある。
 だが――

――まだ、危ない――

 ルリの精神は非常にちょっとした事でもダメージを受ける状態にある。
 悪意にさらされれば、一気にボロボロと崩壊を始める程に。
 今、崩壊を仕掛けていた、今までの傾向からルリの精神と肉体の結びつきはかなり深い。
 安定していれば怪我の治りは早く、安定してなければ遅い。
 先ほどまでのルリは、体の機能を著しく低下させ、休眠状態――動物的には冬眠が近いだろう。
 その状態に陥らせて、外部からの刺激を一切拒絶する状態に移行しかけていたのだ。
 精神が保てないからだ。
 また術使えばいいとか抜かす馬鹿はいないだろうが、精神も眠ってしまうとこの間の術は効果がない。
 眠った精神を起こす術はあるが、それは精神に衝撃を与えかねないのでルリには使用するのはできない。
 だから、今は眠るのをグリースは必死に妨害しているのだ。
 ルリの精神が眠ってもきちんと目覚めるようになるまで。

 しばらくルリに触れたり、口づけをしたり、ルリの要望に応えたりグリースがしていると、ようやくルリの調子が眠っても問題のない状態に戻った。
 アルジェントが歯がゆそうに自分とルリを見つめているが、今までの行いからアルジェントでは役不足だ。
 下手をすると悪化させかねない。
 だが、眠っても問題がないレベルには戻ったとは言ったが、精神はまだぐらぐらと不安定だ。
 若干幼児退行のような傾向もみられる。
 全ての分野で人間の国より発展している吸血鬼の国の病院に入れるという方法がルリが普通の人間だったらとれた。
 だが、ルリは不死人で真祖の妻。
 そんな身分と人種が「心の病」で入院なんてことがバレたら、国民達の反応は確実に「人間の国」の政府連中への嫌悪へと行きかねない。
 国民は真祖と真祖直々の配下への信用は厚い、大体今までの歴史でやらかしてきたのは「人間の国のトップかそれに近い連中」なのだ。

 まだ宗教が根強かったこと、それと反することを言えば迫害されたため、吸血鬼の国に来て、反した内容が正しいかどうかというのも含めて研究や実験などを真祖は認めてきた。
 人間の国で、「自分たちの仕事を奪う」とか「宗教に反する」という理由で迫害されて吸血鬼の国に亡命してきた研究者、科学者、発明家、医師は数知れない。
 人間の国のトップがあるとき「宗教」の地位を徹底的に低くしたのだ、このままだと人間の国は衰退して、滅びると。
 そしてかなり発展していた吸血鬼の国に頭を下げる形でようやく発展を始めたのだ。
 現在人間の国の宗教が形骸化しているのはそう言う理由にある。
 軍隊のレベルもいまだに雲泥の差がある。
 現在の軍のトップはそこら辺考えずに革命を起こそうとしたので結果革命は吸血鬼の国の精鋭とグリースに鎮圧された。
 トップの信者やトップに近くて止めなかった連中は死刑確定だろう、この間の二度の強襲の関係者も多くが死刑になってとっくに執行されてる。
 それくらいヴァイス――真祖に歯向かうのはこの世界ではタブーとなっている。
 それでも、真祖を葬ろうと裏で動いている連中は居る。
 宗教をいまだ深く信じている連中はそれだ、奴らからすると吸血鬼達は「神」の敵なのだ。
 だから葬りたい、そして宗教の地位の復権を狙っている。
 だが、聖遺物さえ効かぬ、白木の杭も、日光も、流れ水も、あらゆる吸血鬼が苦手とすることが効かぬ真祖にどうやって対抗するつもりかと聞けば彼らはこう答えた。

「不死人はおそらく神の使い、グリース様は神の使いなのです!!」

 つまり、自分に真祖――ヴァイスを殺せというのだ、だがそう言ったやつらは全員焼き殺してやった。
 自分の恋人達と友人たちを迫害した上殺した連中に手を貸す気など全くない。
 連中にルリが見つかれば、ヴァイスを殺すための道具にされかねない、人間政府もルリを道具とみている、だから悲しいことにルリを今は母国に帰すことは不可能だ。
 もっとマシな関係になってたら、今頃とっくに連れ出して実家で安静にさせている。
 だが、それができないから、薬を作り飲ませ、苦しみを吐き出すの聞く。
 それしかできない現状が忌々しかった。
 ヴァイスの配下でルリを快く思っていない奴がいる場所に置いておくのも心苦しい。

 いっそ自分の隠れ家に連れていくべきか?

 グリースは悩みの種は尽きなかった。


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