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第十二話 暗中
暗中 三
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はたして、そこに家はあった。
見たところだいぶふるい、木造の簡素な小屋であった。
(こんなところに、なぜ……)
おそらく部屋は三つもないであろう小さな平屋。コジャッブはその全容を眺められる位置で立ち止まり、ただただ立ちすくんだ。
(まさか、なにかの罠じゃないだろうな)
彼が恐れていたのは幻術だった。
以前、所属していた魔術師団の先輩が言っていた。
「魔物の中には幻術を使うヤツがいる。ヤツらは人間を直接殺すことができないから、罠にかけて死なせるんだ。そうして死体から出てきた魂を食らう」
もしこれが魔物の幻術なら下手に入るわけにはいかない。
それをわかっていながらここまで来てしまった。
それほど孤独だった。
ずっと本物の人間と話していない。ひととの交流に飢えている。それに現実の人間と話せば、きっと人里への道を教えてもらえる。
希望を胸に抱いたとき、”行く”以外の選択肢がすべて消えてしまった。
彼は恐る恐るドアをノックし、
「すみません」
と言った。
返事はなかった。
しかしカーテンで塞がれたガラス窓の中は明るい。それに煙突から煙が出ている。間違いなくいま火を焚いている。
彼はいまいちど強くノックし、
「すみません! おれはコジャッブという旅の者です! 森で遭難してしまい困っています! 街までの道をお聞きしたいのですが!」
叫ぶように言った。すると、
「入れ」
と男の声が返ってきた。重い、鉛のような声だった。
コジャッブは息をのみ、扉を開いた。
中にはふたりの人間がいた。
ひとりはおそらく返事の主であろう。
巨漢、と呼ぶのも生やさしいほどの大男。
それが、草を編んだ敷物にあぐらをかき、背を丸めて低いテーブルに肘を乗せている。
ただでかいだけではない。
全身の筋肉が膨れ上がっている。
壁に立てかけた大剣は彼のものに違いない。太さも長さも通常のものよりはるかに大きい。
貌も猛獣のように恐ろしく、髪とヒゲがざくざくと荒い。
山賊の首領を絵に描くとしたらこんな姿だろう。そんな風貌をしていた。
そんな彼の手にはウィスキーの注がれたグラスがあった。そしてテーブルの上では分厚く切った焼き肉がいいにおいをさせていた。
どちらもこの二ヶ月ほしくてほしくてたまらなかったものだ。
ごくり! とコジャッブののどが鳴った。
が、彼がこころ奪われたのは肉でも酒でもなかった。
もうひとり、女がいた。
歳のころは十五、六といったところか。たおやかで、目の色があたたかい。
しっとりと濡れるような美女である。
とはいえ、それほど華奢ではない。長袖でもしっかりした四肢をしているのがわかる。
しかし、女の体というのは男と根本的に違う。
細い髪。ふわりとしたほほ。なだらかな肩。しとやかな身のこなし。そして、理屈では説明のできない、全身が持つやわらかさ。
それは触れずともわかる。たとえ固い服を着込んでいても、生の肌が透けて浮き出てくるように伝わる。
ましてや妙齢である。
ちょうど体が少女から女へと育ち、子を成す準備が整ったころ合いだ。
まるで花がミツバチを吸い寄せるように男を誘う。
本人の意思に関わらず、どんな剛腕よりも男ごころを強固につかみ、離さない。
それはちょうど、テーブルの向こう、肉を挟んだ先にいた。大男のグラスに注ぐためか、手に大ビンのウィスキーを構えていた。
「おい兄ちゃん。どうしたそんな、目ン玉おっぴろげて」
「えっ? あっ」
