魂売りのレオ

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第八話 聖者ははかなくも夢を語る

聖者ははかなくも夢を語る 四

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「アルテルフ、おまえは先に行ってほかの従者に準備するよう伝えてきなさい」
「はい、かしこまりました」
 アルテルフは鷹の姿に戻り、館まで飛んで行った。
 ぼくらはレオを先頭に館まで歩いた。神父を背負っていたせいで途中ぼくはへばってしまったが、ウォルフが反対側の肩を支えてくれてなんとかたどり着くことができた。
「さあ、着いたぞ」
 そうレオが示した館はいつもの館じゃなかった。すべてが白い。壁も屋根も庭の石や土も、どこもかしこも白く塗られている。これも幻術の力らしい。
 その庭にひとりの女が立っていた。白い長布ながぬのを衣服として巻きつけてはいるが、隙間から見える脇腹がだらしなくぽよんとしており、二の腕やふともももぽよぽよで、なにより胸がぽよんぽよんだ。胸の脇から正面を通るかたちで幅広の布が乳房を隠しているが、それでも覆いきれない上と下がだらしなくはみ出てたゆたゆしている。
 栗色のふんわりした髪とやわらかい笑みが魅力的な美女、デネボラだ。本来馬という太りにくい動物でありながら、自堕落を突き詰めた生活によりギリギリぽっちゃりとなった彼女は、その手に透明な液体の入ったグラスを持ち、庭で待ち構えていた。
「お待ちしておりましたぁ」
 そう言ってデネボラはグラスを前に差し出し、
「お腹のお薬、用意しておきましたよぉ」
「よし、この男に飲ませなさい」
「はぁい」
 デネボラはぼくらの支えるジェローム神父に近寄り、
「大丈夫ですかぁ? ゆっくりでいいので飲んでくださいねぇ」
 と、彼の口にグラスを当てがい、少しずつ飲ませた。するとまたたく間に顔色がよくなり、まだ息は荒いものの自力で立てるようになった。
「はぁ、ありがとうございます。もうほとんど痛みが消えました」
 あとで聞いたらデネボラが用意したのは強力な混合薬だった。アクアリウス特製の胃腸薬に、人間の魂から作った”霊薬”を少し混ぜたもので、ただでさえ効き目の強い薬に霊薬を混ぜたのだから効果も即効性も段違いになる。
「ああ、これも”神の気まぐれ”なのでしょうか。あれほど重く苦しかった胃がスーッとさわやかに感じます」
「そうだ、これも最上猫様の気まぐれだ」
 レオがそう応えると、神父はひざまずき、ありがたい、と頭を下げた。
 そんなふたりのやりとりを聞いて、ウォルフがぼくの耳にこっそり言った。
「なあ、なんだべその猫だの気まぐれだのってのはよ」
「え? バードフィリス様のことを知らないの?」
「おれたちの里じゃあんまし常識ってのがねえんだ。世間じゃ猫を信仰してんのか?」
 そっか、そういえば獣耳の里は世間と隔離されてるんだったね。バードフィリスっていうのは天上に住んでいる翼の生えた猫だ。はるかむかし気まぐれで地上を作り、気まぐれで人間や動物を生み、気まぐれで大災害や奇跡を起こす、自由気ままで好き放題してる生命のだ。中でも最も気高い猫が最上猫様で、悪さをした猫からは翼を奪い、地上に落とした。だから地上の猫は堕落しきった怠惰な生き物で、空が恋しいからやたら高いところに登りたがる。
 これを教えてあげるとウォルフはじとっとした目で、
「おめえ……マジでそんなん信じてんのか?」
 と言った。なに言ってるんだろう。これが嘘ならどうして大地が揺れたり雷が落ちたりするっていうんだ。最上猫様がいたずらしてるからに決まってるじゃないか。バカだなぁ。
 ところで神父は食中毒を起こしていたらしい。
「この一週間、森に生えている野草を無理に食べ、お腹を壊しておりました」
「そうか、どうりで痩せこけているはずだ。だが安心しろ。汝のために食事を用意してやった。ついて来い」
 そう言ってレオは神父を館の大広間に案内した。ふだん使わない、だだっ広い広間だ。ふつうの部屋二、三室分ほどの大きさがあり、真ん中にほこりをかぶったロングテーブルが置かれている。
 その端の席にテーブルクロスがかけられ、ローストビーフのサンドイッチとスクランブルエッグが用意されていた。レオはそこにジェローム神父を座らせ、
「さあ、食うがいい。これも神の気まぐれだ」
 と言った。しかし神父は、
「あ……ありがたいことなのですが」
 彼は困った顔をしていた。なぜだろう。一週間も草しか食べないでいたら、こんなご馳走ダメと言われても食べたくなるだろうに。
「どうした、なぜ食わん」
「それが、その……わたくしはこれを食べるわけにはいかないのです」
「どういうことだ?」
「はい、わたくしは生ある者を殺さずに生きているのです」
「ほう?」
 レオは目を見張った。ぼくも驚いたよ。それってもしかして草しか食べないってこと?
「わたくしは、人間は罪深い生き物だと考えております。生きるためとはいえ、ほかの生き物を殺さなければなりません。これは決して悪などではなく、当然のことかと思います。しかし、それでもわたくしは何者も苦しめず、何者も傷つけずに生きたい、そう願っているのです。そこで、もしや肉を食べずとも野菜だけで生きていけるのではないかと研究をはじめました」
 なに言ってるだろうこのひと。そんなの無理に決まってるじゃないか。だって人間は肉でできてるんだよ。自慢じゃないけどぼくもアクアリウスに教わって知ってるんだ。
 この世には三種類の食べ物がある。肉と、野菜と、その中間の菜肉だ。アクアリウスはこう言った。