大男の野太い声に、コジャッブはハッと意識を取り戻した。彼は完全に女のとりこだった。
「よだれまで垂らして、そんなに腹が減ってるのか」
「あ、ああ! なにせずいぶん肉を食ってないもんですから」
コジャッブは慌てるそぶりで口元を拭った。肉と女が近くて助かったと思った。
「がはははは! だろうなぁ。遭難してたんじゃ酒も飲めなかったろう」
「はい、挨拶もなしにすいません」
「ま、こっちに来いよ」
言われるがまま、コジャッブはふたりに向かい合う位置に座った。
「おい、エリダヌス。こいつにも酒を注いでやれ」
「はい、父さん」
エリダヌスと呼ばれた女はスッと立ち上がり、隣室から新たなグラスを持ち出して、コジャッブのすぐ隣に座った。
(うっ……)
その動作すべてが彼のこころをつかんだ。ただ立ち上がる。ただ座る。それだけで胸がうずいた。声も透き通って耳によい。
「どうぞ」
エリダヌスにグラスを渡され、そのまま、とく、とく、とく、と酒を注がれた。久方ぶりの芳醇な酒気が鼻いっぱいに広がり、それだけでうっとりしそうになる。
しかしそれ以上に女のにおいを強く感じた。
実際は酒のにおいが支配している。だがそれ以上に濃い、存在しないはずの透明な甘いにおいがドクドクと彼の胸に注がれた。
コジャッブの視線は彼女の顔、体、そして控えめな胸の膨らみに吸い込まれた。
「ずいぶん固いじゃねえか。もっと楽にしろよ」
「す、すいません。あはは!」
「なに赤くなってんだ。別に恥ずかしがるこたあねえよ。その様子じゃけっこう長くさまよってたんだろ? 服も肌もぼろぼろだ」
「ええ、二ヶ月ほど」
「ほお、よく生きてたな。じゃあ早く飲みたくてしょうがねえだろ。とにかく乾杯といこうじゃねえか」
ふたりは乾杯し、ぐっと酒を飲んだ。
「ううっ!」
コジャッブは声を漏らした。二ヶ月ぶりの酒はのどにきつく、しかし叫びたくなるほどうまかった。
「う、うめえ!」
「がははは! だろうな! おれも三日風邪で寝込んだあとの酒はうめえなんてもんじゃなかった。二ヶ月ぶりは効くだろう」
「はい!」
「ほら、肉も食え!」
「うわあ! うめえ!」
コジャッブはうまさのあまり目に涙を浮かべた。分厚い肉は野獣の肉に塩と香草を敷いて焼いただけのものだが、そのシンプルさがより肉の肉らしさを強調していた。
「うめえ! うめえよ!」
「がははは! 食え、食え! いままで食えなかった分ガツガツ食え! 男は肉を食わなきゃなあ!」
コジャッブは女に欲情していたことも忘れ、夢中になった。胃に肉が落ちた瞬間から全身に生気が湧くのを感じた。焼き魚で満たしたはずの腹は、空っぽのように受け入れた。
ほどなくしていきおいが落ち着き、やっとまともな精神で会話ができるようになった。
「おれはジバル。こいつは娘のエリダヌスだ」
大男ジバルはコジャッブを歓迎していた。なにせ来客ほどうれしいものはないという。
「おれたちはずっとこの小屋にふたりきりだからな」
彼らは魔物から街を守る番人であった。
「ここから少し行ったところで川が二又に分かれている。その片っぽの川下に行きゃあ街がある。おれはそこに雇われてんだ」
街がある。その言葉を聞いてコジャッブはホッとした。やっと元の生活に戻れる。
それと同時に、気になる言葉もあった。
「このあたりは魔物が出るのか?」
「や、ここはわりかし安全だ。ヤツらは森の奥に棲んでいる。たまに出てきて、ひとを襲うことがあるんだ。本当は街に結界を張れりゃあいいんだろうが、なにせ田舎じゃろくな魔術師団がなくてよ」
ジバルは壁に貼り付けてあるおふだを指差し、言った。
「細けえことはわからねえけどよ、魔物が近づくとあの札が教えてくれるんだ。たいがい夜遅い時間だがな。おれァ霊感を持たねえが、こいつのおかげで見えない魔物も見えるし、銀混じりの剣があるからヤツらをぶった斬れる。なかなかたのしいもんだぜ。ま、それ以外の時間がちと退屈だけどよお! がははは!」
そう話しながらジバルの見せた剣はバカにでかかった。大男が持つと一見ふつうのロングソードに見える。しかしコジャッブの剣より明らかに太く、長く、ふたまわり以上大きかった。
「で、兄ちゃんは何者だい?」
「おれか……」
コジャッブはどう答えるか悩んだ。
元は近衛兵長フェルカド・マイナーに憧れて騎士団に入ったが、彼の死とともに変化した国の好戦的な姿勢に嫌気がさして除隊。その後たまたま会った魔術師に魔法の才能を見出され魔術師団に入った。
が、魔術師業界の殺伐とした環境から逃げ、偶然巡りあわせた薬師アクアリウスの弟子になり、そしてある朝森のど真ん中で捨てられ、いまがある。
「おれは元兵士でよお」
彼は酒の入った気の軽さもあってか、ほとんどそのまま話した。ただ、女の世話になっていたと言うのに恥を感じて、薬師の名前と性別は伏せておいた。当然、そこに蜜月があったことも。
「なるほどな。ずいぶんきびしいお師匠さんじゃねえか。それにしても兄ちゃん剣士か」
ジバルはコジャッブの体をジロジロと見て、
「たっぱも小せえし、ちと細えが、ま、その辺の力自慢よりはできそうだな」
そう言って笑った。コジャッブは世間的には背も高く、がたいもいい方だが、この大男から見れば小人のようなものだった。
「ま、とにかく飲め! とにかく食え! もっとたのしくいこうや! おい、エリダヌス。酒が空だぞ。奥から持ってこい」
「奥から、ということは」
「いいヤツだ!」
「いいの? あれ、すごく高いお酒でしょう? 記念の日に飲むって……」
「ばかやろう! こんなたのしい日にゃ、いいヤツを飲まなきゃもったいねえだろう!」
「もう、お客さんの前だからって。あとで後悔しても知らないからね」
そう言ってエリダヌスが別室に消えると、ジバルはでかい顔をコジャッブの目の前にヌッと突き出し、手をないしょ話のかたちにして小声で言った。
「おい兄ちゃん。おめえエリダヌスを見てたろ」
「へっ?」
「小屋に入ってきてすぐだ。おめえおれの娘に見惚れてただろ」
「あ、いや……」
がははははは!
「無理もねえ。あいつは母ちゃんに似てきれいだ。なにからなにまで死んだあいつにそっくりで、当時の母ちゃんそのまんまだ。この世で一番の美女に見とれねえわけがねえ。おれァ兄ちゃんがあんまりドギマギしてっから、笑いを堪えるのに必死だったぜ」
「あ、あははは……」
コジャッブは顔を真っ赤に染めて頭を掻いた。肉と酒でごまかせたつもりが、しっかりバレていたのだ。もしかしたら恥ずかしい部分も膨らんでいたかもしれない。
「ま、見惚れるのはいいけどよ」
ジバルの岩を固めたような笑顔が、ぎゅっと硬い目をした。
「見るだけだぜ」
「お、おう……」
コジャッブは押しつぶされそうなプレッシャーを感じながらも平静をよそおった。これほど力強く、こわい笑顔は見たことがなかった。
「ま、美人だからしょうがねえけどよ! それにしてもおれに似なくてよかったぜ! がははははは!」
ジバルはコジャッブの肩をバシンと叩き、豪快に笑った。軽いスキンシップだったが、子供なら骨が折れていたかもしれない威力だった。
つられ笑いをするコジャッブの元に、エリダヌスがいい酒を持ってきて、真隣に座った。
相変わらず動作のすべてが男ごころに沁み入る。それが、服が触れるか触れないかの距離でとくとく酒を注いでくれると、それだけで全身がそわそわうずいた。
「無骨な父ですみません」
近い距離で、彼女が言った。
「え、あ、いや……」
コジャッブは反射的に彼女の顔を見て、釘づけになった。