「いい? ちゃんとお肉を食べなきゃダメなのよ。じゃないと体が崩れちゃうんだから。でもお肉ばっかりでもダメ。お肉だけ食べてると血が悪くなって病気になるの。だからお肉と野菜、これをしっかり両方取らなきゃいけないのよ。野菜は血の薬だからね。もっとも中には毒のある野菜もあるから注意しないといけないけど。それか菜肉ね。野菜の成分とお肉の成分が混じった、いわゆる中間かしら。お魚さんとかカニさんとか、あと虫さんとか。これも薬と毒の場合があるから知らない菜肉には気をつけなさい。え? 虫を食べるのかって? バカ言わないで、わたしは虫なんて食べないわよ、気持ち悪い」
 つまり野菜は薬だ。人間のみなもとは肉だ。それを薬だけ口にして生きるなんてできるはずがない。しかしジェローム神父は可能だと言う。
「わたくしは豆を多く取れば肉を食べずとも生きていけることを突き止めました。わたくしはもう何年も肉も菜肉も口にしておりません」
「そんなバカな……」
「証拠はございませんが、そうなのです。そして我々はこれを広めたいがために旅をしておりました。もちろんたくさんの方々にバカにされました。そんなことできるはずがない、と。しかしそれでも何人かからは賛同を得られ、中には旅の仲間に加わる者もおりました。そんなある日、一週間前でございます。ふとこの森を見かけ、ここにはどんな薬草があるか少しだけ見てみようと思いました。ほんのちょっとのつもりでした。なにせ知らぬ森に入ればどんな獣がいるか、さもすれば魔物と出会う可能性さえあります。それが……まさかこんなことになるとは……」
 へえ……本当なのかな。ぼくには信じらんないや。でもすごいなこのひと。だって、もしかしたら熊や狼がいるかもしれないっていうのに、消えた仲間を探してずっとさまよってたんでしょ。ぼくだったら絶対無理だよ。いくら剣の達人でも、熊と出会えばいのちの補償はないもの。
「そうか……にわかには信じられんが、ともかくこれは食えんというのだな」
 レオはあごに手を置き、言った。
「いいだろう。汝のために豆をたらふく煮てやる。なに、そんなにへりくだって謝らんでもいい。われは神のしもべ。おなじ神のしもべが飢えようとしているのに、どうして放って置けようか」
 そうしてレオはデネボラに豆などの野菜を調理させた。よかったねジェローム神父。美しいって言ったのがここで効いたよ。言わなかったらきっと追い出されてた。
 それから少ししてデネボラは豆料理を用意し、神父は涙を流しながら食べた。
「ああ、神よ。この気まぐれに感謝します」
 食べ終わった神父は見るからに血色がよくなり、全身に生気がみなぎっていた。まるでお腹いっぱい肉を食べたみたいだ。こうなると彼の言うことが嘘じゃないように思える。
「ありがとうございます。このご恩、どうお返ししたものでしょう」
「なに、同志が救われればそれだけで神はおよろこびになる。もっとも最上猫様は気まぐれだがな」
「ははあ、頭が上がりません」
「ところで」
 レオは腕を組み、言った。
「汝、仲間を探していると言ったな」
「はい、おっしゃる通りです」
「なら我々もともに探してやろう」
「ほ、本当でございますか!?」
 そのひとことに神父は感涙せんとばかりに打ち震えた。そしてぼくらも驚愕した。
 ——レオがひと助けだって!?
 そんな、考えられない。だってレオだよ? 最低最悪の悪女だよ? それが、いくら美しいって言われたからって赤の他人の手伝いをするだって? そんなの野菜だけで生きるより信じられないよ。
 レオはそんなぼくらを見回し、フフフとほほを持ち上げ、言った。
「ああ。そやつらも同志なのだろう? それにひとが忽然こつぜんと姿を消すというのはなんとも不思議で興味がある。猫様のボールを探す役目もあることだしな。どうせ歩き回るのならおなじだろう?」
 それを聞いてアルテルフが、
「あー、なるほど」
 と小声で漏らした。
「どういうこと?」
 ぼくがこっそり肩を寄せて訊くと、
「消えたひとがどうなるか気になるんですよ。どこに行って、どうやって死ぬのか。レオ様がかけた魔法じゃないですからね」
 と、ひそひそ応えてくれた。なるほど、それなら納得がいく。好奇心旺盛なレオらしいや。それに死人がいれば魂を回収して在庫の確保ができるかもしれない。死はレオの商品だ。
 そんな本心も知らず神父はなんども頭を下げた。彼からすればレオは神聖な女神様だ。ただの暇つぶしの道具になっているなんて思うはずがない。レオはそれをいいことに、
「汝、手助けをするかわりに汝にはひとつ約束をしてもらう」
「は、約束ですか」
「なに、難しいことではない。これから毎日、朝日が昇るたびに太陽に向かって”レオ様はこの世で最もお美しい”と祈れ。口に出しても出さなくてもいい。それから食事と就寝前もな。いいか、欠かさず祈るんだぞ。さもなくば汝は天罰を受ける」
「はっ、かしこまりました。レオ様はこの世で最もお美しい。誓ってお祈りいたします」
「うむ!」
 うむ、じゃないよ。またわけわかんないこと言って。毎日そんなことを祈らせるなんて、ホントひとの人生を狂わせるのが好きなんだから。
 ぼくはあとで言ったよ。あんなこと約束させてなんの意味があるんだって。そしたらうれしそうに、
「ちょっとした遊びごころだ。なに、ヤツはしあわせだろうよ。なにせ信じる神の親族に仕事を与えられたんだからな。きっと生涯の自慢にするに違いない。ワハハハ!」
 だってさ。ほんっと性格悪いよ!
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