自分でもわかるほどほほが熱くなった。
決して触れてはいけない美女は、彼の目を真正面からまっすぐに見つめていた。
見たところだいぶふるい、木造の簡素な小屋であった。
(こんなところに、なぜ……)
おそらく部屋は三つもないであろう小さな平屋。コジャッブはその全容を眺められる位置で立ち止まり、ただただ立ちすくんだ。
(まさか、なにかの罠じゃないだろうな)
彼が恐れていたのは幻術だった。
以前、所属していた魔術師団の先輩が言っていた。
「魔物の中には幻術を使うヤツがいる。ヤツらは人間を直接殺すことができないから、罠にかけて死なせるんだ。そうして死体から出てきた魂を食らう」
もしこれが魔物の幻術なら下手に入るわけにはいかない。
それをわかっていながらここまで来てしまった。
それほど孤独だった。
ずっと本物の人間と話していない。ひととの交流に飢えている。それに現実の人間と話せば、きっと人里への道を教えてもらえる。
希望を胸に抱いたとき、”行く”以外の選択肢がすべて消えてしまった。
彼は恐る恐るドアをノックし、
「すみません」
と言った。
返事はなかった。
しかしカーテンで塞がれたガラス窓の中は明るい。それに煙突から煙が出ている。間違いなくいま火を焚いている。
彼はいまいちど強くノックし、
「すみません! おれはコジャッブという旅の者です! 森で遭難してしまい困っています! 街までの道をお聞きしたいのですが!」
叫ぶように言った。すると、
「入れ」
と男の声が返ってきた。重い、鉛のような声だった。
コジャッブは息をのみ、扉を開いた。
中にはふたりの人間がいた。
ひとりはおそらく返事の主であろう。
巨漢、と呼ぶのも生やさしいほどの大男。
それが、草を編んだ敷物にあぐらをかき、背を丸めて低いテーブルに肘を乗せている。
ただでかいだけではない。
全身の筋肉が膨れ上がっている。
壁に立てかけた大剣は彼のものに違いない。太さも長さも通常のものよりはるかに大きい。
貌も猛獣のように恐ろしく、髪とヒゲがざくざくと荒い。
山賊の首領を絵に描くとしたらこんな姿だろう。そんな風貌をしていた。
そんな彼の手にはウィスキーの注がれたグラスがあった。そしてテーブルの上では分厚く切った焼き肉がいいにおいをさせていた。
どちらもこの二ヶ月ほしくてほしくてたまらなかったものだ。
ごくり! とコジャッブののどが鳴った。
が、彼がこころ奪われたのは肉でも酒でもなかった。
もうひとり、女がいた。
歳のころは十五、六といったところか。たおやかで、目の色があたたかい。
しっとりと濡れるような美女である。
とはいえ、それほど華奢ではない。長袖でもしっかりした四肢をしているのがわかる。
しかし、女の体というのは男と根本的に違う。
細い髪。ふわりとしたほほ。なだらかな肩。しとやかな身のこなし。そして、理屈では説明のできない、全身が持つやわらかさ。
それは触れずともわかる。たとえ固い服を着込んでいても、生の肌が透けて浮き出てくるように伝わる。
ましてや妙齢である。
ちょうど体が少女から女へと育ち、子を成す準備が整ったころ合いだ。
まるで花がミツバチを吸い寄せるように男を誘う。
本人の意思に関わらず、どんな剛腕よりも男ごころを強固につかみ、離さない。
それはちょうど、テーブルの向こう、肉を挟んだ先にいた。大男のグラスに注ぐためか、手に大ビンのウィスキーを構えていた。
「おい兄ちゃん。どうしたそんな、目ン玉おっぴろげて」
「えっ? あっ」
大男の野太い声に、コジャッブはハッと意識を取り戻した。彼は完全に女のとりこだった。
「よだれまで垂らして、そんなに腹が減ってるのか」
「あ、ああ! なにせずいぶん肉を食ってないもんですから」
コジャッブは慌てるそぶりで口元を拭った。肉と女が近くて助かったと思った。
「がはははは! だろうなぁ。遭難してたんじゃ酒も飲めなかったろう」
「はい、挨拶もなしにすいません」
「ま、こっちに来いよ」
言われるがまま、コジャッブはふたりに向かい合う位置に座った。
「おい、エリダヌス。こいつにも酒を注いでやれ」
「はい、父さん」
エリダヌスと呼ばれた女はスッと立ち上がり、隣室から新たなグラスを持ち出して、コジャッブのすぐ隣に座った。
(うっ……)
その動作すべてが彼のこころをつかんだ。ただ立ち上がる。ただ座る。それだけで胸がうずいた。声も透き通って耳によい。
「どうぞ」
エリダヌスにグラスを渡され、そのまま、とく、とく、とく、と酒を注がれた。久方ぶりの芳醇な酒気が鼻いっぱいに広がり、それだけでうっとりしそうになる。
しかしそれ以上に女のにおいを強く感じた。
実際は酒のにおいが支配している。だがそれ以上に濃い、存在しないはずの透明な甘いにおいがドクドクと彼の胸に注がれた。
コジャッブの視線は彼女の顔、体、そして控えめな胸の膨らみに吸い込まれた。
「ずいぶん固いじゃねえか。もっと楽にしろよ」
「す、すいません。あはは!」
「なに赤くなってんだ。別に恥ずかしがるこたあねえよ。その様子じゃけっこう長くさまよってたんだろ? 服も肌もぼろぼろだ」
「ええ、二ヶ月ほど」
「ほお、よく生きてたな。じゃあ早く飲みたくてしょうがねえだろ。とにかく乾杯といこうじゃねえか」
ふたりは乾杯し、ぐっと酒を飲んだ。
「ううっ!」
コジャッブは声を漏らした。二ヶ月ぶりの酒はのどにきつく、しかし叫びたくなるほどうまかった。
「う、うめえ!」
「がははは! だろうな! おれも三日風邪で寝込んだあとの酒はうめえなんてもんじゃなかった。二ヶ月ぶりは効くだろう」
「はい!」
「ほら、肉も食え!」
「うわあ! うめえ!」
コジャッブはうまさのあまり目に涙を浮かべた。分厚い肉は野獣の肉に塩と香草を敷いて焼いただけのものだが、そのシンプルさがより肉の肉らしさを強調していた。
「うめえ! うめえよ!」
「がははは! 食え、食え! いままで食えなかった分ガツガツ食え! 男は肉を食わなきゃなあ!」
コジャッブは女に欲情していたことも忘れ、夢中になった。胃に肉が落ちた瞬間から全身に生気が湧くのを感じた。焼き魚で満たしたはずの腹は、空っぽのように受け入れた。
ほどなくしていきおいが落ち着き、やっとまともな精神で会話ができるようになった。
「おれはジバル。こいつは娘のエリダヌスだ」
大男ジバルはコジャッブを歓迎していた。なにせ来客ほどうれしいものはないという。
「おれたちはずっとこの小屋にふたりきりだからな」
彼らは魔物から街を守る番人であった。
「ここから少し行ったところで川が二又に分かれている。その片っぽの川下に行きゃあ街がある。おれはそこに雇われてんだ」
街がある。その言葉を聞いてコジャッブはホッとした。やっと元の生活に戻れる。
それと同時に、気になる言葉もあった。
「このあたりは魔物が出るのか?」
「や、ここはわりかし安全だ。ヤツらは森の奥に棲んでいる。たまに出てきて、ひとを襲うことがあるんだ。本当は街に結界を張れりゃあいいんだろうが、なにせ田舎じゃろくな魔術師団がなくてよ」
ジバルは壁に貼り付けてあるおふだを指差し、言った。
「細けえことはわからねえけどよ、魔物が近づくとあの札が教えてくれるんだ。たいがい夜遅い時間だがな。おれァ霊感を持たねえが、こいつのおかげで見えない魔物も見えるし、銀混じりの剣があるからヤツらをぶった斬れる。なかなかたのしいもんだぜ。ま、それ以外の時間がちと退屈だけどよお! がははは!」
そう話しながらジバルの見せた剣はバカにでかかった。大男が持つと一見ふつうのロングソードに見える。しかしコジャッブの剣より明らかに太く、長く、ふたまわり以上大きかった。
「で、兄ちゃんは何者だい?」
「おれか……」
コジャッブはどう答えるか悩んだ。
元は近衛兵長フェルカド・マイナーに憧れて騎士団に入ったが、彼の死とともに変化した国の好戦的な姿勢に嫌気がさして除隊。その後たまたま会った魔術師に魔法の才能を見出され魔術師団に入った。
が、魔術師業界の殺伐とした環境から逃げ、偶然巡りあわせた薬師アクアリウスの弟子になり、そしてある朝森のど真ん中で捨てられ、いまがある。
「おれは元兵士でよお」
彼は酒の入った気の軽さもあってか、ほとんどそのまま話した。ただ、女の世話になっていたと言うのに恥を感じて、薬師の名前と性別は伏せておいた。当然、そこに蜜月があったことも。
「なるほどな。ずいぶんきびしいお師匠さんじゃねえか。それにしても兄ちゃん剣士か」
ジバルはコジャッブの体をジロジロと見て、
「たっぱも小せえし、ちと細えが、ま、その辺の力自慢よりはできそうだな」
そう言って笑った。コジャッブは世間的には背も高く、がたいもいい方だが、この大男から見れば小人のようなものだった。
「ま、とにかく飲め! とにかく食え! もっとたのしくいこうや! おい、エリダヌス。酒が空だぞ。奥から持ってこい」
「奥から、ということは」
「いいヤツだ!」
「いいの? あれ、すごく高いお酒でしょう? 記念の日に飲むって……」
「ばかやろう! こんなたのしい日にゃ、いいヤツを飲まなきゃもったいねえだろう!」
「もう、お客さんの前だからって。あとで後悔しても知らないからね」
そう言ってエリダヌスが別室に消えると、ジバルはでかい顔をコジャッブの目の前にヌッと突き出し、手をないしょ話のかたちにして小声で言った。
「おい兄ちゃん。おめえエリダヌスを見てたろ」
「へっ?」
「小屋に入ってきてすぐだ。おめえおれの娘に見惚れてただろ」
「あ、いや……」
がははははは!
「無理もねえ。あいつは母ちゃんに似てきれいだ。なにからなにまで死んだあいつにそっくりで、当時の母ちゃんそのまんまだ。この世で一番の美女に見とれねえわけがねえ。おれァ兄ちゃんがあんまりドギマギしてっから、笑いを堪えるのに必死だったぜ」
「あ、あははは……」
コジャッブは顔を真っ赤に染めて頭を掻いた。肉と酒でごまかせたつもりが、しっかりバレていたのだ。もしかしたら恥ずかしい部分も膨らんでいたかもしれない。
「ま、見惚れるのはいいけどよ」
ジバルの岩を固めたような笑顔が、ぎゅっと硬い目をした。
「見るだけだぜ」
「お、おう……」
コジャッブは押しつぶされそうなプレッシャーを感じながらも平静をよそおった。これほど力強く、こわい笑顔は見たことがなかった。
「ま、美人だからしょうがねえけどよ! それにしてもおれに似なくてよかったぜ! がははははは!」
ジバルはコジャッブの肩をバシンと叩き、豪快に笑った。軽いスキンシップだったが、子供なら骨が折れていたかもしれない威力だった。
つられ笑いをするコジャッブの元に、エリダヌスがいい酒を持ってきて、真隣に座った。
相変わらず動作のすべてが男ごころに沁み入る。それが、服が触れるか触れないかの距離でとくとく酒を注いでくれると、それだけで全身がそわそわうずいた。
「無骨な父ですみません」
近い距離で、彼女が言った。
「え、あ、いや……」
コジャッブは反射的に彼女の顔を見て、釘づけになった。
自分でもわかるほどほほが熱くなった。
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